2-39 万にひとつの可能性
塔エリアを順調に攻略すること約半日。
レオンたちは順調に攻略を進め、終盤に当たる二五階へと到達していた。
「ようやく二十五階か。あと五階でボスエリアだけど、今日はここまでにした方がいいかな」
「そうですね。戦闘ではそれほど苦労しませんでしたけど、やはり移動距離が長い分疲れましたね」
「うん、あと精神的にもね」
ここまで順調に攻略を進めて来た三人であったが戦闘とは違った部分、魔物たちの不気味な動きや延々と上り続けなければならない塔エリアの構造に消耗を強いられていた。
「よし、じゃあ野営するためにセーフエリアを探そうか」
「はい、確か扉付きの部屋でしたよね」
この塔エリアにある扉付きの部屋は、一度中にいる魔物を倒してしまうと部屋から出ない限りは安全なのでレオンたちはそこで一泊する予定であった。
そのまましばらくフロアを歩き回って扉付きの部屋を探して回るレオンたち。
幸いなことに五分もかからずに目的の部屋を発見することが出来た。
「案外あっさりと見つかってよかったですね」
中世の城にあるような上部が丸くなった観音開きの扉。
その前に到達したセフィはホッと安堵の息を吐いて、後ろに続くレオンたちの方へと振り返った。
それを見てレオンは苦笑を浮かべる。
「セフィ。脅かすつもりはないんだけど、その扉もアサシンオブジェクトでしたって可能性も一応はあるから気をつけてね」
「えっ!?わわっ……」
レオンに注意されて慌てて飛び退くセフィ。
しかし扉は特に動き出すなんてこともなく、そのまま鎮座していた。
「…………もしかして、からかいました?」
「いや、それが本当にあったことらしいんだよ」
「え?そ、そうなんですか!?」
「うん、ホッとしたところで襲われたらしい」
「うわぁ、そんなこともあるんだ……。このタイミングで扉が襲ってきたら絶対反応できないよね」
「ようやく休憩できると思って気を抜いたところだからね。なかなか反応できないと思うよ」
「そ、そうですよね、気をつけます。すみません疑ってしまって……」
「いや、実際よっぽど偶然が重ならないとありえないことだからね。こっちこそ驚かすようなことを言ってごめんね」
実際アサシンオブジェクトは擬態の対象をランダムで決めるため、違和感なくそのような巧みな罠をしかけてくることはほとんどない。
しかし可能性が低いからといってその可能性を完全に排除してしまうのは危険だ。仮に一万回に一度しかなかったとしても、その一度で死んでしまっては終わりなのだ。
だからレオンも念のため注意したのであった。
「それより扉に何か目印のようなものはなかった?」
「はい、特に布のようなものはかかっていませんでした」
「よし、それじゃあ一応ノックしてから入ろうか」
この塔エリアにおいて扉付きの部屋がセーフエリアだというのは、探索者たちの共通認識だ。
つまり他の探索者たちもレオンたちと同様に扉付きの部屋を宿泊場所として利用している。
だからトラブルを避けるために、扉付きの部屋を利用する際は目印として扉の把手部分に何か布などを結んでおくのが暗黙の了解となっていた。
しかし今回は幸い扉に目印はなく、この部屋を利用している者はいないようであった。
もし利用者がいれば余程の事態がない限りは入らないのがマナーであったし、レオンたちとしてもどんな相手かもわからないパーティーと密室で一晩を過ごしたくない。
そのためもし目印があればまた別の部屋を探さなくてはならなかったので、三人はほっと胸を撫でおろしたのであった。
扉を開けて部屋の中を覗き込んでみると中はガランとしており魔物がいる様子はなかった。
一応は人が過ごすことを想定された部屋なのか電灯や暖炉などの最低限の設備は備えつけられていたのだが、家具の類は一切なかった。
てっきり魔物が出現すると思っていた三人はやや拍子抜けしたのだが、それでも念のために警戒はとかずに慎重に部屋の中へと足を踏み入れた。
しかし一向に魔物が現れる気配はなく、部屋の中も一通りの確認は済んだ。
そこでようやく三人は警戒を解いてから武器を納めた。
「てっきり必ず魔物がいるものだと思っていたのですが、いませんでしたね」
「そうだね。もしかしたらちょっと前に誰かが使っていたのかもしれないな」
「なるほど、確かに人がいなくなった途端に魔物が湧くとは限りませんよね」
このダンジョンでは締め切った部屋であろうといつの間にか魔物が出現している。
そのためどかから湧いているとしか思えないのだが、今まで新たに魔物が出現するところを目撃した者は誰もいなかった。
そのためどうやって魔物が補充されているのかは未だに解明されていない。
しかしほとんどの探索者はそんなことは気にしておらず、むしろそのことを歓迎していた。
なぜなら魔物の出現を誰も見たことがないということは、人前で新たに魔物が出現することがないということだからだ。
そのおかげでこういった部屋がセーフエリアとして機能しているので、探索者からすればむしろそれはありがたいことであった。
「それじゃあ私は扉を閉めてきますね」
「了解、目印忘れないでね」
「わかりました」
「それじゃあ私は寝るところを準備するね。悪いけど一式出してくれるかな?」
「はいよ」
イリーネに言われてレオンはインベントリを展開すると、中から野営用の道具一式を取り出していく。
ここは屋内なので本来テントなどは必要ないのだが、今回は野営の練習も兼ねているので、テントも含めて野営道具一式をしっかりと準備していた。
それに女性陣が身体を拭いたりするのにも目隠しは必要であった。
ちなみに料理はレオンの担当だ。
それはレオンが戦闘であまり役に立たなかったから……というわけではなく、もっと現実的な理由からであった。
まず貴族のお嬢様であったセフィ。
彼女は料理などしたことがなかったので当然任せることは出来なかった。
そして次にイリーネ。
彼女の方は庶民であったためそれなりに料理も習っており、一応は作ることも出来たのだが、いかんせん彼女の出身地は食材も限られた田舎の寒村だった。
そのためあるものでなんとかするといった料理が当然で、彼女は塩くらいしか調味料を使ったことがなかったのだ。
それでもベギシュタットに来てから料理をしていればよかったのだが、残念ながら彼女の所属していたクランでは雇われた料理人がいたため、自分で作る機会はなかった。
そのため美味しい料理が作れるかといえば、大いに疑問があったのだ。
その点レオンは商人であったしあらゆるものが集まるベギシュタットにも出入りしていた。そのため多くの食材に触れる機会があったし、何より前世の知識があった。
ただ前世のレオンは料理を出来たのかという問題もあるのだが、その答えはイエスでありノーでもあった。
どうも前世のレオンは自分の好きな物だけは自分で作れるようになっていたようで、その知識には非常に偏りがあったのだ。
チャーハンや唐揚げは作れるのだが、魚はさばけないし煮物やおひたしなども作れない。そんな偏ったレシピしかレオンの記憶には残っていなかったのだが、それでもないよりはマシだ。
それに転生して記憶を取り戻してからは、ほぼ自分一人で生活してきたためそれなりに料理をつくる機会はあった。また前世の記憶があるせいで妙に舌が肥えていたため、少しでも美味いご飯を食べようとして色々と試行錯誤を繰り返して来たので、いつの間にかそれなりの腕前となっていたのであった。
そんなこともあり話し合いの場では、結局あっさりとレオンが料理係を務めることに決まった。
ただセフィとイリーネも料理自体には興味があるようだったので、折を見て少しずつ教えていくことになった。
レオンはインベントリから簡易コンロを取り出す。
この簡易コンロはいわゆる魔道具といわれるもので、魔道具作成のギフトを持つ者にしか作れないためそれなりにいい値段のするものであったが、いちいち火を起こす手間を考えてみてレオンはあっさりと購入を決めたものであった。
レオンはその簡易コンロの上に鍋を置くと、ニンニクをカットしてからその断面をこすり付けて香りをつけていく。
そして十分に香りをつけたところでインベントリから白ワインを取り出し、それを鍋に注いでから火をつけた。
徐々に温まっていくワインから香りが部屋中に広がっていくなか、レオンはさらに細かくカットされたチーズを取り出すとそこに片栗粉をまぶしていく。
やがて温めていた白ワインからアルコールが飛んだのを見計らうと、鍋をかき混ぜながらチーズを何回かに分けて投入していった。
今回レオンが用意する料理はチーズフォンデュであった。
ただしレオンはこちらの世界でチーズフォンデュを見たことがない。
そのため二人に出すのに少し不安はあったのだが、レオンとしてはせっかく自分が作るなら、やはりあちらの料理を提供してみたかった。
最初は何を作るか結構悩んだのだが、二人が結構チーズを好きなことと、下ごしらえさえ事前にしておけばすぐに用意が出来るという理由で、結局これを作ることにしたのであった。
「うわあ、いい匂いですね」
入口の扉に目印の布を括りつけてから戻って来ていたセフィが、鍋を覗き込んで溶けていくチーズを眺めながら嬉しそうにつぶやいた。
どうやら彼女の第一印象はかなりよさそうな感じであった。
すると寝床の準備をしていたイリーネもちょうど戻って来たようで、同様に鍋を覗き込んでから声をあげた。
「うん、本当にいい匂いがする。でもこんな料理見たことないよね」
「他所から来た商人に教えてもらった異国の料理だからね」
「そうなんですね。私は結構チーズが好きなのでとても楽しみです」
「私も。でもこんなたっぷりチーズを使う料理ってかなり贅沢だよね」
「まあ初めての野営だから多少は豪勢にしないとね。それに今回の俺にとってはこれが唯一の見せ場なんだからしっかり奮発しとかないとね」
そう言ってレオンがニヤリと笑うと、セフィとイリーネも思わず吹き出してしまった。
実際イリーネのいう通りこの世界でチーズはそれほど流通しているわけではないので、それなりに高い。
しかしレオンの考えではモチベーションのためにも野営の料理は大事だと思っているので、多少の贅沢は許容範囲であった。
やがてチーズが完全に溶け切ったところで、レオンは軽くコショウを加えてからレモンを絞って味を調える。
そしてインベントリからあらかじめ用意していた具材、カットされたパンやジャガイモ、ベーコンに野菜類を取り出そうとしたところで、レオンはふとした違和感に動きを止めた。
空気の揺れのようなものを感じたのだ。
(いや、実際に……影が揺れた?)
レオンは慌てて天井へと視線を向ける。
そこには照明の魔道具が吊るされていた。
さほど豪華といったわけではない、なんの変哲もない一般的な照明の魔道具。
それ自体に違和感はない。
しかし……
レオンが続いて視線を送った先は壁にかけられた照明の魔道具。
そう。この塔において、明かりは全て壁にかけられた照明の魔道具によって賄われていた。
ここまで天井に吊るす形の魔道具は一度も見かけなかったのだ。
「二人とも上だ!」
そうレオンが叫んだ瞬間、ぐにゃりと形を変えた照明の魔道具だったものがレオンたちへと向かって真っすぐと落下してきた。