冬
春夏秋冬 幽霊忌憚 冬の巻き
そして、予告通りの最終話
雪国の年配駅員の魂
*
「じっちゃ、元気でな。まだ 休みンなっだら帰っでぐるがら」
そういって、上長の孫は都会へと旅立った。 同じように、家族や大切な人に またの帰郷を約束した者達が、何人 同じ電車に乗って行っただろうか。
今年も、あの人の灯火が揺れている。
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雪煙に数メートル先が煙る季節がやって来ると、そろそろ、終電の時間にだけ振られる灯火が見られ始める時期となる。
この季節、この時間だけの、特別な灯り。
あと数ヵ月で定年退職となる 老年の運転士は、毎年その灯火が見られると、そこに忘れられない人の面影を見るのだ。
何十年前の事か。 まだ彼が鉄道員として、駆け出しだった頃。
この駅に、もう大学も卒業間近な年の孫がいる、年配の駅員がいた。
穏やかで優しい人柄で、仕事仲間からも信頼の厚い、定年間近の指導係だった。 鉄道員の基本の基 を彼に教えた。
その頃、定年は今よりも5年は早かった。 あの時の上長は、今、定年間近の運転士と比べても もう少し若かった筈だ。
寡黙で余計な話はしない人物だったが、その佇まいや、後輩の指導をするときの深く温かみある声音は、今も彼の記憶に、はっきりと残っていた。
その穏やかな人が、深く嘆き悲しんでいたことがあった。 悲しむというよりも、酷く後悔し悔しがっていた。
あの時、上長は孫が乗った電車を 、自ら灯火を振って見送っていた。
その日の夜中。 猛吹雪となり、悪天候ゆえの事故に遇い、あの人の孫が乗った電車は、黄泉の国へと行き先を変えた。
乗員乗客全てが、ただ一人の例外もなく命を落とした。
あの日、天候による運行運休の判断を任されていたのに、夜中の吹雪を見通せなかった。 この駅から送り出してしまった。
自分の判断が間違えていたと、上長は自身を責めていた。
その事故から数か月後、肩を落とした後ろ姿を見せて、定年を終えて離職していった。
誰も、上長の責任は問わなかった。
電車を駅から送り出したその時には、まだそれほど悪い天候ではなかったのだから、誰が判断したとしても運休は選ばなかったと言う見解だった。
***
その後姿は、何年経っても忘れられなかった。ある時、まだ若かった彼は、退職した上長を訪ねて行った。
突然 訪れた彼を、かつての指導係は、懐かしげな笑顔で迎え入れてくれた。
座敷に通され仏前に手を合わせて向き直ると、小さな卓袱台の上に茶が用意されていた。
何枚かの写真を眺めながら、あの日 亡くなってしまった孫との思い出を聞かせてもらったのだった。
寡黙な上長は、ポツリ ポツリとしか言葉を紡がなかったけれども、その短い一言一言の中に、深い愛情と、あの日 運行を止められなかった後悔の念が、強く強く込められていた。
その訪問から更に数年後、上長は76年の生涯を閉じた。訃報を受け、向かった告別式で拝見した表情は、安らかと言い切れない悲しみを宿しており、上長の後悔の念の深さを改めて感じた。
若かった運転士は、葬式の頃には四十代も終わりに近かった。 ベテランとなり、あの頃の上長のように若者を指導する立場へと代わっていた。
青臭い感情は、随分前に忘れたつもりでいたのだが。
焼香の煙に慰撫されて、あの日の雪煙を思い出した。 あの頃何も出来ずに、切なく上長の背中を見送るだけだった、頼りない自分が甦った。
祭壇の前に手を合わせて、あの人の無念を心に刻んだ。
その頃、若者の田舎離れによる過疎化の波に押され、利用者が全盛期の2割ほどに減少したあの駅は、無人駅に変わってしまった。
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春から無人駅となり、季節を二つ跨いだ雪の夜に、終電の時だけ振られる灯火を見付けた。
それを初めて見た時は、天候がよくない日の夜にだけ、安全の為に人を配置し灯火を振ることにしたのかと思った。
だが、駅に近づいたとき、灯火を振っている筈の人間がいないことに気付いた。良く目を凝らしてみても、人影はどこにもなかった。
ただ、ほの温かい色をした灯りだけが、ユラユラと揺れていた。
光を発している筈のランプさえない。ただ灯りだけが、遠くから見たときと同じ距離感のまま、揺れていたのだ。
その灯火に似た明かりは、たちまち終電の車両を運行する者達の間で噂になった。 しかし、その正体を憶測できたのは、たった一人だけだった。
あの夜、同じ時間に勤務していた。かの上長が、事故を起こしてしまった車両を、見送っていたのを目撃しており、克つその人物が亡くなったのを知っていた者。
その昔、その人物に師事を仰いでいた運転士だけは、揺れる灯火にあの人の悲しみを思ったのだった。
あの人は、未だ後悔の思いを抱えている。 魂はいつまでも安らげずにいる。いつまでも残る悲しみが、あの人に灯火を振らせ続けている様だ。
*****
運転士は、そろそろ定年を迎える。あの灯火を初めて見た冬から、十年以上の年月が経っていた。
上長の霊は、未だに成仏できていないらしい。
ふと思う。あの人は、あの世で お孫さんに逢うことは出来なかったのだろうか?
それとも思いが残り過ぎて、あの場所から動けずにいるのだろうか?と。
雪煙の向こうに揺れる あの人の灯火を眺めながら、老運転士は思う。
自分が何年か後に逝くとき、もしも、まだあの人が灯火を振り続けていたならば。
自分の魂は、この場所に寄り道をして、あの人を誘って、共にあの世へ旅立とうかと。
今夜も、あの人の灯火が揺れていた。
ありがとうございました。
このお話をきっかけにして、徐々に執筆再開していきたいと思っております。
亀の歩みのごとく(笑)
また、よろしくお願いいたします。