夏
夏ホラー2020
幽霊忌憚 春夏秋冬 夏の巻
都会の地下鉄編
*
都内を走る地下鉄の、ある駅のホームで、新聞を読みながら電車待ちをしている痩身中背のサラリーマンは、いつもソコにいる。
毎日、何本もの電車をただ見送っている。
通勤ラッシュの朝から、帰宅ラッシュの夕方まで。そして、終電が行ってしまっても。
翌朝早くから、またいつも通りの場所に立っている。
それでも駅員に声をかけられたことは、1度もない。
彼の読んでいる新聞は、毎日同じだった。載っている事件も、事故も、テレビ・ラジオ欄も全く同じ。
そして、日付も同じ。
彼の姿がみえる人は、敢えて目を反らし、その場所を避けて通っているらしい。見えない人も何となく流れに沿って歩を進めるので、その部分だけ人の流れが妙に湾曲している。
駅の防犯カメラの映像を見られるなら、早送りで映像を見ればよくわかる筈だ。
誰も進路を邪魔する者がいないのに、ソコだけ人が通らない。そんな奇妙な光景を。
ソコに居るのに、ソコには何も写っていない。
手に持っている新聞の開いている面は社会面のようだった。それも確実な情報とは言えない。どうやらみえる人がそんなことを言っていたらしい。
みえる人は、判るだけの情報を便りに、酔狂にもその日付の新聞を、街の図書館で調べてみたと言う。
その社会面の細かな記事までよく読んでみたところ、その場所の駅名が記載されているのを確認した。
小さな記事の欄には、その場所で、その日、自殺騒ぎがあったと書かれていたらしい。
みえる人は、いつもながら背筋が寒くなる感覚を覚えた。新聞を持って立ち続けている人物は、記事に自殺者として顔写真が添えられていた人物と、同一人物だと見られたからだ。
**
背広姿の男は急いでいた。大事な会議に遅れそうだった。焦っていたので、人波の流れ方が異常なことに対する不信感も抱かずに、小走りで進んでいた。
その場所を通るとき、少しは横に避けながら通ったのだが、本の少しだけ肩が誰かにぶつかった様な気がした。
「失礼」 と、軽く振り向くようにして、片手を自分の頬の辺りまで挙げて詫びをいれたつもりだったのだが。
確かに居たと思った。けれど その場所は、人波の中でポッカリと空いていた。
足が止まる。キョロキョロと回りを目だけで気にする。
誰もいないのに、その場所を通る人達は必ずソコだけ避けて歩いていく。
急いでいるのに、足が動かない。
急に立ち止まった自分を、そのポッカリ空いた空間と一緒に避けていく、足早な人波が周囲に出来ていく。
目を見張る。音が遠くなる。瞬きをして再び開いた目の中に、新聞を手にした痩身中背の男が映った。
新聞記事には、嘘が書いてある。
俺は自殺などしていない。
あの時、背中に思い切りぶつかって来たヤツがいた。
新聞を持った男の目は、怨みの炎に彩られていた。その目から怨嗟が思いとなって零れ出す。
その暗い目は、自分に向けられている。
「……知らない」 声が震えた。
この駅は、しばらく利用してこなかった。 使う機会もなかったが、足が遠退いていた。
「私は知らない……」
以前ここへ来た日。自分が利用した時間帯の下り線で、事故が起こった。 その事は覚えていた。
あれから三年は経っている。既に細かい記憶は朧気だ。 ……だが。
あの時も 私は急いでいた。 今よりも、もっと急いでいた。
誰かに、ぶつかったかも知れない。
忘れる事で平静を保っていた。
あの日の記事を見たとき、本当は嫌な予感が走っていた。
***
ラッシュアワーの人混みで、誰よりも早く改札口を目指そうと、手で人波を掻き分けるようにして進んでいた覚えがある。
少しでも早く前に進むために、敢えて下りの電車待ちの人垣の間を、抜けようとした。
改札口に向かう階段をめがけて歩く、前を行く人混みの脇から攻めて、その人混みの先頭に躍り出る心積もりだった。
下りの電車を待つ人達は、いきなり列に突っ込んでくる男に対して、迷惑そうに眉を潜めながら、体を捻るようにしてかわしていた。
その中で、小さく折り畳んだ新聞を熱心に読んでいた痩身中背の男は、後方の割込男には気付けなかったのだ。
業とでは無かった。 ただ、急いでいたのだ。
自分が通り過ぎた数秒後、ざわめきが起こった。
その騒ぎを振り向いて確かめる時間的余裕は、その時の自分には無かった。
****
過去の光景を垣間見た。その直後。
『やはり、お前かっ……!』
頭の中に、怨念のこもった大きな声が直接響いてきた。
巨大な何かで頭を強く殴られたような衝撃が走る。
くらりと眩暈がし、背広の男はその場で倒れた。
今、正しく下りの電車が走り込んできた線路の方向へと、真っ直ぐに落ちていったのだった。
秋に続く。