春
春夏秋冬 春の巻
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その駅には、各駅停車しか止まらない。 郊外の、桜が美しい公園近くにある、私鉄沿線の駅だった。
毎年3月から4月にかけての、週末のホームには、公園へ向かう花見客で平日以上の利用者がいた。
今年も。 駅のホームで交わされる、利用客たちの会話が聞こえる。
下りホームに男女の五人組、恐らく大学生位だろうか。 近い年齢と見てとれる青年たちが、紙皿や紙コップ、乾きもの等が入った大きなビニール袋と、大きめのクーラーボックスを足元に置いて、自分達を乗せてきた電車が出発したあとの、線路を眺めている。 視線の先には、登りの線路も平行して走っている。
「本当に見たんだって! 頭にネクタイ巻いて、だらしなく酔っ払った感じの若い男が線路に降りて、ヘラヘラ笑ってるの」
「嘘でしょ? 私は全然、見てないわよ。 どこにいたのよ? 」
「向こう側の線路」
指差し訴える青年は、首をかしげる。
「確かに見たんだって! どこ行ったんだろう」
「それって、もしかしたら、5年位前から時々目撃されている、例のアレじゃない?」
セミロングヘアの女性は、先に異を唱えたポニーテールの女性と、面白そうに話を聞いていた背の高い青年と、首をかしげる青年、真面目そうな眼鏡の青年、それぞれに視線を走らせながら、ある噂話を思い出し、情報を提供した。
「取り敢えず、場所取り急ごう。 弁当を運んでくる別動隊が来る前に準備進めておかないと」
眼鏡の真面目そうな青年に促されて、「それもそうだ」と、長身の青年が同意すると、足元のクーラーボックスを改めて持ち上げた。
動き出した仲間たちを追いかけて、首をかしげていた青年も慌ててあとを追い、改札口へと続く階段に向かった。
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日暮れた後の逢魔が時。 辺りが現実味の薄れた紫色の気配に染まる頃。
公園で夜桜を待つ大学生は、ホームで話していた噂話の続きを聞いた。
この5年ほどの間、春に限り、桜丘公園駅 登り路線で原因不明の事故が多発している。
準急行が通過する時、急ブレーキの末に脱線をする事故だ。
原因は不明なのだが、その事故が起こる日は、誰かが必ずある男の姿を目撃している。
その男は、若いサラリーマン風で酔っぱらっており、赤っぽいネクタイを鉢巻き代わりに頭に巻いている。
そして、なぜか登り路線の線路上で、ヘラヘラ笑っていると言う。
「俺が見たのと、同じヤツだ。 気のせいじゃなかったんだって!」
「それって、ただの都市伝説じゃないの? うちのサークル毎年ここで新歓コンパするけど、そんな事故、みたこともないし、誰からも聞いたことない」
もう少し辺りが暗くなると、桜花を照らし出すために張り巡らされた、赤い提灯に灯が入る。
噂話で盛り上がる学生のグループは、その瞬間を待っていた。
***
青年たちが急ぎ駅をあとにしてから、数時間の後。
夜桜目当ての花見客は、今ごろは公園に車座の頃合いだ。 ホームには、電車待ちの人影がちらほらと見られる程度だった。
その待ち合い客達の目の前で、十両編成の車体は、通常と異なる動きを見せた。
運転士は、急ブレーキをかける。 間に合わないとみて、ハンドルをも動かす。
目の前には、酔っ払った若いサラリーマン風の男が、確かに居た。 電車が走る線路の真上に、上機嫌な様子でニヤニヤ笑っていた。
何年もこの沿線で運転士を担ってきた自分の視力には、自信もあった。 それなのに、まさか見間違える筈もない。
車体は大きく傾いだ。 それは、この駅には止まらない筈の準急行。 残光が銀の車体を鈍く光らせる。
線路から一両目の車輪が外れた衝撃と共に、乗り合わせていた客たちもバランスを崩す。
網棚の上に置いてあった荷物が宙に舞う。 車窓めがけて飛んでいき、ガラス窓を砕いて車外に飛んでいく。
座っていた者でさえも座席から身体が浮き上がり、閉じた車窓で頭を強打する。
立っていた者は吊革や手摺を強く握り、なんとか大きな揺れに対応しようと足掻いてみるが、努力も虚しく、重力に逆らい暴れる車両の、自らの不安定な足元に掬われて転び、転がり、車両内のあちらこちらに激しく身体を打ち付ける。
ある乗客には、割れたガラスの破片が頭上から降ってきた。 頬に痛みを感じて、生暖かいモノが流れ出し、頭を打って気を失いかけた。
失いかけた意識の端に、妙な光景がひっかかる。
あり得ない速度で空を切る様に駆け回る、頭にネクタイを巻いた若い酔っ払いがいた。
ソレは笑っていた。 薄気味悪いニヤニヤ笑いだった。
足音もしない。 声もしない。 けれど、確かに動いている。
スルスルと移動している。
阿鼻叫喚の様相を見せる車内で、縦横無尽に駆け回っている。 怪我をして蹲る乗客の顔を覗き込み、ヘラヘラと笑っている。
頬に傷をおった男性の意識が飛んでいく寸前、ソレの身体は幾つもの肉片となり、車両内のあちらこちらに飛び散った。
その不気味な光景を見たのは、どうやら一人だけではなかったようだ。誰かの小さな悲鳴が聞こえたのを最後に、頬に傷の男性の意識は途切れた。
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桜丘公園は、駅から徒歩5分ほどの距離だった。 花見客向けに造園された広場は、園内の散策コースを3分から5分程歩いた場所に作られていた。
日が落ち宵闇が迫る頃、ようやく提灯に灯が入れられた。
仄かな明かりに照らされて、夜桜の宴は賑わう。
「ライトアップされたね! 綺麗」
その声に反応し、みんなが一斉に頭上の花を見る。
宴は更に盛り上がり始める。
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宵闇が迫る頃、数台の救急車のサイレンが、駅周辺には響いていた。
夏に続く