沼に腰までハマって抜けられません
浮かんだから書いたった。
「………ふぬっ…………くぬっ…………」
ダメだ。
これは完全に沼にハマってしまった様だ。
デグ山の麓にあるテテロゥ村の、村娘であるニッキーは大好物であるランプベリーのジャムを作るため、デグ山にあるランプベリーの群生地に来て厄災に見舞われた。
群生地には何度も来ていたのだが、そこに沼がある事などハマって初めて知った。 しかも大好物であるランプベリーを独り占めしたいがために、群生地を村の誰にも教えていない。
したがって助けは来ない。
ああ、これは死んだな。
ニッキーは己れの死を冷静に確信した。
現在腰までドップリ沼にハマってしまっており、上半身は動くが下半身は微動だにしない。 まるで足に根が生えたがごとく、である。
ピンポイントで人、1人分位の大きさの沼だ。
むしろこの大きさでも沼と呼称するのかは甚だ不明なのだが、脱け出せない事は沼と呼称するに値いする性能を持っているという事だ。
それにしても今まで何度となく通った場所に、沼があるという事にニッキーは全く気付かなかった。 危機回避能力の欠如が疑われる案件である。
このままではニッキーは凄惨な死を向かえるであろう。 死因は餓死だ。 餓えは苦しく辛い。その上餓死した後、上半身は獣などに喰われ、下半身は汚泥に沈む。
死してなお辱しめられるという、要らないオマケ付の死因だ。
それかこのまま沼に全身沈みきってしまうかもしれない。その場合は溺死になるのだろうか?
どちらにせよ、録な死に方ではない。
あ~あ……それにしても私の人生ここまでか。14年………長いような短いような人生だったな。
ハァ………。 床下貯金していたヘソクリの今後の行方が気になるし、父さんが仕事のお土産に買ってきてくれると、約束してくれてた果物の砂糖漬けの事も気になるし、母さんにあげるはずだった手縫いのリュックサックも作りかけで気になってるし、兄のベッドにイタズラで忍ばした父さん秘蔵の艶 本への反応も気になるのに、もうその後全てがどうなるのかわからなくなるのが本当に辛い。
無駄だと思うけど、助けを呼んでみちゃう?
それとも万が一の可能性に掛けて体力温存のため、じっとこのまま待ってみる?
ニッキーはカゴ一杯に採ってきたランプベリーを見詰めながら悩みに悩んだ。
意を決して、ここは一丁助けを呼んでみる事にする。 誰かが通りかかるという、果てしなく小さな可能性に賭けてみる事にした。
「だ、誰かぁーーーー!! たぁー――すけてぇーーーーーー!!!」
てぇーーー………てぇぇーーー……………てぇぇぇーーー………………。
う、う~ん。 何か山彦が響いて物凄くマヌケ感満載な叫び声になってしまった。
しばらく待ったが、何の反応も返って来ないし誰も助けには来なかった。
――――――でしょうね。
山奥にある秘密の場所なので、誰も知らないし捜しには来ない。 母さんにはランプベリーを採りに行く事は伝えてあるけれど、場所までは伝えてない。 うん、うんうん…………こりゃあ本格的に死ぬ予感しかない。
こうなったらニッキーに出来るのは、採ってきたカゴ一杯のランプベリーを、ただただ口に運ぶ事くらいだ。
モグモグ………モグモグ………。
最後の晩餐………いや、止め止め! 不吉な事を考えるのは止めよう。 ラ、ランプベリーうまぁ……ジャムにしたかったけど、このまま食べてもとっても甘くて美味しいんだよねぇ……アハハ。
ニッキーは若干の現実逃避をしつつ、夢中になってランプベリーを食べ進めた。
「ありゃっ!?」
ポロリとニッキーの指先から、ランプベリーが転がり落ちる。
ペチョンという情けない音が、腰元の沼から聞こえる。
するとすぐにランプベリーが落っこちた沼に異変が起こった。
ニッキーのすぐ目の前の沼地から、突如としてボコボコと、大小数多の気泡が現れては消えて行く。
ボコボコが最高潮になったその時、ヌパァーーーーンと湿り気を帯びた音をたてて、沼の中から泥塗れの男性が現れた。
「ヘイ! ユーかい? 沼の精霊であるミーに、こんなショボイ御供えをしたのは?」
ニッキーの目の前に沼の精霊(自称)が現れた。 とんでもなくドロッドロな上に、約1人分のスペースしかない沼から飛び出してきたので、ニッキーのまだ無事だった上半身や顔にも少なくない量の泥の被害が及んでいた。
「……………チッ」
ニッキーは沼の精霊(自称)を無視して、右頬に飛んだ泥を袖で大雑把に拭った。
「おやおやぁ!? ユーったらミーの存在は無視ですか? ミーは人間から見たらスッゴク レアな存在なんだけどなぁ? 沼の精霊だから他の精霊に比べたらそんなに敷居は高くないつもりなんだけど、それでも溢れちゃうのかな? ミーの高貴な精霊のオーラってやつが!! まぁ…だからユーがそのオーラにアテられちゃって声が出せないのも仕方無いけどね?」
ドヤ顔してるっぽいが、顔面もドロッドロなので定かでは無い。 しかも高貴な精霊オーラなぞ、目の前の男からは微塵も感じられない。 むしろ溢れでるマヌケ感。
あっ、ダメだ。
これは諸刃の剣的な発言だった。 目の前の不審な沼の精霊(自称)と同様に、現在私の姿は泥だらけなのであった。 多分あちらも私の事を泥に塗れたマヌケだと感じでいるのでは?
「それにしてもユーはこんなショボイ御供えで、高貴なるミーを喚べたのだから、中々の素質があるのではないか? モグモグ………」
モグモグって…………もしかして食べたの? あの泥塗れのランプベリーを。 ヤだぁ……汚い。
「ランプベリー食べたの?」
「ハハハ……そりゃあ食べるさ。 久し振りの御供え物だからこの際ショボイのには目を瞑ってあげるよぉ」
言外に泥塗れの物を本気で食べたのか? と、非難を添えてお伝えしたつもりだったのだが、相手には正しく伝わらなかった。流石精霊(自称)である。意思の疎通が難しそうである。
「でも泥が付いて…………」
「ノープロブレム! ミーが何の精霊かはさっき言ったよね? 泥塗れでもミーには問題ないんだよぉ」
「じゃあその泥塗れの身体も………」
「ハハハ! 至って普段通りって訳だよ!」
随分嫌な普段通りだな。 常日頃から泥に塗れいる何て私とは相容れないなと、ニッキーは思ったが口には出さない分別はあった。
「それで、だ。 ミーの沼地にショボイとは言え、御供え物を献上したユーに質問だ」
真面目腐った感じで沼の精霊(自称)が問かけてくる。 だが相手は泥塗れだ。 ニッキーはそのギャップに込み上げてくる笑いの虫を、誤魔化すため奇妙な咳払いをしてみせた。
「……ングッフフ………な、何ですか?」
「……ユーは人間にしては変わり者だろ?」
し、失敬な!!
確かにニッキーは少し変わっているが、泥塗れの精霊を自称する男に指摘されるのは些か不満である。
ニッキーが非難を込めてギロリと睨むと、自称精霊は少し慌てた様にこう続けた。
「だ、だってそうだろう? ショボイとは言え御供え物を献上するためだけに、ミーの沼地に態 々入ってくる必要もあるまい? ボソッ… そんなに信仰心が篤そうにも見えんしなぁ……」
「最後の言葉、ちゃんと聞こえてますからね?」
失敬な!!
ちゃんと信仰していますよ! お金の精霊を!!
毎日床下貯金しているヘソクリを数え、お金に対する信仰心を高めていますし 家族の中でも………いえ、村の中でも私の(お金の)精霊へ対する信仰心は篤いと言っても過言では無い。
それにしても私の信仰心の篤さに付いては一先ず置いておくとして、態々私が沼に入ったのでは無いのは普通直ぐ解らないのかな? あれか?もしかして精霊ジョークとか? だとすると全然笑えない。
「私は態々沼に入った訳じゃ無いわよ。ただ、その……あの………」
うう~ん。 何か言い出し難い。ニッキーはうっかりハマってしまっただけだし、御供え物に関して言えば、ただ指先から落ちてしまっただけ。共に偶然の産物である。
「……ああ! なるほど! ユーはやはり変わり者なのだな!」
ニッキーが言い惑っていると、自称精霊は勝手にナニかを解釈したのか、しきりにうんうんと頷いて居る。
嫌な予感しかしない。
「ハハハ! ノープロブレムだ! ミーはユーの性癖には寛容であるぞ! 何しろミーは沼の精霊だ! 泥とは切っても切り離せぬ関係だ! ユーの人知れず泥に塗れたいという、人間にしては歪な性癖でも特に気にしない!! むしろ存分にその性癖を楽しませてやる事が可能だ!」
自称沼の精霊はそう高らかに、斜め45度にブッ飛んだ見解を宣言すると、楽しげに泥塗れの己れの身体をニッキーへと近付けて来る。
「ヒョエッ!?」
ただでさえ充分近かったお互いの距離が、ピッタリと重なり0距離になった。
その瞬間、ニッキーは産まれて初めての大絶叫の雄叫び(悲鳴ではない)を上げた。
『ぐぎゃああああああああああああ!!!』
***
夜になっても一向に帰って来ないニッキーを心配して、テテロゥ村の村人たちは夜遅くまで捜索していた。
しかし村の近隣にはニッキーの姿はどこにも無く、これ以上の捜索は困難であるため、明日の明るい時間に再度捜索を開始する事で話は付き解散した。
「あのバカどこに行ったんだ? ランプベリーを採るならそんなに遠くへは行っていないはずなのに」
ニッキーの兄であるロブは、心配3割不安7割な心持ちで居た。
ニッキーが何者かに拐われる等は心配していない。 何てったって、あのニッキーだ。
拐ったってロブの家の経済状況では身代金は出せないし、かといってあの平凡顔の妹の事である。 美形を売り物にする人買いに捕まるって線もまぁ無いだろう。
そうなると、事故の類いの可能性が1番高かった。
今は春先だし、夜でも凍死するほどの寒さにはならないから、ニッキーが凍死する心配は無い。
ロブはニッキーの心配を3割しかしていない。残りの7割の不安は、ニッキーが何か事件や事故を起こしていないかが不安なのであった。 そんな背景にはちゃんとした理由がある。
ロブの妹のニッキーは普通の村娘とは言い難く、規格外の性格と行動力を持った妹であった。
テテロゥ村にはロブの他にも、妹がいる家は多数あるが、誰もニッキーほどブッ飛んではいない。
普通の妹というのは、隣村の男と取っ組みあいの喧嘩もしないし、深い落とし穴を掘って嫌いな相手をそこに落とし、上から虫を降らせたりもしない。
料理や洗濯や刺繍をして、静かに微笑むのが普通の村娘の姿である。
ニッキーも一応料理はする。 正し己れの大好きな甘いジャムを作ったり、蜂蜜を煮詰めて飴を作ったりしかしない。掃除では置いてある物を豪快に床に落とし、洗濯では服を豪快に破いてボロボロにし、刺繍では己れの手まで縫う始末。
ニッキー……………実に残念な妹である。
ただひとつ言えるのは、ニッキーは残念であるが頑丈であるという事だ。
木登りで3メートルはある高さから落下した時も、擦り傷や打ち身はあるが骨折すらせずピンピンしていたし、大型の野犬に襲われた時は防寒着を厚く着こんでいため、腕を咬まれたがうっすらと痕が付く程度だった。
今回もそこまで真剣にはニッキーの身を案じては居ない。
それよりもニッキーが引き起こす騒動の結果に不安を抱えて仕舞うロブであった。
その後のオマケ?
ニッキー ⇒全身泥塗れで自らの足で山から降りてくる。 その傍らに泥塗れな自称精霊を連れて。 その後自称沼の精霊に生涯ずっと付きまとわれて辟易とする。 絆されるかは不明。
因みにニッキーを沼から助けたのはもちろん自称精霊です。彼にとったら沼や泥など己れの一部ですので、沼から出してやるのも朝飯前です。
沼の精霊(自称)⇒善かれと思ってニッキーに抱きつき、大声で雄叫びを上げられ更にはボコボコに張り倒された。 でもその時彼の新たなる何かが目覚めてしまった。何に目覚めたかはご想像にお任せします。
ニッキーに付きまとい、精霊の祝福という名の呪いを嬉々として与え、日々ニッキーに張り倒されている。これはこれで本人は幸せそうである。
ロブ⇒翌朝 捜索に向かおうと集まった村人たちの目の前に、ノッシノッシと力強く歩いてくる泥塗れなニッキーが現れて脱力する。 オマケにその隣を見知らぬ、しかもニッキーと同じく泥塗れな男が一緒なのには脱帽する。
ニッキーがっ!? あのニッキーが男連れで朝帰りした、だと???
一体どんなプレイに耽ったら、あんなに全身泥塗れになるのかと戦々恐々としており、14歳の妹に先を越されたと勘違いしている17歳。お年頃。