あの時の約束
「あー、何だかなぁ…」
私は海岸沿いの堤防の上を歩く。今時の草履を履いて、今時の浴衣を着て。夏祭りの喧騒が背中を叩く。
「行くんじゃなかった。」
見たくないものを見てしまった。
私の家の隣には「たっくん」が住んでいる。私よりも4つ上でいつも私の面倒を見てくれた。お人形遊びにも文句一つ言わずに付き合ってくれた。そんな彼を好きになるのは自然な流れだったのかもしれない。
『ねぇたっくん、私お嫁さんになりたい。』
10年前。
おままごとの最中、心の内を伝えた。
一世一代のプロポーズのつもりだった。まぁお母さんが見ていたドラマの受け売りなんだけど。
『いいよ、じゃあ僕がお婿さん役で。』
『そうじゃなくて!』
『僕は子ども役のほうが良かった?』
『う~…大きくなったら私をたっくんのお嫁さんにしてほしいの!』
あの時の顔の熱は今でも覚えている。幼いながらも覚悟を決めた行動だった。
『ん~、いいよ、じゃあみっちゃんは僕のお嫁さんね。』
その言葉を聞いて夜は眠れなかったのを思い出す。まるで遠足の前日のように。
17歳の夏、日本では結婚できる歳だ。といっても結婚するのはもっと先でいい。
ただたっくんは大学生だ。大学生はきっと私なんかの想像のつかないくらいおしゃれな人がたくさんいるんだろう。焦った私は夏祭りにたっくんを誘ってその時に告白しようとしたのだ。
『す、すみません!たっくんっていますか?』
私は赤い浴衣を着て、たっくんの家のインターホンにしゃべりかけた。返事が返ってこない代わりに玄関が開いてたっくんのお母さんが出てきた。
『やぁねぇあの子ったら。こんなに可愛い子を置いて出かけちゃうなんて。夏祭りに行ったみたい。さっき家をでたばっかりだから今から行けば会えると思うわ。』
たっくんが夏祭りに行ってしまって会えないかもしれないという焦りと、たっくんのお母さんに可愛いといってもらえたことの嬉しさで気持ちの整理がつかなかったが、会える希望があるとわかった私は慣れない草履で駆け出した。
段々と出店が増えてくる。周りは子供連れの家族やカップルばかりだ。私もたっくんとこんなところを回って、あわよくばキスなんかしちゃって…、なんて考えていると自然と足も速くなる。
しばらく駆けていると奇跡的にたっくんを発見する。あの後姿はたっくんだ。好きな人の後姿を見間違うはずが無い。人ごみの向こうに見える頭は前後に揺れている。
「たっくn…」
人混みを器用にすり抜けて見えた光景は、私を絶望に叩き落すものだった。
おしゃれな紺色の浴衣を着た、綺麗な女の人に腕を引かれているたっくんだった。
時が止まったような木がした。足の感覚が上手くつかめなかったが、私はそのたっくんを背に駆け出す。
祭りの喧騒が遠くなる頃、私は防波堤の上を歩いていた。
「あー、何だかなぁ…」
「行くんじゃなかった。」
ぽろぽろと言葉が零れだす。
「…あ、あれ。」
ぽろぽろ零れだしたのは言葉だけじゃなかった。
「お、おかしいなぁ…悲しくなんて…」
涙声になっている自分の声が更に悲しい気持ちに拍車をかける。
「わ、わたしはっ、悲しくなんて…。」
涙が堤を切ったように溢れ出す。
あの時の約束は、海よりもしょっぱい思い出と共に消えていった。