2 毒殺日和
咄嗟に手を出す。
謎のメッセージに呆然となりながら、現実離れした光景に何も考えず、その虚空に向けて手を伸ばす。
同時に振り下ろされたサイクロプスの棍棒が、ポップを通過して叩き付けられた。
これでハッキリする。
夢か、現か。
起床か、轢殺か。
生か、死か。
「GUO!?!?!?」
だが。
問題はどうやらそこではなかったらしい。
「止まっ…………た?」
目の前に広がる光景は想像していたどれとも異なっていた。
サイクロプスの棍棒は俺の手によって受け止められていた。それも棍棒は俺の手には接触していない。その前に見えない何かに阻まれ、止まっている。
だがサイクロプスが棍棒を無理に押し込もうとすると、こちらもやや圧される様な感覚が伝わってくる。
「んっ?」
突然、顔に何かが覆い被さる。
「…………仮面?」
手の感触から、どうやら自分の顔に仮面が付いているらしかった。
なぜ?
困惑していると再びポップが目の前に現れた。
【モンスターカード“機械仕掛けの国攫い”を装備しました】
「国攫い?」
思わずポケットに目がいく。
そのカードを俺は知っている。それはインペリアル・ウィザーズの新エデションに含まれる、俺がわざわざショップで買い込んだレアカード。
俺の困惑を他所にまた新しいポップアップが表示される。
【銀のオド 5を消費】
【HP補正 1000レベルアップ】
【AP補正 300レベルアップ】
【DP補正 900レベルアップ】
【常態スキル 不動 硬化 抗魔 神格 を取得】
【起動スキル “カラドギア機械王国の毒ガス兵器” を取得】
【種族 ゴーレムを追加】
【レベル 240を追加】
その内容はまさにモンスターカードの“機械仕掛けの国攫い”の能力そのものだった。
「これを…………“装備”した?」
それはおかしい。
“モンスターカードの装備”
そんなルールはインペリアル・ウィザーズには存在しない。
だから俺には今自分に起きている事が一体何を意味するのかは分からない。
だが。
「…………少なくとも、今なら戦えるのか?」
「GUOOOO!?」
全身を満たす全能感から確信が生まれた。
目が合ったサイクロプスはそれだけでたじろぐ。
その隙に手を押し返す。案の定、サイクロプスは体勢を崩して後ずさった。
ゆっくりと立ち上がる。自分の周りに“見えない何か”が漂っているのを感じた。
今、俺は自分が自分ではないかの様な、奇妙な全能感に包まれていた。
それを油断と見たか、サイクロプスが襲い掛かる。飛んだ勢いのままに全体重を乗せた棍棒が迫った。
「っ――なら」
息を吐く。
咄嗟のファイテングポーズからその一撃を冷静にサイドステップでかわす。
本来ならば俺の歩幅では回避にはならない。
されど今のワンステップで数十メートルの距離を滑空し、容易く棍棒を避けた。
「っ、マジかよ。すげぇなボクシング」
自分の常軌を逸した身体能力が“国攫い”の力だとイマイチ実感がないので、とりあえずボクシングに擦り付ける。
その間にもサイクロプスは立て続けに攻撃を繰り出してくる。むしろより激しくなってきた。
しかし巨人の攻撃は実に単調だった。ただ殴るだけ。
――あ、こいつ……弱いな。
思わずジムでスパーをする“感覚”で相手の力量をはかってしまう。
我ながらそんな阿呆な。とは思ったが、結局の所、技術的に見ればこいつが下手糞なのは間違いない。
「なら」
俺は地面を滑空しサイクロプスの懐に潜り込んだ。
ここで体格差が生きる。敵の死角へ潜り、踏み込むと同時に大地が歪む。
狙うは生物の急所。すなわち――脳。
「いちッ」
「GyO!!!!!」
ボクシングのコンビネーションに呼応し、右のショートアッパーが蒼い巨人の顎を打ち抜く。
ビル四階もの巨体が宙を舞う。
さらに追撃とばかりに左ジャブが空中の巨人の右頬を叩く。
「にぃッ!」
今更訂正できず掛け声と共に殴る。巨体が今度は右へと振られる。
さらにその“的”をサイドステップで追い、上空へと跳躍する。
ビル6階程の高さからサイクロプスを見下ろす。目の焦点は既に失っている。
「さんッ!」
左頬へ鋼鉄の隕石よりも巨大な拳がめり込む。
下から上。左から右。
頭蓋骨内で左右上下に揺さ振られた脳が、高所からの渾身の打ち下ろしの右によってついに炸裂。
「――GYA!!」
巨人は地面へと凄まじい速度で頭から激突してグシャっと潰れた。
砂塵と青い血が巻き上がり、奴はピクリとも動かなくなる。
格闘技において有り得ない体格差がここに覆された瞬間だった。
実際、俺の拳はビルの四階には届かない。
けれど――届くのだ。
振りぬいた拳に纏われた鋼鉄の幻影は確に、最小限の動きで、最大瞬観速度で、的確に、化物の顎を砕いた。
それどころか、皮膚、頭蓋骨、脳に至るまでぐちゃぐちゃにしてみせた。
「これが…………ボクシングの……力っ!」
自分で言っといてなんだがたぶん違う。
いや絶対違う。が、目の前で頭部が潰れてグチャグチャになった巨人を見ているともうそれでいいやという気になってくる。
それにもう、余裕はない。
俺は潰れた巨人の横に着地して、すぐそこにまで迫っていた“本命達”を一瞥する。
「にしても――どうすっかなこっちは」
「DUOOOOOOOOOOOOO!!!!!」「GYAAAAAAAAAAAAA!!!!!」「RUOUUUUUUUUUUUU!!!!!」
洞窟の広場にいたヒュドラやワームや巨大昆虫やらが敵意剥き出しの威嚇をしながら、瞬く間に俺を取り囲む。
どれもこれもサイクロプス程のサイズ。
だが蒼い巨人が殺されたからだろうか。奴等はすぐに攻撃はして来ず、俺の周りを囲み攻撃の仕草を見せつつ警戒している。
ゆうに百体はいるだろう。
いくらカードゲームのモンスターの力を得たらしいとはいえ、ボス数百体と戦って勝てる保証はない。
「吼える事しか知らないのかね…………もうなんかいろいろ吹っ切れてしまって、今さら恐怖も感じない」
呆れ半分、自虐半分でそう呟くとポケットをまさぐり、愛用のラッキーストライクのタバコを咥える。
「あー……火を持ってないか」
「GYAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
返事の代わりに、宝石の様な外皮で覆われた巨大カマキリが涎を垂らしながら牙を向けて威嚇してきた。
いやお前の場合、威嚇は牙より鎌じゃないか? アイデンティティ的に大丈夫なの?
「そう騒ぐなよ。どうせすぐに終わる」
火のないタバコを諦めカマキリにそう諭しかけるも、今にも飛び掛ろうとしてくる。他の化物達もそうだ。何か合図が起きればこの包囲を決壊し、怪物達が俺へと殺到するだろう。
数の暴力を受ければ例え“国攫い”でもいずれは潰される。
流石の月謝一万の塚田ボクシングも多勢の無勢というものだ。
まず生き残れない。
策もない。
気力もない。
しかし――期待はあった。
俺がこの状況から生還できる唯一の希望。
もし今本当に“国攫い”のカードと同じ力が俺にあるなら、あるはずなのだ。あの“能力”が。
カマキリが鎌を振り上げる。それが合図となって化物達が殺到する。
そんな彼らに尋ねる。
「なぁ知ってるか? 国攫いの本当の真価は、その起動スキルにこそあるって話。現環境でデッキへの採用率はうなぎ上りって話だ」
直後、足元に魔法陣が現れる。同時にポップも出現した。
【起動スキル “カラドギア機械王国の毒ガス兵器” を発動――あなたはこのターンの行動を終了します】
「RUOUU!!??」「GYA!?!?!?」
そこから薄いピンク色をしたガスが周囲へ爆発的に広がる。
飛び掛らんとしていた化物達は襲い掛かるガスに意表を突かれて後退。その視界はすぐさまピンク色に埋め尽くされたはず。
一面のピンク。
その間、あまりにも不気味な沈黙が降りた。
……一分、二分、少しずつ時間が経過するにつれてそのピンクも晴れていく。
戻ってきた視界の中で、化物達がそれぞれ周りを確認する様に警戒しながら首を振っていた。
「国攫い。なんで攫いなんだろうな? 国喰いとか国潰しとかの方がカッコイイだろ。だけど“攫い”なんだよな、こいつは」
俺の声に反応した数匹が憎悪を込めて振り返った。
だが。
彼らはそこでようやく自身の異変に気付く。
気付いてしまった。
だがすべてはもう――手遅れなのだ。
「理由はこいつの起動スキル。こいつの起動スキルはレベル30を超える自身を除く、場にあるモンスターカードを全て墓地へ送るというもの」
化物達が次第に痙攣し始める。
ヒュドラがのた打ち回り首同士で噛み付き合い、やがてそれを食い千切り自害に至る。
カマキリが泡を吹いて宝石の体を限界まで反らし、ついに真ん中から二つに折れて砕けた。
ワームが臓物を撒き散らしながら、有り得ない伸縮率で十分の一にまで萎み干からびる。
「ようは高レベルモンスターのみに絞った場の一斉除去。一般的なカードゲームの用語では、これだけで決めるカード。フィニッシャーと呼ばれる存在」
他の化物達も口や目や鼻から血液を撒き散らし力なく次々と崩れ落ちていく。
「出れば邪魔な敵モンスター、すなわち壁ごと消し去り、プレーヤーを直接削り殺す存在。設定でも機械王国がエルフの国を支配する際、強力な者達をこれで殺し尽くし、弱いエルフ達を根こそぎ奴隷に叩き落とす――という非道極まりない計画の為に生み出された魔導兵器だったらしい」
あちこちで上がる断末魔と咲き乱れる血の雨の中でふと思う。
古今東西これだけのボスっぽいモンスターを一度に倒したRPGの主人公はいただろうか。
それも――毒殺でだ。
前者だけなら英雄だが、後者はむしろ殺戮者。我ながら卑怯極まりないなと苦笑する。
「俺も正直、本当にカードの効果が発揮されるのか半信半疑だった。しかしどうやら……」
俺は独白を一旦終えて、あらためて周囲一帯をゆっくりと見渡す。
最早、動いている生物は一匹もいなかった。
死屍累々。
ここが地獄かと言わんばかりの光景。
すべての化物達は毒ガスの前に――死んだ。
「どうやら俺は、運がいいらしい」
その呟きは誰に届く事もなく洞窟に響いた。




