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たぬきときつねの小噺集  作者: 紫生亭更松
5/8

金五郎放浪記~飛騨の三匹~

ひだまり童話館「ぺたぺたな話」参加作品

 野道を歩いていると、どこからともなくビュッ強い風。

 思わず足を止めずにはいられない。

 次の瞬間、かすかな痛み。

 見れば、肌に刻まれた赤いスジ。

 はて? これは……? 

 そうこれこそ、今回のお話。当世、すっかり忘れされたアレのお話でございます。


   ☆


 飛騨と申しますところは今でも豊かな自然が残り、一たび足を踏み入れれば、木々のこうと楽しむことのできるところでございます。

 天気は良好。

 まもなく晴天、と言ったそんな空の下。

 せせらぎ光る丹生川にほど近く。

 いささか尾の太い、それはそれは見事なきつね色のきつねが倒れておりました。

 そのきつね、尾も太いうえに体格も立派。名を金五郎きんごろうと申しまして、今この飛騨の地で儚く命を終えようとしておりました。


「見たことのないやつだな、お前、大丈夫か?」


 聞こえるは、いい方は荒ぽっさはあるものの鈴を転がしたような可憐な声。


「うう……」


 倒れた金五郎に若い飛騨きつねの娘が声をかけます。

 金五郎はげっそりとやつれた顔を上げ、娘の方にうつろな目を向け、辞世の句を一言……。


「腹が減った……」


 俳句、短歌、漢詩……どれでもよかったはずなのに、こんな時にカッコいいセリフも浮かばない、金五郎は残念な男でございます。


「腹? 腹が空いてるのかい? ちょっと待ってな!」


 すると、その娘、どこから取り出したのか金五郎にそれはうまそうなおにぎりを差し出すではありませんか。


「お、おにぎり!?」


 おにぎりを目にして飛び起きる金五郎。

 今まさに命を終えようとしていたのはどうやら幻だったようでございます。

 飛び起きてみれば、目の前にはふっくらコロリとしたおにぎり三つ。思わずゴクリと喉を鳴らす。


「ほら食べな」 


 言われる間もなく金五郎は頬袋に種を詰め込むリスの如きにおにぎりを口いっぱいにほおばります。


「そんなに一気に食べると喉に詰まるよ?」

「はむはむ……うぐっ!?」

「言わんこっちゃない。ほら、水だよ」


 竹で出来た水筒を受け取り、慌ててあおると水がバシャリと顔にかかる。


「あちゃ~、そんなに慌てるから」

「ゲホッ、ゲホッ……はあ、はあ……」


 濡れはしたものの、何とかおにぎりを流し込んで金五郎は落ち着きました。


「うまい! うまい米に水だな!」

「当たり前さ、飛騨のコシヒカリは日本一だ」


 と娘は自慢げに胸を張ります。


「ところで、あんた、このへんじゃみない顔だね? どこのきつねだい?」


 金五郎は

「旅のきつねでね。山道に慣れていなくて動けなくなってしまったんだ。魚でも獲とれればよかったんだが、これがなかなか難しい」

 ハッハッハッと笑ったが、娘の視線は冷たい。


「全く、魚も獲れないなんて情けないきつねだね」


 自分よりもずいぶん若い娘に責められ、金五郎は頭を掻く。


「俺の名前は金五郎。お前さんは? きつねなのに、おにぎりや水筒を持っているなんて珍しいじゃないか」

「あたしの名前は伊吹いぶきってんだ。変化きつねさ。まあ、普通のきつねとはわけが違うってことさ」

「ほぅ、変化の?」

「ああ、変化見たことあるかい? これからみんなで稽古なんだけど、興味ある?」

「それは見てみたい、ぜひお願いしたいな」


 と、そのような出会いを経て、伊吹の案内で金五郎は飛騨変化きつねたちの秘密の稽古場へと、お邪魔したのでございます。

 稽古場はとても人の寄り付きそうもない、今にも崩れそうな古い神社の一角。

 集まったきつねも、伊吹を入れてわずかに四匹。

 伊吹よりも歳が若く、太っちょで、ドタドタ走る男の子が善次ぜんじ。その善次よりもさらに歳の若いヒョロリとした気の弱そうな子が将吉しょうきちと申します。

 稽古の内容もまた一風変わっておりました。

善次と将吉、その後ろを伊吹が一緒になって何やら駆け回っているではありませんか。


「あれが稽古?」


 善次がドタドタと走れば、そのあとを将吉がひょこひょことついていく。さらにその後ろを颯爽と伊吹が追いかけていく。

 その姿はまるで鬼ごっこ。

 とても姿を変える変化の稽古には見えません。

 神社の軒先に腰かけて見学をする金五郎が首を傾げていると、歳を重ねた白髭の老きつね山蔵さんぞう


「金五郎さんと言ったね。あんた、〈かまいたち〉はご存じかい?」と、老きつね特有の穏やかな調子で申すではありませんか。


〈かまいたち〉と申しますのは、風に乗じて現れ、手にした鎌で人に切りつけ、薬を塗って去っていくという古来より伝わる妖怪の一つでございます。

 もちろん、かまいたちは妖怪、伝説、想像上のもの。実際にそのようなものがいるわけがありません。


「実は飛騨の悪神と謳われた〈かまいたち〉は、われら飛騨変化きつねの先祖が作り上げたものなのです」

「なんと、そうだったのですか。しかし、そのような話があるとは、今まで知りませんでした」


 金五郎の驚きに山蔵は寂しそうな目をして

「ええ……。変化きつねそのものが少なくなっているし、何より〈かまいたち〉はお客を傷つけて驚かせる演目。時代に合わぬ部分もございますゆえ」


 きつね、たぬきが変化で人を驚かせるには、いくつかルールがございます。

 その一つに、観客である人間にケガをさせたり、あぶないめに合わせたりしないこと。

 昔は人を傷つけることで、驚かせる演目も数多くありましたが、今は古典芸能として残っているだけで ほとんど行われておりません。〈かまいたち〉はまさにそんな古典的演目の一つというわけです。


「なるほど、ということは、あの子らがやっているのは?」

「ええ、未熟ながら〈かまいたち〉でございます」


 飛騨の悪神と言われる〈かまいたち〉は最初の一人が人の足を止め、二人目が鎌で切りつけ、三人目が薬を塗っていくと申します。

 切っておきながら、薬を塗る。なんとも奇妙ではありますが、そのため傷は出来ても、ほとんど血は出ず、すぐに治る。まさにケガも少なく、知らないうちに何者かよって切られたという、驚きと恐怖を楽しむ作りとなっているのでございます。

 伊吹たちが三匹で並んで走っているのは、それぞれの役目があるからに相違ございません。


「なるほど、それで三匹で……」


 とはいえ、伊吹たちの動きはとても息が合っているようには思えません。おそらく〈かまいたち〉は三匹の息が合わないと完成とは言えない代物のはず。

 金五郎の気持ちを察してか、山蔵はため息をつきます。


「足止め役の善次は体格が良くて適役なのは間違いないのですが足が遅く、将吉は小柄で器用なのですが度胸がない。伊吹は足も速く、器用でもあるのですが……」


 そこまで山蔵が言った時のことでした。


「なんだいお前ら、まだそんなことやってるかい!?」


 風雨のおかげですっかり丸くなった狛犬の上から、威勢もよく毛並みも鮮やかな女きつね登場。

 歳の頃は、伊吹と同じくらいか。

 伊吹に負けず劣らずのキリリとした娘でございます。

 なんと彼女の立つ狛犬の足元には、同じ歳くらいのきつねたち。きつねのお供を引き連れているではありませんか!


つむぎ!」


 思わず伊吹が声を上げます。

 どうやら、狛犬に立つ若いきつね、名を紬と申すよう。


「伊吹、あんたまだ、〈かまいたち〉なんてダサいことやってんの?」

「あんたには関係ないでしょ?」


 狛犬からスタンと軽やかに降りた紬と伊吹がガンのくれあい飛ばしあい。火花を散らすにらみ合い。


「〈かまいたち〉本気で出来ると思ってんの? いい加減諦めたら? バカ伊吹」

「できるわよ、できるに決まってんじゃん! バカって言った方がバカなんだよ! 大バカ紬!」

「なんですって!?」

「なにさ!」


 売り言葉に買い言葉。

 動いたのはほぼ同時。

 伊吹と紬の取っ組み合いの喧嘩でございます。二匹のきつねが取っ組み合いの大喧嘩!

 大きな毛玉となってあっちにゴロゴロこっちにゴロゴロ! あまりのゴロゴロに誰も手が付けられません。


「出来もしないのにクセに! 〈かまいたち〉なんて苔の生えた代物、誰も覚えてないんだよ!」

「そんなわけあるか! やりもしないで!」

「ええい、辞めないか!」


 山蔵がたまらず声を荒げるも、二匹は聞く耳を持ちません。善次、将吉はもちろんのこと、紬のお供も二匹の喧嘩に入ることができず困惑するばかり。

 ゴロゴロは少しも落ち着きを見せることなく、苛烈に熾烈にヒートアップ! 

 紬の牙と、伊吹の爪が互いに閃こうとしたその時


「そのへんにしておきな」


 見かねた金五郎が怖気る周囲をよそに二匹を引きはがしたのでございます。


「なんだてめぇ!」

「金五郎離しやがれ!」


 今度は止めに入った金五郎に食ってかかる二匹。


「二人とも頭を冷やせ! ここで喧嘩して何になる? ようは〈かまいたち〉ができるかどうかってことだろう? 文句があるなら芸で示せ!」


 その言葉にようやく大人しくなる伊吹と紬。


「確かにあんたの言う通りだ」


 と、紬。そしてこう続けます。


「伊吹、あんたの〈かまいたち〉見せてみろよ。一週間後だ! 一週間後、あんたの〈かまいたち〉を飛騨中のきつねの前で披露しな! 成功したのなら認めてやるよ」


 紬は、善次は将吉の方に目を向けると


「まあ、そこで尻尾巻いてるのが仲間じゃあ、到底できないだろうけどな!」


 捨て台詞をピシャリと叩きつけ、お供を引き連れ秘密の稽古場をあとにしたのでした。

 やれやれと金五郎。

 その横でわなわなと震える伊吹でございます。


「紬のやつ! 善次! 将吉! 練習するよ! 必ず! 絶対、何が何でも〈かまいたち〉を成功させるんだ!」

「う、うん……」

「がんばる……」


 と善次と将吉。


「もっと気合を入れろぉっ!」


 弱気な二匹にブチリと切れた伊吹の声が古い神社にこだましたのでございます。

 こうして、期せずして飛騨きつねの伝統芸〈かまいたち〉の開演が決定と相成りました。


   ☆ 


 時は流れて一週間後……。


 日も傾き、帳の裾を引き始めた逢魔が時。

 飛騨の山間から少し下り、森と人のちょうど境にありますバス停が舞台にて、飛騨きつねの伝統芸〈かまいたち〉が開演にございます。

 観客はバス停で待つ若い親子。

親が連れる幼い人の子が今日の主役。

 バス停の見える丘には山蔵、紬をはじめ、紬が一週間かけて呼びかけた飛騨のきつねが肩を並べて勢ぞろい!

 皆一様に伊吹たちの〈かまいたち〉を見守ります。


「いいか、失敗は許されないよ……何としても成功させるんだ」


 舞台袖、茂みに隠れるは善次、将吉、伊吹の三匹。

 伊吹は呼吸も浅く、肩をこわばらせ、善次、将吉ににらむように言うではありませんか。

 それもそのはず。失敗は許されません。

〈かまいたち〉は飛騨きつねの伝統。もう誰もやるものもなく、〈かまいたち〉そのものが人の間で語られることも少なくなりました。

 お爺さんの代まで残っていた〈かまいたち〉は伊吹の父親の代ではすっかりなくなっておりました。

 そんな〈かまいたち〉を伊吹の父親と紬の父親、そして山蔵が復活させようとしていたのです。

 文献を紐解き、伝承を調べ、口伝を集め、稽古を積んで、もう少しで〈かまいたち〉が復活する! とそんな時、不幸は起きました。

 完成間近の〈かまいたち〉は技は日の目を見ることはありませんでした。

 紬の父が〈かまいたち〉の稽古中に車にひかれて亡くなったのです。それも幼い伊吹と紬の目の前で。

 不運が重なった……。

 それ以上の説明ができないほどの不運の事故ございました。伊吹の父は、それを苦にして飛騨から姿を消し〈かまいたち〉を継ぐものはいなくなりました。

 以来、みな〈かまいたち〉のことを口にすることはなくなっていったのです。伊吹と、将来一緒に〈かまいたち〉をやろうと練習に励んでいた紬は、この一件以来、〈かまいたち〉を嫌うようになってしまいました。

 しかし、皆が〈かまいたち〉から目を背けようとする中、伊吹だけは違いました。


(このままでいい? そんなはずない!)


 このままでは忘れられてしまう……。人の記憶から、心から……〈かまいたち〉を作った当のきつねからも消えていってしまう。父さんも、おじさんのことも……!

 伊吹は山蔵に頼み込み〈かまいたち〉を復活させようと仲間を集め、稽古を始めたのでございます。

 もちろん、その時には今〈かまいたち〉をやろうなどと言うもの好きはいやしませんでした。

 善次も、将吉も伊吹が無理やりに引き込んだのでございます。

 もし、今日失敗してしまったら、善次も将吉も〈かまいたち〉を辞めてしまうかもしれません。

 そうなったら……


「おい」


 伊吹が険しい顔で思い詰めていると、金五郎が彼女の肩を叩きました。


「金五郎……?」

「失敗するぞ」

「えっ?」

「これはお前の独り舞台か?」


 金五郎に言われ、伊吹はハッといたします。

 見れば、善次も将吉も、すっかり顔を強張らせているではありませんか。それも怯えるように。


「お前みたいに気負いすぎてガチガチになるような奴は本番で失敗する。俺はそんな奴をよく知っているんだ。そんなんじゃあ、うまく行くものも行かなくなる」


「伊吹さん、俺たち頑張りますから!」

「ぼく、失敗しないようにするから!」


 善次と将吉に言われ、伊吹は悟りました。自分の気負いが善次と将吉の足を引っ張っている、と。


「三匹で〈かまいたち〉なんだろ? 違うのか?」


 金五郎の言葉に伊吹はいつものキリリとした顔で笑いました。


「へっ、当たり前だ。あたしたちは飛騨最高の変化きつねの〈かまいたち〉だ。この三匹でなきゃ、あたしは走るつもりはねぇ」


 善次と将吉は顔を見合わせ喜びました。


「伊吹さん!」

「伊吹姉ちゃん!」

「いくよ、善次、将吉! あたしたちの〈かまいたち〉でお客をわかせるんだ!」

「「おうっ!」」


 三匹のきつねが威勢よく尻尾を上げました。


「ありがとうよ、金五郎。変化きつねでもないあんたに変化のことで気づかされるなんてよ」

「いや、俺は……」

「そこで見ててくれよ、あたしたちの〈かまいたち〉をよ」


 本来、〈かまいたち〉は変化きつねの中でも、足が速く、器用で、度胸があり、変化の正確さ、技量の精密さのある精鋭三匹で行う演目。

 寄せ集めでやるものではありません。

 力不足は明らか。


(でも、今やるしかない!)


「いくよ!」


 伊吹の合図で三匹が茂みから飛び出した!

 走り出した伊吹たちの姿にワッとわく飛騨きつね一同。

 先頭は善次、二番手を将吉、三番手を伊吹が走る。


「善次は足が遅いんだ。人に気づかれずに近づくには速さがいる、善次にそれができるものか」

 一同の中で紬が悪態をつきました。

〈かまいたち〉は風の妖怪。風を演出する早業芸。それには突風の如き速度が必要不可欠。善次が遅ければ、裏に続く将吉も伊吹も速度は上がらず共倒れ!

 しかし、大方の予想に反して善次の速度はまさに風の如し。走るほど加速していくではありませんか。


「速い!? あれが善次か!?」


 一同ざわざわ。

 善次は体格がよく当たりは強い。けれど足が遅いのが欠点であることは周知の事実。

 よく見れば、先頭を行く善次を足の速い将吉が押し、将吉をさらに俊足の伊吹が押し上げているではありませんか! 善次はぐんぐん加速! まさに風切る速さ!

 人の子まであと十メートル、五メートル……加速は充分。と、その時善次が砂を巻き上げた!

 善次は砂に隠れ、風に舞う草花に姿を変えて、いざ突風の如き体当たり!


「うわっ!?」


善次の突風は人の子の足を止め、一瞬にして視界を奪う! 

 見物きつねからも思わず歓声!

 わずかによろめく人の子に間合いは充分!


「まだまだ! 重要なのは切り役だ! 怖気ついて浅く切ろうものなら形にならない!」


 紬は身を乗り出して叫びました。 

 すると、善次の背に隠れていた将吉が手を鎌に変えて切りかかる。


「距離が足りない!」


 誰かが言った。確かに踏み切りが遠い。

 善次を押し出した分、将吉の勢いがない!

 これでは切りが浅くなる!

 そう思った瞬間、計ったように伊吹が将吉の背を押した! 将吉はさらに善次の背を踏み台にしての二段飛び!


「あの将吉があんな芸当を!?」


 将吉の鎌が冴える!

 サクリと人の子の小さな腕に切りつける。

 長さ、深さ、鋭さも申し分なし!

 小柄な将吉はクルリと身をひるがえして、再び善次の背に飛び乗り即座に退場。

 一風の中で三匹がそれぞれ仕事をこなす〈かまいたち〉。その中でも最も難しいのが三番手の薬役! 残すはおおとり伊吹が薬役!


「焦るな、焦るな! 善次も将吉も完璧だった! だからあたしもできる!」


 かまいたちは風に乗じる早業芸。

 その最後を走る薬役は、傷口に薬をぺたぺたと丁寧に塗らねばならない。

 薬が少なければ傷深く、多ければ傷がついたことに気づかれない。

 お客に触れつつ、正確、丁寧に! けれど、丁寧すぎればお客の目に留まる可能性も高くなる。見つからず気づかれず、素早くぺたぺた薬を塗るのが至難の業!

 善次が起こした風の中、将吉のつけた傷に伊吹が迫る! きつね特製秘伝の薬だ!

 伊吹は風の中でクルリと身をひるがえす! 


 ぺた、ぺた! ぺたたたっ!


「伊吹!」


 紬が叫んだ。

 伊吹は風と共に茂みに退場。

 シンッ。と空白。皆息を飲む!


「やった……?」


 紬が思わず声を漏らした。

 人の子の腕にはくっきりと赤いスジ。確かに傷はあれども、血は少しも出ていない。


「完璧な薬役!」 

「お見事! かまいたち!」   

「よっ! 飛騨の悪神!」


 見物きつねからワッと歓声! 

 拍手拍手の大喝采! 

 これぞ、〈かまいたち〉! 変化きつねの〈かまいたち〉でございます!

 しかし、きつねの興奮とは裏腹に 人の子は不思議そうな顔をするばかり。


「あれ? なんだろうこれ?」


 すると、人の子の親も不思議がる。


「あら、何かしらね? 何かに引っ掛けた?」


 その言葉に、頭から冷や水をぶっかけられたようにきつねたちは唖然呆然!

〈かまいたち〉! 完璧な〈かまいたち〉だったというのに、〈かまいたち〉と気づいてもらえていない!

 驚きも、恐怖も楽しみなく、ただ不思議がるお客の姿。

 手品を見せても、何が不思議なのかを理解できなければ楽しみようもありません。

 そう、きつねたちが〈かまいたち〉から距離をおいている間に、人の心からも〈かまいたち〉はすで遠い存在になっていたのでございます。


「〈かまいたち〉だ! どう見ても〈かまいたち〉だろ!」


 紬が身を乗り出して叫びます。しかし、そんな声など届くはずもございません。

 お客に驚きがなければ、恐怖や楽しさがなければ、いくら技量が優れたところで演目は失敗でございます。

 落胆。きつねたちの気持ちは沈みました。

 〈かまいたち〉すでに死んだ芸だったのでございます。


「おや、珍しい」


 どこから現れたか美しい女が一人。いつの間にやらバス停に立っているではありませんか。

 なんと美しい女か、伊吹はもちろん、きつね一同思わず目を奪われます。しかし、女の美しい容姿以上にきつねを引き付けたのは、女の発した言葉でございました。


「これは〈かまいたち〉の仕業ね」と。


「かまいたち?」と、人の子は聞き返す。

「ええ、風に乗って現れるイタズラ好きな神様よ。風に乗ってやってきて、人を切って、薬を塗って去っていくの。飛騨にはまだいるのね」


 と優しく微笑むでありませんか。

 きつねたちはまた唖然呆然。言葉もありません。

 人の子は目を輝かせて


「すっごい! これ、神様がやったんだ! かまいたちっていうんだ!」


 人の子の笑顔に小さな歓声! 

 きつね一同大歓声!

 きつねたちは手をたたき合って喜びました。

 そんな喜びの中、伊吹はしっかりと目にしたのです。

 その女が、茂みに隠れた人、の目には見つけることのできないはずのきつね一同の方を見て微笑んだのを。


「あのひと……?」


 あたしらことのを知っている、変化きつねのことも。

 でも、変化きつねの減る飛騨で、あれほどの変化をできるきつねはいないはず。

 飛騨きつね以外のきつねでなければ……。


「本当に見事な〈かまいたち〉ね」


 女は満足そうに申したのでございました。


   ☆彡


 その後のお話でございます。

 伊吹は金五郎を探しましたが、金五郎はすでに旅立ったあとでございました。

 山蔵に聞いたところ、飛騨の山間に雨雲を見つけ、雨が来る前に立ちたいとのこと。〈かまいたち〉開演前に伊吹たちのところに歩いていくのを見たのが最後の姿だったとか。

 おそらく〈かまいたち〉は見届けてくれただろうと、山蔵は言いました。


「見てくれた。たぶん間違いない……でも礼を言いそびれたんだ」


 伊吹はたいそう膨れましたが、すぐに気持ち切り替えました。


「〈かまいたち〉の噂をもっと広めるんだ。そうしたら、あたしらのことがあいつに届くだろう」



 そんな伊吹の〈かまいたち〉とは別に、森で何やらうごめくものがありました。


「ほんとにやるんですか? 〈かまいたち〉……」

「伊吹たちみたいなあんな凄いこと、あたしらにできるとは思えないですぅ」

「やるんだよ! 伊吹たちばかりにいい顔させてたまるもんか!」


 息まく声の主は紬。集まる仲間はすっかり〈かまいたち〉に心奪われたきつねたちでございます。

 今までのこともあって素直になれない紬は、伊吹たちとは離れ、秘密の稽古を始めました。

 それは何よりきつねの意地でございます。


「それに……この広い飛騨に〈かまいたち〉が一組しかいないんじゃ少なすぎるだろ。あたしらで、もっと風を吹かせるんだ」


 そう、それはきつねの意地なのでございます。



 えっ? 消えた金五郎はどうしたのかって?

 尾の太いきつねの行方はまた別の機会に。

 金五郎が旅行く歩みを緩めたと、風の便りが届いた頃にでもいたしましょう。


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