変化たぬき師匠一家録・高速たぬき危機一髪~秘密からくり「くるくる」の巻~
霜月透子様主催・ひだまり童話館「くるくるな話」参加作品
あなたは噂話は好きですか?
確かめようもなく本当かどうか疑いたくなるような想像空想が混じる根も葉も根拠もない噂話はいつどんな時でも面白く楽しいものですよね。
例えばそう、こんな噂話を聞いたことはありませんか?
ポンポコポーン
ポンポコポーン
すっかり日も暮れまんまる満月が見事な夜。
それは人がめったに入ることのできない秘密の集会場での出来事でございます。
そこに集まるは古今東西あらゆるものに姿を変える変化之術が得意なたぬきの師匠とそのお弟子のたぬき達。
今宵は月に一度の一家全員が集まる重要大事な会議の日。
お題は、近々行われるきつね先生一門との変化勝負の一件です。
たぬき師匠ときつね先生、それぞれの弟子と生徒は大の仲良し、助け助けられの関係ではありますが、この時ばかり日々鍛えに鍛えた変化之術で互いに技を見せ合い競う真剣勝負。
その勝負の方法は至って簡単。
相手の出した変化演目に対してこちらも同じ変化で再現すること。
判定の良し悪しは演目で、どれほど人を驚かせることができるのか? で競う。
人が驚き、噂話が相手側の耳に届くことがまず第一条件。その上で、有名になった方が勝ちという仕組み。
「さて、今回の演目ですが……」
メガネに蝶ネクタイの大層聡明そうな、いかにも学級委員長といった風の若たぬきが司会をつとめます。
「“高速ババア“にしたいと思います」
「「おおっ」」
会場どより。
“高速ババア”とは、車で夜道を走っていると、その車に追いつき追い越していくおばあさんがいるという都市伝説の一つ。
噂によるとその最高時速は百キロにも及ぶとのこと。
この“高速ババア”実を申せば、少し前にきつね先生一門が世に広めた名作演目の一つなのでございます。
「インドア派のきつね達にやられるなんて今でも悔しいよ!」
「そうだそうだ! 外じゃあたぬき一家が強いってところを見せてやろう!」
同じ変化之術を使うと言っても、たぬき一家は外での演出なら右に出るものなしの大得意。きつね一門は内での演出では自他ともに認めるプロフェッショナル。お互いに認めあう間柄。
それだというのにきつねに“高速ババア”のようなヒット作を出されてしまい、たぬき一家は大変ショックを受けました。
きつねを称賛しつつも内心では悔しい思いでいたのでございます。
集まったたぬき達は今こそその想いを晴らそうと息をまく。
その様子にたぬき師匠も満足げ。と、ここで一匹のベテラン老たぬきがこんなことを申すではありませんか。
「いや、しかし、ちょっと待て。外はたぬきの領分、我らが土俵。そこでただただ再現だけしても勝ったことにはなるまいて」
ベテラン老たぬきの言葉に今度は司会の委員長が口を開いてこんなことを申します。
「なんでも、きつねは“高速ババア”をたったの四匹で成功させたのだとか?」
「「たった四匹で!?」」
たぬき達は驚き、おのおの顔を見合わせます。
「たった四匹で? 本当か?」
「そんな馬鹿などうやってやるんだ?」
たぬき達が驚くのも無理はありません。実はたぬきやきつねが使う変化之術というものは、姿を変えるだけでなく変化したものの特徴も得ることができるのです。
鳥になれば空を飛べるし、魚になれば水にもぐったまま泳ぐことができるのです。
しかし“高速ババア”はあくまでババアでございます。言葉は少々汚くはなりますが、ババアとは歳をとった女性を指す言葉。
経験豊かに人生を歩み、深い優しさと強引な社交性を持ってはいても、腰は曲がり膝も痛く外反母趾に悩んだりいたします。
とても時速百キロで走ることなどできません。なにせババアなのですから。
つまり、ババアに化けるのはいいとしても、そのババアをどうにかして時速百キロで走らせなくてはいけない。きつねはそれをたったの四匹でやってのけたというのです。
「確かにきつねと同じ条件で成功させても勝ったとは言えない。引き分け、もしくは負けたと言えるかもしれない!」
「俺達はもっと少ないメンバーで成功させなきゃダメなのか?」
たぬき一同右に左に「うーん」と頭をひねります。
どんな風にきつねが“高速ババア”を成功させたのかはわかりませんが、それにしても人数が少ない。
これには師匠も「うーん」と首を傾げます。
「皆さん、ご安心ください。私に、妙案がございます!」
右に左に波を打つたぬきの頭上からまたも委員長。
「我らがたぬき技術部が開発した秘密からくりを使えばババア役一匹で“高速ババア”の実現が可能です」
「なんと!」
「そんなものが?」
「たった一匹で!?」
「そうです、たった一匹で! それがこちらです」
キラリと眼鏡を輝かせ、委員長はパチンと指をスナップ。
すると舞台のそでからキュルキュルという台車を押す音。
台車を押すのは右耳に可愛らしいピンクの花輪をつけた女の子たぬきの「御花」。
台車の上には上から見ても横から見てもコの字型の不思議なメカ。
よいしょよいしょ、と台車を押していた御花は途中足をつまずかせペコンと転ぶと台車だけがキュルリと委員長の前へ。
その様子に会場はやや不穏。
委員長は御花を優しく抱き起すと何事もなかったかのように自信のある声で
「これが技術部所属のわが愛しい妹、御花が独自開発した。高速走行補助からくり「くるくる」です」
会場ざわり。
「御花が独自開発……?」
「ってことは、御花だけで作ったのか?」
ヒソヒソ声が聞こえてきますが委員長は全く気にしません。
「御花、くるくるの説明を!」
「は、はい! このくるくるは装着者の足の筋肉の動きを読み取り、それそのものを動力として稼働後数秒で加速補助を行うことできるからくりです。くるくるの補助により装着者は普段の何倍もの速度で……」
御花の難しい説明などみんな聞いちゃいません。満足気に聞いているのは御花のお兄ちゃんである委員長くらい。
何せ一般たぬきはそんな難しい話はわからない。何より御花がとんでもないドジっ子であることをみんなよく知っていたのです。
そんな子の作った見たこと聞いたこともないものをつけるだなんてとんでもない! 誰だってやりたくありません。
「どうです皆さん! このくるくるを使えば一匹“高速ババアも”夢ではありませんよ! 誰かこのくるくるで“高速ババア”を成功させたいとは思いませんかく! 先着順! この栄誉を得られるのはたったの一匹だけですよ!」
委員長が声を上げましたが、会場は水を打ったように静まりかえるばかり。
みんなの白い目に一生懸命説明をしていた御花も悲しくなったのか今にも泣きそう。と、その時でございました。
「おもしろそうじゃねぇか」
たぬきの群れの奥でひょこんと手が上がる。声につられ、たぬき達の視線が一斉に集まります。
手を挙げたのは黄色が鮮やかなたんぽぽを口にくわえた男気溢れる黒毛のたぬき。
「その役、俺がやってもいいぜ」
「銀次!」
「本気か銀次!?」
名乗りを挙げたたぬきの名は「銀次」。黒毛の「銀次」にございます。少々けんかっ早いところもありますが、その分仲間からの信頼も厚い男気溢れる若たぬき。
「ああ、本気だ。誰か文句のあるやつはいるか?」
銀次が言えば、若手の中から文句を言う者など現れるはずもありません。
「御花、そのくるくるってのは俺でも使うことができるのか?」
「も、もちろんです!」
「だったら決まりだ。“高速ババア”俺がやらせてもらうぜ!」
かくして、たぬき一家版“高速ババア”の開演が決定と相成りました。
弐
舞台となるは「ひふみ峠」。
緩やかな登りと下りがまみえる坂に適度な直線と五十三のイカしたカーブがある峠道。
週末には走り屋達が集うこの場所は、ドライブコースとしてもちょうどよく、春にはお花見、秋には紅葉で楽しめる、たぬき達も大好きな場所ございます。
その峠のてっぺん、峠を一望できる場所に師匠はデンッと構えてことの成り行きを見守ります。黒 毛の銀次以外の弟子達、委員長も御花もこの時ばかりは観客だといわんばかりに、各々好き好きに茂みに身を潜めて“高速ババア”開演を待つ。
夜も深くなった頃、ひふみ峠に一台の車が入ってきました。
いかにも速度が出そうな赤くてカッコいい車。好都合なことに運転席には若い女性が一人だけ。入り口付近にいた係のたぬきが合図を出します。
すると、それはそれは見事なババアに変化した銀次が御花特製「くるくる」を足に装着して、クラウチングスタートでいざ出陣。
くるくるは数秒もたたないうちに、ナイスなフォームで走るババアの足をサポート。
まさに「くるくる」とババアの足を動かし始めるではありませんか。
ババア爆走。
その速度はまさに高速。
猛スピードに風も唸ります。
これを“高速ババア”と呼ばなければなんと呼べばいいのかわかりません。
信号のないひふみ峠では観光でもないかぎり車が止まることはありません。赤くてカッコいい車も上機嫌にカーブを走っています。
その後ろをババアが追走。
さすがはババア! 小回りが利きます!
カーブごとに車との距離を縮めて、あっと言う間に車を視界にとらえたではありませんか! これで車の女性にババアの存在に気が付いてもらい、驚いてもらったところで走り去ればババア完了でございます。
しかし、ことはそう簡単にはいきませんでした。
たぬき達は大事な出し物だというのに、重大なミスを犯していることに、今になって気がつき青ざめていたのです。
それは「噂話」を流し忘れたこと。
こういった出し物をやる場合にはどこでも宣伝をするものですが、たぬき達の場合は少しだけ噂話を流しておくのです。
「あの峠、夜に走ると何か出るらしいよ?」
というように。すると、それが耳に入った人間達は自分の方から周囲を気にし、こちらの出し物をうまいこと見つけてくれる、という流れになるのです。
しかし、今回はその噂話を流すことを忘れてしまったのでした。
もちろん噂話がなくても、車の若い女性がババアに気がついてくれれば問題ありません。驚いて悲鳴を上げて楽しんでくれたら言うことありません。
けれど、ここにもたぬき達の誤算がありました。
この車の女性、どうやら車内でかなりの大音量で音楽をかけつつドライブを楽しんでいるようなのです。少しも背後から迫るババアに気がつく様子がありません。
そしてまさかの大誤算は、ババア自身にありました。高速走行補助装置くるくるで爆走するババアでしたが、機械の補助があるとはいえ、自分の足で走っていることには変わりがなかったということです。
足はくるくるによって高速回転していますが、ババアの心肺機能は限界間近。
「ババアが視界に入る距離になって五キロは走っているぞ」
「見ろよあの顔、よだれ垂らして笑っていやがるぜ?」
「ランナーズハイってヤツだな」
追走する“高速ババア”はすでに限界、息もたえだえ。息を荒くしながら、よだれをたらし、恍惚に顔を歪ませ走るババアの姿はある意味怪談としては成功ですが、一向に前の車に気が付いてもらえません。
そんな懸命なババアの姿に一匹のたぬきがこんな疑問を持ちました。
「おい、何だか様子がおかしくないか?」
「それはそうだろうよ、あんな速度で走るババアはいないんだから、それは様子もおかしいだろうさ」
「いや、そうじゃないんだ、ほら、手と足の調子の取り方が変っていうか?」
「それはそうだろうよ、足はくるくるで補助されて走っているんだ。補助のない手の方とバランスがとれるわけがねぇ」
「でも、くるくるは足の動きをもとに走っているんだろう?」
「それはそうだろうよ、御花がそう言っていたからな」
「ということはババアの意思で足は動いているんだろう?」
「それはそうだろうよ、足の動きをもとにしているんだろから」
「なのに、動きが手とちぐはぐになるのかい?」
「それは……」
足は高速、腕ダラリ、アゴは上向き、目は白目。腿を短距離陸上選手のよう上下させながら走るババアの姿は異様そのもの。さすがのたぬきたちもこれはおかしいと気づき始めました。
一番青くなっていたのはくるくるを開発した御花です。
「くるくるが暴走しています! 今は銀次さんが走っているんじゃなくて、くるくるが銀次さんを走らせてしまっています!」
「「なんだって!」」
たぬき一同顔を見合わせました。
暴走したくるくるが銀次を走らせているのだとしたら、銀次が止まりたいと思っても止まることができないということです。
「一先ずババアを止めろ!」
「どうやって!?」
「なんとかして止めるんだよ!」
「時速八十キロは出ているぞ、誰がそんなババアを止められるんだ!?」
“高速ババア”はババアと言っても超高速です。ただのたぬきがおいそれと何かをすることなどできるはずがありません。
しかし、ババアをこのままにしておくこともできません。ババアはもう限界です。
「俺たちに任せろ!」
その時、御花達の頭上から凛々しい声が響き渡ったではありません。
「お前達は、まさか!?」
夜空に輝く七つ星。北斗七星を背に七つの影が宙を舞う。赤タヌ、青タヌ、緑タヌ、黒タヌ、紫タヌ、黄色タヌ、桃タヌ登場。
「「「「「「「とうっ!」」」」」」」
それはたぬき師匠一家の陰の存在、エリートたぬきで結成された影の七タヌでございました。リーダー赤タヌを先頭に、七つの影が赤い車とババアを追いかけます。
もちろんいくら七タヌと言ってもたぬきはたぬき。たぬきのままでは時速八十キロを超える高速ババアに追いつくことなどできません。
「合体変化だ!」
赤タヌの号令に、青タヌは前輪、緑タヌは後輪、黒タヌはボディフレーム、黄色タヌはマフラー、紫タヌはライト、桃タヌがハンドルになり、それぞれが組み合わさることにより、空気抵抗も完全に考えつくされた流線形も見事なたぬき専用バイクの完成です。
この伝統芸、合体変化こそ、七タヌがエリートたぬきである所以。
それぞれが各部分を担当することで大きな力を出すことができるのです。たぬき師匠一家秘伝の大技にございます!
たぬきバイクに赤タヌが飛び乗ると、一気にババアをおいかけます。
“高速ババア”も小回りが利きますが、たぬきバイクも負けてはいません。何せ、空気抵抗を極限まで減らしたたぬき専用。さらにとても小さく小回りも効いて安定性抜群。その上、赤タヌは国際ライセンス級の腕前。
「銀次! 銀次! 聞こえるか!?」
瞬く間にババアに追いついた赤タヌはババアと並走しながら呼びかけます。
「あ、赤、タヌ? どうしてここに?」
「銀次、今助けてやる、待っていろ!」
「助ける……? なんのことだ?」
「くるくるは暴走している、今回は失敗だ。だから……」
「暴走? こいつが?」
暴走という言葉を聞いても、ババアと取り乱しませんでした。むしろ息を荒くしながらも穏やかに笑みを浮かべてこう言ったのです。
「わかっていたさ、途中からおかしいと思っていたんだ……」
「そうだったのか、だったらどうして?」
ババアが訴えればもっと早く助けを呼ぶこともできたはず。
「お、俺さ、……御花と幼馴染なんだよ、家も近くてさ。小さな頃はよく遊んだんだ……」
花畑で戯れるこだぬきの銀次と御花。花の匂い、草の感触、御花の声、驚くほど鮮明で、これが走馬燈なのかと回想なのかババアには区別がつきません。
「でも、御花は委員長の妹で頭がよくて、俺とは全然違うだろ? だからさ、俺、だんだんあいつのそばにいるのが辛くなっちまってよ、遠くから見るだけになっていたんだ」
アドレナリン分泌過剰のババアはよだれを流しつつしんみり肩を落とします。
「でもこのくるくるを見たときに思ったんだ。こいつで成果を上げたら、あいつに言えるんじゃなかって……お前がずっと好きだった、俺とずっと一緒にいてほしいって……」
「銀次……」
「頼む赤タヌ、俺を止めないでくれ! 俺に協力してくれ、頼む赤タヌ!」
死んだようなババアの目にカッと闘志が宿りました。その燃えるような決意に満ちた目に赤タヌの男心は打たれたのでございます。
ここまで言われて断れる男がいるでしょうか? いや、ここで退けば男がすたる。
「みんな“高速ババア”は続行だ」
赤タヌの決定にたぬきバイクが「本気か!?」とどよめきます。
「もちろん本気だ。高速ババアを成功させる。それは次回じゃない、今ここでだ!」
リーダー赤タヌの決定に全員腹を決めました。しかし、意気込みがあるからと言って、問題点が解決されたわけではありません。
問題点は三点。
一つめは、ババアの体力がすでに限界にあるということ。
二つめは、赤い車の女性に後ろを気にしてもらわねばならないということ。
三つめは、車がもうすぐひふみ峠を抜けてしまうということ。
「ひふみ峠を抜ければ交通量の多い場所に出る。そこで“高速ババア”は目立ちすぎる。その前に決着をつけるんだ」
赤タヌの言葉に七タヌメンバーは頷きます。
「問題はどう気づかせるか?」
「ライトで照らしてみるか?」
紫タヌが案を出します。
「いや、それだとバイクの姿を見られる可能性がある。“高速ババア”とバイクが同時に視界に入ったらババア効果半減だ。それでは成功とはいえない」
「物音を立ててみたら? 例えば、小石を投げてみるとか? 運転手の注意をひけるんじゃない?」
今度は紅一点の桃タヌが言います。
「いや、運転手は運転に夢中だし、かなりの音量で音楽を流している。それに車に傷をつけてしまうかもしれない。それはダメだ」
観客である人間を驚かすことが重要な変化勝負ではありますが、観客にケガをさせたり危ない目に合わせることはご法度。もし、そんなことがあればやはり成功とは言えません。
赤タヌはじめ七タヌ達は知恵を絞りますが、こうしているうちにもひふみ峠の出口は迫っています。
車が峠を抜ければそれはもう失敗確定間違いなし。峠のカーブはあと三つ、その後はわずかな直線を残すのみ。
「秘技狐狸之道だ……」
ぽつりとつぶやく赤タヌ。
秘技狐狸之道。その言葉に赤タヌ以外の六タヌ達は驚きの声を上げました。
「秘技狐狸之道だって! 何を言ってるんだ、あれはきつねと協力するからできるんだぞ!」
「この人数でできるわけない!」
「それもこんな高速移動中に!」
秘技狐狸之道とは、歩く人間を道に迷わせ誘導する時に使われるきつねとたぬきの合わせ技。たくさんのきつねとたぬきが力を合わせて初めて成功するもので、とても七名のたぬきでできるものはありません。
「狐狸之道は人間の視界を惑わす術。今は少しの間だけ視界を奪えばいいんだ」
「でも、車はこんなに速く走っているのに?」
「確かに、車は走っている。けど、中の人間は止まっているだぜ?」
ニヤリと笑う赤タヌ。
赤タヌの妙案をともに修行を重ねてきた六タヌ達はすぐに理解しました。
「あとは、タイミングだ。カーブはあと二つ、それを抜けたら直線を残すのみ。次のカーブで仕掛けるぞ銀次!」
赤タヌが呼びかけましたが、ババアはすでに意識はなく白目をむいてただ足だけが躍動する異様な姿。
「だ、ダメだ、完全に意識を失っているよ!」
黄タヌが言う。
「起きろ銀次! “高速ババア”を成功させるんだろう!」
赤タヌの呼びかけにカクンカクンとわずかに頭が揺れる。それは赤タヌの言葉を理解して揺れているのか、走っているために揺れているのか……おそらく後者でありましょう。
「銀次! 銀次!」
「銀次起きろ!」
「目を覚ませ!」
七タヌ全員がババアに呼びかけますが、ババアは死んだように返事をしない。足は走っているものの意識はどこかに飛んでいってしまっている。そうこうしているうちに車はカーブを曲がる、ババアもこれに追従。
驚くべきことに意識を失ってなおババアは車を追うという執念深さ。たぬきバイクも果敢にこれを追いかけます。
「次のカーブを曲がったらあとは直線でアッという間に峠は抜ける。その前に勝負するしかない」
「でも、銀次が!」
黒タヌが赤タヌの足元から声を出す。
「確かにこの状況では完全な高速ババアじゃないかもしれないが、あれほど異様な姿も他にあるまい。驚かすには充分だ」
赤タヌは意識を失いながらも車を追う銀次にもう一度声をかけた。
「銀次、俺達が仕掛ける! お前は高速ババアをやりきれ!」
カーブが来る。あと十数メートルだ!
「いくぞっ! とうっ!」
と赤タヌがバイクから飛び上がった。次にハンドルだった桃タヌが続く、二匹は赤い車の天井に飛び乗り走ると巨大な暗幕に姿を変えた!
暗幕はそのままフロントガラスに張り付き視界を塞ぐ。他の四匹は暗幕が飛んでいかないように車の横に張り付いて懸命に暗幕を押さえたのでございます。
運転席では突然視界が真っ暗。驚き減速。女性は何が起きたのかと周囲を初めて気にしたのでした。
「後ろだ、後ろを見てくれ!」
赤タヌは心の中で叫びます。後ろさえ見てくれれば、これまで一生懸命走ってきたババアがいる。すでに満身創痍、疲れ切っているババアではありますが、それはそれ。この姿を見れば驚かないはずがありません。
と、その時でした。まさに奇跡としか言いようのないタイミングでそれは起きたのです。
気を失っていた銀次の意識が戻ったではありませんか。それもはっきりと、明瞭に。それはまさかの二度目のランナーズハイ。
「銀次!」
赤タヌの声によだれをグイッ拭ってババアニヤリとサムアップ。
舞台が整ったその瞬間!
車の中に響き渡る女性の悲鳴。
車はババアを振り切るように急加速。
七タヌ散開。ババアとともに夜闇に退場。
走り去る赤くてカッコいい車のテールランプを見ながら、たぬき一家は拍手喝采大歓声。
見事“高速ババア”成功と相成りました。
参
その日を境に、人間達の間ではこんな噂話が流れるようになりました。
ひふみ峠を抜ける間近になった頃、急にあたりが暗くなったかと思うと後ろから不気味に笑うおばあさんが追いかけてくる。その速さは時速八十キロ以上はあった……と。
そのお話はやがて広く知れ渡り、きつね先生一門を「さすがたぬき」と唸らせる結果となりました。
さて、この“高速ババア”成功の一件で一躍名を売った銀次はどうしたのでしょう?
くるくるから解放された銀次はそれから一週間も寝たきり状態でございました。
そんなひたすら眠りつづける銀次のそばにはくるくる製作者である御花の姿。
銀次は御花に自分に気持ちを伝えられたのでしょうか?
二匹のその後のお話は、二匹が夫婦になったという噂話が聞こえてきた頃にでもいたしましょう。