嘘からの嘘
止む気配の無い雨が軽く降り続ける薄暗い外を、コンビニから眺めながらコーヒーを口に運ぶ。
すると隣のストーカーも同じタイミングで同じものを口に含む。
そして俺よりも早くカップをテーブルに置いた。
「未夢さんとは、あまり上手くいってないのかな?」
ストーカーの声はコンビニ店内だからか抑え気味で、少し重く感じた。
「何の事ですか?」
「何の事って……その親子関係とか、未夢さんと仲良く? やっていけてるのかなって」
「どうなんだろうな……俺にはよくわかんないです」
ストーカーからの言葉はすぐには返ってこなかった。
俺はコーヒーを一口飲んで続ける。
「そもそもどういう関係が良くて、どんな関係が悪いのかって事がわからないってことなんですけど……」
自分で言って、自分から渇いた笑いが漏れた。
「別に母さんと喧嘩してるわけでもないし、言い争ってもう口を利きたくない顔も合わせたくない、なんていう事は無いし……だからといって特に仲良く親しくしてるわけでもないですよ。一緒に食事をする事もあれば別々で食べる事もある……話す日もあれば、たまに話さないで終わる日もあるっていうそんなどちらでもない関係なんじゃないですか?」
自分で言った言葉を自分で聞き返して思った。
なんか、他人について話してるみたいだと……。
話を黙って聴いていたストーカーが口を開く。
「僕が未夢さんに交際を申し込んで保留にされた時、未夢さんは恋君の事をとても気にかけていたよ」
言って、すぐにストーカーは続ける。
「いや、あれは気にかけているというより、気に病んでいたと言っていいかもしれない……未夢さんは今の君の状況をすごく心配してるんだよ」
俺の、今の状況……
俺は、何を心配されているんだ。
「そして、その事を未夢さんは自分のせいだと責めてしまっているんだと思う。だから……」
ストーカーはふいに言葉を切った。
つまり、俺が母さんに心配されてるから保留にされたって事か?
それは、保留って事になるのか?
そんなの俺の事なんか気にしないで付き合えばいいだろ、好きにすればいいだろ。
どうして母さんが俺の事で自分を苦しめるんだよ……そんなの誰が望んでるって言うんだよ。
……もっと、楽に生きればいいじゃないか。
「……」
そんな思いが心にあふれてくる一方で、その想いを心の外に発信していない自分に気付いた。
そうか……
ただ、ただ俺が母さんを苦しめていたんだな。
少しの間コンビニに流れる明るく温かな曲だけが、耳に触れていた。
そして、苦々しい声がやってくる。
「僕は、未夢さんには支えになる存在が必要だと思ってる。そしてその役割を担って、僕は未夢さんとこれからも関係を築いていきたい」
ストーカーは熱のこもった母さんへの告白を息子である俺にもしてきた。
だけど、ストーカーの話はそれで終わらなかった。
「そして、未夢さんにとってかけがえの無い存在で支えになってる君とも関係を築いていきたいと思ってるよ」
「俺が、母さんの支えになってる?」
ストーカーから発せられた意外な言葉に、つい訊き返す。
するとストーカーは告げる。
「そうだよ。この間だって、君が作ってくれた弁当を未夢さんは嬉しそうに食べていたよ」
「は?……」
……俺が、作った……作ってくれた?
「……へぇ、そうですか」
渇いた言葉が、口から零れた。
この人は、俺の事をどう気にしてるんだろう?
そんな疑問が頭に浮かんだけど、すぐに心の底へと沈めた。
それはきっと母さんへの疑問と一緒に感じた、奇妙な罪悪感のせいで。
ずっと、ちょっとずつ間違ってきて。
きっと、少しづつ傷付けていたんだと思う。
俺は母さんの事を、親として接してこれなかったんだろうな。
いつからかわからないくらい前から、人として扱っていたのかもしれない。
このままじゃ、だめなんだろうな……
俺は残りのコーヒーを一気に飲み干した。
口いっぱいに含められたコーヒーは、ただ苦かった。
俺は空になったカップを手に立ち上がって、ストーカーに伝える。
「俺は、ミヨシさんに母さんを支えてあげてほしいと思ってますよ」
正直に嘘無くはっきりとストーカーの事を認めたつもりだった。
それなのに、ストーカーは心配をしてる様な表情を向けてくる。
「僕は未夢さんだけじゃなく恋君の支えにもなれればと思っているよ。だから君にも僕の事を頼って欲しい。そして未夢さんの事を一緒に支えていってもらいたい」
そう思いを伝えてくるストーカーに出来るだけ素直な思いを告げる。
「まずは、母さんの事を楽にしてあげてください……」
一方的に告げ終えると、すぐにコンビニから出た。
朝とは違う傘を手に雨の中を一人歩いていく。
……
始めは、母さんが大変そうだったからだと思う。
母さんが疲れてたり、イライラしてるのを見たくなかった。
ただ、助けになればと思って負担を減らせればと思って、自分の事や家の手伝いをする事にした。
それを母さんも喜んでくれたと思うし、俺も嬉しかったはずだ。
だけど、だからって母さんが疲れないわけじゃないし、イライラしないわけでもなかった。
そんなの生きてれば当たり前のことなのに、俺はそれをどうにかしようと思った。
俺は自分の事はどんどんやっていき、生活に必要なことも率先してこなしていった。
今思えば、ただ自分が母さんの疲れてる姿やイライラしてるのを見て嫌な気持ちになりたくなかっただけに、なってたのかもしれない。
そうした日々の中で俺は母さんから何かを奪っていって、そして俺自身も何かを忘れていってしまったんだと思う。
だけど、そんな事にはとっくに気づいてたはずなのに、それなのに俺は何も変えられなかった。
何故なら母さんが俺に求めているだろう事に、俺はもう応える事が出来なくなっていたから。
……俺は、3メートル後ろをついてくるストーカーに向けて、呟く。
「独りになるのって、ちょっと怖いね」
(恋くん……)
もういい加減飽きてきたよ。
その呼ばれ方……