60.戦場とは?
T字路になっている廊下の突き当たりをサッと通り抜けた、月明かりに一瞬だけ照らされたその横顔。
賢吾はその横顔に見覚えがある様な気がした。
(レメディオス……?)
長い黒髪の端正な顔立ち、腰にはロングソードを携えた黒い騎士団の制服を纏った姿は何となくレメディオスの様な気がする。
しかし、賢吾はクラリッサの報告を思い出して首を横に振った。
(いや、確かレメディオスは明日の夕方に帰って来るって話だったから、ここに居る筈が無い)
こっちの世界での移動手段は馬とワイバーンと船以外にどんなものがあるか分からないが、騎士団員がワイバーンで移動する所を見た事が無いのでレメディオスもロルフも予定通り明日には帰って来るだろうと考える賢吾。
(いわゆるファンタジーな世界だから、魔法を使ったワープゾーンみたいなのがあってもおかしくは無いと思うけど……)
でも明日の夕方に帰って来るとクラリッサが言ったのであればそれを信じるし、見間違いで別人に声をかけて恥ずかしい思いはしたくないので、今の人間の事を忘れて気を取り直し鍛錬場へと向かう。
「来たわね。それじゃあ始めましょうか?」
「ああ」
「……どうしたの?」
何だか微妙な表情になっている賢吾に気がついたクラリッサが疑問を投げ掛けるが、賢吾は首を横に振った。
「いや、何でも無い。じゃあよろしく頼むよ」
「ええ。その前に幾つか質問させて貰うけど、武器を持った戦い方はした事が無いとの認識で良いのかしら?」
「そうだ。武器術はあいにく習って来なかったんでな」
首を縦に振る賢吾からそう聞いたクラリッサは、鍛錬用に用意してある自分の愛用の斧と同じ位の斧を構える。
「なら今の私みたいに、武器を持った相手に真っ向から立ち向かうのはこの世界に来てから初めてと言う訳ね?」
その質問に対しては横に首を振る賢吾。
「いや……元の世界でも何度か不良に絡まれた事があって、武器を持って追いかけられた事はあった。でもそう言う時はすぐに逃げてたんだ」
「戦った事は無いのかしら?」
「あるにはある。だけどそれは相手が大振りの見え見えの攻撃だったから、サッと避けて一撃食らわせてさっさと逃げてた」
「ふぅん……それはまぁ、正しい選択ね。明らかに敵いそうも無い相手だったら逃げるのも兵法の1つだしね」
「うおっ!?」
声のトーンを変えないまま、突如振るわれる斧をギリギリで賢吾はバックステップで回避する。
「い、いきなり何するんだ!」
本当に突然のクラリッサの行動に対して抗議の声を上げる賢吾だが、クラリッサの目つきは何処か冷ややかなままだし声のトーンも変わらない。
「いきなり? 何言ってるのよ貴方。そんな気持ちじゃ死んじゃうわよ?」
「くっ!?」
今度は鍛錬用の小型のナイフが賢吾の顔に向かって飛んで来た。
それもギリギリでしゃがんで回避する事に成功したが、クラリッサはそんな賢吾に躊躇も容赦も無く斧を振り下ろして来る。
「おわっ!?」
咄嗟にゴロリと横に転がって斧の追撃を回避し、立ち上がって再びクラリッサと対峙する賢吾。
「良い? これが戦場なのよ。今までの貴方は身の回りに一緒に戦ってくれる仲間が居たからこうして生き残って来られたわ。でも今のままの気持ちじゃ生き残る事はこの先で出来ないわね」
「……」
「戦場では何でもありだからね。今みたいに話している最中にいきなり攻撃される事だってあるし、そもそも最初のあのワイバーンの男だってそうして襲って来たじゃないの。貴方が今までどうやって生きて来たかはほんのちょっとしか知らないけど、それでも今の私から見ると戦場で生き抜く力がまだまだ甘いわね」
自分でもそれは分かっている。
分かっているだけに、こうして改めて言われるとぐさりと胸に突き刺さるものを感じてしまう。
言葉を幾ら並べ立てても、実戦でしか分からない事は沢山ある。
「……そうだな。あの船長の時も、最終的に騎士団に通報しに行った美智子とあの矢を放ったワイバーンの奴に助けられた様なもんだし、俺は……俺はもっと多人数との戦い方も覚えたい」
「多人数ね。それはまた追い追いやって行きましょう。今はとにかく武器を持った相手との戦い方をひたすら身体に叩き込んで、そして頭で考える様にしないとね」
「武器の使い方もいずれ頼む」
「ええ、それはそれでまたレメディオスとかロルフにも教えて貰いましょう。と言っても貴方は鍛錬用の武器は……使えたかしら?」
「どうだったっけ? ちょっとそれ、貸してくれ」
そう言えば本物の刃がついた武器はあの変な現象で使う事が出来なかったが、鍛錬用の武器とか防具なら使えるかも知れない。
淡い期待を胸に抱きつつ、賢吾は鉄パイプを地面に置いてクラリッサの鍛錬用の斧を受け取った。
バチィィィッ!!
「ぐぁ!?」
「うっ……や、やっぱり駄目みたいね。仕方が無いから何か武器の代わりになりそうな物……とりあえずしばらくはこの鉄パイプで我慢してくれるかしら?」
「そうするしか無いみたいだな」
この鍛錬場に来るまでに色々と武器になりそうな物を考えていただけあって、この現象が起きない物を探そうと思いつつ賢吾は再びクラリッサの攻撃に立ち向かい始めた。