59.己の限界
「ロルフとレメディオス、明日の夕方頃にこっちに戻って来る予定だって」
美智子がトレーニングを始めた次の日の昼、ようやく鷹の連絡を受けたクラリッサが賢吾と美智子に報告をしておく。
「そうか。だったら相談するのは明後日の朝になりそうだな」
「その方が良いかもね」
帰って来て早々に計画の事を話しても頭に入らないだろうし……と考えると計画提案はまだ先になりそうだ。
それまでまだ時間があるので、今日も引き続き朝から美智子へのレッスンをしていた賢吾は午後からのトレーニングメニューを昼食を摂りつつ考えていた。
だが、トレーニングが必要なのは美智子だけでは無く自分も必要であると薄々感じている賢吾。
それもその筈で、今まで自分は日本拳法しか知らずに武道の道を歩んで来た。
他の格闘技経験者も自分の知り合いに大勢居るし、実際に組み手をして新たな発見をした事も2度や3度では無い。
しかし、この世界にやって来てからは素手だけで戦う事に限界を感じている。
最初のあのフードの男と戦った時からそうだった。
日本拳法は基本的に防具を着けて組み手や試合をする武道なので、ほぼ毎日組み手をしていた賢吾でも防具が無い状態では恐怖心がある。
最初のフードの男とのタイマンでは結局クラリッサに助けて貰ったし、それから坑道でのバトルでも一緒に戦っていた騎士団員達が居たから生き延びる事が出来ている。
分隊のリーダーとの戦いでは隙を見て投げ技に持ち込めたが、こうして考えてみると今までのバトルではかなり運に助けられたと言って良いだろう。
勿論、日本拳法全てを否定するつもりは無い。
(今までトレーニングして来たから、この世界でも生き残れて来た。だけど……)
この先も同じ展開が続くとは限らないし、武器を持っている相手に真っ向から素手だけで立ち向かうのは無理だ。
だから武器を使いたい。だけど謎の現象のせいで使う事が出来ない。
それが賢吾にとっては非常に悔しいのだ。
「……ぇ、ねぇってば!」
「ん、えっ?」
「どうしちゃったのよボーッとして。何だか難しく考え込んでたみたいだけど……」
「ああいや、大丈夫だ。それよりも今日もトレーニングするだろ?」
「当たり前じゃない」
「じゃあこの昼食から30分経ったら鍛錬場に向かうぞ」
今日は美智子のトレーニングに集中しようと決め、賢吾はとりあえず目の前の昼食を平らげる事にした。
その夜、美智子が寝静まるのを待って賢吾は城の内部を1人で歩く。
彼が向かうのは鍛錬場だ。
城の中には見張りが大勢居るし、鍛錬場への道のりもいちいち案内して貰わなくても済む様にメモを取って覚えておいたのだ。昼食後のトレーニングの後、鍛錬場に迎えに来たクラリッサに「武器術のトレーニングの相手になってくれ」と賢吾は頼んでいた。
その時は「まだ仕事が残っているから、夜になってからでも良いなら付き合ってあげるわよ」と彼女が言っていたのでこうして夜の廊下を歩いているのだ。
どうせだったら美智子も一緒に……と思い誘ってみたのだが。
「今日はトレーニングで疲れたからもう良いわ。それに私は運動の基礎もまだ全然出来てないんだから武器術は早過ぎるわよ」
との言い分を聞き、ならばと賢吾は1人で夜のトレーニングへと向かう事にした。
(わざわざ武器を持って出て来たんだし、俺もしっかりトレーニングしないとな)
そして昼間鍛錬場に向かった時とは違い、彼の手には1本の鉄パイプが握られている。あの奴隷商船の船長がフードの男の矢を受けた時に取り落としたのを拾い上げた、あの鉄パイプだ。
護身用としてもそうなのだが、これを持って歩いていると言うのはちゃんとした理由があっての事。
どうやら自分は、剣や槍と言った一般的な武器と防具の類に触れたり身につけたりしようとするとあの謎の音と光と痛みに襲われてしまう様だ、と彼はふと気がついた。
だが、それと同時に気がついたのは今の自分が手に持っている鉄パイプは問題が無いと言う事である。
(と言うか鉄パイプに限定しなくとも、例えば料理で使うナイフを使っても良い訳だよな? それからもっと極端な話になればあの船から逃げ出す時に回収した様なロープで相手の首を縛っても良いんだし、手に持てるサイズの丸太があれば今の鉄パイプと同じで撲殺にも使えるよな)
ボールペンだって花瓶だって自分の着ているシャツだって、使い様によっては幾らでも武器になりえる。
そこがルールのある格闘技と、実際に殺し合いにまで発展する戦場との違いだろうなと歩きながら賢吾は考える。
(バーリトゥードって奴だな。戦場では1対多人数も当たり前だし、俺だって数少ないけどこの世界で経験して来た。日本拳法じゃ身体の構えからして1人を相手にするものだし、横方向からの攻撃にはあんまり強くないんだよな……)
全国大会まで出場した賢吾だからこそ、日本拳法の強い所も弱い所も知っている。
だからその弱い所を知り、克服する事で自分の限界を超えるのだと決意した矢先にふと、気になる光景が彼の目に飛び込んで来たのはその時だった。