5.目覚め
暗い闇の中を漂う。
(何処だ、ここは……)
自分はあの屋上からカラスの集団にタックルされて、そしてそれから目の前が真っ暗になったままの状態の筈だ……と妙にクリアな意識の中で疑問が浮かび上がる。
これが死後の世界と言う場所なのだろうか?
そうだとしたら文字通りお先真っ暗な状態だ、と思う賢吾は妙に冷静な自分に気が付いた。
人間は自分の理解力を超える物事に遭遇すると、パニックを通り越して1周回って冷静になるらしい。
地面が何だかゴツゴツしていると言う事に気が付いたり。
風が抜ける音がする事から何処かの洞窟の様な場所に居るんじゃないかと思ったり。
自分と一緒に落ちてしまった筈の美智子はどうしてしまったのだろうかと考えてしまったり。
その冷静な状況が、賢吾の目にある光景を捉えさせる。
暗闇の中に浮かび上がっている白い光。
それはまるで、夏休みに公園で楽しむ線香花火の様な小さな大きさしか無かったが、それでも辺り一面暗闇のこの空間の中ではハッキリと目立つ。
あの光の方向に向かえば何か分かるかも知れない。
あの光が天国への階段に繋がっているのか、それとも地獄への道しるべか。
その場合は前者を強く希望する賢吾は、その光へと向かって小走りで駆け出した。
結論から言えば、その光は天国でも地獄でも無かった。
少し長い距離を駆け抜けていた様で、履いているスニーカー越しのゴツゴツした感触にもすっかり慣れた頃にその光の元へと辿り着く事が出来た賢吾。
(洞窟……だったのか)
足の裏に伝わるゴツゴツしたその感触から、何か岩場の様な場所に居る様な気はしていた。
光は足を進めるに連れて大きくなって行ったのだが、それは自分が洞窟の出入り口に向かって近づいていたからだと言うのも、洞窟の外に出てみてやっと理解出来た賢吾。
そしてもう1つ気になっていた疑問も同時に解消出来た。
(この出口に近付くに連れて、水の流れる音が聞こえて来る様になってたけど……これか)
出入り口の前を通っている狭い道は、人が2人すれ違うのがやっと位の道幅しか無かった。
そんな道から入る事の出来る洞窟の出入り口のすぐ横には大きな滝があり、その滝の音が洞窟の中にまで届いていたのだろうと思う賢吾は、その瞬間ハッとした顔付きになった。
「……って、美智子……美智子はっ!?」
辺りを見渡して、大声で幼馴染の名前を呼んでみる賢吾だが、それに反応する美智子の声は無い。
「くそっ……この辺りには居ないのか? おおーい、美智子ぉーっ!! 返事しろおおおっ!!」
そばの滝の音で声がかき消されてしまっている可能性も大きい以上、余り大声を出して体力と気力と喉を消耗してしまってはまずい。
そもそもここは一体何処なのだろうか?
あの工場の跡地とはまるで別の場所に居る事だけは分かるので、色々考えるのは後回しにしてポケットのスマートフォンで場所の確認をする賢吾。
「……ダメか……」
切り立った崖の上から眼下に見えるのは、どう見ても何処かの山の中の景色。
こんな所に携帯電話のアンテナが設置されている可能性は限りなく低いし、衛星による位置情報をキャッチするのにも限界がある。
だからこそ、このスマートフォンの画面に表示されている「位置情報を取得出来ません」と言うのは賢吾にもある程度予想出来ていた。
それと同時にインターネットはおろか、電話回線でさえも繋がらない状況になっているこのスマートフォン。
(そもそもアンテナが立ってないんじゃあ、電波を必要とする全ての通信機能は駄目だろうなぁ)
となれば美智子に電話をかけて、今何処に居るかと言う事を聞き出すのも出来なさそうだ。
こんな状況なのに、賢吾の頭は妙に冷静だった。
いや、冷静と言うのは間違いでパニック状態は継続中だ。それが1周回って冷静みたいな状態になっているだけであり、もう少し現実が見えて来る様になればこの状態から本来のパニック状態へと戻る事になるだろう、と川が流れている崖の下を見下ろしながら賢吾は思っていた。
と、その時賢吾の目が何かを捉えた。
「んっ、何だあれ……」
滝の下から続いている道の途中に、何か人みたいな形の物体が横になって置かれているのが見えた。
滝は大きいと言えども幅の話で、長さはそれほど無い。
その上から下に流れ落ちる距離はおおよそマンションやビルの2階分位の高さしか無いので、地上から3階部分のこの場所で晴れ渡っているだけあってその物体は賢吾の目にも良く見える。
(まさか人が倒れているのか?)
良く良く目を凝らして見てみようとするものの、視力がそこまで良い訳では無い賢吾にはこの場所からではこれ以上の確認は無理だった。
アフリカに住んでいる部族並みに目が良かったら……と思っても見えないものは仕方が無い。
人かどうかのまだ確信は持てないけど、もしかしたら自分と一緒に屋上から落ちてしまった美智子かも知れない。
とにかくその物体が何なのかを確認する為に、まずはこの滝から続く道に沿って賢吾は歩き出した。