2.闇夜のカラス
なのでそのカラスを追うのは諦める。
このまま先に進むと嫌な予感がする。
あのカラスは何だか普通のカラスでは無い……と賢吾も美智子も思ってしまったからだ。だからここは諦めて、新しいスマートフォンを契約しに行ってからカラオケに行こうと美智子は賢吾に提案し、賢吾も了承した。
だが、そんな2人の様子を見ていたカラスはクイックターンで2人の元に戻って来る。
そしてくちばしを使って賢吾をドスドスとつつく。かなり痛い。
「おわっ、い、いててっ!? 何だよこの野郎!?」
「賢ちゃんっ!?」
やっぱりこのカラスはおかしい。まるで自分達をこの廃墟となった工場に誘い込んでいる様である。
でなければこんな行動、普通のカラスがするとは思えないからだ。
反撃でストレートパンチを放つ賢吾だが、翼を持っているカラスはそのパンチをヒラリと回避。
更に繰り出される右回し蹴り……日本拳法では回し蹴りはしないのだが、蹴り技のバリエーションを増やす為に賢吾が自分でトレーニングしていたその回し蹴りも易々と回避される。
カラスは小柄な的なのでただでさえ攻撃を当てるのは至難の技なのに、翼でスイスイと空中を移動出来るのだから人間を翻弄する事なんていとも容易いのかも知れない。
一体このカラスは何がしたいのだろうか?
野生のカラスとは違う動きをしているし、普通は集団行動をするカラスがこうして単独で襲いかかって来るのもまた珍しいのでは無いかと賢吾も美智子もイライラしながら思っていた。
だったら逆の行動を取るまでだと考え、カラスから距離を置く賢吾。
それを見て美智子も距離を取った。
「やっぱあのカラス変だ」
「一字一句同感ね。誰かのペットが逃げ出したのかしら?」
「カラス飼ってる人はそうそう滅多に居ないと思う。もし誰かのペットならしつけのしの字もなってないな」
「本当ね。で、どうやら私達に用事がある様に見えるのは気のせいかしらね?」
目の前でバサバサと翼を動かすカラスを見据えながら、ここは美智子に頼んで先に警察に連絡して貰う賢吾。
どっちにせよ人の持ち物を掠めとる様なこんな危なっかしいカラスが居るのであれば、さっさと捕まえて貰わなければいけない。
「もしもし、警察ですか?」
美智子が警察に電話をし始めたのを横目で見て確認した賢吾は、自分のスマートフォンを持ったままのカラスにもう1度視線を戻した。
(やっぱ変だ……このカラス)
掠め取って行くだけなら分からないでも無いが、その後にUターンして自分達を挑発する理由がまるで分からない、
得体の知れない違和感と恐怖を覚えている賢吾に、電話を終えた美智子が声を掛ける。
「警察の人、大体10分位で来てくれるって」
「ああ、それは良いんだが……」
その電話が終わるまでの間も、このカラスは目の前で羽ばたいたままこちらの動きを待っている様にしか見えないと思う賢吾。
惑わされるな。
このままこのカラスに惑わされてはいけない。きっとこのカラスはまだ何かを企んでいる。
賢吾も美智子もそう思いながら、カラスとの睨み合いの時間は続く。
そして警察が来るまでこのまま待機せざるを得ないだろうと考えるのだが、カラスは不穏な空気を察知したのだろうかカラスはスマートフォンを地面に落としてそのまま工場の中に向かって飛び去って行った。
「はぁ……ようやく終わったみたいだな。全く、とんだ道草を食っちまったよ」
「人騒がせなカラスだったわね。でも結果的にスマートフォンも戻って来た事だし、これで何の心残りも無くカラオケに行けるわね」
だが、既に警察を呼んでしまったのは事実である。
「なぁ……警察はどうする?」
「上手く誤魔化しましょう。それしか無いでしょうしちょっと小言言われる位なら大丈夫よ」
「そう……だな」
それならそれでもう大丈夫だろう。
本当にはた迷惑で変なカラスだったなと考えながら、2人はひとまずこの敷地内から出ようとする。
しかし、そんな2人にさっきのカラス以上の物凄い存在が襲い掛かって来た。
グルル……と何かの唸り声の様な音が2人の耳に聞こえる。
「え、賢ちゃん何か言った?」
「いや何も言ってないけど……美智子じゃ無いのか?」
「ううん違うわ。何かしら、この音……?」
それと同時にザシザシと言う、砂利の地面を踏みしめた時の様な音……それも規則的なものである事から、これは足音だろうと賢吾も美智子も考える。
音はだんだん大きくなる。
その音の主は2人の方に向かって確実に近付いて来ていると言う証拠なので、思わず2人も身構えた。
しかも良く良く聞いてみると、その足音は複数の人間のもの……と言うよりも何か四足歩行の動物の足音に聞こえる。
だとしたら一体何が現れるのだろうか?
小型の犬だろうか、それとも猫か。
はたまた別の「何か」なのだろうか?
さっきの不気味なカラスの事もあって、普通の動物のシルエットでも油断は出来ない。
その身構えた状態をキープしている2人の前に、「それ」が現れたのはすぐの事。
そのシルエットは四足歩行で黄色い大きな身体を持っており、フサフサした体毛と足の爪、そして獰猛そうな顔……誰がどう見てもライオンだったのだ。