119.背水の陣
屋敷はかなり大きかった。
大きさのレベルとしては、例えば王都シロッコのあの王城や地球のベルサイユ宮殿だとか皇居の広さには及ばない。
しかし中型の城のレベル位はあるだろうと思われるその大きさに賢吾は驚き、同時に少し恨めしく思ってしまう。
(無駄に広い建物作りやがって……走る距離が増えるじゃないかよ!!)
心の中で恨み言を呟きつつ、屋敷の裏手に回ってみるとそこにも森が広がっているのでその森の中に飛び込む賢吾。
森の中には人工的に切り開かれている道があったので迷う事は無さそうだが、自分の耳に気になる音が聞こえて来た。
(あれ、この音……)
ごうごうと盛大に水が流れる音。
その音は自分が走り抜けている方向から聞こえて来るので、賢吾はとても嫌な予感がする。
(この音ってまさか……)
もしかして、いや……もしかしなくてもこの音に聞き覚えのある賢吾だったが、その音に交じって後ろから別にかすかな音が聞こえて来る。
自分とは違うスピードで、土や草を踏みしめながら走り抜ける足音だ。
(やっぱり追われてるな……!)
この森の中だったら色々と身を隠せる場所があるし、何より自分の小柄な体格であれば多少その身を隠せるスペースが小さめだったとしても何とかなるだろうと思っていたのだが、そう思っていた矢先に不意に道が途切れた。
「……うおっとっとぉ!?」
本当に不意に道が途切れた為、ギリギリの所で踏みとどまる賢吾。
その途切れた所は何と崖。
そして崖の近くにはさっきから聞こえて来ていた水の流れる音の主である、大きな滝が崖下に向かって伸びていた。
水の流れる音の正体はこれだったのか……と滝に近づいてそーっと確認する賢吾だが、そんな彼の後ろからはさっきから彼を追いかけて来ていた足音の主が追いついて来てしまった。
滝の音に若干かき消され気味だったその状況で後ろから聞こえた限りでは、足音の主は1人だけだった。
あの赤髪のリーダーか、それとも狼獣人のコックか、はたまたイルダーか。
いずれにせよここで戦わなければいけないと言うのは決まってしまった様なので、この足場の悪さに気を付けると同時にどうにかその悪さを逆に利用出来ないかと考えつつ賢吾は振り返る。
しかし、そこに立っていたのは自分がシミュレーションしていた追っ手の3人の誰でも無かった。
「なかなか素早いのは分かっていたが……残念だなぁ、ここは俺のテリトリーなんだよ」
「なっ……」
勝ち誇った様に、そしてキザっぽくその淡い金色の髪を茶色の皮手袋をはめた左手でかき上げるのは、賢吾のライバルとも言える程に因縁のある、さっきも賢吾が見かけたあのフードの男であった。
「あーあ、どうしてそうやって苦労する道を選ぶんだ? 俺達と一緒に来れば身の安全が保障されるって言うのに」
「身の安全だと? 今の所は身の危険しか俺は感じていないがな。食堂の連中やあの分隊のリーダーと結託して、色々と何かを企んでいるらしいが……睡眠薬で俺をここに拉致して来たのもその企みの一環なんだろ?」
怒り交じりの賢吾のその問い掛けに、フードの男は納得した様に頷いた。
「へぇ、なかなか鋭いね」
「誰でも分かるよこんなの。だけどなぁ、これ以上御前達の好きにはさせない。この事を早く騎士団に伝えないといけないからな」
それを聞き、フードの男は背中に背負っていた弓をと矢を取り出してその矢をつがえる。
「そうか。それならこうしてでも君を止めなければならないみたいだね」
「俺に死んで欲しくないからか?」
「それもあるし、騎士団の所に行って欲しくないって言うのもあるからね。このまま逃げられて騎士団の所に行かれたら、俺達にとっては非常に厄介な事になってしまうからな」
矢をつがえたままじりじりと歩み寄って来るフードの男。
それに対する賢吾の後ろには、今も大量の水を上から下へと流し続けている滝しか無い。
(まずい……まさに背水の陣だ!!)
中国の武将が味方と共に川を背にして撤退出来ない状況にさせ、モチベーションを上げて敵を打ち破ったと言う意味のその言葉。
だが、今の賢吾にはそれが出来そうに無いので男がじりじりと歩み寄って来るのに合わせて自分もじりじりと後ずさる。
「動くな! それ以上動けば滝に落ちるか、この矢が君の身体に穴を開ける事になるぞ。そのまま両手を上げて無抵抗の意を示し、後ろを向いてゆっくりひざまずけ!!」
男の警告に賢吾は従うつもりは無い。
それにまだ美智子が見つかっていないし、ここに美智子が居るとしてこのまま美智子をここに置き去りにしたままで良いのか?
でもここで捕まってしまったら、自分を追って来ていたあの3人や自分に弓を向けている目の前のフードの男に何をされるか分からない。
どうすべきか決めあぐねている賢吾に、男が最後の警告を発する。
「後ろを向くんだ。矢で穴だらけにされたいのか?」
怒気を含んだ急かす様なその口調に、賢吾は両手を挙げたまま後ろを向いてゆっくりとひざまずいた。
「よーし、それで良い。全く手間をかけさせるものだ……」
フードの男が弓を下ろしたのが背後の気配で分かったその瞬間、賢吾はカッと目を見開いて目の前に見える滝つぼ目掛けて一気に飛び込んだ!!
「うおああああああっ!!」




