113.アクロバット
騎士団の総本部の1階にある食堂まで下りて来た2人は、食器の返却口にトレイごと食器を置いてから従業員達に話しかけた。
「コック長って居ます?」
「あー、今は買い出しに行ってるよ。昨日の事だろ? だったら夕方まで待っててくれ」
「夕方か……」
「じゃあ仕方無いわね。夕方にまたここに来れば良いのかしら?」
「いや、食堂の宿舎に直接来て欲しいんだ。夕方の仕事終わりの鐘が鳴るだろ? その頃に入り口で俺が待ってるから」
耳が垂れていたバスタードソード使いの狼獣人にそう言われ、色々と言う気満々で来たと言うのに、何だか肩透かしを食らってしまった賢吾と美智子。
ちなみにこの狼獣人、自分のフリフリエプロン姿をどうやら気に入っているらしい。
仕方が無いので今日もトレーニングに入る賢吾と美智子。
昨日負けてしまったショックを何時まで引きずっていても仕方無いので、気持ちを切り替えてやるしか無い。
本当だったら昨日の反省を活かす為に廊下等でトレーニングをしたいのだが、警備の騎士団員に怒られてしまうのがオチだろう。
なので今日も何時もの鍛錬場でトレーニングを始めた2人だったが、その途中で美智子が賢吾にこんな事を聞いてみる。
「そう言えば、賢ちゃんってアクロバットは出来るんだっけ?」
「アクロバット?」
「うん。ほら……宙返りとかバック転とかの体操選手がやる様なあれよ」
「あー、一通りは出来るけど使う事は滅多に無いよ。そもそも日本拳法に必要無かったし……」
高校の器械体操の授業では、マットを使ってそうしたアクロバットをするものもあった。
実際にテストでもその種目があったが、その頃はまだ宙返りが出来なかった賢吾はそこでマイナスポイントになってしまった苦い経験がある。
その為にその後で猛特訓し何とかバック宙、側宙、前回り宙返りまでは出来る様になったが、自分自身で言う通り体操選手では無いので自らアクロバットを披露する事は普段は無い。
「そう言えば賢ちゃんがそう言うアクロバットしているのって全然見た事無いわね」
「ああ。やりたいのか?」
「出来る様になったら格好良いかなって」
美智子にそう言われた賢吾は持っていた鉄パイプを地面に置き、少し考えてみる。
「んー、確かに美智子は身体が元々柔らかいもんな。今って何処まで足が上がるんだっけ?」
「えっと、この位ね」
手を使って右足をゆっくりと上に持ち上げ、足の甲と胸の位置が一直線になる位まででストップ。
「ほう、なかなか上がるもんだな」
「ちなみにブリッジも出来るわよ」
地面に仰向けに寝て、そこから足の力と腕の力を使って身体を持ち上げる。
そこそこ綺麗なアーチを柄がいて人間ブリッジが出来上がったので、そこから賢吾がアシストする。
「それじゃあ俺が背中と足を持つから、そのまま後ろに回ってみるか」
「あ、お願い」
左手で背中、右手で足を支えながらゆっくりと美智子の視界を縦に回しに掛かる賢吾。
これがバック転の基本的なスタイルである。
「よっ……と。こうやって後ろに回るのはアクション映画とかでも良くあるよな?」
「ええ。でもテレビで見るのと実際にやってみるのじゃ大違いね。何時もと見える景色が違うんだから」
「そうだな。バック転に限らず、アクロバットに必要なのはまずその見える景色の違いに目と頭を慣らす事。それからスピードが無いと途中で失敗して、骨を折ったりしてしまう危険がある。最後は自分自身の恐怖心との戦いだ」
景色がグルリと回転する事なんて、それこそ遊園地のジェットコースターにでも乗っていなければ普段の生活ではまずあり得ない事だ。
だからその非日常的な光景に、目だけでは無く頭も慣らさなければ底から恐怖心が生まれて来る。
初めてチャレンジするものに対して、人間には好奇心が生まれるのと同時に恐怖感を覚えるのはごくごく自然の事。
ましてやアクロバットな動きをするとなれば、良く言われるのがアクロバット中の事故。
打撲等で済めばまだ軽い方だが、骨を折ると言っても重い頭を下にして地面に落下してしまう可能性も十分に高いアクロバット競技では、頚椎を損傷して身体が麻痺したり最悪の場合は死に繋がったりもする。
だからこそアクロバットのトレーニングは慎重にやらなければいけないのだ。
「基本的な動きにまず身体を慣れさせないとマジで怪我するからな? スピードは身体が慣れて来れば自然と後からついて来るけど、1つの技で基本的な動きがしっかりマスター出来るまではアクロバットは全て教える訳には行かないな」
「……分かったわ」
安全面での賢吾からの注意には美智子も真剣な表情だ。
「じゃあ、今日はバック転の練習?」
「いいや、今日は跳ね起きだ」
「跳ね起き……って、勢いをつけて飛び起きる事だっけ?」
「そう、これだ」
地面に仰向けに寝て、一旦両足を思いっ切り自分の方に腰から引き寄せてから腕と膝の力を使って身体を跳ねさせてスパッと一気に立ち上がる賢吾。
「ああー、アニメとかで見た事あるわね」
「これはブリッジの応用みたいなもんだ。それじゃ、まずは昼飯までこれを練習するぞ」