109.逃げろ美智子!!
エルマン・マイヤール、イルダー・シバエフ、ウルリーカ・シンベリの3キャラを登場人物紹介に追加。
「コック長、例の男は少しずつですが確実にこちらに向かって進んで来ています」
コック長の部屋に入って明朗な声で報告をする部下の狼獣人に、トレーニング中とは言え食材輸入等に関しての書類の処理がまだ残っているので、その書類を少しずつ処理していたコック長は顔を上げる。
「ふうむ、それなりにやる様だな。だが私は御前達を信頼しているから、あの男をしっかりと食い止めてやれ」
「はっ!」
騎士団の食堂で働いている事で影響された、右手を自分の左胸に当てる敬礼で狼獣人は了承の意を示してコック長の部屋を出て行く。
その背中に大きなバスタードソードを携えている狼獣人を見送り、自分のデスクの近くで相変わらず縛られたままの状態でいる美智子に目をやるコック長。
その美智子は今の狼獣人の動きや返事が気になったらしい。
「もしかして、今の狼の人って騎士団に所属していたとか?」
「いいや全然。あの男もこの食堂に勤めてもう15年以上になるが、やはりそれだけ騎士団が身近な存在だと色々と影響されるんでね」
「ふーん、そうなの。だったら私達みたいに騎士団の鍛錬場を使わせて貰ってトレーニングしたりしてるの?」
「している従業員も居るが……大抵はそのまま真っ直ぐこの宿舎に帰って来る一般人だ。それに騎士団の鍛錬場を支えるのは食堂に勤め始めて丸3年経ってからだから、その前に辞めて行く従業員は勿論使えない」
長年勤めていれば色々と融通も利くらしいが、セキュリティ的な意味での制約もキチンとある様だ。
「それを考えると私達って凄い部外者の筈なのに、結構あっさりと使わせてくれたものよね。でもそのおかげで私も身体を動かす習慣が身に付いたから良いけど」
「身体を動かすのは嫌いか?」
「元々余り好きな方じゃ無いわね。でもこの世界じゃ何時こう言う状況になるか分からないんだし、トレーニングだって私が自分から賢ちゃんに頼んで教えて貰ってるんだから。毎日激しいのよ、賢ちゃんは」
ガタガタと身体を揺すって、縛られたままの状態で精一杯の表現をする美智子。
時と場合と見る人によっては途轍も無い誤解を招くその動きだが、美智子には勿論そんな魂胆も他意も無い。
単純に感情表現の為だけにこんな紛らわしいセリフと動きをしている訳では無く、あくまで自然な流れを装った上での脱出の作戦なのだから。
あの商人に売られそうになった時も同じ様に両手首を後ろ手に縛られていたのだが、その時はそばに机の角があったのでそれを使ってロープを解く事が出来た。
だが今も机がそばにあるとは言えテーブルの角は欠けていない丸い形だし、もし仮に欠けていたとしてもデスクで執務作業をしているコック長にはすぐにばれてしまう。
だったら別の部分を解こうと最初に考えたものの、身体全体を動かしていても同じ様にすぐにバレてしまうので、椅子の後ろで縛られている手首の部分だけでも何とかロープを解こうと先程から美智子はその両手首を動かしまくっているのだ。
そして気が付いたのは、ロープと言うものは余り強度のある物では無いと言う事。
(ロープって意外ともろいのね……!!)
椅子の背もたれの後ろが壁になっているのが幸いし、怪しまれる事無く美智子は少しずつロープが緩んで来ているのをその手首の感触で感じ取っていた。
だがここでうっかり口元を緩ませようものなら、それだけでコック長が怪しんで美智子の様子を確認しに来るだろう。
女の演技力は高いのだと、地球に住んでいた時には良く言われていたものである。
(体力や筋力ではどうしても女の私は男には敵わないわ。根本的な身体の構造が違うんだからね。だけど男よりも女が優れているのは他人の心や言動を的確に見る事が出来るその洞察力、それからその洞察力で見抜いた相手に対して、しっかりとそれに見合った言動で対応する事が出来る演技力だって言われているんだからね!!)
まだ20代になって数年の美智子だって、そう言う演技力で色々と得をした事があったし損をした事もある。
ぶりっ子な女になった事もある。明るい女になった事もある。暗い女にも、知的な女にだってなろうと思えばその場限りでなれたりする。
ただしあくまでも「その場限り」。長くその状況を保とうとすればきっと何時かボロが出て来てしまう。
それに女は確かに演技力が高いものの、例えば「1度思い込んだら止まらない思い込みの激しさ」や「客観的に物事が見られず、自分の感情を優先する」との分析結果もある。
勿論全ての女がそうとは限らないし、男にだってそう言うタイプは五万と居る。
その女の演技力の高さから来るメリットもデメリットも頭の中に入っている美智子は、椅子の後ろで段々緩んで来たロープをごくごく自然に外す為に戦いつつも、この自然な演技を何処まで続ける事が出来るのかと言う自分の精神状態とも同時に戦いながら、この場所から逃げ出すシミュレーションを頭の中で思い浮かべる。
(問題はこの後、手首を解いてからの腰や足のロープよね……)
あからさまに解こうとすればバレてしまうので、まずはとにかく手首のロープを外し切るべく美智子は手を動かし続けていた。