歌う、ように、踊る
拍手。
何?
少し離れた所が階段になって、所狭しと人が並ぶ。
数千の目が、自分を見ている。
「さあ、歌ってくれよ」
梨果は驚いた。
栗色の髪……。
さっきの美形青年が、自分を待っていた。
王子のような服に着替えている。
美形青年が片手を差し出した。
梨果はその手を取って、ごくりと喉を鳴らす。
夢だ。やっぱりこれは、とっておきの大切な夢なんだ。
梨果は歌った。
緑のー山からー流れる川ー 白ーい氷ーの美ーしさ
「いい声だね、君の声は素晴らしい。噂通り、女神のような美しさ」
ぽてー。
梨果は思わず美形青年に見とれていた。
「さあ、行こう。私達が行くべき場所へ」
美形青年は梨果をエスコートする。
その時、美しい音楽が鳴った。
まるでバイオリンのような音色だった。
梨果は気づけば、美形青年の青い目を見ながら、ワルツに似た踊りを踊っていた。
まさに夢のひと時。
そこへ。
「女神様! 女神様なぜ舞台に!」
レアルだった。
もう、邪魔なんだから。
「女神様! お助けします! こちらへー!!」
レアルがぶんぶん両手を振っている。
梨果は深夜、レアルが踊った不恰好な踊りを思い出す。
ズンドウズンドウゴトゴト、ズンドウドッコイ……。
梨果は心の中で首を振った。
やっぱり美形青年の所へ行くわ!
梨果はエスコートを受けながら、階段に囲まれた広い広場を横切り、出入り口へと入って行った。
「女神様……?」
レアルはこのままじゃマズイ、と思った。
儀式が……、シアトロルが……。神官としての地位が……。
しかし、なんで女神様が円形劇用の女優に?
いやいや、そんなこと、考えている場合ではないのだ。
何かがマズイのだ。
円形の広場の横。
入口の先にある建物の中。
美形青年は、梨果の手を離さなかった。
それどころか肩を抱かれる。
「今の君は美しい」
え?
「このまま、あなたを本当にお連れしたいくらいだ」
ときめいた。
一緒に連れて行ってください。
その言葉は喉の所で止まった。だってニートだし。
「僕が案内できるのはここまで。さあ、進むんだ」
梨果は美形青年を見た。
どこか憂いを含んだ表情で、梨果を見ている。
その顔が隅々まで綺麗だ。
「助けてくれてありがとうございます」
例えニートでも、挨拶は大事。
美形青年は首を振った。
「さあ」
美形青年に促され、梨果は後退る。
「あの、その、せめて、名前だけでも……」
「僕は」
梨果は何かに躓いた。
そして、後ろに倒れそうになる。
「きゃあ!」
「キャラメル」
美形青年の声。
梨果は暗い暗い穴に、体が吸い込まれて行くのを感じた。
美形青年キャラメルはひっそりと口の端を吊り上げた。
どうなっているの? 私……?
ひょっとして、現実世界に戻れるの?
声が聞こえる。
「女神様ー! 戻って来てください!! お願いしますー!」
あー、レアルの声だ。
これでレアルともお別れかあ。
さよなら、レアル。
手首をつかまれた。
「一人にしないで、女神様ー!」
お世話になったね、レアル。
「戻って来てください、お願いしますー」
そんなこと言われても。
「僕には、女神様が必要なんです」
「あんたなんか必要ないわ」
会社で、先輩に言われた言葉を思い出した。
あんなに、必要とされないことが当たり前だったのに。
今、自分は必要とされている。
ウカツ。
ああ、何だか、涙が出る。
遠くから、声も聞こえる。
キャーオ様! キャーオ様! キャーオ様!
私は、必要とされたい。
真っ暗闇の中、梨果の体が、藍色に光った。
レアルが、自分を抱えるように抱きしめていた。
「僕の力じゃ、落ちる速さをゆっくりにできるくらいで」
白い光が、レアルの体から出ていた。
「皆が呼んでいます、女神様」
梨果は、心が揺れ動くのを感じた。
勿論、鈍感な梨果は、その心の揺れに気づいていないのだが。
藍色に光った梨果が、レアルを連れて、上がって行く。
上へ上へ上へ。
建物の天井を突き抜け、もっともっと。
さらに上には崖。
大神殿イキテールの自分の部屋。
空と、大神殿イキテールの境目。
レアルと梨果は、舞台のようになったそこへ、着地した。
「キャーオ様だ!」
「いなくなったという噂は、嘘だったんだ!」
そんな噂があったんですね。ま、儀式に出なければ当然かもしれない。
崖の下には、数えきれないほどの民衆が集まっていた。
何が何だかよくわからない。
けれど、必要とされている。
不思議な嬉しさを、梨果は感じた。
梨果は踊った。
音楽もなく、たった一人で。
おかしな踊り。
けれど皆が喜んでくれる。
それだけで、なんでだか、もう、十分だ。
何度か踊りを踊った時。
「女神様、手を振るんです」
脇に抱えられていたレアルが、今は床に伏せていて、囁く。
「え? こう?」
ぶんぶんぶん。
梨果は思い切り、手を振る。
ずっとずっと崖の下から響く拍手が、ここまで届く。
「キャーオ様!」
歓声と拍手を聞きながら、梨果は、そっか、と思う。
私、必要とされたいんだ。