届く、と思うと、届かない
ここは神官見習い達が集う場所。大神殿イキテールの学舎が立ち並ぶ、急な下り坂。
この坂を風のように、何かが走る。土煙が舞う。
見習い達は思わず両手を上げ、土埃から目を守った。
しかし誰か勇気のある者が、薄目を開けて、土埃の中にある何かを見た。
「あれは……神官レアル様!!?」
レアルは、それこそ神の如く、猛烈な勢いで坂道を下っていた。
「キャーオ様! キャーオ様!」
初めのうちは機嫌の良かった梨果だが、いつまでもキャーキャー言われて困っていた。
おまけに、このヘンテコなよくわからない像の上、ゴツゴツしていて、痛い。
梨果は、しかし、痛みを顔に出さない。
キャーキャー言われる機会なんて、例え夢の中でも滅多にない。だってニートだもの。
梨果はおかしな所で現実的だった。
試しに両手を上げる。
すると民衆はひどく喜ぶ。
キャーキャーキャーキャー。
でも疲れた。
ヘンテコ像の上から降りるには、また魔法みたいなものを使わなくてはいけないんだろうな。
夢の中だし、使えるかな。
だけど、さっき魔法を使えるまで時間がかかった。
痛い目には合いたくない。それが夢の中だとしても。
梨果は、珍しく、苦悩していた。
しかし。
「女神様―!」
残念。救世主が現れた。
「女神様! お迎えに参りました! レアルです!! 先程お会いしました、レアルと言いますー!!」
レアルはまだ小さな体と、隠れた身体能力を活かし、民衆をかき分け、聖なる女神像の下まできた。
「あ、ターザン」
梨果はレアルに気づいて、余計な一言を言った。だが、梨果にとっては幸運なことにその言葉は誰にも聞こえない。
「女神様ー!! こちらに来てくださいー!! お守りしますー!!」
両腕をブンブン振る、レアル。
キャーキャーキャーキャー。
民衆の騒めく声。
「え? こめかみ、きてるんじゃない??? 失礼ね、私は、おでこが大きいのー!!!」
梨果は大声を上げた。
「女神様が何か言っているぞ」
「きっと、有難いお言葉に違いない」
民衆は感極まり、一斉に最敬礼を取った。
その中で、一人、レアルだけが残った。
レアルは手を差し伸べた。
「さ、女神様、大神殿にお連れ致します」
今度は梨果の耳にも、はっきりと聞こえた。意味はよく理解できなかったが。
とりあえず、ターザンについて行ったら大丈夫そうね。
梨果は「えいっ」という掛け声と共に、聖なる女神像を飛び降りた。
レアルは女神を両手で受け止めた。
その頃、大神殿イキテールの一室。
大巫女ヒビーコは、厳かに上級神シアーに祈りを捧げていた。
最敬礼をした後、祈りの舞を踊る。
「ヒビーケサカーエメグーミ、ヒビーケサカーエメグーミ」
祝詞がいつもより有難く聞こえるのは、気のせいだろうか。
心の中で、ヒビーコは実際よりもさらに激しく踊っていた。
(女神様が来るのを予言したのは私。この調子で女神様が予言を叶えてくれたら、私は大神殿イキテール、歴代最高、伝説の大大巫女になれるわー。ホホホ!!!)
「はあっ!!!」
ヒビーコは強く地面を踏んだ。
(伝説、もらった!!)
心の中の不謹慎な言葉と共に、舞は終わる。
「ヒビーコ様、ご機嫌ね」
「それって、やっぱり、予言が当たったからよね」
周囲の巫女達はコソコソと噂した。勿論、大巫女ヒビーコには聞こえていない。最近の老化で、耳がほんの少しだけ遠いのだ。
巫女達は最後に最敬礼をする。
バーン! ドンガラガッシャン!!!
そこに現れたのは、馬に乗った女神と神官レアルだった。
大巫女と巫女達は、土埃だらけになった。
「良いですか、女神様。女神様たるお方は、大神殿の中で馬に乗ったりしません」
大巫女ヒビーコは、最敬礼するのをとっくに忘れて、お説教をした。
「えー、そう?」
と、梨果。
「さようで御座います。神官達が世も終わりかと嘆いていることでしょう」
梨果は金の椅子に座り、木の実を齧りながら、首を傾けた。後ろでは、巫女の少女が梨果の髪に櫛を通そうと苦戦していた。
ちなみに、レアルは馬を馬屋へ戻しに行っている。
「ね、わかんないんだけれど……。この夢の中では、私が、女神なの?」
「さようです。それと、ユメノナカでは御座いません。世界は、シアトロルなので御座います」
「ユメノナカじゃないのかー。ふーん」
ヒビーコの言葉を聞きながら、また大きな口で、木の実を齧る。
「ユメノナカじゃない……ユメノナカ……、……え????」
梨果の使っていない頭に、チラリとある考えが、浮かんだ。しかしそれは一瞬で消える。
「ま、夢だし」
夢の中って、苦労とかなくっていいなー。
ずっと椅子に座っていれば、何でもしてくれるし。
あ、でも現実世界でも寝っぱなしだから、変わんないけれどね。
「はははは、うふふふふふ」
女神の行動を、ヒビーコは理解できなかった。
やはり、これが、人間と女神の差に違いない。
「とにかく、女神キャーオ様のお迎えを祝福する為の儀式が、これから始まります」
「儀式!? めんどくさ!!! なんでそんなことするのー?」
大巫女は一瞬、イラッとした。
しかし相手は女神。これもきっと上級神シアーが与えてくださった、試練だ。試練。
「キャーオの塔に舞い降りた、女神様。この世界の危機を救うには、あなたのお力が必要です」
大巫女、床に頭をつけた。最敬礼だ。
大巫女は汗をかいていた。大巫女だって、大変なのだ。
「キャーオの塔?」
「はい」
ヒビーコが返事をする。
どういうこと?
梨果は自分がキャーキャー言われることに、やっと疑問を持った。
大巫女は、梨果を神殿の最深部へ連れて行った。
「あれが、キャーオの塔で御座います」
中庭の真ん中に巨大な細長い岩が生えていた。
「あの塔の上にお住まいの方が、女神キャーオだと言われています」
梨果は見上げるほど高いその岩を見た。
高い。高すぎる。
「あなた様は、あの上から、塔の先端に舞い降りていらっしゃいました」
ヒビーコが言う。
「て、ことは、あの上が現実世界かあ」
梨果はジャンプをした。
「てい、えい、えい」
一生懸命に手を伸ばす。
「女神様?」
そこを通りかかったのが、レアルだ。
女神様、何をしているんだろう。
「はあ!」
梨果は躓いて、後ろに倒れた。
そのまま横になる。
芝生の上だ。
蝶が揺れるように鼻の上を飛ぶ。すぐに上へ上へと飛んで行き、見えなくなった。
久しぶりに動いたので、息切れがする。
「遠いなあ……」
ぼっそり、梨果は呟いた。
暫く父の料理も食べられないのかなあ……。
この時、女神が少し、はかなげに、しかし、ちょっと可愛く見えたのは、なぜだろう。
レアルは、自分に、何度も問いかけるのだった。