女神様、再び、外へ
会議の間。
四方を全て壁に囲まれたこの部屋は、大神殿イキテールの中枢、キャーオの塔に近い所にある。
「女神キャーオ様へ神聖キャー文字をお教えする為の学者が到着致しました。が……」
神官長エンドルが珍しく言い淀む。
「どうしたんだ?」
と、椅子にどっぷり座って大好きなお茶を飲む大神官フアウザ。
「皆、クセがある者が多く……」
一人目。
「物を覚えるには、五感を研ぎ澄ませなければならん! よって、体を動かしながら覚えるのじゃ!」
神聖キャー文字の「あ」を尻文字で描くお爺さん先生。
女神キャーオは「筋肉痛だから」と言って、必死に拒んだ。
二人目。
「女神キャーオ様ならば、上級神シアーから文字が降り注ぐはず。心を落ち着けて……精神統一です」
静かすぎるその男は胡坐をかき、手を上向きにして、精神統一。ひたすらに時間だけが過ぎた。
女神キャーオは男を眺めながら欠伸をし、昼寝をした。
三人目。
「文字を覚えるには、書くことが一番ですな」
まともなことを言う、にやけた男。
「さ、この文字を真似して書いてですね、完成したら見せて下さい」
「書いた!! これ、何て読むの?」
「××××××××と読むんですな」
ここでは口にできないような内容だった。
「セクハラ! セクハラよ! セクハラ男よー!!」
「刺激的な内容が一番記憶に残るんですー!!」
男は叫んだが、武官に連れられ、大神殿の門の向こうに、ポーイと捨てられた。
大神官フアウザは溜息をついた。
「変な学者しかおらんのか」
フアウザは学問の未来を憂えた。
「まともな者はおりました……一人だけ」
神官長エンドルは後ろを見る。
「入ってきて良いぞ」
扉が開かれ、栗色の髪、青色の瞳の若者が現れた。
「キャラメルと申します」
ゾゾゾ。
大巫女ヒビーコは、何だか嫌な予感がした。
こういう時は、きまって何かあるのだ。
最近で言えば、キャーオ様関係とか……。
……そう、キャーオ様。
大巫女はすぐに巫女達に指示を出す。
「神官と武官へ、女神キャーオ様を見張るように伝えなさい」
巫女達は礼をすると、バラバラと散って行った。
「ここは、こうして、こう。ここで止める」
「ここで?」
「そう、ここで」
女神キャーオこと梨果は、机の上の、高価な紙と向き合っていた。
手には鉛筆のような物。シアトロルでは超高級品らしい。
その鉛筆を持った手に、白く長く美しい手が重ねられていた。
「あ……」
梨果はその手の持ち主を見た。青い瞳が見つめ返してくる。
「どうかしましたか?」
「いえ、教えて下さって、ありがとうございます」
「あなたの為なら」
キャラメルは微笑んだ。
きゅーん。
心臓が早鐘を打った梨果は、青い瞳を見つめ続けた。
見つめ合う二人。
なんて、素敵な雰囲気。
そう、周りの武官、神官、それにレアルがいなければ。
特にレアルは目を三角にして睨むように二人を見続けていた。
皆、どうしたのかしら。
梨果は生まれて初めて文字を書く時間が楽しかった。
「あの……キャラメル様は、どうやって文字を覚えたんですか?」
何か話をしていたくて、梨果は質問をした。
「ある方が教えてくれました」
「やっぱり、手取り足取り教えてもらったんでしょうね……」
「はい。でも私は平民の出身で、ヒラーナはすぐ覚えても、カーンとカタンナは覚えるまで、時間がかかりました」
すごい。ヒラーナをすぐ覚えてしまうだなんて。
梨果はヒラーナという文字種の、まだまだ最初である。
しょぼーん。
梨果は少し、落ち込んだ。
それが筆跡にも表れたのだろうか。
「あなたも、覚えられますよ」
キャラメルは梨果を見た。真摯な瞳だ。
梨果はその青い瞳の奥を見続けるのが好きだった。
おいおい。
待てコラ。
レアルは何だか心が荒んでいた。
キャラメルとか言う奴、女神様に近づきすぎだろ。
女神様にくっつくなんて、無礼な。
エンドル様もなぜ、こんな奴をまともだと思ったのか。
そうこうする内に二人は、一文字書くとお互いを見つめるようになった。
二人の顔が近づいて……という風に、レアルには見えた。
「ああっつ!!」
突然声を上げたレアルを、部屋中の人間が見た。
「どうかしましたか? レアル様?」
下級神官が声をかける。
「いや、その、あの」
何かまっとうなことを言おうと、必死にレアルは考えた。
「そう! 女神様は感動の女神! ならば机に向かうより、実際に町にある文字を見た方が、感銘を受けて、ご興味を持たれると思います!」
ちょっと無理があったかな。
周りの神官、武官は、何か考えている様子だ。
しかし、もういい、気にするもんか、とレアルは見栄を捨て、女神の手をつかんだ。
「さあ、女神様、ご案内します。勿論キャラメル様もどうぞ」
「え!? レアル!?」
梨果はレアルに引っ張られ、大神殿の正門の方へと引っ張られて行く。その後を優雅に歩くキャラメルが続いた。
武官達は急いで、裏門に向かった。
彼らが女神一行に合流するのは、結構手間取りそうだ。
ミンテールの町。その市場は栄えていた。
「らっしゃい、女神キャーオ様のご加護だ! まけとくよ!!」
「女神キャーオ様人形、硬貨銀八枚!」
「雄々しく踊る女神キャーオ様像、硬貨金三枚!!」
右からも左からも、女神キャーオという言葉が飛んだ。
なんか、恐縮しちゃう……。
当人の梨果は、長い日除けの布を深く被って隠れていた。
これでは神聖キャー文字を見るどころではない。
三人は聖なる女神像のある広場まで、無言で歩いた。
「あー疲れた」
梨果が文句を言った。
すると、あーら不思議、丸太が置いてある。
ここに座ろうーっと。
「まったく、女神様ったら……」
丸太を椅子にした梨果を見て、レアルは思わず呟くが、ちゃんと梨果の隣に座る。
その反対側の隣に、キャラメルが座った。
……ん?
このおじさん、なんか見たことあるなあ。
手にわたわた飴?
「あーっっむぐむぐ!」
梨果はレアルに口を塞がれた。
なんでこんな所にわたわた飴のおじさんが?
いや、わたわた飴のおじさんだけじゃない。
レアルは思った。
よく見ると、周りには丸太の椅子が並んでいる。
しかも、所狭しと人が座る。
何だろう、これは。
梨果はわくわくしてきた。
この感じ。何だか覚えがある。
梨果は、拍手の音を聞いた。
数こそ少ないが、勢いのある、立派な拍手だ。
梨果は前を見た。
誰かが挨拶をしている。これから何か始まるのだ。
「えー……、コホンコホン、これから、コホンコホン、舞台を始めます……ゴホゴホ」
魅力のない挨拶は、これから始まる出し物がつまらないと予感させる。
「あーあ」
一人、二人と席を立って行く。
梨果は唖然とした。
あの、覇気のない人は。
一座、ドンデガエルシの長だった。




