梨果、に訪れる、「死」
時はさかのぼる。
梨果が円形の劇場にある階段を登り始めた時だった。
キャラメルは白いマントの裾をそっと開いた。
マントの内側に、小さな壺。
その中には名の無い果物のソテソテーがある。
勿論、思いっ切り正真正銘の毒物だ。
どうやって作ったのか、その話は置いておくとして。
とにかく、キャラメルは小さく呪文を唱えた。
トベトベマッスグミギイヤヒダリ……。
名の無い果物のソテソテーは人々が女神の一挙手一投足に注目する間、神聖劇場カミイルの外側から、上へ上へと移動した。
トロトロした食べ物が、なんとも不思議に風船のようになって浮かび上がったのである。
そして、女神の白い皿に着地した。
これくらい、あっという間なのである。
キャラメルは神聖劇場カミイル内部へと戻った。
キャラメルが立っていた芝生に、別の果物のソテソテー……元々皿にあった料理……が、虫達のご飯になるべく、残されていた。
女神は疑いもなく席に着き、フォークを持った。
キャラメルが思い描いた通りに。
女神の口に、毒物……名の無い果物のソテソテーが運ばれて行く。
全て、計画通り。
だが。
ガッシャン!
梨果の目の前で、皿が落ちた。
「あれれ、やっちゃった……」
最後の最後にヘマをした、と梨果は思った。
キャラメルは信じられない、という顔で舌打ちをした。
その音を聞きつけた料理長が、代わりの皿を持って行き、儀式は何事も無かったかのように進められた。
ゴウン。ゴウン。
終わりの合図が鳴り、梨果は階段を下りて、舞台袖へと戻って行く。
「よくできていました! 女神様!!」
レアルが満面の笑顔で迎え入れてくれた。
「でも、ヘマしちゃった……」
「あれくらいは平気です! 本当に良かった!」
何だかんだあったけれど、梨果はレアルの嬉しそうな顔を見て、一安心した。
「あれ?」
梨果は足から力が抜けるのを感じた。
レアルは、崩れ落ちる梨果を床にぶつかるぎりぎりの所で受け止めた。
「おかしいですね……」
誰もいなくなった神聖劇場カミイルの階段の上に、いつもの三人がいる。
大巫女ヒビーコと、大神官フアウザと、神官長エンドルだ。
脇には大神殿イキテールの料理長もいた。
「これは、確かに名の無い果物のソテソテーです」
見ていたのは、階段に落ちた、料理だった。
「なぜ、料理が変わったのでしょう……」
料理長は震えていた。見てはいけないものを見た気がしたからだ。
「そなたは、とにかくこれを、忘れなさい」
大巫女ヒビーコの言葉に、料理長は最敬礼して下がった。
落ちた名の無い果物のソテソテー、その周囲には沢山の小さな羽虫が集って動かない。
ふうーむ、とフアウザは思案する。
「一つわかること、それは、この果物は誰かが故意に入れたということですな」
栗色の髪を振りほどきながら、キャラメルは苦悶した。
なぜ、あの時、魔力が暴走してしまったのか。
せっかく用意した毒物……名の無い果物のソテソテーを、落としたのはキャラメル自身だった。
このままでは、オウーラ様のお身に危険が……。
『キャラメル』
ミンテールの町角でオウーラ様の声が聞こえた。
キャラメルは裏路地に入る。
そこには水桶があった。
長い髪の女の影が、ゆらゆら水面で揺れている。
『キャラメル、私が手を下す前に魔法を使ったな……』
「申し訳ありません! オウーラ様!!」
キャラメルは泣いているのをオウーラ様にバレないように話した。
『キャラメルとしては珍しく、失敗魔法を使った……でも、今回は許す……が、次は私の番だ。キャラメル、女神と呼ばれる娘から、目を離さないように』
「かしこまりました」
オウーラの温情に、キャラメルの涙の粒が大きくなった。
やはり、この方だ。
私は、オウーラ様について行く。
大神殿イキテール。
御寝台の上で、梨果は目を覚ました。
「良かった」
レアルが自分の手をつかんでいる。
私はレアルが倒れた時、キャラメル様と逃げ出そうとしていたのに。
だから自然と言葉が出てくる。
「ありがとう」
「いいえ」
レアルは慌てた。
「どうか致しましたか? ご気分が優れないですか? 何でも言って下さい」
レアルは優しかった。
「あのね……」
「はい?」
「私、女神じゃないって、自分では思っているんだけれど……レアルに女神って呼ばれた時、嬉しかった。だから、私、梨果を止めようと思う。キャーオに、なろうと思う」
レアルは首を傾げた。
だって女神キャーオ様は、キャーオ様だから。
翌日。
「女神様ああああああああああああああああああ!!」
レアルが走り、梨果は逃げる。
「そんなの嫌ああああああああああああああああああああああ!!!」
騒動の発端は、神官長エンドルの言葉だった。
「女神キャーオ様は、神聖キャー文字をお読みになれないとか。レアル、女神様へ神聖キャー文字を、徹底的に教えなさい!」
「文字は大嫌いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「女神様! 待って下さいー!!」
レアルは得意の走りを、梨果は秘儀隠れながら走る、を大神殿中の人間に披露した。
かくして、大神殿イキテールにシアトロルの学者が集められた。
門番のノンとビリーは、高位の身分の方々に頭を下げてばかりいた。
だから、気づかなかった。栗色の髪、青色の瞳の者が、門を潜った所を。
「フンガ、フンガ、ハー。フンダ、フンダ、ハー。フンガ、フンガ、ハー。フンダ、フンダ、ハー」
暗闇の大聖堂シニーテル。長髪の女は両手を上げ、呪文を唱えていた。
そして。
「フンガ、フンガ、フンダ、フンダ、ハアッ!!」
表を向き、唇を醜く歪める。
女は歩く。大聖堂を真っ直ぐ端まで歩くと、扉を開ける為に両手を上げた。
バアーン!!!
扉が開き、女は大聖堂の外へと歩き出した。




