女神、ではない、人間
ミンテールの町。
この町には二つの最も神聖な建物がある。
一つは北の大神殿イキテール。
もう一つは南の神聖劇場カミイル。
今、カミイルには沢山の武官、神官のみならず、ミンテールの町の住人、遠くの町や村の住人、普段は表に出て来ない巫女や大巫女まで集まってきていた。
そこには、この方々もいた。
「まだかいな『女神』娘は」
「娘っていうほど、若くもないだろう」
「そうだな。しかも『美の女神』というにはあまりに顔が平凡で」
「ぐははははははははははあっはあっはは!!」
少し頭のネジがずれてしまった、一座、ドンデガエルシの皆さんだった。
一座の長が太い眉を上げて言う。
「まあ、どれくらいの実力か、我らの目は誤魔化せまい」
太い口がにやりと逆三角に曲がる。
「我らほど『感動』を追求してきた者はいないのだから……ははははは……がははははは……ぐえっっはははあ!!」
貴賓席で下品に笑う、態度の大きな者達を、近くに座る高貴な人々は、まず顔をしかめ、それから驚き、思わず二度見、三度見、四度見していた。
神聖劇場カミイルの控室。
高価そうな丈の長い服を身にまとい、女神キャーオ、こと、梨果は白い椅子に座っていた。
汗が出る……。
何度手をこすり合わせても、出てくる汗は止まらなかった。
「大丈夫です、女神様。何百回も練習しましたから」
言ったのはレアルだったが、そのレアルの表情も不安気だった。
昨日の夕方から朝にまでかけて行われた、お披露目の儀の練習。
女神様は、意気消沈してどの動きも弱弱しく、覇気や輝きと言ったモノが一切なく、とても人前で見せられる踊りではなかった。
そして女神は、今も下を向き、俯いている。
大丈夫なのだろうか……。
レアルは心の底からの心配を、決して表に出さないよう、話を進める。
「今日の儀式の進め方について、紙に記しましたので、お読み下さい」
梨果の気持ちは、ますます塞がった。
紙……読む……。
文字という文字、文章という文章が、大っ嫌いな私が、読む……。
会社の文書を読むのも大嫌い。
もう、文字も見たくない。
「大丈夫です、女神様。女神様なら無事にお勤めを果たします」
レアルの手が自分の手に触れる。
ごめんね、レアル……。
でも、そうね、これが最後なんだもの……。
女神として、最後に、レアルの言うことくらい、聞かなきゃ罰が当たるわよね……。
梨果は、文字を読む決意を固め、レアルから紙を受け取った。
……。
目が点になる、梨果だった。
『ご安心下さい。オウーラ様』
水のたっぷり入った壺から、キャラメルの声が響く。
広い大聖堂シニーテルの中を、髪の長い女……オウーラが行ったりきたりしている。
『必ずや、敵を亡き者に……』
「待ちきれない!」
キャラメルの声を女が遮る。
「私が、使おう……魔法を」
『はい……どうかご武運を』
魔法が途切れ、会話は止まる。
神聖劇場カミイルの裏側で、キャラメルは立ち尽くした。
素直に、オウーラ様のお言葉を受け入れられない自分は、一体どうしたというのか。
あの女神……、いや、娘が、今日、いなくなる。
「大巫女様……!」
神官が階段を駆け上り、大巫女の椅子まできた。
それを聞いて大巫女ヒビーコは溜息が止まらない。
「どうしましたか?」
隣の大神官フアウザが尋ねた。
「実は……」
その言葉を少し離れた椅子で聞いた神官長エンドル……地獄耳だ……は、その地獄耳を疑った。
「まさか!」
エンドルは、思わず声を上げた。
フアウザも思わず拳を顎に当て、唸る。
「そんなことが……」
「そんなバカな!」
と一番叫びたいのはレアルだった。
しかし、その叫びはぐぐぐっと、心の中に留まり、静かな部屋に梨果の声だけが響いた。
「はああああああああああああああああ!? 何これー?」
梨果は紙を縦にしたり横にしたりして眺めた。
それは、梨果が眠い時に書く、ミミズ的な文字に似ている。
というか、眠い時の文字にしか見えない。
例えば夜、会社で書いていた文字。
「やっぱ、夢の中だから、夢見ながら書いた文字が出てきちゃったのかしら……」
梨果の声を遮り、レアルは喋った。
「とにかく、書いてあることを、僕が読みますから」
そう言いながらレアルは動揺している。神聖キャー文字は、その名の通り、女神キャーオが上級神シアーから賜り、それを世界シアトロルに下賜したという文字だ。下級神官のみならず、ちょっとできる学舎の神官見習いでさえ読める。
それだけではなく、庶民でさえ、ヒラーナくらい読めるものだ。
女神様は……、ひょっとして女神様は……女神様じゃ、ない?
儀式を取りやめることなどできないことは、大巫女のみならず、大神官にも神官長にもわかる。
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
歓声は場内に響き渡っていた。
それは、控室にも届く。
自分は、偽女神に仕えたヘボ神官として、後世まで語り継がれるのか……。
レアルは考えた。
毒で、女神、いや、娘を殺す。
キャラメルは客席から歓声を聞いていた。
そうだ。何もオウーラ様が御手を汚さなくても、自分が止めを刺せば。
風に髪をなびかせ、キャラメルは席を立った。
「覚えられないよおおおおおお!」
梨果は、呑気だった。
「あれもして、これもして……」とやるべきことを指を折って思い出している。
これで、この異世界シアトロルともお別れだもの、ちゃんとしておかなくちゃね。
レアルは梨果を見つめる。
決意した。
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
「キャーオ様!! キャーオ様!! キャーオ様!!」
「さあ、こちらです」
レアルは他の神官や、巫女、武官と共に、梨果を舞台袖まで連れて行く。
舞台袖には大きい黒い布が天井にかかっている。
あの黒い布の向こうが、舞台袖。その先は舞台。
準備は整った。
ゴウン、とゴングのような楽器が鳴らされた。
場内は少しずつ静かになる。
「上級神シアーの下より、シアトロルに舞い降りた、女神、キャーオ様、おなーりー!!」
ゴウン。ゴウン。
「えっと、もう行くのよね」
黒幕の中で梨果が喋る。
レアルは、頷かない。
レアル、どうしちゃったの?
そう思うと、梨果に不思議な感情がわく。
もう、会うことがないのだ。
レアルに。
梨果はなんだかとても寂しい気がした。
いつもお世話になって、助けてくれて。
例え夢の中であっても、こんないい少年に、二度と会えないだろう。
でも、仕方ないのだ。
これから、自分は女神ではないことを証明してしまうに違いないのだから。
せっかく色々教えてくれたのに。
やっぱり、夢でもニートは、ニート、か。
「レアル、私は……」
梨果の言葉を、レアルが遮った。
「あなたは、何があっても、僕にとって、女神様です!!」
レアルが、笑った。
梨果は目を梨よりも丸くさせる勢いで丸くした。
が、吹き出した。梨果の顔に笑みが広がる。
二人は、手を繋いだ。
「行ってらっしゃい、女神様」
「行ってきます」
二人の目は、心なしか潤んでいる。
繋いだ手を離し、梨果は向かった。
女神キャーオの、お披露目の儀。シアトロルとの別れの場へ。




