6 マナとの再会
忙しい中、風邪が長引いて、つらかったです…
ぼちぼちゆっくり再開します!
鈍色の堅牢な両開きの門を抜け、ゲオルグはギュウダの塔に足を踏み入れた。
長い旅路の末にたどり着いた地である。しかし、ゲオルグの感慨はどうにも薄い。
神秘の塔とはいうものの、一見、通常の石造りの塔との差異が感じられないせいもある。
しかし、そういったことよりも、ファイの存在が何より確実に、ゲオルグに困惑をもたらしていた。
ゲオルグは、許嫁マナを探しに来たのだ。
マナの意思によっては、自らの手に取り戻すつもりもあってのことだ。
ところが、今、ゲオルグの曲げた左腕に腰掛けるファイがいる。
ヒトではないヨーマである。しかし、ファイは美しい女性の姿をしていて、ゲオルグを慕っていることを少しも隠さない。
どうしてこうなったと困惑しながら、ゲオルグは、塔の真ん中に向かって伸びる廊下をまっすぐに進んだ。
やがて部屋についた。
広いだけの石造りの部屋だ。
誰もいない。
部屋の中央の床に、ぼんやりと発光する光の輪がある。
塔を移動する術式が組み込まれた光の輪であることは、ひと目でわかった。
ゲオルグは以前、別の塔で魔物討伐をした際に、それを経験している。
ゲオルグは、ままよ、とばかりに、ファイとともに光の輪の中心まで踏み込んだ。
ファイは、ゲオルグの腕に腰掛け、のんびりとした風情で光の輪を見下ろしていた。
床の光の輪から上方に光の帯が伸び、二人は円筒状の光に包まれた。
二人は導かれるように、塔のいずこかへと移動したのであった。
ふわりと浮き立つような感触の後、ゲオルグの足裏はしっかりと固い床を踏んだ。
ゲオルグは、光の輪から一歩踏み出した。
塔の別の階層へ移動したのだとゲオルグは判断した。
今いる部屋は、先程までとはまったく違う雰囲気に包まれていた。
まずは肌に感じる気配たるものが普通ではなかった。
伝導率の良すぎる液体に浸されているような、己が広がるような妙な感触があった。
この世ならざる遠くの音まで聞こえてしまうのではないか。
自分の核がかき消されてしまうのではないか。
神秘の塔と呼ばれるにふさわしい気配に、ゲオルグは小さく眉を潜めた。
「ファイ。大丈夫か」
「うん」
案じたゲオルグが顔を向けると、ファイは傍らで鮮やかに微笑んだ。
ファイの紫苑色の瞳をのぞくと、ゲオルグは、己の核の確固たる輪郭を照らしあげられる心地がし、不思議と心安らぐのであった。
ゲオルグは、磨き抜かれた大理石で造られた部屋の真ん中にいた。
緋毛氈がまっすぐに伸びた先に、幅の広い階段があった。
二十段はあろうかという先の高座には御簾がかかり、奥を隠していた。
階段の下の両脇に、玉虫色の着ものを着た老婆が座っていた。
二人とも諸白髪ひっつめ頭で、双子のようによく似ていた。
二人の老婆は、ギュウダの塔に来て、ゲオルグが初めて出会うヒトであった。
ゲオルグは緋毛氈を踏んで、階段を目指した。
「お待ちを」
しゃがれ声は、向かって右側の老婆から発せられた。
ゲオルグは、階段まであと十歩という距離で足を止めた。
右の老婆は灰色のまなこをゲオルグに向け、無表情に言った。
「何しに来た」
ゲオルグは、ファイを腕から下ろして、背後に下がらせようと考えた。
しかし、ファイが抗ってゲオルグの肩によじ登ったため、それを早々に諦めた。
ファイを左肩に乗せたまま、ゲオルグは答えた。
「5年前、ここギュウダの塔に召し上げられたマナに用があって会いに来た」
今度は、向かって左側の老婆がキーキーと耳障りな声で言った。
「マナ様がおっしゃる通りのことが起きた。曰く、男が近々私を探しに訪れる、と」
左右の老婆が交互に言った。
「お前が生きてここに立っているのは、マナ様の寛容によるもの」
「マナ様の恩情、お導きによるもの」
「俺が来ると分かっていたなら話は早い。マナに会いたいのだが」
問うゲオルグに、左右の老婆が言った。
「マナ様は迷っている」
「マナ様は、お前の来訪を予言した。お前が現れた。遠見でお前を見た」
「ところで、お前は何者だ」
「ところで、お前はマナ様に何の用がある」
ゲオルグは驚いた。
「マナが、俺を、何者かと聞くのか。マナが、俺に、何の用かと聞くのか」
二人の老婆はしゃがれ声とキーキー声をそろえて言った。
「お前は誰だ」
ゲオルグは言葉につまり、立ちつくした。
想像していなかったことだ。
老婆二人の言っていることは、すなわち、次のようなことだ。
マナは、男が自分を訪ねて来ることを予見していた。
しかし、実際にやってきた男を見ても、マナは男が誰なのか分からず、用件も見当がつかなかった。
とはいえ、マナの寛容であるとか恩情であるとか、そういったありがたい何ものかによって、遥々訪れた男を追い払うことはせず、ギュウダの塔に招き入れることにした。
そして、得体の知れない男の用件について、老婆が男に直接、確認をとっている。
そういう話なのだ。
ゲオルグは深呼吸した。
渦巻く感情が、肌を抜けて知れ渡る感触に従いたくはなかった。
さまざまな思いを上手に丸めこんで内に閉じ、ゲオルグは口を開いた。
「俺はガイアの里の出だ。名はゲオルグ。レアの里長の娘マナの幼馴染であり、許嫁である」
深いしわの奥にある灰色の目が、くわっと見開かれた。
左右の老婆同時であった。
右の老婆が口を開いた。
「マナ様の許嫁」
左右の老婆の視線が、ゲオルグとファイを行き来した。
ゲオルグは、さすがにばつの悪い思いがした。
なにしろ美しいファイが、ゲオルグの肩に軽やかに腰掛けているのだから。
これには事情が、と言いかけたものの、ゲオルグはファイについて、ひと口に説明できない己に気がつき閉口した。
ファイは、どこ吹く風と受け流していた。
左の老婆がキーキー声で言った。
「その、ざまで?」
ゲオルグは言葉に詰まり、ん、とか何か発音し、顎を引くにとどめた。
ファイは、のんびりとした様子で、ただそこにいた。
右の老婆がしゃがれ声で尋ねた。
「許嫁とやらが、恥知らずなご様子で、マナ様にいかなるご用でしょうか」
「ファイについては、マナに直接説明する。俺は、マナに話をしにきた」
「何のお話か」
「俺たちの今後についての話だ」
「何と?」
「俺たちは自分の意思で、先を選べる年になっている。俺とマナは許嫁である。許嫁としての今後について、マナの意思を確かめに来た」
左の老婆が呆れたキーキー声で言った。
「そのざまで」
右の老婆が頷いた。
む、と短く発声し、ゲオルグは顎を引いた。
場に、沈黙が落ちた。
やがて、リン、と音が鳴った。
それは、遥か遠く見える高座の御簾の奥から鳴った。
リン、という涼やかなる音としてゲオルグには聞こえたのだが、いや、衣擦れであったのかもしれない。
満ちる神秘的な気配がゲオルグに伝えて来たのは、気高いと感じさせる音だった。
二人の老婆がサッとひれ伏した。
ゲオルグは高座を見上げた。
緊張が走った。
我ながらどうしようもない対話であったと振り返る。
しかしながら、ゲオルグの言動のすべてに嘘などないことが、神秘の力で場に知れ渡ったようでもある。
すなわち、マナにも伝わったのだ。
来る。
ゲオルグののどが鳴った。
高座の御簾がスルスルと音もなく上に巻き上げられていった。
萌黄色の着物の裾が見えた。
ゲオルグの体は強張った。
マナだ。
二十段ほど上った高座に、凛とした顔立ちの女が立っていた。
ぬばたまの黒髪。
黒水晶の瞳。
若々しくありつつ落ち着いた印象の、萌黄色の着物をぴしりと着こなしている。
女は、神秘的な場において、むしろ地に足のついたかっちりとした存在感で現れた。
ゲオルグは女を見上げた。
記憶にあるマナの面影が、成長後の姿として、女にぴたりと重なった。
異なるのは印象だった。
かつてのマナは、優しげで儚げな少女であった。
目の前にいる女は、きりりと整った容姿をしていて、無駄も隙もない実務的な強さを感じさせた。
ゲオルグは瞬間的に、いい女だ、という無遠慮な感想をもった。
マナの瞳が一瞬揺れたようだった。
ゲオルグは、ハッと我に返り口を開いた。
「マナとの再会が叶った。運命の導きであろう」
ゲオルグの胸に迫るものがあった。
懐かしく、慕わしい思いが湧いた。
幼き日のマナの姿が、まぶたの裏に浮かんでは消えた。
神秘の力の働きなのか。
ゲオルグの中に浮かぶ偽りない記憶と感情は、やはりマナにも伝わるようであった。
マナの眉が動き、唇が小さく開いては閉じた。
マナの表情に、ゲオルグは困惑の色を見た。
「マナ? 俺はゲオルグだ」
ゲオルグの姿は、対面しても尚、以前の面影をとどめてはいないのだろうか。
背中に冷やりと汗が伝う感がして、ゲオルグは思わず名乗りを上げた。
意を決したように、マナがきゅっと口を結んだ。
そして、とうとうマナが答えた。
「わたくしは、あなた様を、存じ上げません」