迷宮案内人カンナ の 代償
「えっと、それでもういいかな?」
騒動も収まり、野次馬たちが各々の席に戻り始めた時分。
話題についていけず、肩身を狭そうにしていた銀髪の少年が切り出した。
「ん……ああ。坊主、いたのか」
「いや、ずっといましたって!」
忘れていたと言わんばかりのゴードン。
そういえば、私が彼の話題に割り込む形になってしまった。
申し訳ない限りである。
それに、グレーテルによれば私を助けてくれたのは彼らしい。
謝罪と礼、両方をしておかなければ。
「すまない、少年、世話になった。それに、待たせてしまって悪かったな」
深々と頭を下げる。
すると、少年は私に顔を上げるよう指示し、困り顔で答えた。
「いやいや、あんなところで倒れてたら助けるのは当たり前だよ。それに、今は君の方が大変みたいだし」
……なるほど。
確かに、今の私は父を亡くしたばかりということになっている。
そのあたりを酌んでくれたのだろう。
「それで、他に迷宮に入るのに必要なものってありますかね?」
「やめとけ、やめとけ。今話をきいたばかりだろ。カンナの父親みたいに、いつ死んでもおかしくねえんだ。とっとと家に帰れ」
ゴードンが再び嗜めるが、少年が気にした様子はない。
それどころか白い歯を見せ、人懐っこい笑みをにかりと浮かべていた。
「大丈夫ですって。だって、俺、強いから!」
続けて傲岸不遜に胸を張る。
……得てしてこの年頃の少年は根拠のない自信に取りつかれるものだが、あまりにも酷くないだろうか。
少し離れて白い目で見ていると、彼は一転して
「それに、迷宮に入らなきゃ帰れないんだよね」
と寂しげに呟いた。
私はこの少年について大体察しがついた。
件の少年、くたびれているもののとても身なりがいい。
見たこともない上質な生地の服を纏っている。
それにこの警戒心の薄さ。
恐らく、貴族か商人の息子が家出でもして遊びにきたのだろう。
そして、好奇心を抑えきれず迷宮に入ろうとし、倒れている私と出会った。
出鼻を挫かれてしまったものの、意地もあり迷宮に入らないと収まりがつかない……。
かなり憶測に近い点もあるが、そんなところではないだろうか。
「少年。名前は?」
「え? 俺? えっと、ハ、ハ……ハルワタートだよ」
確認とばかりに声をかけてみれば大きくどもる。
……露骨に偽名だ。
どうやら、本名を名乗るわけにはいかないらしい。
こうなるとやんごとなき身分の可能性が高いか。
まあ、出自すら偽っている私が言えたものではないのだが。
関わらないようにするべきかと一歩引こうとしたタイミング。
「なあ、ハル坊。大人しく家に帰っとけ。お前が助けたカンナも迷宮には入らんだろうし――」
「ん……? いや、私は迷宮に向かうぞ?」
妙なあだ名は兎も角、思わぬ飛び火が来て、すかさず否定した。
すると、何故か驚いた顔をするゴードン。
……どうして私が探索を諦めなければならないのか。
今の私には、かつての姿を取り戻すという大目的がある。
そして、カミナギに戻った後も迷宮には潜り続けるだろう。
前回の探索で死にかけたばかりではあるが、引退しようという想いは微塵もなかった。
「おいおい、正気か……?」
ガリガリと髪を掻き毟る彼に、こくりと頷くことで答える。
「私も……父親同様、案内人だからな」
そもそも、私には生きる術がそれしかない。
私は孤児であり、引き取られてから案内人になるよう育てられてきた。
そのまま二十年以上生きてきたのだから、最早探索とは日常なのだ。
「残念なことに、私の案内人証明書は所持していないが、さほど問題はないはずだ」
案内人証明書とはあくまで証明の一つであり、所持していなければ仕事が行えないわけではない。
モグリ扱いされることはあるが、私の実力の前では問題ない――はずだった。
「……冗談きついぜ」
だというのに、ゴードンは眉を潜めていた。
「何故だ? 自分で言うのもなんだが、私は腕がいい」
若返ってしまったとはいえ、私の職務は後方支援。
肉体的に衰えようが大した影響はないだろう。
遺憾なく力を発揮できるはず。
そう考えてゴードンを睨み付けた。
すると彼は真剣な眼差しをこちらに返す。
「なら、聞いてみるか?」
「え……?」
「――お前ら、こいつを、カンナを案内人として雇いたいやつはいるか!?」
ゴードンが大声を張り上げれば、酒場中が水を打ったように静かになる。
値踏みするような視線が一気に集中し、私は気圧されぬよう気丈な表情でそれに応えた。
……静寂を破ったのは、酔っ払いたちの笑い声だった。
私の前に躍り出るのは一人の冒険者。
随分と酒がまわっているのか、酷く赤面していた。
「冗談きついぜ! 嬢ちゃんはまだ成人してもいねえじゃねえか」
「嬢ちゃんじゃない。カンナという。……一度でも私と探索に出て貰えれば言っていることが理解できるはずだ」
むっとして返せば、何がそんなにおかしいのか、彼は更にけたたましく笑う。
そして、一気に罵声を浴びせかける。
「お前と探索だ? 言っとくが、案内人ってのはパーティ全員の命を預かる役割なんだよ。そんな命知らずなことが出来るか! そりゃ、父親のことは可哀そうだと思うが仕事となりゃ話は別だ。ままごとなら家でやりな!」
不躾な物言いだった。
だが、視線を逸らし辺りを見渡せば、殆どの冒険者が同意するように首を縦に振っている。
――怒りと羞恥で顔が熱くなるのを感じ、無意識のうちに唇を噛みしめてしまう。
そんな私を庇うようにゴードンは手を上げ、客たちに制止を促した。
「わかっただろ? ……一応聞いておくが、お前の師匠の名前はなんだ?」
「それは……」
冒険者というものは意外と信用を重視するもので、案内人となれば尚更だ。
迷宮探索のサポートを一手に担う案内人の働きは、生存率に大きく寄与する。
それ故に、実績のない案内人であれば師の名前を重視される。
実際、案内人が証明書を発行する場合、師匠も同行するか紹介状をしたためるのが通例となっていた。
いわば、一人立ちする弟子への手向けというわけである。
人と関わりの薄い私が問題なく仕事を続けられたのは、実力は勿論、師の威光も大きく影響していたのだ。
……だというのに、私には答えられなかった。
本来の師は人格は兎も角、高名な人物だったが、とっくの昔にこの世を去ってしまっている。
それはカミナギが成人してすぐのことだったので、カンナの師とすることはかなわない。
「父に……」
「お前、さっき遠く離れて暮らしていたって言っただろうが。……殆ど修業なんてつけてもらってないんじゃないか?」
とっさの嘘はすぐさま見破られた。
このままでは迷宮に入って元に戻るなんて夢のまた夢。
カンナとして財産を取り戻しても、かつてのように仕事を続けるのは難しいだろう。
先ほどハルワタートという少年に感じていた心証は、客観的に見た今の私にも当てはまるものだったのだ。
――上塗りの虚偽が、私を追いつめていく。
何か、上手い手はないだろうか……。
必死に頭を回転させるのだが、弁明の手が思いつかない。
だが、そこにぽつりと声を上げるものが一人。
「あ、なら俺と組むのはどうかな」
それは、銀髪の少年だった。