第一層 エピローグ
目が覚めたら私は客室のベッドの上だった。
……風呂に入ってからの記憶がない。
どうやら、湯船の中で眠ってしまっていたらしい。
恐らく、それに気づいたグレーテルあたりが運んでくれたのだろう。
『再編』の時期は宿に空き部屋ができやすいとはいえ、無一文にも関わらず客室を使わせてもらったのは心苦しい。
すぐさま最低限の準備を整えて一階の食堂へと足を運んだ。
すると、窓際の席にはハルワタートの姿が。
彼は朝食の途中のようだった。
「おはよう。……えらく肌艶がいい気がするが」
声をかけると、対面する形で席に着く。
「おはよう、カンナ。久々にベッドで寝たからかな。やっぱり、乾草の上で寝るのは腰に来るよ」
「ん? というと、君も客室に泊まったのか?」
「うん。臨時収入のおかげで、空き部屋に泊まらせてもらったんだよ。勿論、ちゃんとカンナの分も払ってるから安心していい」
「……臨時収入?」
予想外の台詞だった。
私たちが受けたのは利益を度外視した依頼だったはず。
どう考えてもそのような余裕があるとは思えないのだが。
言われてみれば、テーブルに並ぶ朝食もかなりのものだ。
主食は固く焼しめた黒パンではなく柔らかなフォカッチャ。
中央に鎮座しているのはウッドホーン――一層に住む鹿型の魔物だ――のスペアリブで、その脇には迷宮で採れる野草を散りばめたサラダが申し訳程度にちょこんと添えられていた。
今までの食事と変わりないのは甘くどい香りを醸しているコルンのスープぐらい。
どうやら、ハルワタートはいたくお気に召したようだ。
とりあえず、朝食から肉料理は如何なものかと私は思う。
何も食べていないのに胸やけがしそうだ。
「あの槍、ゴードンさんが引き取りたいって言ってくれてさ。その分で俺とカンナのツケは帳消しだって」
小瓶に入ったはちみつをフォカッチャにたっぷりと振りかけながらハルワタート。
そして、言い終わるなりスペアリブにかぶりつく。
つい呆れてしまう。
ひもじい暮らしをしていたのはわかるが、いきなり散財しすぎだろう。
独り立ちしたばかりの子供じゃあるまいし。
「大体どのくらいだ? ……ああ、大声で言うな。私の耳元で話せ」
少年が口の中のものを片づけるのを見計らって言う。
無論、用心のため。
ゴードンのことなので信用はおけるだろうが、店の客は別だ。
大金を所持しているなんてわざわざ喧伝すれば目を付けられる可能性もある。
だというのに、少年は若干気まずそうにもごもとしていた。
……まさか、その額に見合わない無駄遣いをしたのか?
視線で促せば、意を決したかのように顔を近づける。
「――」
「……ちょっと待て。そんなにか?」
その金額は、聞き間違い、もしくは彼が騙されているのではと心配になるほどだった。
あのハルバードは魔槍の類ではあるが、妥当な報酬を二回りほど上回っている。
「なんか、調査に使うんだってさ。異常事態の可能性も考慮して、上に提示するんだとか」
「むぅ……」
だとしたら納得は行くか。
確かに、ケンタウロスの事態は気にかかる。
この街は『カテドラル』の恩恵を受け発展してきたのだが、裏を返せば迷宮前提で経済が成り立っていると言っていい。
いわば依存の関係である。
それも、あくまで結界に守られているという安全性ありき。
もし、昨晩のような出来事が頻発するというのなら、何らかの対処が必要となのは確実だ。
迷宮内部での犠牲は勿論、外にまで魔物が出現すれば大惨事へと繋がりかねない。
門番の配置程度で済めばよいが、ケンタウロスのような魔物が出没すれば並大抵の兵士では太刀打ちできないだろう。
最悪の場合、閉鎖の可能性もあり、そうなればこの街は大打撃を受けることとなる。
無論、迷宮探索を生業にしている私たちも。
「閉鎖は……ちょっとまずいよなぁ」
「まあ、まだ調査が始まってすらいないというのに心配しても仕方あるまい」
不安そうな顔をするハルワタートを嗜める。
まだまだ先の話を懸念するよりも、私たちは生活を安定させるのが先決に違いない。
「これから忙しくなるだろうしな」
誰ともなしに一言。
まずはハルワタートの装備の新調か。
流石にこんな衣服のまま潜らせるのは酷すぎる。
次に、先日救助した名も知らぬ案内人とレミリアの経過の確認。
筋を考えれば依頼人であるエイミーとも顔を合わせておくべきだろう。
「パーティの名前も考えた方がいいんじゃないかな? このままじゃ不便だろうし」
「……それは必要ないだろう」
――あまり長々とパーティを組むつもりはないのだし。
即刻却下すると、少年が食べ終わるのを待ちながら思索を巡らせていく。
『再編』も終わり、心機一転、新たな一週間が始まった。
出来ることならこの一週間で二層まで到達したいものだが――。
「あのっ! 昨日の冒険者さんたちいらっしゃいませんか!」
慌ただしく宿屋の玄関を開け放つのは、見覚えのある桃色の少女。
エイミーという孤児院の子供だったはず。
どことなく昨晩を思わせる光景だが、今回はちゃんと探し人はここにいる。
「ああ、私達だが」
丁度いい。
用事の一つが早速片付いた。
軽く手を上げて合図する。
「昨日はありがとうございました。おかげで、トゥーリオもすっかりよくなって……。お姉ちゃんも、命に別状はないみたいで」
「そうか。それはなによりだ。名乗り遅れたな、私はカンナだ」
「では、カンナさん。折り入って、お願いがあります……!」
「ん?」
何か、またトラブルでも発生したのだろうか。
私が訝しむ暇もなく、エイミーは口を開いた。
「あの……その……っ! 私も、カンナさんたちのパーティに入れてください!」
その表情は真剣みを帯びたものである。
冗談を言っている風には到底思えない。
とりあえず、聞いておきたいことは色々あるが――
――一週間で二層を攻略するのは、中々難しいかもしれないな。
私は頭の中で大きく嘆息した。
『挿入する部分がなかったおまけ』
とはいったものの、ハルワタートが食事を終えるまで何とも暇だ。
手持無沙汰なこともあり、頬杖をついていると、私の前に一人の男が現れる。
――見覚えはある。
確か……私が目覚めた夜、叱り飛ばしてきた酔っ払いだ。
この店の泊り客だったのか。
「……嬢ちゃん、カンナっていったっけな」
「そうだが」
何か文句でもあるのか?
警戒を込め、私は毅然とした態度で対応。
「……やるじゃねえか。レミリアの話を聞いたんだが、侮って悪かった。あの状況で他人の命を優先するなんて、素人が出来ることじゃねえ」
しかし、向こうが軟化させてきたので肩すかしとなる。
「あ、ああ……。当然のことをしたまでだ」
「いや、うちの連中にも見習わせたいくらいだ。嬢ちゃんは立派な案内人だって認めてやるよ」
その上で褒められるのは悪い気分ではない。
嬢ちゃんは気に入らないものの、態度に自然と頬が緩みそうになるのだが――
「いやぁ、小便くせえガキだと思ってたがやるもんだ」
その言葉を聞いてしまえば引き攣るしかなかった。
「しょ、小便臭い……?」
昨晩の惨劇が脳内にフラッシュバックして、慌てて体臭を確認する。
まさか、自分ではわからないだけでまだ残り香があるのだろうか……!?
あの後、何度も身体を洗い、服も着替えたというのに?
「あ、わりいな、嬢ちゃんに言うことじゃなかったか。すまんすまん。じゃあな!」
男が申し訳なさそうに立ち去るものの、私の耳には一切届いていなかった。
「……ハルワタート、私は臭いのだろうか?」
無理に腕を突きつけて匂いを嗅がせる。
食事中に失礼なのは重々承知ではあるが、気にかかって仕方がないのだ。
「い、いや、別にそんなことはないと思うけどな。どっちかっていうと甘い匂いがするというか……」
……本当だろうか?
顔を赤らめた少年に、嘘をついているような様子は見受けられない。
不安は強いのだが、そういわれてしまえば納得するしかなかった。