自称案内人カンナ の 討論
こほん。
私は、わざとらしいほど大きな咳払いをしてからハルワタートに向き直る。
「私のこともお前のことも、迷宮を抜けてからだ。まず、時間がないのだから、脱出の方法を考えるべきだろう」
「あ……うん。でも、どうするんだ?」
……なんなんだ、その間は。
きっとハルワタートを睨み付けてから、気を取り直して時刻を確認。
ケンタウロスとの戦いで時間を喰いすぎた。もう十一時を過ぎてしまっている。
残り一時間で一階まで降りて脱出などは土台無理な話だろう。
ならば、取るべき道は一つ。
「……そうだな、昇るか」
「昇るって、まさか上に?」
「ああ、五階から六階へと上がる階段を目指す」
「降りるならまだしも、一体どうして?」
私の言葉に虚を突かれ、ハルワタートはきょとんとしていた。
まあ、迷宮に関する知識がない彼の反応としては仕方がないか。
なので、私は手短に説明していく。
「簡単な話だ。ここから一階までより五階の方が断然近い」
「流石にそれぐらいはわかるけどさ。それに、魔物とかどうするんだよ? 正直、今の体力じゃ行き道みたいに戦える自信はないんだけど」
彼の懸念は妥当だった。
もし、今の状況で戦いとなれば、ウッドウルフの一群相手でも後れを取りかねない。
武器を失い素手なことは勿論、それほどまでに少年の消耗は激しいのだ。
その上、各階層の最上階――特に昇り階段付近――には往々にして強力な魔物が生息している。
力量は群を抜いており、他の階の魔物とは比べ物にならないほど。
層を繋ぐ階段近くは魔力に溢れていて、その影響を受けてのことらしい。
『サンライズ』の面々がわざわざ一階から昇ったのも、恐らくはそれが原因である。
格下といえど無理にリスクを冒す必要はないと考えたに違いない。
「その点に関しては心配する必要はないだろう。無論、確定とは言えないが、ケンタウロスにより五階も四階と同じ状態の可能性が高い。下手をすれば二階や一階より魔物を警戒する必要がないかもしれない」
――死により齎された静寂。
悪夢のような空間ではあるが、今現在に関してだけは僥倖といえた。
「そして、五階まで昇る理由だが、階段は一種の転移装置だと説明したのは覚えているか?」
「あ、ああ」
「層と層の狭間の階段にだけ、撤退の呪符に似たシステムが搭載されているんだ。……いや、元になったというべきか。兎も角、それに一度登録してしまえば『再編』でリセットされるまでの間は何度も行き来できる」
「……つまり、転移装置を使って戻るってことだよな?」
私はこくり。
呪符を失った今、起死回生の手段はこれ以外あるまい。
だというのに、彼は怪訝そうな表情を隠そうともしなかった。
「でも、なんのためにそんなセーブポイントみたいな……。いや、この状況ならありがたいんだけさ。不自然じゃないか?」
一部、ハルワタートの言葉の意味はわからないが、なんとなくニュアンスは理解した。
「む? それは……勿論、迷宮を攻略させるためだろう?」
――現在、人間が『カテドラル』を踏破したと公表されているのは三層の十三階あたりまで。
不甲斐なくもそれ以降は進みあぐねているのが現状だが、今は置いておいて。
考えても見て欲しい。
夜中とはいえ、四階に辿り着くだけで二時間近くかけたのだ。
魔物を避け、最短ルートを突き進んだにも拘らずである。
ここから上層に進むにつれ、益々魔物も迷宮も手強くなっていくというのに、たったの一日まで十数階先まで辿り着けるはずがない。
そういう意味を込めて私は言ったのだが、ハルワタートの疑問は却って大きくなってしまったらしい。
「いや、そういうことじゃなくて……。なんというか、迷宮を作った人――いや、神様って言ってたっけ? ――その意図がわからないんだよ」
ふむ?
初めて聴く論であり、興味深い着眼点といえるだろう。
私たち探索者にとって、『カテドラル』とは「あって当たり前の存在」であり、何のために作られたのかなど気にしたことはなかった。
だが――
「それは歩きながら聴く。先にも言った通り、あまり時間がない」
残念なことに、今の私たちにはそのような暇は残されていないのだった。
◆
案の定というか――そうでなくては困るのだが――五階も完全に静まり返っていた。
下半身も相まって不快感は強いが、私は出来るだけ気にしないよう努めて記憶のルートを辿っていく。
「えっと、さっきの続きなんだけど、俺には『カテドラル』が何をしたいのかがわからないんだよ」
杖をつきながらハルワタートが言った。
ただし、杖と言っても少年の背丈の1.5倍ほどもあり、尖りきった先端と重量級の刃が取り付けられた物騒なものである。
……そう、ケンタウロスの所持していたハルバードだ。
荷物になるから止めろと言ったのだが、素手では万が一魔物に襲われた場合どうしようもないと反論されてしまったのだから仕方がない。
どんなに重くても泣き言は漏らさないという約束付きで戦利品にすることになった。
ちなみに、ケンタウロスはこの槍で結界を壊していたというのが私の見立て。
あの個体と通常の個体では、違いがそこしかなかった。
「続けてくれ」
思考は続けつつも、周囲の警戒を怠らないまま歩を進める。
ごくまれに生き残った魔物らしき反応を観測するのだが、鈍い輝きを湛えたハルバードを見るなり逃げ出していく。
ケンタウロスが暴れまわったせいか、一種の威嚇効果すら得ているらしい。
おかげで危うげなく目的地へ近づけていた。
「『カテドラル』は一週間ごとに全然形が変わっちゃうんだよな。そのせいで何百年も未開の地なんだって。だから、俺はてっきり迷宮の最奥に誰も近づけたくないんだと思ってたんだ。でも、そうじゃないらしい。だって、カンナの言うことが正しいのなら、わざわざ神様は攻略しやすいように中間地点を設けていることになる」
「では、攻略してもらいたいのではないか?」
私はオウム返し。
事実、『再編』による恵みは大きく、無尽蔵な資源により人々は発展してきた。
迷宮とは名ばかりでしかなく、神から与えられた巨大な宝箱――なんて学説もある。
現実は兎も角、そう考えれば辻褄があうのではないか。
しかし、ハルワタートからは返ってくるのは否定の声。
「いや、それなら魔物なんて迷宮に生息させる必要はないだろ? そりゃ、魔物の肉なんかも食えるだろうけど、そもそも魔物がいなければもっと多くの人が迷宮に潜れて豊かになるはずだ。さっきのケンタウロスみたいな異様に凶暴なのもいるしさ」
「む……」
「たまたま湧いてきたって可能性もあるけど、そうすると『再編』の度、迷宮の備品みたいにどこからか補充されるのがおかしくなる。あ、あと罠と宝箱も一緒に湧くんだっけ。尚更、どっちが狙いなのかわからない」
要するに、ハルワタートの言いたいのはこういうことだ。
『カテドラル』は、利益により私たち人間を誘き寄せたいのか、それとも危険を以て追い払いたいのか。
てんで方向性がバラバラであり、あたかも戯れで産み出された箱庭のようですらある。
「……誘き寄せて命を奪うこと自体が目的、とかじゃないといいんだけど」
ハルワタートの結論はぞっとするようなもので、それきり互いに黙り込んでしまう。
淡々と進む夜道は、息を飲んだタイミングすら伝わってしまうほど静か。
そのせいか、槍斧の石突が立てるコツコツとした音が妙に気に障った。
「……ついたぞ」
そうして、私たちは一層最後の階段へと辿り着き、この週最後の探索を今度こそ終えた。




