自称案内人カンナ の 再会
小部屋の中にいるのは私とハルワタートだけだった。
それ以外は、主を失った鎧と黒ずんでこびり付いた血痕のみ。
「レミリアさん……」
「時間がない。急いで脱出するぞ」
私はそれらから目を離し、祈るような仕草をしているハルワタートに呼びかけた。
もうここに用はない。
無駄に留まっていてもリスクが増すだけだろう。
「……カンナ、悪い。俺のわがままを聞いてもらって」
すると、返ってきたのは申し訳なさそうな声。
少年は目を伏せて頭を下げていた。
この反応を見るに、私を巻き込んだとでも考えて気に病んでいるのだろうか?
だとしたら、てんで見当違いに違いない。
「気にする必要はない。私もそうするつもりだった」
なので、しっかりと彼の方を見据え、きっぱりと否定しておく。
――さて、結論から言おう。
私たちの所持していた唯一の撤退の呪符は、レミリアに与えてしまった。
まず言い出したのはハルワタート。
続けて私も賛同し、パーティとしては完全に合意を見せたわけだ。
一方、レミリアの方が怪我人のくせに難色を示していて
「まだ若い君たちの方が生きるべきだ」
だの
「仲間の元に送ってほしい」
だの、たどたどしい喋り方で私たちを説得させようと試みてきた。
しかし、徹底無視。
前者は年下相手に言われるのは腹立たしいし、後者は後者で後味が悪いので私たちの前で言わないで欲しい。
救いの目がないというのなら早々に諦めるが、確実に助けられるというのなら手を差し伸べるのはやぶさかではないのだから。
結局、私はレミリアの鎧を脱がせると、酒場でカンパされた痛み止めや傷薬を投与し、強引に彼女を帰還させた。
無茶は禁物とはいえ、なんとか人目のつく辺りまでは辿り着けるはず。
ちなみに、自分の命より他人を優先した――なんて殊勝な考えではないと、先んじて断言しておく。
ハルワタートに同意したのも、利害を鑑みて最も合理的な選択だと判断したからこそ。
要救助者と納品対象。
二つが揃ってしまったのなら、一度に送ってしまうのが一番効率的だ。
何より、私は死ぬつもりはない。
現在は丁度十時を回ったところ。
行きで消費した時間はウッドウルフとの戦闘込みで二時間であり、その分を差し引けば帰りは更に早く戻れるはず。
つまり、四階を出るまでに、レミリアたちを襲ったあれと出くわさなければ、十二分に時間の猶予はある。
「さあ、顔を上げろ。謝罪をするぐらいなら、私を街へと送り届けることだけを考えた方がいい」
私はそれだけ言うと少年の手を引いた。
◆
そうして、私たちは細心の注意を払い、四階の通り道を逆走していく。
……草木を踏みしめる音すらも、どこか煩わしく感じた。
どうしても急いてしまいそうになるのを抑え、木陰に隠れてから、最大限まで範囲を広げた魔力感知を改めて行う。
直径はざっとこのフロアの四分の一ほど。
大量の魔力を消費してしまうので、残念ながら常に使用するわけにもいかないのが欠点。
私の経験とレミリアの言を合わせて推測すると、奴は初手からの奇襲を好む傾向にある。
もし、探知範囲外からの突撃を狙っているのだとしても、これだけの距離であれば先に私が感づく。
投擲による一撃も、大幅に威力を損なわれ、ハルワタートならば十分に察知可能だろう。
出会わないのに越したことはないが、迎撃の準備さえしておけば一瞬で全滅することは避けられるはず。
一切の反応がないのを確認すると、木々の隙間から頭だけを出して、目視で左右確認を行う。
これも問題なし。
――時間がないのに怯えすぎではないか?
という疑問から派生し
――もうこの階層にはいないのではないか?
そんな希望的観測が湧いて来るのを、頭を振って打ち払う。
レミリア曰く、強襲されたのは数時間前のことであり、それきり蹄の音は聞いていないらしい。
裏付けるかのように、先ほどから一度たりとも魔物の反応を感知することはない。
……とはいえ、油断は禁物。
警戒しすぎて損はない。
杞憂ならばそれでいいのだし。
「……大丈夫そうだ。階段まで行くぞ。勿論、警戒は緩めるな」
「わかってる」
小声で言葉を交わし、可能な限り物音を立てないようにして――ただし、速度は落とさずに――階段間際まで進んでいく。
……ふぅ。
何事もなく辿り着くことが出来た。
壁にもたれ掛かり、安堵から大きく息を吐いてしまうのは仕方がないことだろう。
無論、魔力感知を緩めるわけではないが。
ハルワタートも同じ心持なのか、すーはーと深呼吸。
それから一拍おいて尋ねてくる。
「今更だけど、カンナはレミリアさんを襲ったモンスターに心当たりあるんだよな?」
「……ああ」
「どんなやつなんだ?」
――黙っている意味もないか。
私はローブを脱ぐと、階段へと踏み出しながら口を開く。
「それは――」
「危ないっ!」
だが、これ以上私の言葉は続かなかった。
次の瞬間、私を襲ったのは鈍い衝撃。
ずしりと重い体格に伸し掛かられ、肺から息が漏れ出る。
私の長い黒髪が地面と身体の間に挟まれ、ぶちぶちと抜ける嫌な音が聞こえた。
次いで、空気を切り裂く轟音と、ばきりという破砕音。
視界は妨げられているものの、聴覚により、何かがひしゃげ、砕け散ったのだと理解する。
「つぅ……」
衝撃に関しては、間違いなく横合いからハルワタートに押し倒されたのが原因である。
「大丈夫か、カンナ!?」
ハルワタートはすぐさま飛び退いて、剣を鞘から引き抜くと私を庇うように前に出た。
……五体満足である。
「あ、ああ」
どうやら、先ほどの破砕音は彼の体躯が発したものではないらしい。
ほっとしながら、私は物音の方角へと視線をやる。
そこには、大木を穿ち、その身を突き立てる棍棒の姿があった。
装飾からするに、恐らくは昼間レミリアが手にしていたもの。
……三階の階段から、恐るべき豪速で私目がけて投げ込まれた?
……もし、ハルワタートが庇わなければ?
ぞっとしたものが背筋を伝うのだが、そちらばかりに注意を向けてはいられない。
階下では何かがみしみしと軋んでいて、その正体を確かめる間もなくぱきりと砕けた。
続けて響き渡るのは、ゆっくりと――だが確実に――蹄が石段を打つ音。
軽妙で独特なリズムを刻むそれは、あたかも私たちを嘲笑っているようですらあった。
階段を抜け現れたのは、筋肉隆々とした戦士と黒馬が文字通り人馬一体となった魔人。
私たちを視界に収めると、数えきれないほどの血を吸っただろう槍斧を手に、にやりと笑う。
――奴の名は、ケンタウロス。
私がこの姿になった原因を作った、因縁の魔物だった。




