自称案内人カンナ の 決断
「な、なんなんだよ、これ……」
私の背後でハルワタートが呆然と呟くのだが、暗闇の中、ただただ空虚に木霊するだけだった。
――私の予想は、驚くべきことに最初の一発で的中した。
運がいいと喜ぶべきなのだろうか。
自問自答して、すぐさま否定する。
……現実を受け入れねば。
予想通り、左側の突き当りに影霧草の群生地はあった。
あったのだが――そこに残されていたのは、かつて人だった残骸と、激しい戦闘の痕跡だけ。
よほどの乱戦だったのか、完全に群生地は踏み荒らされてしまっている。
その上、死体は執拗なほどずたずたに引き裂かれていて、夥しい血液が大地を汚していた。
これでは、無事な影霧草の根など望めるはずがない。
「うっ……」
噎せ返るような死臭にあてられたのか、ハルワタートが膝をついて口を押える。
以前、「大怪我をした人間を見たことがない」と言った彼のことだ。
人間の死体――それも狂喜と共に嬲るような――も初めてであり、刺激が強すぎたのだろう。
私は彼にここで待っているように静止し、微かな希望に賭け凄惨な現場へと歩み寄った。
……無論、希望とは生存者への期待ではない。
例えば、左肩から先が捻じ切られた中身のある甲冑。
例えば、腹に見覚えのある長大な剣を抱え、えらく風通しの良くなった案内人の少女。
例えば、口を大きく開けたままころころと転がっている妙齢の女性の頭部。
例えば、蹄を背中に焼印され、真っ赤な花を咲かせている青年。
これを見て生きていると願えるのは、よほど夢見がちな子供ぐらいに違いない。
「カ、カンナ……? 何を……?」
私は彼を無視すると、黒衣で口元を隠しながら無言で彼らの手荷物を漁る。
そして、物色が終了すると、彼らの亡骸の前で祈りを捧げ、二度と振り返らないようにして踵を返す。
……残念ながら、目当ての品は見つからなかった。
結局、抜き取ったのは全員分のギルドカードのみ。
そして、その四枚を少年へと突きつける。
今のハルワタートは片手で何とか身体を支えている様子。
酷かもしれないが、急を要するのだから仕方がない。
「ハルワタート、これらの名前に見覚えは?」
少年の瞳が見開かられる。
そして、紡がれるのは感情を押し殺した答え。
「……みんな、『サンライズ』の人たちだよ」
「……矢張りか」
震えながらではあるが、それだけ聞ければ十分だ。
四枚とも背嚢へと放り込む。
「……覚悟はしてたけど、きついな」
空いている左手で目元を覆い隠すハルワタート。
僅かばかりの付き合いであったとしても、このような変わり果てた姿を目にしたのだ。
精神的ショックは絶大に決まっている。
だが、私はあえて冷たく言い放つ。
「兎に角、依頼は失敗だ」
影霧草の群生地はそう多くなく、そもそも、四階に存在したこと自体幸運でしかない。
二つ目などは期待できないだろう。
先ほど『サンライズ』の面々の遺物を漁ったのは、彼らが採取済みでないか一縷の望みを抱いてのこと。
もっとも、背嚢に残された医薬品や呪符などは全て損傷しており、発見できたからといって使い物になったかは別問題だが。
「もう、彼らに用はない。私たちの依頼は『サンライズ』の死亡確認ではないのだから」
「……わかってるけどさ」
「……それに、彼らを殺した張本人が戻ってくる可能性もある」
「それって」
ピクリと反応し顔を上げる少年に浮かぶのは絶望の色。
私には、彼の考えていることが手に取るように把握できた。
今ここにいるのは四人だけ。
『サンライズ』を構成するのは五人だ。
――信じたくはない。
そう願いつつも、この場にいない一人へと疑惑を向けているのだろう。
だが、私は首を横にして否定を示す。
そもそも、彼女の主武器は鈍器であり、首を撥ねることなど不可能である。
ましてや鎧ごと人間をねじ切ったり、踏み殺したりなどどう考えても人間業ではない。
紛れもなく魔物による仕業だった。
「安心しろ。きっと君の考えは違う。残念なことに、心当たりがあるのは私の方だ」
「カンナの……?」
――階層に似合わぬ実力を持った魔物。
――冒険者を抹殺するその手法。
――見覚えのある得物。
これらの要素から導き出される答えはただ一つ。
あまりにも気づくのが遅すぎた。
まだ、いるのか?
だとしたら、奴に見つからないうちに早く――。
冷や汗が伝い、私まで声が震えそうになるのを誤魔化すと、毅然とした態度でハルワタートへ声をかける。
「運が悪かったとしか言いようがないが……撤退する。さあ、立て」
逸る気持ちを抑え、私は少年へと手を差し出した。
◆
熟慮の末、退却の前に一度三階まで引き返すことにした。
撤退の呪符を発動するのは当然私である。
何故なら、ハルワタートは呪符の存在すら知らなかったのだ。
この状況下ということもあり、そんな彼に発動を任せるのは不安が残る。
だが、そうすると集中のために感知魔法を解く必要があり、魔物を警戒出来なくなる。
本来ならばその間、残りの四人が警戒にあたるのだが、残念なことに我々は二人パーティ。
要するにハルワタート一人だけということになる。
もし四階に奴がまだいるのなら、奇襲を仕掛ける絶好のタイミングに違いない。
ならば、せめてでも階を変えてから使用した方がいいだろう。
無論道中で奴と出くわす可能性もあるが、完全に無警戒な状態よりはマシのはず。
そのあたりを吟味しての決断だ。
ハルワタートも納得し、階段へと向かう途中――
「……ハルワタート、止まれ」
「え?」
「何か、物音がする」
私の耳に届いたのは衣擦れの音。
立ち止まると左側の木々へと目を凝らし――向こう側に何かがいるのに気づいた。
魔力を感じないことから魔物ではないようで、ほっと安堵の息をつく。
どうやら、あちらは天然の小部屋になっているらしい。
隙間なく葉が生い茂っていることもあり、傍から見ただけでは中に何があるかはわからないだろう。
事実、私たちは行き道では一切気づくことはなかった。
私は出来る限り音を立てないよう心掛けて、ゆっくりと枝を掻き分けると詳細を確認する。
――真っ先に視界に飛び込んできたのは、三分の一ほどが朱に染められた白い鎧だった。
「レミリアさん!?」
少し遅れて少年が叫ぶ。
そこにいたのはレミリアだ。
鮮やかだった金の髪は土に塗れてくすみ、流麗な面立ちも苦悶に歪み脂汗が浮かんでいる。
利き腕であろう右腕はだらりと垂れ下がり、身を守るはずの盾は砕け、上半分を失っていた。
「君たちは、どうし、て……ここに……?」
ハルワタートと共に向こう側へと通り抜ければ、息も絶え絶えで彼女は問いかけてきた。
言葉に詰まる少年に代わり、私が答える。
「君たちが戻ってくるのが遅すぎるので、訝しんだ依頼人が影霧草の入手を頼みに来た。それを請け負ったのが私たちというわけだ。――残念ながら、すでに踏み荒らされてしまっていたが」
説明を受けて力なく笑うレミリア。
血色を欠いたその表情が、何よりも彼女の受けた傷を物語っていた。
「そう、か……安心、したまえ……。影霧草なら、私が、持って……いる」
「それは、好都合だが……」
「何があったんですか……?」
「……いきなりの、こと、だったよ」
続けて、ハルワタートが問う。
すると、レミリアは顔を顰め、どうにかといった様子で言葉を紡いでいく。
「採集の、途中……いきなり、蹄の音が……聞こえたんだ……。次の、瞬間……剣が飛んできて……ミィが、串刺しに、されて、いた……。そこ、からは……総崩れ、さ……」
「撤退の呪符は?」
「間の悪い、ことに……持っていた、のは……ミィで、ね……。低階層……だからと、一枚しか……持ち出さなかった、油断、だった、のかも……しれない。そして、前衛、のはずの、私が……影霧草を……持っているからと、逃がされて……。だというのに、動くことも出来ず、酷く、無様だ……」
最後の方はすすり泣きが混じっていた。
……軽く検分したところ、出血は止まっているものの身動きは取れそうにない。
いわば、首の皮一枚つながった状況とでも言うべきか。
生きているだけで幸運であり、安静を保たなければすぐさま傷が開き命を落とすことになる。
こうなってしまえば軽装と言えど鎧はただの重しに等しく、むしろ、この小部屋まで辿り着き身を隠しただけでも賞賛に値する。
「私のことは、構わず……これを、もって、行ってくれ……」
振り絞るように声を出し、影霧草の入った麻袋を差し出してくるレミリア。
それは、彼女の懇願だった。
恐らく、何の手立ても打たなければ、『再編』に巻き込まれるよりも早く、体力が尽きることでレミリアは命を落とすだろう。
それすらも覚悟して、彼女は私たちに託そうとでもいうのだろうか。
自然と、私とハルワタートはお互いを見やる。
そして、私たちの下した答えは――。