自称案内人カンナ の 困惑
「これが一階の上り階段だ」
数十分後、何とか暗闇を抜けた私とハルワタートは、石造りの扉の前に立っていた。
小さな石室である。
高さは周囲の樹木に負けず劣らずといったところ。
苔むした外壁が年月を感じさせるものの、それが却って荘厳さを引き立たせている。
反応を待たずに扉を開け放てば、かなりの急勾配で積み重ねられた石段が出迎えてきた。
「……一見普通の階段だけど、おかしいよな?」
目をぱちぱちさせながら呆然と呟くハルワタート。
扉の内部は、真夜中だというのに爛々と明かりが灯されていて、夜目には眩しすぎる。
だが、それだけが原因ではないだろう。
明らかに動揺していた。
なんとも初々しい彼を見て、私は苦笑してしまう。
少年の反応も無理はないだろう。
『カテドラル』内部の空は高く、下手をすれば室内だということを失念してしまいそうな空間である。
だというのに、外から見た石室は、どう足掻いても天井に届く高さではなかった。
……どうやって上まで行くのか、疑問を覚えるのが当たり前。
「階段と言っても形だけであって、空間と空間を繋ぐ転移装置のようなものだ。もしかしたら何らかの魔道具の影響下にあるのかもしれない」
ちなみに、『カテドラル』の入り口や階段にある扉は結界のようなものが張られていて、魔物には潜り抜けることが出来ない。
魔物の巣窟である『カテドラル』の入り口に門番が配置されていないのもそれが原因だ。
そのため、階段内部は一種の安全地帯といえる。
「そうだよな、この空の上に二階があるってのも違和感のある話だし」
推測を口にすれば、ハルワタートは夜空を見上げてうんうんと頷いていた。
そんな彼を横目に、私はローブを一端脱ぎ去る。
別に暑いからではない。裾を踏みつけないためだ。
今の私にとって、この黒衣はサイズが合っているとは言い難い。
平坦な道のりであればまだしも、階段など足場の悪い個所では足を縺れさせる危険性がある。
宿屋のように手すりが備え付けられていればその心配もないのだが、迷宮にそこまでの配慮を求めるのは無茶というものだろう。
丸めた黒衣を小脇に抱えてから段差へと足をかけた。
その後ろを彼がついてくる――
「……あ、悪い。俺の方が先に行くよ」
と思いきや、すぐに私を押しのけるように追い越してきた。
「む? どうしてだ?」
「いや、階段だし」
階段だからなんだというのだ。意味が分からない。
私は首を傾げ――いくら考えても答えが出ないので、前に行く少年の肩を掴む。
「ええと……それは」
しどろもどろになるハルワタートを睨み付ける。
四の五の言わず吐け。
それだけの眼力を込めたつもりだというのに、何故か彼の顔が赤くなっていく。
「じゃあ言うけど……怒らないでくれよ?」
「怒られるようなことをしたのか?」
「俺は悪くない! ……と思う。不可抗力だ」
「なら、尚更言いよどむ必要はないはずだ」
少年の顔に浮かぶのは逡巡。
だが、私の一言がトドメになったのかゆっくりと口を開き始めた。
「あの、カンナは女の子にしては結構歩幅が広いよな」
「ああ」
……それは当たり前だ。
あくまでこの身体は仮初でしかないのだし、案内人である以上、一定の歩幅を保つよう身体に染み込ませてある。
だが、何の関係があるというのだろう?
「なのに、わざわざローブを脱いで丈の短いスカートで階段を登るから……しかも、この階段結構急だろ? まあ、その、ちょっと」
疑問が晴れない私を前に、再びハルワタートは言葉を濁す。
追及してやろうかと思いきや、意を決したのか自分から続けていく。
「太ももとかスカートの中とか……察してくれよ」
その言葉に私が視線を下ろせば、すらりとした透き通るような肌をした素足が晒されている。
歩き回っていたせいか、うっすらと汗ばんでほのかに朱色に染まっていた。
更に、下着まで。
……見られていた。
そう実感した途端、顔がかーっと熱くなり、正反対に背筋にはぞくぞくとした悪寒が走る。
慌てて私は少年から顔を逸らす。
――これは、羞恥と嫌悪……だろうか?
私は冷静になるよう推測を立てて――頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。
どうしてだ?
わざとではないとはいえ、ハルワタートに見られたから?
――いや、それはおかしい。
何故なら、私は男なのだ。
昨夜風呂に入ったとき、自分の姿を見て顔が赤くなってしまった理由はわかる。
いくら自分の体躯とはいえ、無防備な裸身の少女をまじまじと見つめたのが原因だ。
ベッドに寝転んで、何とも言えない背徳感に苛まれたのは記憶に新しい。
少女染みた服装に関しても同じはず。
三十路にもなって女装をしているのだから尚更。
あくまで、これらは私が男だからの感情である。
しかし、今のように羞恥と嫌悪を感じるというのはどう考えても道理が成り立たない。
同性に裸や下着を見られたからと言ってなんだというのだろう?
かつての駆け出しの頃、公衆浴場に通っていたのだが――当たり前とはいえ――衣服を脱いで風呂に入ることに抵抗はなかった。
いや、そういう趣味の相手に見られているとわかれば恐怖を感じたかもしれないが――兎も角。
これでは、あたかも完全に少女になってしまったみたいではないか。
私を襲ったのは、まるで自分が自分でなくなってしまったような、非常に不可解な感覚。
足元がガラガラと崩れ去る錯覚に陥りそう。
気づけば、ハルワタートが私の顔を覗き込んでいて――
「ほ、本当にごめん。わざとじゃないんだよ……顔が青いけど、大丈夫なのか?」
「あ、ああ」
……今は、余計なことを考えるな。
私は、迷宮の探索中なのだと自分に言い聞かせ、感情に蓋をすることにした。