自称案内人カンナ の 夜行
酒場での下準備が済んだ私は、ハルワタートを伴い『カテドラル』一階の入り口に立っていた。
迷宮内で真っ先に目に入ってくるのは、夜空に浮かぶ満月。
あくまで日中の太陽が変化したものであり、入れ替わりに登って来たというわけではない。
一見すれば内と外とで変化がないように見える夜空だが、迷宮内部には一切の星が輝いておらず、やはり異空間以外の何物でもないのだと思わされる。
「……時間はないんだよな?」
今にも飛び出しそうな勢いのハルワタートを、私は手で静止し淡々と嗜める。
「焦るな。下手に道を間違える方が余程時間を無駄にする」
「そりゃそうだけど……」
現在八時。
『再編』が行われるのは日付が変わるのと同時なので、彼の言うとおり残りは四時間しかない。
だが、それは普通に進めばの場合である。
「質問の答えだが、確かに、この時間帯なら普通は四、五時間かかるだろう。しかし、最短ルートを間違えることなく進めば二、三時間ほどで四階までたどり着けるはずだ」
「でも、それだと往復する時間はないんじゃ……?」
「いや、帰りは撤退の呪符を使う。……報酬の額を考えれば大赤字になってしまうが、背を腹には代えられない」
「そっか……。なら、その分は明日から俺が稼ぐよ」
銀髪がしゅんと項垂れるのは、叱られた子犬を連想させ、ついくすりとしてしまいそうになる。
月明かりに照らされてることもあり、夜目には互いの表情がばっちりと見えていた。
夜の迷宮では可能な限りたいまつに火を灯したくはないので、自然光で視界が開けているのは幸運と言っていいだろう。
何故なら、魔物は動物と違って炎を恐れないのだ。
それどころか、怨敵とばかりに活発になって襲ってくる。
前述のとおり、往きだけであれば幾何の余裕はあるが、影霧草の群生地は未だ不明である。
ハルワタートの体調面での心配もあり、無駄な戦闘で時間を浪費するのは避けたかった。
その点、今の私たちは偶然にも黒衣に身を包んでいて、闇夜に紛れるには適当な格好といえる。
「……絶対、成功させないとな」
何処か気負った様子でハルワタートが呟く。
私と名も知らぬ孤児。
恐らくは、二人の命を背負っているとでも考えているに違いない。
モチベーションは高いようだが、下手に根を詰められても困る。
私は手の甲で彼の腹をこつんと小突き、じっと視線を合わせ、不敵に微笑んだ。
「言っておくが、私と君の実力を合わせれば十二分に完遂可能な依頼だ。本当に子供を助けたいのなら、そんな顔をしていないで無理にでも笑っておけ。これから数時間ずっとその調子では体力が持たない」
「……あ、ああ」
だというのに、返事まで少しの間が開き、目の前の少年は赤くなって余計にかちこちになってしまう。
まあ、さっきよりは幾分マシか。
この様子なら次第に強張りも解れていくだろう。
ちなみに今の言葉に嘘偽りはない。
報酬と不確定なリスクが全くと言っていいほど釣り合っていないというだけであって、ある程度の実力を持った探索者からすれば、条件は最悪でもたかだか四階なのだ。
私は勿論、ハルワタートもその域には達している。
……唯一の懸念は『サンライズ』が消息を絶った原因か。
「でも、折角ゴードンさんやレミリアさんの知り合いがカンパしてくれたんだし期待に応えないとな」
「カンパ……? ああ、傷薬などのことか」
彼の言うとおり、酒場を後にする際、一部の冒険者から少額のアイテムを寄付してもらえた。
事実なのが情けないが、余程生活に困窮していると思われたようだ。
「言いたくはないが、エイミーからの報酬より集まったアイテムを売却した金額の方が多いかもしれない」
「それは……気にしない方がいいんじゃないかな」
それほどまでに、エイミーの提示した報酬は少なかった。
孤児なのだから当然だ。だが、必死に縋る思いで掻き集めたものなのだろう。
「さあ、時間がない。進むぞ」
私は促すと、『再編』の夜ということもあり人の気配のない迷宮を歩み始めた。
◆
「……真っ暗だけど、どうするんだ?」
真っ暗闇を前に、呆然と呟くハルワタート。
私たちが今いるのは、大森林の中でも特に鬱蒼と木々が生い茂る地点。
昼間であれば問題はないのだろうが、隙間なく敷き詰められた葉により、月明かりは完全に遮られている。
お世辞にも視界が鮮明と言い難い状況である。
だというのに松明なしで進めというのだから、迷宮に慣れていない彼が慄くのも当然だろう。
「言ったはずだ。階段までの道のりは私の頭の中に入っている。その上、方角も魔法で判断できる。前が見えなかろうが、言うとおりに進めばいい。私を信頼できないというなら別だが」
「んな無茶な……」
「私のことが信じられないというなら、君も警戒を厳にすればいいだけのことだ」
「いや、信じてないわけじゃないけどな?」
少しでも時間を稼ぐため、最短ルートを突き進むのは決定事項だ。
弁明を無視して、改めて魔法の発動忘れがないか確認する。
特に魔力感知は最重要。
この暗がりである。
警戒を怠れば、魔物に不意を突かれる危険性は非常に高い。
――魔物は一番近いもので南南東に四匹。この距離なら気づかれることはなく、何の問題もないはずだ。
一人ごちてから、最終確認とばかりに四枚の方眼紙を取り出した。
その全てに私が記入した詳細な地図が描かれている。
歩幅が変化してしまった今では若干の縮尺の変化が必要となっていて、再計算のために使用したものである。
「……あの子が目覚めたらちゃんと弁償しなければならないな」
大きな声では言えないが、方眼紙は昼間に迷宮で助けた案内人の少女の手荷物から拝借してきた。
意識が回復していれば了承を取れたのだが……。
案内人の技術を使えばいつでも白紙に戻せるとはいえ、気分的には新品の方がいいに決まっている。
宿代に食費、アイテム代――ここ数日何かを借り受けてばかりだと若干憂鬱になりながら、私たちは殆ど視界のない森林へと足を踏み入れる。




