自称案内人カンナ の 来訪
完全に陽が落ちたこともあり、酒場はごった返しつつあった。
そんな中、私たち二人は所在なさげに端の席でたむろっている。
手にはそれぞれ黒パンが一つずつ。
結局、空腹には耐えられず、ゴードンに頼み込んで食事を用意してもらったのだ。
それもこれも、辺りに立ち込める香ばしい匂いが原因。
ついつい生唾が出てきそうなそれは、飢えた私たちにとって最早拷問である。
せめて部屋に戻れれば良かったのだが、少女の安静を鑑みればそうはいかない。
「お前ら、その様子じゃ探索に失敗したみてえだな。魔物相手に逃げ出したか?」
昨晩、居合わせた客の一人なのだろうか。
ほろ酔い気分の冒険者が絡んできたのだが、私は視線を向けることすらせず、黒髪を指にくるくると巻き付けながら興味なさげに答えた。
「まさか。手に余るほど大きな拾い物をしただけだ。手荷物が一杯になってしまったのだから帰還する他ないだろう?」
まあ、傍から失敗したように見えるのは仕方がない。
他の卓はどこも豪勢な食事を取っているというのに、私たちの席だけは酷く粗末であるのは確かなのだから。
しかし、いちいち説明するのも面倒くさい。
黒パンの最後の一欠けらを口に放り込むと、もそもそとした食感を味わってから水で流し込む。
「……本気で潜り続けるつもりかよ」
あまりにからかい甲斐がないと判断したのか、それだけぼやいて酔っ払いは立ち去って行った。
「明日も『カテドラル』に行くんだよな?」
彼を見送ってから、ハルワタートが問いかけてくる。
「ああ。そのつもりだ」
今の私は居候。
その身分にも拘わらず、見ず知らずの少女に寝床まで貸し与えてしまった。
意識を失っているとはいえ、彼女のことを考えれば同じ部屋で眠るというわけにはいかない。
今宵は彼と同様に馬小屋で寝ることになるだろう。
流石にそんな暮らしを続けたくはないし、いい加減安価なパンとスープだけの食事にも飽きた。
どうにかして金を稼ぐのは急務である。
「心配しなくても、今日と違って明日は結構稼げそうな気がするけどな」
「何故だ?」
「まず、魔物に怯える必要がない。……もう、あんな無様な姿は見せないよ」
なんとか胸の中の整理がついたのか、握手に応じて以降、彼の表情は晴れ晴れとしていた。
しっかりとこちらを見据えてくる。
これならば魔物との戦闘は問題なさそうだ。
レッドキャップ戦で見せたあの動き。
あれが彼の本気だとしたら、一階の魔物などどれだけ襲いかかられようが、楽に蹴散らしてしまうに違いない。
「次に、地図はカンナの頭の中に入ってるんだよな? 真っ先に採集ポイントに向かえばいいんじゃないか?」
確かに、現在の地図は正確に暗記してある。
歩幅の変化も、それを念頭に置いて再計算すれば何の問題もないだろう。
しかし――
「いや、それは今の一階でしかない。不運なことに、今宵は『再編』の夜だ。また地図は書き直しになってしまう」
「……レミリアさんたちも言ってたけど『再編』ってなんなんだ? 聞いたこともない言葉なんだけど。もしかして、周りのテーブルにご馳走が並んでるのも関係あったり?」
……そうか。
迷宮初心者であれば知らないのも無理はない。
基本的な事柄は説明しておかねばならないだろう。
「『カテドラル』は神が作り上げた――そう伝説で謳われているのだが、理由は二つある」
「多分、一つは内部が異世界みたいになってるからだよな」
私はこくり。
異様な高さの外観といい、人間が建造可能な範囲をどう見積もっても軽く超えている。
だが、もう一つの理由に比べれば霞んでしまう。
「もう一つは、生きている迷宮だということだ」
「……生きている?」
「ああ。たったの一週間で『カテドラル』は完全に生まれ変わる。通路の構成も、宝の配置も、罠の位置も全くの別物にな」
ハルワタートは怪訝な顔をするが、決して出まかせを言っているわけではない。
『再編』を迎えた『カテドラル』は、まるで虚空から現れたかのように全てがリセットされてしまうのだ。
その恩恵は絶大である。
例えば、資材。
一階にある大木をいくら切り倒そうと、一週間もすれば何事もなかったかのように大森林が広がっている。
例えば、宝箱。
『再編』の度に新しいものが湧いてくるのだから、冒険者たちが惹きつけられるも当然のこと。
神の恩寵と称える者までもいる。
はたまた、冒険者を死に追いやる悪魔の誘惑とも。
真偽は兎も角、莫大な資材の供給と人員の流入を招いていることは紛れもない事実だ。
それ故にこの街は発展し続けてきた。
「……不思議に思わなかったか? 人間が『カテドラル』の探索を始めてからすでに何十年、何百年と経過している。普通の迷宮ならば、これほど年月をかけて踏破者が一人もいないというのは有り得ない」
そもそも、有り触れた迷宮であれば、内部を書き記した地図は複製され巷に溢れてしまうだろう。
疾うの昔に案内人は失業しているに違いない。
だが、生きた迷宮である『カテドラル』においては地図も同様に生ものだ。
より鮮度の高い地図が求められ、最終的にパーティの一員へと加えられるまでに至ったのである。
「……要するに不思議なダンジョンってことか」
「言葉の意味はよく分からないが、理解できたならそれでいい。そして、迷宮が作り替わる日のことを、私たち探索者は『再編』と呼んでいる」
それだけ言って、私は周囲の探索者たちの席へと目を向ける。
誰もが酒を酌み交わし、厚切りの肉を頬張ったり、てんやわんやの大騒ぎを繰り広げていた。
「ちなみに、他の探索者が豪勢に散財しているのは、『再編』の日には全員が迷宮から脱出するからだ。私はあまり好きではないが、生き残れたことを感謝し祝う意味合いがあるらしい」
「ん、なんで脱出するんだ? それだと一階からまた探索しなおしだよな? 手間を省く意味でも、居座った方が良い気がするんだけど」
続けて質問。
私も渋る必要はないのでちゃんと答えてやる――つもりだったのだが、酒場に勢いよく入ってきた少女の前に中断される。
桃色の髪をした、まだあどけなさが抜けきらない女の子である。
恐らくは今の私の姿より一つ、二つ下ぐらいか。
酒場のような荒くれ者が集う場所には慣れていないのだろう。
注視してみれば、瑠璃色の瞳がその憔悴を表すように揺れていた。
そして彼女は、おどおどとしながらも大きな声で皆に聞こえるように叫ぶ。
「あ、あのっ。お姉ちゃん来てませんかっ!?」




