自称案内人カンナ の 探索
「……本当にカンナが言っていた通りなんだな」
迷宮に足を踏み入れた途端、ハルワタートが迷宮内部の青空を見上げて立ち止まる。
つられて私も宙を仰いでみれば、太陽に目が眩みそうになり慌てて手で遮った。
視線を落とせば、広がっているのは鬱蒼と生い茂る大森林。
一見穏やかに見えるが、時折魔獣の咆哮が響いていて、決して楽園ではないのだと思い知らされる。
「なんだ? 信じていなかったのか」
「いや、そういうわけじゃないけど。ほら、やっぱり自分の目で見ないとさ」
軽く冗談を飛ばすと、ハルワタートは慌てて弁明を始めた。
まあ、彼の言うことは理解できなくもない。
私も体感したことだ。
初めて迷宮に入ったとき、何度も師から聞かされていたというのに衝撃で立ちすくんでしまった記憶がある。
もう二十年以上前。
あのころはまだ妹も生きていた。
……だが、すぐに感傷を振り払う。
自分の仕事をしなければと考え、呪文を幾つか歌うように口ずさみ、準備を始めた。
「――――♪」
漏れるのは自分のものではない高い声。
手慣れた行為だというのに――いや、だからこそなのか?――違和感を覚え、若干の不快を無視するように努める。
少しして、周囲にぽつぽつと魔物の反応があるのを感じ取る。
……問題なく発動したらしい。
迷宮内に巣食う魔物は、例外なく体内に莫大な魔力を抱え込んでいる。
その影響もあり、迷宮外の動植物ではありえない異常な進化を遂げたというわけだ。
私の唱えた呪文はそんな彼らの魔力を感知するもの。
これを使用しておけば、感知範囲外からの突貫なんてふざけた真似をされない限り、まず奇襲は防げるはず。
他にも、時刻を判別する魔法や、正確な方角を指し示す呪文を唱えていく。
異次元に近い迷宮内部では魔法を使わねば対応できないことも多い。
例えば、方位磁針などは狂ってしまい頼りにならず、どれだけ並列で呪文を唱えられるかも案内人の腕の見せ所といえるだろう。
地図は――今のところ必要はないと考える。
そもそも、書き記す紙がない。
所持していたものは背嚢と共に失われたのだから当たり前だ。
普段地図を書くときには方眼紙を使うのだが、これは中々の高級品。
ただでさえ無一文の私たちに買えるはずもなかった。
とはいえ、然したる問題はないだろう。
何故なら、数日前に一階を探索したばかりだからだ。
……そう、ズルゴたちのと探索である。
詳細な地図を作ることが出来ず、何度も繰り返し同じ道を歩かされた。
腹立たしい記憶ではあるが、この状況では逆に功を奏していて、踏破した地形は殆ど頭の中に入っていた。
「では行こうか」
準備が出来たので声をかければ、こくりと頷くハルワタート。
私たちは慎重に気配を探りつつ、一階の探索に励むことにする。
◆
草木を踏みしめる音と共に、私たちは木漏れ日だけが差し込む仄暗いけもの道を歩んでいく。
先行するのは私。
不慣れなハルワタートに斥候を任せるのは不安が残るからだ。
そんな私の考えも知らず
「木々の中を強引に通っちゃだめなのか?」
と呑気に尋ねてくるハルワタートに首を振ることで答える。
視線を向ければ、片足を生い茂る草木の中に突っ込もうとしていた。
「やめておけ。そちら側は魔物のテリトリーだ。ひとたび入れば、群がられてもおかしくはないぞ」
「……うげ」
無論、魔物を一蹴するだけの実力があるなら話は別だが、残念ながら私たちにそんなものはない。
納得したらしく、彼はそれきり尋ねてくることはなかった。
それをよいことに、私は思索を巡らせる。
とりあえず、最初の目的地は薬草などの生えている採集地点か。
『カテドラル』内部は土壌も豊かであり、上質な素材が手に入る傾向にある。
少なくとも、魔物を狩るよりは安全に小銭が稼げるに違いない。
――ええと、ここから確か東に向けて七十歩ほど向かったところに一本道があったはずだ。
その次は百二十歩ほど南に進んで――。
脳内に地図を展開し、正確に距離を測りながらルートを計算していく。
この通りに進んでいけば、寸分の狂いなく目的地にたどり着けるだろう。
到着時刻は三時過ぎぐらいか。
これは案内人としての修業の成果。
とはいえ、別段大したものではなく、志す者ならば全員が身に着ける必須スキルと言っていい。
案内人は修行の手始めに、歩幅を常に一定に保つよう訓練をする。
最初の関門といってもよく、これをクリアできなければ次の段階には進めない。
案内人とその師匠の屋敷は、このためだけに床の模様が升目上に統一されているほどである。
日常でも意識することで徹底的に身体に身に叩き込むのだ。
そのせいで、魔物に追い掛け回され逃げているのに走る幅は一定でかくしゃくとしてしまう――なんてのは案内人の笑い話の一つ。
これさえ身に着けてしまえば後はなんてことはない。
個人差はあるが、私の場合、方眼紙の一マスにつき十歩。
そう定義づけておけば、どの程度歩けばいいかなんて簡単に覚えられる。
十、十一……三十八、三十九――。
「なあ、カンナ」
「――ひゃあ!」
だというのに、急に後ろから声をかけられ、びくりと跳ねてしまった。
慌てて私は振り返る。
「わ、悪い、驚かせちゃったか?」
申し訳なさそうに言うハルワタート。
あまりにも情けない悲鳴を上げたのが恥ずかしくて、私は彼の顔が見れなかった。
熱くなる頬を抑えつつ、何が原因なのかを考察する。
歩数を数えるのに集中しすぎていた?
いや、そんなわけはない。
ちゃんと周囲に魔物がいないか気を配っていたはずだ。
……まさか、柄にもなく緊張してしまっているのだろうか?
迷宮に入るのは四日前。
思えば、これだけの間を開けて迷宮に入るのは何十年ぶりだろう。
そのせいで不安になってしまっているのだとしたら、きっと恥ずべきことに違いない。
「……で、なんだ?」
こほんと咳払いして、ハルワタートの方を向く。
「あー、考え事してたんなら悪い。さっき、迷宮に入る前なにしてたのかなって」
ハルワタートは頬をぽりぽりと掻いていた。
悪いと思うのなら、今の醜態は忘れて欲しい。
「……撤退の呪符にパーティの認証をしていた」
「認証?」
「探索は基本的に案内人一人と冒険者四人で行われる。入り口で出会った『サンライズ』もそうだっただろう? さて、どうしてだかわかるか?」
「さあ……?」
唐突に話題を変えられ、ハルワタートは面食らった様子だった。
首を傾げて考えるそぶりを見せたものの、すぐさまお手上げとばかりに掌を上にする。
少し意地悪な質問だったかもしれない。
前提知識なしに察しろというのが無茶な話だ。
「考えても見ろ。もし、呪符が一人につき一枚必要なら、ゴードンがたった一枚を渡すはずがない。取り合いになるに決まっているからな」
「……ああ、そういうことか」
ヒントを出せば、彼は理解したとばかりに頷いた。
「うむ。一枚に複数人登録することが出来、それが五人まで。だから、冒険者はパーティを五人で形成するんだ」
つまり、私かハルワタートのどちらかが呪符を使えば、自動的に二人が入口へと転送される。
これは生存していた場合に限り、死体は置き去りだ。
「なるほどなー。大人数で押し掛けるのは呪符が複数必要になるってことか」
「かといって、複数パーティで儲けを山分けにしても、今度は呪符代が馬鹿にならないというわけだ。……納得できたか? 行くぞ」
幸い、説明しているうちに頬の赤みは引いたようだ。
私はハルワタートを促して目的地へと進んでいく。




