表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

パパ

作者: おにざわき

父、それは、偉大である事に気付くのに、時間が掛かった。

私が生まれたばかりの時、貧乏だった。古いアパートに居た。父は会社員として日中働き、母は父が帰って来ると夜勤めに行く。私が泣くと隣人から「うるさい」と壁を叩かれた。薄い壁である。そんな中でも、寒い冬、父は私を風邪ひかせない様に、私を抱きしめ寝ていた。私と父の間には私の布オムツが温められていた。そんな姿に母は微笑む。

私が一歳になり、妹が生まれた。生活が困難になり、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に預けられた。私はワガママに育てられた。一年が経ち、父は無理をして、私と暮らす為に借金をしてまでも家を建てた。

やがて小学生になり、兄弟は五人になり、父は、出不精になる。動物園に行った写真、遊園地に行った写真が残されて居るが、どちらも一回しか行っていない。何度も父に何処かに行きたいと、訴えてた自分は良く覚えている。父はテレビの前にドンと座り父の背中ばかり見ていた。食事は子供が先に食べ、父は子供が、お腹いっぱいに食べたのを確認してから箸を持った。子供達が上手に食べれなかった魚に箸をつける。五匹の魚は骨だけになる。いつも、同じ時間に仕事から帰ってくる父。帰ってくる時間が分かってる私達は玄関で待つ様になる。「ただいま。」しか言わない父、だが、待ってる自分が嬉しかった。父は仕事から帰って来て「疲れた」と、言ったことは無かった。

ある日、父と母が喧嘩する。壁に耳を当て息を殺す。だか何を言ってるのか聞こえず、自分達も悲しく、どうしたら良いのか分からず。ただ、ずっと朝まで不安であった。次の日は、いつもより笑って母に甘えた記憶もある。

いろんな時間が過ぎ、中学生である。この頃の父は変わらず、仕事に一生懸命である。私も部活を始め、父とは会話が無くなる。何も聞いてこないし、話かけない。でも、この時、父は、これから子供達に掛かる、お金を、貯める為、自分には、お金を掛けず、無趣味に過ごしていた。この時、私は、グータラな父と見ていた。しかし…この時期に父のばあちゃんが亡くなった。お通夜にお葬式を、長男だった父は喪主として最後まで、しっかりしていた。だが、私は隣の部屋で静かに涙を落としてる父を見た。そんな父に私の胸は締め付けられた。そんな父の姿は私だけしか見てない。誰にも言ってない。言いたくない。父は亡くなったばあちゃんが大好きだったのである。私も、ばあちゃんが大好きだった。

高校生になる私。変わらずの父。だが、通学は父の通勤と同じ地下鉄。父と一緒に家を出る。小さかった頃、一緒に歩いた記憶が無かった私は、なんだか父を独り占めしてる感情に溢れる。嬉しくて沢山話をしてしまう。大した話でも無いのだが…聞いてくれる父、話してくれる父。この時、父の笑顔が好きで仕方なくなる。家に帰ると、普段通りの父であるが、それでも良いと思う様になった。

さて、社会人になる私。車の免許は父が取らせてくれた。お金を用意していてくれていた。お風呂が好きだった父に毎週、日帰り温泉へ連れていく。一回入って大広間で休み、また入りに行く。満喫していた。穏やかな時間だった。この頃、我が家の門限は22時迄と決められていた。一度、門限を過ぎてしまい、行き付けのカラオケパブで楽しんでる中、怒鳴り込み迎えに来た父、引きずられ店を出る。家に着くと正座させられ、涙声で怒鳴る父、小さい頃から母にしか叱られた事が無かった。母の叱りより何倍も心に突き刺さる。父の怒鳴る涙声…。怒る父に安心も覚えた。

二十歳を超え、ボーイフレンドが出来た私。父には隠さず友達と紹介。だが父は、「一人の男に決めずに色んなボーイフレンドと天秤に掛けて一人に決めても良いんだぞ。」と言う。その時は意味が分からなかった。今となれば分かる様に思える。ある日、私は体を壊し入院した。兄弟は、お見舞いよりデートだ。そんな中、父は毎日来てくれた。毎日お見舞いに来ない兄弟の不満を私にぶつける。私が言うはずのセリフを父が言う。いつも、お稲荷やお菓子を持って歩いて来てくれた。父は車の免許を持って無いのだ。歩いて30分の病院まで来てくれた。父の趣味は無いけれど、趣味は子供と言えるかも知れない。父の愛に私は直ぐ元気になれた。遠かった父の存在は今は凄く近い。嬉しい。今まで一生懸命働いて来たのは、私達の為、どれだけ汗を流してくれたんだろう。どれだけ我慢もしてきたんだろう。父の職場を覗きに行ったことがある。作業服に包まれ、職場の人達と笑顔で話、仕事に掛かると真剣な顔になり、家では見せない顔。今までで一番素敵な父だと思う。誇りに思う。父がこの人で良かったと思った。

私が、いよいよ結婚する。私は父が喜んでくれて納得する男性を探す様になる。ギャンブルしない、酒飲まないが優先である。男は女で変わる。女も男で変わる、思いやりがお互いに続けば大丈夫だと父が言う。いよいよ彼が父に会う。父は、彼の顔を余り見ない、彼は緊張の余り上手く話せない。でも、その場のレストランのラザニアは凄く美味しかった。ラザニアが全てを上手く運んでくれた。

そして、結婚式だ。父は白無垢を絶対来てくれと言う。私は教会で挙げようと思っていた。父が私に頼んだのである。今まで物事を頼まれた事は無かった。そんな父に私は素直に白無垢を着ている。だが、私を見ようとしない。私が父に話しかける。「結婚してもチョクチョク実家に行くよ。私の顔見ないと病気になっちゃうもんね。」父は、苦笑いを浮かべ、チラッと私を見て「いつでも、好きな時に遊びに来い。」と言う。親戚に御酌で忙しそうだ。とびっきりの笑顔で楽しそうに見える。私の目に映る父が主役に見えて来て嬉しく思う。いよいよクライマックス、花束贈呈の時間が来た。父の近くへ歩み寄る。父は、うつむいて顔を上げてくれない。上げれないのだ、私も父の顔を、見てしまえば、きっと泣き崩れてしまう。父も私と同じ気持ちであろう。私以外の家族は父の涙を見たことが無いのだ。父は父らしくしているのだ。花束贈呈が終わり、父に背を向けて、戻る時には、私は、父に負けた。先に泣き崩れてしまい、真っ直ぐ歩く事が出来なくなり、これから生活を共にする彼に支えられ歩いてた。私の姿を見た兄弟も、父の姿、私が流した涙を見て涙を流す。兄弟も何かを

感じ取って居たのだろう。凄く寂しい気持ちになる。父から旅立つ自分は不安一杯で、一緒に育ってきた兄弟も、喧嘩ばかりの毎日だったが、離れて暮らすなんて身を千切られる思いになった。みんな父が一生懸命、私達の為に頑張って来てくれた事に気付く年頃だ。どんなに父が強がっても、父の辛さは兄弟の胸に響いて居る。父が辛い時、家族みんなが辛くなるのである。

一年が経ち、おめでたである。父は、お爺ちゃんになるのを嫌がりながらも、満更では無い様子だ。お腹が大きくなる私に気を使ってくれる。出産も無事に終わり、早速見に来る父。赤ちゃんを見て安心して私に「頑張ったな。」と優しく静かに言った。父に赤ちゃんを抱かせた。しばらく無言で赤ちゃんを覗いて居た。そんな中、妹も結婚である。結婚式は挙げなかったが、家族からの祝福。その次の年、弟も結婚である。弟は地元を離れ、遠くに住む事になる。結婚式では弟が、泣き崩れる。弟の男泣きに、式場には、野次る人、涙を耐える人、こんな式が最高であった。私も貰い泣きした一人である。こんな家族の中で育てられたのが誇りである。父は、やはり涙を見せない。そんな父も誇りである。

それから、時が静かに流れ、私は子供二人を育て、二人の子供は小学生に上がり私も自分の家族を大事に平凡に過ごす。ある日、母からの電話である。母が直腸癌である。父の方が落ち込んでいる。母は、そんな父の前で元気に振る舞う。家族みんなで応援して、手術の日が、来た。父も私も、兄弟も病室に集まる。父は「頑張れ、大丈夫だ。」と、母に優しく言う。今まで強がってた母が、手術室に入る直前、涙を流し始めた、ストレッチャーは止まり、母が死ぬかも知れないと弱気になる。兄弟みんなは、涙を我慢出来ない。目から流れる物を止められない。みんな「大丈夫だから、目が覚めたらみんな居るから。待ってるから。」と交互に言う。父だけは、優しい笑顔で「大丈夫だ、心配するな。」と、涙をこらえ、母を元気付ける。今までと逆である。私の父と母は、この時が一番、心で繋がって居たのだろう。母の目の輝きは変わり、父から何かを貰ったのだろう。母は笑顔で「後でね、行ってきます。」と言う。手術は成功である。だが、抗がん剤治療は三年間である。母は、頑張っている。又、平凡な日が、戻ると思っていた。

落ち着いた頃、父と母、私、妹とで、日帰り温泉に出掛けたのである。久しぶりの温泉で嬉しかった。温泉を満喫し、父と私で、自動販売機で飲み物を買いに行く。父が財布から小銭を出し、お金を入れようとする。手が震えて、お金が落ちる。父は、パーキンソン病であった。治る事の無い病気である。父は、一年が経ち、走れなくなり、又、一年が経ち、起きれなくなる。父は、この時、始めて、家族の前で、弱音を吐く「もし歩けなくなったら、死んだ方が良いな。」と…、私は、この時、始めて父に怒る、「家族みんな応援してるのに、お父さんが、そんな事、言ったら私達も頑張れないよ。お父さんが頑張ってるからみんな頑張ってるんだよ。」と、父が一番辛いのは分かって居る。でも、家族みんなも辛いのである。父が頑張り始めた。入退院を繰り返している。悪化する度に薬を変える為の入院である。

父が歩けなくなった、入院する。父は、もう退院出来ないと思ったのだろう。今まで家族の前で涙を流した事の無い父が、涙を流す。だだ「帰りたい。」と言う。帰っても母に迷惑掛けるし…と、どうしようも無い苦しみと戦って居たのだ。父の悔しさは、みんな分かって居る。父の涙は、とても重くて正直で綺麗な涙だ。歩けなくても偉大で、涙を流しても父は家族の中心で、父は大きい。父は凄い。父は入院してから、沢山笑うようになる。父の笑顔を見るのが私達の日課になる。みんな笑顔で話す。父も笑顔で話す。笑顔を見る事が、こんなに幸せなんだと気付く。これからも父の戦いは続く。でも、一人で戦うのでは無い。これからは、笑う時は一緒に笑って、辛い時は一緒に辛くても良い。1日1日を大切に、家族が一つになって居るのは、父の存在が大きいからだ。これからも、父は偉大で、家族の中心だ。そんな家族の一人で良かったと思う。「ありがとう」心から父に。


これから父の病状によっては、続編があるかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 思わず、涙が、出そうになる。その後も、知りたくなる。さらに、描写を加えて、ドラマ化出来そう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ