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7.善意と本意・上

「そうだ隣町へ行こう」


 まるで小旅行に出掛けそうなノリで、藪から棒にロランが言い出したことはそれだった。


「は?」とイルヴァが聞き返した時、手にはチェスの駒が握られていた。


 あれからというもの、チェスにすっかり嵌ってしまったイルヴァは毎日のようにロランにゲームの相手をせがむようになっていた。

 恐らく、イルヴァはこういった戦略ゲームが嫌いではないのだろう。いや、いつまでも勝てないせいでムキになっているだけという面もあるのかもしれないが。


 そもそもがインドアの方向へ向かってしまうのは、現状に問題があった。

 だってうっかり町中を俳諧しようものなら、野次られてしまうのだ。


「ヒューヒュー熱いねえ!」


「もう行く所まで行ったのかぁ?」


「キスしろよーキス!」


 従来の野次以上に、ウザさ大爆発だった。


「ああーうっとうしい!」


 イルヴァは爆発した後、「誰のせいでこんな事になったと思っているの!」とロランにいちいち文句を言ってくるから、ロランはロランで外を出歩きたくなくなっていた。


 だって外を歩く度にイルヴァから叱られるのだ。嫌にならない方がどうかしている。

 そういうことで、ロランが出した結論はこれだった。


「隣町へ行こう。ちょうど近い大会に参加したかったし、決闘をしてない町なら、野次だって多少はマシだろ? 一石二鳥じゃないかな」


 ニコニコと満面の笑顔でロランは言った。

 それはもう、良いことを思いついた! なんて言いたげな笑顔だ。


「それはそうでしょうけど」と、イルヴァは頷いていたが、釈然としない様子だ。


「ん、何か問題でも?」


 ロランの質問に、イルヴァは煮え切らない態度を取っていた。


「んー……」とか、「どうなんだろ」とか、呟いている。


「なんだよ。言ってみろよ」


 ロランが促すと、やっとイルヴァは口を開いた。


「別の町だからって、野次から逃れられるのかしら? と思ってしまって……。だって、言っては何だけど……アイアン・ティターニアというのは、あなたみたいなホワホワの剣闘士とはワケが違うのよ。知らない人の方が珍しいくらいで、剣闘士好き同士が集まるような事があれば、町同士がどれだけ離れていようとも、噂なんてたちどころに広がってしまうでしょうね」


「ホワホワってなんだよ」


 変な擬音を使うんじゃない。と思って、ロランは真っ先にそこに反論していた。


 とはいえ彼女が言う通り、アイアン・ティターニアの名声とは恐ろしい。それは数日この町に滞在しただけで、嫌と言うほどに思い知らされている。

 なにしろどこへ行っても野次が止まない。こんなこと、今までならありえなかった。


(その上俺には変な二つ名が定着してしまったし)


 ラッキーソードという名前がロランの本名ではないかと思えてくるぐらい、どこへ行ってもその名で呼ばれるのだ。


「ああ……こんな状況、もううんざりだよ。早く月が変わってくれないかな」


 ロランの方が根を上げてしまいそうだった。


 夜空に登る月が、白から金へ、金から赤へ、赤から紫へ、紫から青へといった具合に移り変わって行くことで、どれだけ時期が過ぎたかを知ることができる。

 その色のグラデーションを十二に分割することで一年間として区切っているのだが、次の色へ移り変わるまでの期間のことを一月とカウントする。

 その一月こそが『強制期間』と呼ばれる期間なので、それを過ぎてくれれば、後はイルヴァが再決闘でもなんでも申し込んでくれれば良いのだ。そうしたらロランは負けて、この面倒臭い制度から開放される。


 そして“うんざり”とロランに言われてしまうと、イルヴァはどうしたって罪悪感を覚えてしまうのだ。


「う……ま、まるで私が人違いした事が悪いみたいな言い方するけどさ。不満があるなら勝者の権利を使役すれば良い事でしょ? 私だってソコは悪かったと思っているから、拒否をしたりはしないわよ」


「……キミ、前例あるだろ」


 溜息を付くロランに、イルヴァは言葉を詰まらせていた。


「だ、大丈夫だってば。次は上手く行くから。うん」


「そうは思わないな。俺は」


「だ……大体、そこで止めるロランだって悪いのよ?! 相手が泣こうが喚こうが蹂躙じゅうりんする! それが剣闘士というものではないの?!」


 イルヴァはぐっと拳を握り締めると力説したが、ロランの苦笑いするような表情を見て脱力していた。


「まあ……あなたに剣闘士らしさというものを説いても無駄だったわね。はあ……なんで私はあの時にあなたを殺さなかったのかしら。あなたみたいな腑抜け者、お詫びだの正当性だの考えずにさっさと殺してしまえば良かったのよ」


 イルヴァは睨み付けたが、ロランはへらへらと笑って答えていた。


「まあでも、結局宿泊費は世話になってるんだし良いじゃないか」


「甘い! 甘いわね、ロランは! はした金で満足するんじゃないわよ」


 イルヴァはムキになった様子で言い返してきたが、「俺にとってははした金じゃないんだよ」と受け流しながらロランは椅子から立ち上がっていた。


「まあでも、フリーマッチに出られないのは本気で痛い。こうなれば大会で稼ぐしかない。イルヴァ、悪いけど隣町まで付き合ってくれるよな?」


 ロランの質問に、イルヴァは頷いていた。


「確認してくれなくても、特に反対する理由は無いわよ。そうと決まれば行きましょう、ロラン。……あ、寄り道は厳禁だからね」


 イルヴァは言葉の最後に、念押しするようにそう言い足すのだった。



 精霊刻印スティグマが淡く藍色の輝きを放ち始める。

 それはイルヴァが久方ぶりに魔力マナを通した証である。


 イルヴァはアーマー《鎧》やグリーブ《脛当て》やサバトン《金属靴》を身に付け、更にゴルケット《喉当て》を身に付けた後、最後にマナの輝きを覆い隠すように、アームガード《腕当て》とガントレット《金属篭手》に手を通していた。

 そうやってイルヴァがフルプレートアーマー《全身鎧》で身を包むのは一週間振りぐらいだった。


 そろそろ華奢な典型的エルフ族の女の子というイメージが取り付いてきていた頃だったが、こうして髪を編み込んでアップにして、更に武装するようになった彼女の姿を見ると、やはりアイアン・ティターニアだなと感心させられる。

 背に大盾とハルバードを背負い立ち上がったイルヴァは、もはや華奢なエルフ族ではなく、屈強な剣闘士としての立ち姿をしていた。


「…………」


 思わずロランは、無言になってぼうっとイルヴァを見ていた。

 なんていうか、憧れの剣闘士がすぐ目の前に居るんだな。ということを、改めて実感してしまったせいだ。


 そんなロランにイルヴァは小さく首を傾げてみせる。


「ロラン、どうしたの?」


 その声や仕草は、従来通りのイルヴァのものだった。


「……いや、なんでもないんだ」


 首を横に振った後、ロランは微笑んでいた。


「それじゃあ、出発しよう」


 鞄をベルトで腰に取り付けた後、ロランはそう言っていた。

 そんな彼に、イルヴァはこくんと頷いていた。



 身支度を終えると、腰に鞄を吊り下げているロランに対して、イルヴァは恐ろしく軽装だった。舞台に上がる時の姿そのままのように見える。


 聞いてみると、彼女は鎧の下に荷物を片付けているらしい。荷物といっても彼女のものは、小さなナイフと財布だけだったから、バンドを使って股に括り付けるだけで十分であるそうだ。


「これが一番防犯には持ってこいなのよ」と彼女は言うが、確かにそうだろうとロランは思った。

 誰が好き好んで、わざわざアイアン・ティターニアの鎧の隙間に手を入れてまで盗みを働こうとする輩が居るというのか。ある種、彼女の判断は賢明だろう。


 ロランとイルヴァは町を後にすると、茂みを切り分けて作られている街道を真っ直ぐ歩いていた。

 それにしてもここは快適だった。何しろ人気が無いため、野次も無い。


「久々に開放された……!」


 ロランは思わず大きく伸びをしていた。

 イルヴァは胸が痛んだ。


「わ、悪かったと言っているでしょう? そうやってチクチクとやるのは止めてくれない?」


「そんなつもりで言ったわけじゃないよ」とロランは困り果てていた。


 なにしろイルヴァは後ろめたく感じすぎなのだ。

 たかだか人違いで殺そうとしてきたぐらいで……いや、殺そうとしてきた事自体は確かに『たかだか』で済まないほど重大かもしれないが、とにかく、大げさだとロランは思えてならなかった。


「誰にでも間違いはあるだろ?」


「それはそうかもしれないけれど……」


 イルヴァは釈然としない面持ちを浮かべながらも、反論はしなかった。

 その代わりに、(ロランは相変わらずよね)と思って溜息をつくのだった。





 隣町へ行くにはおよそ二日の道程がある。

 途中、小高い丘になった箇所にぽつんとログハウスのような造りをした宿場が建っている。

 そこに到着したのは、夕刻になるおよそ二時間前だった。


「ここで一泊しましょう」


 イルヴァはそう言った。


「いや、もうしばらく歩いて、日が落ちた頃に野宿をしないか?」


 ロランの提案はそれだった。


「それは困る」


 イルヴァの返事はそれだったから、ロランは首を傾げていた。


「何故だ? 歩けるだけ歩いた方が、到着も早くなるぞ?」


「そうだけど」とイルヴァは釈然としない表情を浮かべていた。


「野宿だと、マナを休められないから。確かに一晩くらいなら持つけど、いつ何時何があるかわからないでしょう? だから、極力無理はしたくないのよ」


 イルヴァの答えに、ロランはやっと納得していた。


「そうか……魔法の力で筋力を高めているんだっけ? 意外と管理が大変なんだな」


「あれ、言っていなかったっけ? 確かに効果は似ているように見えるかもしれないけど、筋力増強リィンフォースメントじゃないわよ。実際には、加重無効ウェートインバリッドなんだけど」


「……そういう、外界種族が喋るような言葉を使うのは止めてくれないか?」


 彼女がなにを言っているのかがさっぱりわからなくて、思わず怪訝な表情を浮かべるロランに、イルヴァはというと。


「こんなの、魔法の初歩の初歩でしょう? それぐらい理解してほしいのだけど」と、当たり前のような顔をして言っていた。


「いや。俺、魔導士じゃないし。増してや、魔法を使うのが当たり前なエルフ族でもないし。大体、剣闘士で魔法について知っているヤツなんて早々居ないんじゃないか?」


 ロランは思わず言い返していた。


「……言われてみればそうね」


 イルヴァは頷いていた。

 そして、ヒューマン族を初めとした異種族は職業が魔導士でもない限りは、魔法にゆかりのある種族ではないことを思い出していた。

 エルフ族の場合だと、誰でも子供の頃から優先的に魔法のことを学ぶため、ついつい誰もが知っている気になってしまうのだ。


(まあ……ガルダ族だと、重力と風の精霊が絡んでくるものは見抜かれやすいけれど)


 イルヴァは先日会った、東方の格好をしたガルダ族の剣闘士の少女のことをふと思い出していた。彼女が浮かべた、えもいわれぬ笑み。あそこに全てが集約されている気がしてゾッとする。


(二度と会いたくない相手よね)と、思っていた。


「……しかしまあ、無理をしたくないと言うなら仕方ない。一泊するしかないか……」


 ロランが重苦しい溜息を付いたもので、イルヴァはキョトンとしていた。


「なに? そんなに嫌なの?」


「まあな……」


「急ぎたいならあなたに合わせるわよ」


 イルヴァはそう言うが、ロランは首を横に振っていた。


「そういうわけじゃないよ。ただ、俺は金がほとんど無いんだ。またキミに借りなければならないと思うと……気が重い」


「返さなくて良いわよ」


 ああ、また無駄な押し問答が始まるのかしら。と薄々予感しつつ、イルヴァは言っていた。そして案の定ロランは首を横に振るのだ。


「そうはいかない。やっぱり良くないと思うんだ、こういうのって」


「ああ……はいはい。わかったわよ、もう……。やっぱり泊まらなくて良い」


 イルヴァは投げやりにそう言っていた。





 結局、ロランが提案した野宿をすることになってしまった。

 イルヴァにとってそれは不都合なのだが、ロランに負担を掛けるのはもっと不都合だ。

 要するに現状というものは、慣例が正しく履行されていない。増してや、人違いをしたお詫びにすらなっていない。


 イルヴァは益々焦りを感じながら、焚き火を囲んで眠るロランの姿を見ていた。

 ロランは草の上に直に寝転がって、グーグーという寝息を立てている。

「どうせマナを休められるわけではないから」と見張りを買って出たイルヴァが、夜の番をすることになったのだ。


 一つも明かりの無い場所なので、空には満天の星空が瞬いている。

 イルヴァはそれをぼんやり見上げながら、重苦しい気持ちになっていた。


(私はなにをすれば良いの……)


 彼は何も求めていない上に、自分には何かしてあげられるスキルも無い。


(ここまで剣闘士らしくない剣闘士がこの世にいるなんて。それを知っていたら、最初からこんなヤツに武器なんて向けなかったわよ! ジュードとは全然違う……ジュードとは恐ろしく似ていない! ホントーにロランって、腑抜けだし芯が無いし! 人に合わせようとしてばかりだし、分からず屋だし……)


「……でも、優しい所は認める」


 ぽそ。とイルヴァは呟いていた。


 恐ろしいことに……彼と居るこの短い期間で、イルヴァは憎悪に囚われる時間が減ってしまっているのだ。ジュードへの憎しみだけでここまで来た。

 けれどロランというのは、呆れるくらいに腑抜けで、軟弱で、まるでイルヴァの心の牙を抜きに掛かってくるようだった。


(でも、そうは行かない)


 イルヴァはぎゅっと拳を握り締めていた。


(そうでなければ、何のために私がここに居るかわからないでしょう? 私は全てを捨ててきた。私の全てと引き換えにして、ここまで来たのよ。今更腑抜けをうつされてたまるものですか)


 イルヴァは拳をドンと地面に叩きつけていた。


「私の誇りと剣闘士生命に掛けて、絶対に慣例は守らせてやるんだから」


 イルヴァはそう呟いていた。


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