55.他に二つと無い、唯一の輝き・下
そしてとうとう――その日、その舞台は開かれたのだ。
灰色の雲が太陽を覆い隠す下で、ロランとマティアスは、コロッセオの舞台の上で向き合っていた。
本来なら今はフリーマッチの時期であるが、この日ばかりはフリーマッチは終日休みとなり、剣王とその挑戦者のためだけの舞台となる。
たった一日きりの大会の形を取るその名は――覇王杯。
即席の宣伝であるに関わらず、観衆席は人々で埋め尽くされていた。
誰もがこの王位争奪戦を見るべく、予定を取り止めてまで訪れたのだ。
およそ二十年振りに、この国の玉座は変革するかもしれない――それは剣闘士界の雰囲気を揺るがす事態でもある。その目撃者となるために、人々はこの場に集結していた。
舞台の上に立つロランは、軽鉄製のブリガンダイン《胴当て》とゴルケット《喉当て》を身につけ、腰に一振りの魔剣を吊るしている。
一方で、マティアスはというと、チェインメイル《鎖かたびら》の上からとび色のサーコートを身にまとい、軽鉄のショルダーガード《肩当》で肩を守っている。
それは久方ぶりに彼が身につけた、現役時代の衣装である。
二人の蒼い髪の剣闘士が向き合う中、審査人の声が辺りに響き渡る。
『タナトス杯にて頂を明かした出来事がまだ記憶に新しい頃ですが――アブソリュートソードが、更なる高みを目指してこの舞台に上ってまいりました! およそ三十年振りの覇王杯! 剣王マティアス・レムンハル・カイザーに挑むは、剣王の息子――アブソリュートソードのロラン・ノールド! かつての覇王杯では、剣王その人であるマティアスが挑戦者でしたが――今回は挑戦者に受けて立つ側として、この舞台に立っています! 果たして、その腕は衰えを見せていないのか――年の功を見せるのか、或いは、若き剣闘士にその道を譲り渡すことになるのか?! 今ここに変革の嵐が吹き荒れます!! 古き剣闘士と新しき剣闘士が、己が信念と誇りを賭けて戦います!!』
ワアァァッ!! と沸き立つような歓声が辺りに響き渡る。
その熱気を受け止めたのは、何年ぶりだろうか。
久方ぶりに感じる舞台の上の空気は、確実にマティアスの胸を震わせるのだ。
(そうか……――これが。これこそが)
マティアスはフッと笑っていた。
「まさかこんな日が訪れようとはな……ロラン。しかし俺はどうやらこの日を、待ち侘びていたようだ」
「…………」
沈黙したままマティアスを見据えるロランに、マティアスは話し掛ける。
「子供とはいつまでも小さく幼く、父親に尊敬の目を向けるものだと思っていたが……――どうやらお前は違ったらしい」
「今の俺はもう、あなたの息子ではありません」
ロランはそう言うと、剣の柄に手を添えていた。
「……――俺は挑戦者です」
「無論」と、マティアスは頷いた。
その時、『両者――構え!』という、審査人の声が掛かる。
ロランは腰の剣をすらりと引き抜くと正中線上に構えていた。
漆黒の剣身を覆う、淡く輝く青白い光越しにマティアスを睨む。
その一方でマティアスもまた、腰の剣を引き抜いた。
その露になった切っ先は――光を当てると純白の輝きを放つ、銀灰色の金属で出来た、湾曲した片刃の東式剣――カタナだった。
その艶やかな光沢は、光の反射によって生まれるハッキリとしたコントラストは、アダマンタイト製で間違いないだろう。
普通ならば武器や防具にはおいそれと加工できないほどのレアメタルの塊によって構成されている絶対硬度を誇る剣が、マティアスの持つ得物だった。
マティアスもまたその剣を正中線上に持つと、ロランと同じ構えを取っていた。
「此処に立つ以上――もはや俺の息子だとは俺自身も思ってはいない。お前は一人の男。一人の剣闘士だ。……だから俺は、尊敬の念を持ってして受けて立とうではないか」
ロランは頷いていた。
その時だ。
『――始め!!』
審査人が叫ぶと共に、鐘を打つ音が鳴り響く。
「行きます!」とロランは宣言の後、マティアスに斬りかかっていた。
マティアスはそれをすれすれでかわすと足を踏みかえる。そして。
「斬ッ!!」
横薙ぎの斬鉄の太刀筋がロランに襲い掛かってきた。
「ぐっ……――!!」
ロランが身を低くかがめると、跳ね上がった髪先がピッと刀身によって斬り分かたれるのが見えた。
(準備時間がほとんど無いのか……?!)
ロランは一気に後ろへと飛んで距離を開けていた。が、構え直す隙も与えずにマティアスが懐へ飛び込んでくる。
「粉ッ!!」
マティアスが切り上げたその切っ先が通る道筋もまた、斬鉄。
ロランは横へかわすと、マティアスの闘争心に燃えた視線が素早く追いかけてきた。
「破ッ!!」
横薙ぎの斬鉄の太刀筋がロランの胴体を分かとうと襲い掛かってくる。
再びロランはそれをしゃがんで避けていた。
(逃げるわけにはいかない……!!)
ロランはギッとマティアスを鋭く睨み付けていた。
マティアスの手によって繰り出される一太刀一太刀が、必殺の力を秘めている。
剣で受けることは許されず、気を抜く事も許されない。
しかしロランがその剣を避け続けることができる唯一の原因、――それは。
(これも衰え……か)
剣を振るいながら、マティアスは自分で自分のことを冷静に分析していた。
そう――例えどれだけ鍛えていようと、マティアスの肉体はもう決して若くはない。
最盛期の彼ならばロランの動きを追いかけることも容易かったかもしれない。
「……しかし」
マティアスはロランを見据える。
「この俺にすら敵わないというなら、お前に剣王の資格無し……! 超えてみせろッ、ロラン! この俺を誇らしい気持ちにさせてみろ!!」
「言われるまでもないッ!!」
ロランは一気にマティアスの懐へと踏み込んでいた。
「はぁっ!!」
力の篭った一振りが、後ろへと下がろうとするマティアスのサーコートを切り裂いて行く。
「……フフ」
笑みを零したマティアスの胸には一筋の切り筋が走り、サーコートの隙間からチェインメイルを覗かせていた。
「……これだ。俺はこれを求めていたのだ……!!」
マティアスは歓喜に満ちた笑みを浮かべると、自らサーコートをビリビリと引きちぎると、床に投げ捨てていた。
チェインメイルと軽鉄のショルダーガードだけになったマティアスが、再び刀を縦に構える。
「俺を打ち震わせてくれる、血の滾るような戦い!! 頂点を極め剣王となり、剣闘士を引退してからというもの、俺はいつもなにをしていても虚無だった……しかし!! 今、俺は久方ぶりに燃えているぞッ!!」
それからマティアスはロランへと一直線に切りかかってゆく。
ロランは彼の太刀筋から目を離さず、避けていた。
そしてそうしながら、叫んでいたのだ。
「俺もだよ、マティアス!!」
ロランもまた、気が付けば笑みを浮かべるようになっていたのだ。
そのままロランは、剣をマティアス目掛けて振り上げていた。
キィン! という音を立てながら、マティアスがその剣を受け止める。
「まだ青い未熟者め……ザンテツをもっとよく使いこなせ!」
マティアスに押し返され、ロランは再び剣を構え直していた。
「集中しろッ! 己が剣を感じろッそして、剣の走る道を見出せ!」
マティアスは言いながら、再び剣を振るう。
ロランは後ろへと下がった後、すぐにまた飛び出して斬りかかって行った。
それと同時に、マティアスもまた剣を斜め下に構えて体を前に出す。
「それが――」
マティアスは頭上へと振り下ろされるロランの剣に対して軽く首を捻りながら、刀を横薙ぎに振るっていた。
「ザンテツだッ!!」
ガキンッ! とロランの剣がマティアスの肩を守るショルダーガードに弾かれる一方で、マティアスの剣は真っ直ぐにロランの首元をかすめて行く。
スッとゴルケットに筋が走り、カラカラと床に転がり落ちる二つに割れたゴルケットを見ながら、ロランは踏み込んでいた。
「やってやるッッ!!」
振るわれるロランの太刀筋に迷いはなかった。
振り切ったマティアスの、がら空きになったわき腹目掛けてロランは剣を横薙ぎに振るう。
振るわれたその剣は、マティアスの脇の部分にある金属をガリッと引っ掻いた。
「まだだッ!!」と、マティアスが叫んだ。
「まだ甘いぞロランッ! 踏み込みが、思い切りが足りておらん!!」
そう言いながら振るわれたマティアスの太刀を、ロランは身を引いてかわしていた。
「ザンテツとは、己の意思を! 強さを、形にする物!!」
そのままマティアスは、二度、三度とロランに対して切り込んできた。
ロランはいずれも避けながら、じっとマティアスの振るう剣を見ていた。
そんなロランに、マティアスが叫んだ。
「見せてみろ、お前のザンテツを!! この俺を唸らせてみろッ、ロラン!!」
「……――ああ、わかっているよ、マティアス」
ロランは剣をグッと握りしめる。
(この日、この瞬間こそが、俺がずっと舞台に求めてきたもの)
ロランは今、充実感に満ち溢れていた。
(俺はマティアスを……――父さんを、超える!!)
ロランの瞳が、再び斬り掛かってきたマティアスの姿を捕らえる。
「粉ッ!!」
掛け声とともに、再び振るわれるザンテツの太刀を横へとかわしながら、ロランは剣を下方に構えていた。
「これが俺の――」
ロランの方を振り返ってきたマティアス目掛けて、ロランは剣を迷いなく叩き込んでいた。
「ザンテツだッッ!!」
気合の声と共に、一閃、薙ぎ払われる。
それと共にマティアスの剣もまたロラン目掛けて振るわれていた。
互いの剣がそれぞれ、右と左から互いの胴へと叩き込まれて行く。
「ロランっ……!」
観客席で、イルヴァは顔面蒼白になっていた。
このままでは、相打ちになっておかしくなかったからだ。
――しかし。
ヒュンッと振り払われたのは、ロランの剣だけだった。
胴からバッと血を吹き出しながら、ガックリと膝をついたマティアスの剣は――ロランの胴に当たるギリギリの所で止められていた。
「ふ……ふふふ」
笑みを浮かべるマティアスの足元を、みるみるうちにあふれ出した血が真っ赤に染めていく。
「そうだ……――よくやった、ロラン。それが、ザンテツだ」
マティアスは静かに囁くような声で言っていた。
「っ……」
ロランは剣をギュッと握り締めていた。
「“父さん”……――あなたは」
ロランは激しく動揺していた。
何故? という目を向けるロランに対し、マティアスは自嘲的に笑っていた。
「……タナトス杯で……俺も観衆に紛れてお前の試合を見ていた……。お前が多くの新しい客を引き寄せていると聞いて――俺は初めてお前に興味が沸いたのだ……。お前の姿を見た時……――俺は昔を懐かしんでいた……。俺も昔はそうだったのだ……。誇り高い剣闘士を目指し、ひたむきに走っている青臭い時代が俺にもあった。俺は……――頂点を極め、玉座に座り――いつの間にかその心を忘れ、腐り切った傲慢の化身となっていた……」
「…………」
沈黙して話を聞く息子の姿に、マティアスはゆっくりと溜息をついていた。
そして浅く呼吸を繰り返しながら、尚も話を続けた。
「――……俺は虚無だった……。誰からも歓声を貰えなくなり、気が付けば……俺は自分の自尊心を満たすことだけに傾注するような中身のない男に成り果てていた……。その姿をジュードにも押し付けた……そうやって気を紛らわせていた……」
「――しかし」と、マティアスがロランに向けた目は、穏やかに細められていた。
「お前は違う……。お前だけは……――俺とは違う。お前は孤独ではない……。愛すべき者がいて、愛してくれる者がいる。お前ならきっと……玉座に着いた後も、俺のようにはならんだろうよ……」
「……――父さん」
いつの間にかロランの目からは涙が溢れ出していた。
そんなロランに、マティアスは笑い掛けていた。
「強くなったな、ロラン」
言いながら、マティアスの体はぐらりと前に傾いて行く。
「――幸せに……なれ……よ」
どさっ。と、そのままマティアスは血の海に体を横たえていた。
それが父の、父としての――ロランに向けられた最期の言葉だったのだ。
「…………」
ロランは黙り込むと、動かなくなったマティアスの姿に視線を落としていた。
そんな中で、審査人が声を張り上げる。
『今――決着が着きました!! 勝者、アブソリュートソード! アブソリュートソードのロラン・ノールドが、剣王を打ち負かし、そして――今、新たなる剣王が生まれました!!』
ワアアァァッ!! という歓声が辺り一面を震わせていることに気付いたロランは、涙を拭うと顔を上げていた。
そして剣を空へと突き上げ、高らかに掲げていたのだ。
「――俺は超えた。超えてみせたぞッ、父を!!」
その時、曇り空が切れて太陽の光が差し込んでくる。
その光線がまるでスポットライトのように、ロランの姿を照らし出した。
それはまるで彼の勝利を天が祝福しているかのごとく光景だった。
観衆たちは一層盛り上がると、次々と立ち上がって割れるような拍手を浴びせてくる。
胸を張り、剣を掲げる新しい剣王を賞賛する歓声は、いつまでも止む事がなかった。
コロッセオから生まれた熱狂はいつまでも冷め止むことがない。
首都では、新生剣王を祝福するための祭りが、三日三晩の間執り行われていた。
町の賑わいを遠くに眺めながら、ロランはこの日、ソードパレスの謁見の間にある玉座に腰掛けながら、文官長の読み上げる剣王憲章を静聴していた。
剣王とは、他国に武勲を見せるための剣闘士の顔であるが故に、守らなければならない規則がいくつか存在しているのだ。
文官長の話を聞きながら、ロランがガチガチに緊張した面持ちになっているのも無理はなかった。
今日この日ばかりは、これまで身につけたことが無かった、むしろ縁なんてあるはずも無いとすら思っていた、豪華絢爛な王の衣装を身に付けさせられ、立派な玉座に座らせられていたのだから。
この場の緊張感が耐え難くて、現実逃避するかのようにロランがふっと横に目を向けると、にこっと微笑みかけてきた人の姿があった。
それは自分の傍らに立っているイルヴァである。
彼女もまた王妃としてドレスを着せられていたが、元々が高潔で美しいとされる容姿を持つエルフ族である。その姿はよく似合っていた。
自然と笑みを浮かべるロランの耳に、「――で、あるからして……」という文官長の声が聞こえてくる。
慌てて視線を戻すと、文官長が呆れた様子でゴホンを咳払いをしていた。
「最初くらい、気を抜かずにきちんとお聞きになられないと困りますな。剣王様」
「す、すみません」
慌てて謝るロランの姿に、文官長は表情を和らげていた。
「――まあ、良いでしょう。剣王憲章を覚えてもらうのも兼ねて、後の話は王妃に任せることにしましょう」
「えっ……」
思わず嫌な顔をしたイルヴァに、「えっ、ではない」と文官長は返していた。
「キミには、一人の魔導士として、これからも文官の仕事をこなしてもらわねばならんからな」
「……私の扱いは王妃になっても変わらないのね……」
溜息をつくイルヴァに、「当たり前だ」と文官長はスッパリと返していた。
「――まあ、しかし」
そう続けた文官長の表情は再び穏やかなものに変わっていた。
「今日ばかりは王妃として振舞っていただかなければなりませんからな、イルヴァ・ノールド様。外では民衆たちが待ちかねていますぞ。そろそろパレードの時間です」
文官長に促される形で、ロランは立ち上がるとイルヴァに手を差し出していた。
「行こうか、イルヴァ」
「うん」とイルヴァは頷くと、ロランの手を取っていた。
大勢の民衆たちが集う中、王と王妃を乗せた純白の馬車は、大勢の礼服を身に着けた衛兵たちに守られながら首都を練り歩く。
彼らの幸せそうな姿を見た民衆たちが、あちこちから歓声を上げる。
「新生剣王、万歳!」
「アブソリュートカイザー、万歳!」
口々に声を上げる人々に手を振った後、ロランとイルヴァは見詰め合うと、どちらからともなく笑い合っていた。




