54.他に二つと無い、唯一の輝き・上
琥珀の色を宿す《地上の民の月》が、尤も力強く輝くとされる日に、ブレイディア王国首都の東区に建つ教会が鐘の音を打ち鳴らしていた。
その日は晴天。透き通った青空の下、教会の周りには多くの民衆たちがひしめき合っていた。
彼らは皆一様に手に純白の花を持っており、両開きの教会の扉がパタリと開かれると共に、その花を一斉に空へと投げる。
ワアアァッという歓声に包まれながら、扉から続く階段を下りてきたのは、腕を組んでいる一組の新郎新婦だった。
新郎の方は、純潔の象徴である純白に幸福の象徴である青い色で装飾が施された礼服に身を包んでいる、蒼い髪の青年。新婦の方は、やはり純白と青い装飾のドレスで着飾った、エルフ族の少女だった。
ブレイディアでは、新郎新婦は白と青の礼服を身につける仕来りがあるからだ。
また、彼らの左手の薬指には、夫婦の証である白銀色に輝く真新しいペアリングが嵌められている。
その青年――ロランは、照れ臭そうに髪を掻いた後、困惑気味の笑顔を隣に居るイルヴァへと向けていた。
「情報は漏らさないように気をつけていたつもりなんだが……一体、どこから漏れたんだろう?」
「……まあ、仕方ないじゃない。これだけ大人数だと、情報を漏らさない方が難しいわよね」
イルヴァが振り返った先では、開け放たれている教会の扉から続々と来賓たちが出てくるところだった。
シャルロッタやクレハもこの日ばかりは正装である衣服に身を包んでいる。
華やかな祭典用の官服に身を包むシャルロッタの一方、クレハの方は東式の礼服であるという“振袖”を身につけている辺り、さすがである。
その他には文官長を初めとした大勢の文官たちが、シャルロッタ同様に色とりどりの祭典用の官服を身につけてこの場に集結していた。
そして――マティアスの姿もそこにはあった。
「…………」
ロランは振り返ると、マティアスの姿を目に映して小さく微笑む。
「……フン」とマティアスは目を逸らしたが、彼はキチンとこの日の為に慣れない礼服を身につけてくれていた。
ロランにとって、これが父に向ける最後の父としての扱いであり――マティアスにとっても、子に向ける最後の父の顔だったのだ。
「……“父さん”。来てくれてありがとう」
そう言ったロランに、マティアスは頷いてみせた後、文官たちを掻き分けて行ってしまった。
そんな彼の姿を見送っているうちに、「おめでとう、二人とも!」と声を掛けてきたのはクレハだった。
「クレハ。ありがとう」
歩み寄ってくるクレハの姿に、イルヴァは笑ってそう答えていた。
「念願叶って良かったね。イルヴァって、一回目の奴隷契約してた時からずっとロランのことが大好きだったもんね!」
にこにこ笑うクレハの姿に、イルヴァは赤面していた。
「なっ、なに言ってるの……?!」
「本当のことでしょ? 再決闘した時はビックリしちゃったけど、もう一度元の鞘に収まって良かったよね。今度は誓約上の愛人じゃなくて、きちんと夫婦になれたんだもん」
「あ、あのねえ……」
イルヴァはむっとしたものの、クレハが本気でそれを祝ってくれているのだということに気付くと表情を和らげていた。
「まあ……確かに、あの時はあくまで慣例上のつもりだったから、ここまで発展するとは思わなかったわね……」
懐かしむ表情をするイルヴァに、「えっ、そうなのか?」と言ったのはロランだった。
「……発展すると思っていたの?」
イルヴァの疑問に、ロランは苦笑を浮かべる。
「いや、思ってはいなかったが……なれば良いなーという、邪な気持ちなら」
「……そうなんだ」
イルヴァは意外そうな面持ちを浮かべながらも、どこかしら嬉しそうな様子だった。
そんなイルヴァを見て、「ふふ」とクレハは笑っていた。
「あの頃は本当に心配になるような危なっかしい子だったけど……もう大丈夫そうだよね。ロラン、イルヴァのこと、よろしくね。これからも弟子として、師匠に恥じない振舞いをするように! 絶対にイルヴァを泣かせるようなことをしちゃダメだよ。わかった?」
改まった様子でそんな風に言ったクレハに、イルヴァは笑っていた。
「師匠って。……弟子に負けたくせに」
「あっ、あれは、実力じゃなくてロランが卑怯な手を使うから!」
「じゃあ、もう一度改めて戦ってみる?」
「……遠慮しとく」と、クレハは迷わず答えていた。
「ザンテツの使い手とだけはもう一生戦わないって心に誓ったんだよね、私」
そう語るクレハの目は真剣そのものだった。
「あの時は、悪かったと思っている」
ロランは苦笑交じりにそう答えた後、片手を差し出していた。
「……でも、こんな不肖な弟子で良いなら、これからもよろしく頼む」
ロランにじっと鋼色の瞳を向けられ、クレハは微笑んでいた。
「ええ、もちろんだよ。頼りない師匠で良ければ」
クレハはロランの手を握り締めると、しっかりと握手を交わしていた。
「イルヴァ、ロラン」と続いて声を掛けてきたのは、シャルロッタだった。
「この度はご結婚、おめでとうございます」
恭しく頭を下げてきたシャルロッタの姿が他人行儀に見えて、ロランとイルヴァは笑っていた。
「相変わらず硬いわね、シャルロッタは。こんな日ぐらい、もう少し砕けた喋り方をしても良いのに」
そう言ったのはイルヴァだったが、シャルロッタは困ったような笑顔を浮かべた。
「私は幼少期から文官になるための教育を受けて参りましたから……これ以外の振る舞い方がよくわからないのです」
「まあ……それなら、仕方ないのかしら?」
首を傾げるイルヴァに、「むしろですね」とシャルロッタが言った。
「イルヴァの方こそもう少し畏まった喋り方を身につけるべきですよ。ですが、ご安心くださいな。これからも私たち文官が、あなたの教育をさせて頂きますから」
「う……こんな日ぐらい作法から離れさせてよ……」
イルヴァはしょんぼりとした表情をしていたから、ロランは笑っていた。
「ははは。相変わらず鬼上司なんだな」
「そ、そんなことはありませんよ。私はイルヴァの為を思ってですね……」
困ったような表情を浮かべるシャルロッタに、「そうだよな」とロランは頷いていた。
「これまでのエルフ族としての空白の十年間を……否、正しくはヒューマン族の三十倍だから、三百年間か。それを埋めるに至るには、生半可な道のりじゃないもんな……」
「その通りです」とシャルロッタは微笑んでいた。
「エルフ族相応になれるかはわかりませんが、イルヴァの未来に不便が無いように、精一杯フォローさせて頂きます。我々文官が、剣闘士を辞めなければならない原因を作った一端でもありますから」
「……シャルロッタ」
イルヴァはすうっと息を吸い込むと、シャルロッタに笑顔を向けていた。
「ありがとう。大変だけど……でも、これからなのよね。私の人生は、これから先まだまだ続いている」
「ええ、そうですよ」とシャルロッタは頷くと、イルヴァの手を取っていた。
「あなたの新しい人生はここから始まるのですから。これからは、ブレイディア人のエルフ族として……――一緒に道を切り開いていきましょう、イルヴァ」
「――うん」
イルヴァは大きく頷いていた。
「――さてと」
ロランは振り返ると、人々が立ち並んでいる道の先へと視線を向けていた。
その先には一台の馬車が待っている。
「そろそろ行こうか、イルヴァ」
ロランが手を差し出すと、イルヴァは迷わずに手を伸ばし、ぎゅっとロランの手を掴んでいた。
「そうね、ロラン」
イルヴァが頷いた後、道を真っ直ぐ歩いていき、ロランとイルヴァの二人は馬車に乗り込む。
それを見守る大勢の観衆たちが、手を叩いて歓声を上げた。
「おめでとう!!」
「おめでとう――アブソリュートソード! そして、アイアン・ティターニア!」
観衆たちに手を振りながら馬車で走り去る二人の姿を見送った後、クレハとシャルロッタは顔を見合わせて笑い合っていた。
「こんなに盛り上がるなんて、まるで王様の結婚式みたいだね」
そう言ったクレハに、「はい」とシャルロッタは頷く。
「……でも、そうなるのは当たり前ですよ。だって、ロランとイルヴァは――この国の誰もが憧れを抱く、誇り高い“剣闘士”ですから」
「そうだね」とクレハは頷いていた。
「さて、今日はお祭りだ!」
「盛大にパーッとお祝いしようぜ!」
町の人々がそう言って口々に盛り上がる中、マティアスは教会の壁に背を凭れかけながら目を細めていた。
「…………」
遠くに喧騒を眺めながら沈黙するマティアスの元へ、足音がゆっくりと近付いてくる。
それは文官長のアスラだった。
「剣王様」と、アスラはマティアスに話し掛けていた。
それでも視線を向けることなく沈黙を保つマティアスに、アスラは尋ねていた。
「子の立派になる姿を見るというのも――格別なものでしょう?」
「……フン」とマティアスは鼻で笑っていた。
「くだらない。俺はただ面子を潰さないために、呼ばれたから来ただけだ」
「本当にそれだけですか?」
アスラは微笑んでいた。
「あなたにも子供を可愛がっていた時がありましたね。それは彼らが幼かった頃のことです。確かに女性に向ける下心があったかもしれない。ですが、その時であってすらあなたには、一欠けの愛情も無かったと言えますか?」
「…………」
沈黙しながら、マティアスは眉間にしわを寄せていた。
「あなたがジュードに剣を取らせた時、あなたがロランに剣を教えていた時……――楽しそうに見えましたよ、私には」
それだけ伝えた後、アスラは立ち去るようになった。
しばらく一人で黙り込んだ後、やがてマティアスは吐き捨てていた。
「……くだらない」
それからマティアスは壁から背を離すと、ソードパレスへの帰路を行くのだった。
二人がソードパレスへと帰ってきたのは、それから五日間がすぎた後だった。
昼のうちに戻ってくると、ロランはすぐに一度自室へ行って、ブリガンダイン《胴当て》とゴルケット《喉当て》を身につけ、剣を腰のベルトに吊るし、剣闘士としての格好になっていた。
そしてすぐに向かった先は、ソードパレス本宮殿にある、剣王の私室だった。
コンコンとノックをすると、間もなく声が聞こえる。
「……誰だ?」
そこでロランは答えていた。
「俺です。ロラン・ノールドです」
「……入れ」と声がした。
だからロランはドアを開けると、マティアスの部屋に足を踏み入れていた。
パタンと後ろ手にドアを閉じる。
マティアスは今日も相変わらずソファに腰掛けながら、葉巻を吹かせていた。
ロランの姿を一目見るなり、マティアスは真剣な表情になっていた。
「帰ってきたのか」
「はい」
頷いたロランの眼差しは、まっすぐにマティアスへと向けられている。
そこから強い意志を感じ取ったマティアスは、やがて頷いていた。
「覚悟は決まったか?」
「はい」とロランは頷いていた。そしてマティアスに伝えていたのだ。
「明日の朝――舞台の上で会いましょう」
ロランの言葉に、マティアスは頷くなり立ち上がっていた。
「お前の覚悟――この俺が受け取ってやる。明日は存分に掛かって来い。命を賭して――この俺が相手になろう」
マティアスの言葉に、ロランは大きく頷くと、「はい!」と答えていた。




