53.蛮勇の子・下
ジュードとの戦いが終わった、次の日の朝――
ロランの部屋に訪れたのはシャルロッタだった。
「失礼致します」と部屋に立ち入った彼女は、既に目を覚ました様子で、テーブルを挟む形でイルヴァと雑談しているロランの姿を確認すると笑みをこぼしていた。
「元気になられたようで、良かったです」
「シャルロッタ」とロランは彼女に笑い掛けていた。
「昨日はごめんな。心配掛けて」
「いえ」とシャルロッタは首を横に振った後、ロランに伝えた。
「ところで……文官長がお呼びです。一緒に来て頂けますか、ロラン」
「うん、わかった」
ロランは頷くと椅子から立ち上がっていた。
するとイルヴァも立ち上がるようになった。
「私も一緒に行っても良い?」
イルヴァの質問に、「構いませんよ」とシャルロッタは頷いていた。
シャルロッタが連れて行った先は、文官省会館内にある書斎――ではなく、ソードパレス本宮殿の、王の私室だった。
そこにはソファにどっかりと腰降ろしているマティアスと、その傍らには文官長が立っていた。
文官長はロランの姿を見るなり、しわを深く刻みながら笑みを浮かべるようになった。
「この度は、よくぞやってくれたね。文官省に代わり、ジュード・レムンハルの処分、ご苦労だった」
労いの言葉を受けながらも、ロランは素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。
(処分……か)
なんとも言えない気持ちを抱えながら、ロランはマティアスと文官長の前まで歩み寄った。
「ロランよ」と、口を開いたのはマティアスだった。
「お前は誇り高い我が息子だ。まあ、最後の最後で情けない姿を晒していたが……――輝かしい勝利を収めたことに違いない。勝利の前には、全ての失態は霞むものだ」
満足げに笑う父の顔を見ても、もうロランの心が動く事は無かった。
ただ、悲しさや虚しさが襲い掛かってきて、ロランは尋ねていた。
「あなたは……ジュードの死を悲しまないのですか?」
ロランの問い掛けに、マティアスは微笑んだ。
「あいつは敗者として、誇り高き死を迎えたのだ。舞台の上で死に逝く事こそが、剣闘士の誉。やつに悔いは無かろう?」
ニヤッと笑うマティアスの姿に、ロランは唇を噛んでいた。
「あの姿が……悔いが無いように、見えましたか……」
震えを押し殺しながら呟いたロランの声に気付いたのは、マティアスだけではない。文官長も、シャルロッタも、イルヴァも、ハッとしてロランの方に目を向ける。
周囲の目を集めながら、気付けば、ロランは真っ直ぐマティアスのことを睨み付けていた。
「ジュードは……死の間際まで、あなたに愛されたいと望んでいた。彼は誰よりも孤独だった」
ロランの怒りを含んだ言葉を聞いてもマティアスは笑みを浮かべたままだった。
「今更、死者の事を語って何になる? この場に居ない者の話をするのは、いい加減に止めないか?」
マティアスは足を組みかえると、頬杖をついていた。
「それに、お前はもっと喜ぶべきだ。これで正式に俺の息子となることができるのだぞ?」
それを聞いたロランは、拳をぎゅっと握り締めるとマティアスに鋭い眼差しを向けていた。
「……――お断りします」
ハッキリとした声で、ロランが言ったのはそれだった。
「なっ……――?!」
マティアスはギョッとした表情を浮かべたが――すぐにロランを睨み付けるようになった。
「――ん、だと……?」
「……お断りします。と、言いました」
ロランは怯むことなく真っ直ぐにマティアスのその錆色の目をいっそう強く睨み返していた。
「俺はあなたの息子にはなりたくない。金輪際、あなたは俺の事を息子と思わないで頂きたい」
ロランの言葉に、マティアスはギリッと奥歯を噛む。
「何を言っているんだ。貴様……このソードパレスでの豊かな暮らしが欲しくないのか?」
「欲しいと思いません」
「そうだ……権力だってあるぞ? 闘技場の主催者になって、好きな形の大会を開くことだってできる」
「興味がありません」
淡々と切り返すロランに、「ならば」とマティアスは続けながら、前かがみに座りなおしていた。
「他に何を望む?」
するとロランはすっと手を持ち上げ――真っ直ぐに、指先をマティアスに向けていた。
「――あなたへの挑戦権を。剣王マティアス・レムンハル・カイザー。俺はあなたに……――勝たなければならない」
ロランの目は迷い無くマティアスのことを見据えていた。
「…………」
眉間にしわを寄せながら黙り込むマティアスと、一方で他の三人はあ然とした様子になる。
「ロラン……どういうことですか?!」
真っ先に尋ねたのはシャルロッタだった。
「まさか、ジュードの無念を晴らすとでも……?」
シャルロッタの質問に、ロランは首を横に振っていた。
「……そうじゃない。俺は……俺には、真に超えなければならない壁があるんだ。それが、“父さん”……あなたなんです」
あえて父と呼んだ後、ロランはマティアスのことをじっと見つめていた。
「…………」
マティアスはギュッとソファに指を立てた後、ゆっくりと立ち上がって、自分よりも背の低いロランを見下ろしていた。
「そうか……お前は、それを選択をしたか」
囁くような声でそれだけ言うと、マティアスはロランの横を素通りしてドアの前に立つ。
「……挑戦権とは挑戦者が持つ権利だ。日取りを決めておけよ」
マティアスはそれだけ言い残すと、部屋を後にしていた。
「……ロラン」
イルヴァはすぐにロランの傍へ歩み寄ると、彼の手を取っていた。
「……本気なのね」
イルヴァの静かな声に、ロランは頷いて返していた。
「……そう」
イルヴァは頷きながらも、その瞳に不安げな色を浮かべるようになっている。
だから、ロランは微笑すると彼女の頭を撫でていた。
「ごめん、勝手なことをして。でも、俺は……そうする必要があるんだ。俺の剣闘士の始まりが――理想の“父さん”だったから」
ロランはイルヴァの頭からそっと手を離しながら、打ち明けていた。
「父さんの語る武勇伝から、強くて優しい姿を想像して……それが俺にとっての剣闘士になった。でも結局、それは俺の妄想の産物でしかなかったのかもしれない。今思えば、母さんの心を引き止めるために都合の良い姿を演じていたんだろうな。けれども俺にとってはそれが真実だったんだ」
「――そして」と続けるロランの目は、イルヴァの姿を映していた。
「俺のその理想がハッキリとしたカタチを作った切欠が、アイアン・ティターニアという存在との出会いだった。キミは俺の理想通りの剣闘士だったから、俺はキミに焦がれ、憧れ、幻想の姿を重ねたんだ。でもそれも結局は俺の妄想で……」
ロランはイルヴァの手をぎゅっと握り締めていた。
「キミを超えた時、俺は確信した。俺はもっと強くなって行けるんだって。この時俺は自信を取り戻したんだ。憧れの人に認められたら手に入ると思っていた自信が……憧れの人を乗り越えて、やっと手にすることができた」
「――だから」と、ロランはイルヴァの手から手をそっと離していた。
「俺が俺として本当に立てるのは、俺が生み出したこの幻影を乗り越えた時なんだ。それまでの間、どうやったって俺が作り上げた“理想”という姿が俺の道を妨げる。俺が本当に俺として自信を得るためには、俺自身を認めるには、俺の幻影を乗り越えなければならないんだ」
「その時やっと俺は、俺が積み上げてきた人生を誇ることができる気がするんだ」と、ロランは括っていた。
「……そう」
やがて頷いたイルヴァの表情には、穏やかな微笑が浮かんでいた。
「それがあなたの誇りのための戦いと言うなら……――私に止める権利は無いわ。だって、それが剣闘士。剣闘士とは誇り高き者のことよ。そしてあなたは、“剣闘士”よ」
「うん」
ロランは大きく頷いた後、シャルロッタと文官長の方に目を向けていた。
「……ロラン」と言うシャルロッタは真剣な眼差しをロランに向けていた。
「つまり――剣王との試合こそが、あなたの本当の戦いということですね?」
シャルロッタの質問に、ロランは「そうだよ」と頷いていた。
「ロランよ」と言ったのは文官長だった。
「剣王に挑むということは、剣王の座を奪うということでもある。次の玉座がキミの手中に収まること――我々は楽しみにしているよ」
そう言って文官長は微笑んだから、「はは……」とロランは笑っていた。
「自信があるわけではないけれど……――」
ロランはイルヴァに微笑を向けていた。
「――新婚早々で未亡人にするわけにはいかないもんな。俺は絶対に勝つよ。勝ってキミの元に必ず帰る」
「ロラン、じゃあ……――」
イルヴァは目を見開いていた。
「ああ」とロランは頷いていた。
「しばらく待たせてしまったけど……結婚しようか、イルヴァ」
にっこり笑って言うロランに、「ええぇっ?!」「なあぁっ?!」と、多重音声でシャルロッタと文官長が驚きの声を上げていた。
「そ、それは大変なことになりましたよ、文官長様!」
焦った表情を向けるシャルロッタに、「う……うむ」と文官長も同じように焦りの面持ちを浮かべている。
「今からだと大忙しになりそうだな」
「はい。ブレイディアで式を挙げようと思ったら、イルヴァの籍を作らないといけませんからね。……あ、その前に、イルヴァの年齢。そういえばエルフ年齢だと未成年になりませんか?」
「確かに、それもそうだな。しかしイルヴァは肉体年齢は成人だから、成人として扱うべきが妥当だとは思うが……」
「ど、どうしましょう文官長様……前例が無いので法律がありません!」
「ここは特例で対処するとしてだな……何百年分足せば良いのかね?」
「暦を探すのが大変そうですね……。ああ、今から地下書庫へ行った方が良いのでしょうか……」
そんな二人の文官の急に慌しくなった会話を、ロランとイルヴァは二人してぽかんとしながら見守るしかなかった。
その時、「あの」とおもむろにシャルロッタがロランに話しかけてきたので、ロランはハッとしていた。
「え。な、なんだ?」
「籍はいつ入れるご予定ですか? 準備が色々とありますので、出来れば最低でも一週間は待っていただきたいのですが……」
申し訳なさそうに言うシャルロッタの姿に、ロランは慌てて手を横に振っていた。
「い、いや、そちらの都合で良いんだぞ? 急に言い出した俺も悪かったし……というか、入籍ってそんなに大変なのか?」
「いえ、入籍が大変なわけではなくて」とシャルロッタは微笑んだ。
「イルヴァは元々里エルフなので、ブレイディアの籍が無い上に、実年齢と公式年齢が大幅に異なる辺りに問題点がありまして。まあ、その辺りは特例で対処するので任せておいてください。文官長の許可も頂きましたしね」
シャルロッタはポンと胸を叩いた後、慌しく部屋を出て行ってしまった。
「なんか……悪いことをした気が」
ボソッと呟いたロランに、「気にする必要は無い」と答えたのは文官長だった。
「キミには今回、多大な貢献を果たしてもらっている。我々文官省としても、そんなキミのために力になれる事があるなら、是非とも力になりたいと考えているのだ」
それから文官長はドアの方へ歩いていくと、ドアノブに手を掛けてからロランたちの方を振り返った。
「手続きはこちらで済ませておくから、キミたちは式の準備でもしておきたまえ。この町には良い教会があるぞ。もちろん、本庁の文官省は全員参加するから、そのつもりでな」
それからにこやかに立ち去った文官長の背中を、あっ気に取られながらロランたちは見送っていた。
「な……なんか、話が盛大になっているような……」
ボソッと呟いたロランに、イルヴァが苦笑で返してきた。
「……あまり盛大なのも見世物になるみたいで嫌なのだけど……」
「だよな。――でもまあ」
髪をぽりぽりと掻くロランに対して、同感と言いたげにイルヴァは頷いていた。
「盛大にならざるをえない……というのは、わかるわね……」
イルヴァは溜息をこぼしていた。
何しろ、元アイアン・ティターニアとアブソリュートソードが結婚するのだ。放っておいても、下手をすれば呼ばれてもいない民衆が押しかけてきかねない。
「まあ、本庁全員って言うぐらいだから、あれだけの数の文官が来ていたら、少なくとも式場内には一般人は入って来れないだろ……。そういう意味においては、良いかもしれない」
「……それもそうかもしれないわね」
ロランとイルヴァは、不純な動機で納得するのだった。