51.蛮勇の子・上
円状の広い舞台へとゆっくりと上がってきたヒューマン族のその男は、口元に歪んだ笑みを浮かべていた。
黒いコートの上から身に着けた軽鉄製の胸当ての前で、小麦色に焼けた逞しい腕を組んでいた。
風にさらわれた蒼い髪が頬を撫で、彼は錆色の瞳を細める。
「……来たか」
彼が見据える目の前に歩み出たのは、同じく蒼い髪をしたよく似た顔立ちの青年だった。
軽鉄製のブリガンダイン《胴当て》とゴルケット《喉当て》を身に着けた彼は、鋼色の瞳を真っ直ぐに男へと向ける。
そう、彼らこそが――剣王の息子。この舞台の真の主役たちである。
『東の剣闘士は――ルーキークラス、蛮勇の子ことジュード・レムンハル! 大会初参加に関わらず、ハイクラスの剣闘士をも次々と屠るその実力! 前代未聞の“奇跡”とも称することができる大挙を成し遂げながら、ここまで一気に駆け上ってきました!! 彼こそが剣王の正当な子息として知られています! その強大かつ天災の如き殺戮術はまさにサテュロスの王さながら! まさに、蛮勇を代名詞とする原始的な“剣闘士”そのものの姿が彼なのでしょう!! その暴力的な強さに魅入られた人々は数知れず! 既に本大会によって、多くのファンが生まれています!!』
彼にとって生まれて初めての大舞台であるに関わらず、ジュードは黒いコートをなびかせながら、満足げに審査人の声を聞いていた。
それもその筈。“この俺こそがこの場に相応しい”とジュードは思っているのだ。
(そして……俺こそが頂の名を冠するに相応しい)
そう考えながら、目の前の彼に見下すような視線を向けている。
『西の剣闘士は――ハイクラス、アブソリュートソードことロラン・ノールド! 彼もまた剣王の血を引く者ですが、正式な子息ではありません。しかしそれも今日この日まで! 果たして見事に“正当後継者”を打ち破り、新たにその場に収まることはできるのでしょうか?! 彼は蛮勇の子と同じ剣と技を用いますが、その志は正反対です! まるでサテュロスに挑むヒーローの如き、秩序と善良さと勇敢さを兼ね揃えています!! 全く新しい剣闘士の新風が、多くの人々の心を掴み、今ここに前代未聞の数のお客様が集結するに至ったのです!!』
ロランはゴルケット《喉当て》の位置を調整した後、ジュードに視線を向けていた。
(……ジュード。お前は俺の……――)
『そして決勝戦は――剣王の意向に従いまして、デスマッチという形として開催されます! およそ二百年の時を経て、ブレイディア建国前に行われていた伝統的な野蛮の舞台――文字通りの命と命を賭した原始的な剣闘士の舞台が蘇る!! 多くの観衆が見届けるここで、今まさに火蓋が切られます!!』
(――仇敵だ!!)
ロランはキッとジュードを強く睨み付けていた。
『両者――構え!!』
審査人の声に従って、ロランとジュード互いに剣を抜く。
それぞれが正中線上に構えるその剣は、同じ漆黒の片刃の刃を持った魔剣であり、ジュードの手に握られたものは赤黒く、ロランの手に握られたものは青白く、それぞれが輝きを放っている。
「その剣……――親父に貰ったんだろ?」
ニッと笑いながらおもむろに話しかけてくるジュードに、ロランは無言で答えていた。
そんなロランに、ジュードは尚も話し掛ける。
「その見た目……俺のこの剣の兄弟ってところか。俺たちと同じじゃないか。――なあ、弟よ」
「ッ……――!」
ロランはギリッと歯を食いしばっていた。
『――始め!!』
鐘の音が鳴る。
ロランは地を蹴ると、一気に切り掛かっていた。
「弟って言うなッッ!!」
ロランが振り下ろした剣を、ジュードは笑みを浮かべたまま紙一重にかわしていた。
「この俺が嫌いか? ロラン」
尋ねながらジュードが切り返すと、ロランはそれを避けながら、「ああ」と答えた。
「嫌いだな!」
ロランが振り払った剣を、ガキン! とジュードは剣で受け止めていた。
するとジジッという音がして、ジュードの剣を包み込んでいる赤黒い輝きが薄くなる。
それを見たジュードは、「フン」と鼻で笑っていた。
「《精霊穿ち》……忌々しい小細工だよな。しかし、貴様なぞ……ヘルファイア無しでも十分に屠ってやれる!!」
そう言うが否や、ジュードはロランの剣を力任せに押し返しながら足を上げると、ロランの腹に蹴りを打ち込んでいた。
どむっと鈍い音がして、ロランの体が後ろへ吹き飛ぶ。
「グッ……う……!!」
(魔剣の力が弱まったところで、意にも介さないのかよ……?!)
ロランは表情を歪ませながらも痛みを飲み込むと、膝をついて着地していた。
そこへすかさず、ジュードが飛び込んでくる。
「はあぁッ!!」
気合の声と共に振り払われた剣の動きを見て、ロランはハッとすると後ろへ飛び退く。
ヒュンッと剣が振り切られ、切っ先が床の石畳にガリガリと食い込んだ。
(ザンテツか……!)
ロランが着地する間に、ジュードは剣を引き抜くと再び切り込んできた。
予想通り、力も速度も技もジュードの方が上であるようだ。
「死ねェ!!」
ギラギラとした獣のような目がロランの姿を映す。
口元に堪え難い笑みを浮かべながら、ジュードはブンッと力強く剣を振るっていた。
ロランはそれを避けると、すぐにジュードの懐に飛び込んだ。
「はっ!」
息を細く吐きながら狙いを研ぎ澄ましてロランは剣を切り上げるが、ジュードは剣身を叩き付けることで進路を逸らしていた。
「オラァ!」
そのままジュードは頭頂をロランの顔面にゴッと打ち付けていた。
「ガッ……!」
ロランは顎を後ろへ仰け反らせながら後ろへと後退りしたが、すぐに息を飲み込むと体勢を元に戻す。
「はっ、はぁ……」
痛みを飲み込みながら、鼻からつっと垂れてきた血を手の甲で拭っていた。
(その上、なんて野生的な戦い方をするヤツだよ……!)
ロランは奥歯を噛み締めながら剣を構えなおしていた。
ジュードのそれはロランと同じ流派であるはずなのに、洗練された様子がまるで無い。ただただ血に飢えた獣のような動きを見せるその姿に、ロランは戦慄を覚えていた。
「……型破りってヤツか」
ボソ、と呟いたロランの言葉を聞いて、ジュードはニヤッと歪に笑っていた。
「そうとも。俺のこの蛮勇はな、堅苦しい型に嵌め込まれるほど小さなモノじゃないんだ。たった一本の剣で、たった一つの流派に従わなければならないとあっては、俺のこのデカすぎる器が満足しないんだよ」
「……相当の自信家のようで」
ロランは挑発するかのように軽く笑ったが、その反面で怖気を感じることは確かだった。
ジュードとはその自信に相当するような戦術的センスを持った男なのだろう。
まさに殺戮のために生まれてきたような男だ。
(イルヴァが怯えるはずだよ……!)
ロランは素早く飛び込むと、切り掛かっていた。
その一振り目はジュードは型通りにすれすれでかわすが、二撃目そのまま切り上げたものは、今度は剣を使って受け止めるようになる。
そしてまたジュードは足を使ってロランを蹴り抜いてきたから、ロランは自ら後ろへ飛んで衝撃を緩和させていた。
(……なるほど。この戦い方は厄介だな……!)
ロランはストンと着地すると、ジュードを睨み付けていた。
「はぁっ――」と深く息をつくと共に焦りの感情が心を支配する。
(こいつ……強い……!)
ギリッと歯を食いしばるロランに対して、ジュードはニヤニヤとした笑みを浮かべたままだ。
「どうした? 手が止まってるじゃねぇか!!」
ジュードは地を蹴ってロラン目掛けて素早く切り込んできた。
その自信故に、真っ直ぐに真っ直ぐに、脇目も振らずに突っ込んでくるジュードを目にして。
(……――ここだ!!)とロランは確信した。
すかさずジュードの振り下ろしてきた剣を、横へ避けながら体を捻る。
そしてそのまま、すれ違うかのように思い切り前へと飛び出していた。
「ッ……――!」
振り返るジュードの動きよりも素早く、ロランは彼の後ろへと回り込んでいた。
そう。これはクレハに教わったコグソクの手口である。
ロランはそのまま低くしゃがむと、ジュードが横薙ぎに振り払った剣を頭上に見送りながら、スライディングするかのようにジュードの靴底をさらっていた。
「テメッ……!」
ジュードは怒りの形相を浮かべながら床にしりもちをつくようになった。
ロランは立ち上がると、剣を振り下ろそうとして上段に構える。
「ッ……――!」
ロランがギリッと歯を食いしばるうちに、ジュードはごろりと横に転がった後起き上がるようになった。
「やってくれるじゃねえか……弟の分際で……!!」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらも目に怒りを宿すジュードの姿に、ロランはごくりと息を飲んでいた。一瞬怯みかけたものの。
「負けるものかッッ!!」
気合でそれを吹き飛ばすと、改めて剣を構え直していた。
そんなロランにジュードが切り掛かってきた!
ヒュンヒュンと次々に様々な角度から振り払われる剣を、ロランは視点を外さずに一つ一つ丁寧にかわして行く。しかしそうしていると。
「しゃらくせえ!」
ジュードが蹴りこんできた足がロランの腹に叩き込まれ、ロランはまた後ろへと吹き飛んでいた。
ザザッと靴底が床を削る。
「ゲホッ、ゴホッ」
なんとかよろめかないように着地には成功したものの、むせ返りながらロランは剣を握りなおす。
(……目で追う事に集中していると、視界の外から来る攻撃に弱くなる。これは今後の課題だな)
そんな事を思いながら、また飛びかかってくるジュードを睨んでいた。
その手に掴まれた剣は、いつの間にか赤黒い輝きが消え入りそうになっている。
(随分とジュードの剣の魔力も消失したようだな。あと一撃くらいで、魔剣効果は切れるか……?)
振り払われた剣をバックステップで避けながら、――ん? とロランは気付いていた。
(そういえば……剣王はこの《精霊穿ち》がジュード対策だと言っていた……! それなら、ジュードも知らないような“何か”があるのかもしれない……!)
その間にもジュードはまた剣を振り下ろしてきた。
ロランは意を決すると足を止め、剣を両手に強く握り締める。――そして。
ガキィン! と火花を散らしながら、剣と剣を強か打ち合わせていた。
力押しで負けることがわかっていながら、あえて真正面で受け止めたのだ。
案の定ロランの体は押され、バランスを崩して後ろへと倒れこんでしまった。
客席からどよめきの声が聞こえる。
「ぐっ……!」
尻餅をついて表情を歪めるロランと、一方でジュードの手に握られている剣は、ジジッという小さな音がしてわずかに残っていた赤黒い光がすっかり打ち消えてしまった。
そこに残ったのは艶やかな光を反射する漆黒の剣身だけとなっていたが、ジュードはニヤニヤとした笑みを崩さなかった。
ジュードはロランに真っ直ぐ剣を向けた後、すぐに振り上げたのだ。
「これで貴様は――ジ・エンドだな。ロラン・ノールドッッ!!」
ロランと違い、ジュードは躊躇わなかった。
真っ直ぐにロラン目掛けて斬鉄の力を篭めた剣を振り下ろしてきたのだ。
それを見た瞬間、ロランは負けを確信していた。
(……避けられない……――!!)
ロランはジュードの振り払われる漆黒の軌道を、目を見開いて見つめる。
魔剣の力が無くなったからといって何だと言うのだろう。ジュードにはそんなものが無くても、その自らの野生的な力が、速さが、そして斬鉄の技があるのだ。
これが走馬灯だとでも言うのだろうか? まるで時間が引き延ばされたかのように、ジュードの剣がゆっくりとロランの頭上に迫ってくる。
その時――
「ロランッッ!!」
悲鳴交じりに自分の名前を呼ぶ声がして、ロランの意識は一気に引き戻されていた。
(……――イルヴァ)
そうだ。俺には彼女が居る。
「俺は誓ったんだ……」
ロランはグッと剣の柄を握る力を強めていた。
(そうだ。俺は負けてたまるか。諦めてたまるものか……!!)
「俺のこの剣は一人分じゃないんだッッ!!」
ロランは顔を上げると、斬鉄の軌道を走る頭上の剣を睨みつけていた。
その時、気付いたのだ。
「――ここだッ!!」
ロランは迷わずに剣を真っ直ぐに叩き込んでいた。
「馬鹿野郎め!!」
ジュードは歪んだ笑みをめいっぱいに広げながら、剣を振り切る。
次の瞬間、ロランの体は真ん中から左右に分かたれていた。
――そのはずだった。
ガキィン!!
聞こえたのは、剣同士が打ち合わせられる激しい音だった。
「なにィ……?!」
ギョッとするジュードの剣を押し返しながら、ロランはすぐに立ち上がっていた。
「――わかったぞ。お前のその“強さ”の正体が……!」
ロランは剣を正中線上に構えながら、ジュードのことを睨みつけていた。
ジュードもまた慌てた様子で、完全に輝きを失くした漆黒の剣を構えなおす。
そんなジュードに、ロランは一つの疑問を向けていた。
「ジュード。お前がその剣を剣王から手渡された時、既にその剣は赤黒い輝きを持っていたんじゃないか?」
「はあ?」と、ジュードは怪訝そうな表情を浮かべていた。
「当たり前だろうが。魔剣だぞ? そんなもの、貴様の剣も同じだろうがよ?」
ジュードは苛々とした表情を浮かべるようになっていた。
戦いの最中に、悠長な会話を始めたロランの態度に苛立ちを覚えたせいだ。
「確かに、俺のこの剣も輝いていたよ。……つまり、俺の剣もお前の剣も、手渡されたその時から既に魔剣だった」
「それがどうしたっていうんだ。時間稼ぎのつもりか? ――しかし」
ジュードはニヤッと笑っていた。
「貴様のそれは、俺にとっても時間稼ぎになるんだぜ?!」
言うなり、ジュードは頭上へと剣を振りかぶり、一気に斬り掛かってきた!
ヒュンッと弧を描くように振り払われるのは、ザンテツの軌道。
「……まだわかっていないようだな!」
ガキィン!! と、ロランは再度受け止めていたから、ジュードは動揺していた。
「なっ――なんだと?! い、一体どんな小細工をしていやがる……! ……まさかその剣は、ザンテツを受け止められるというのか?!」
「違うよ。まだわからないか?」
ロランは微笑むと、ヒュッと剣を横薙ぎに振り払っていた。
「チイッ!」
ジュードは体を後ろに引くとロランの剣をギリギリで避けていた。
その後、今度は頭上から振り下ろされた剣を、なんとか受け止める。
ガキッと音がして、ジュードの足が半歩ほど後退した。
「グッ……?!」
顔色を変えるジュードの態度を見て、ロランは確信していた。
「――やっと、気付いたか?」
「なっ、な……!」
ジュードは慌てた様子になって、後退りするとロランから距離を取っていた。
「このっ、クソ……!」
ジュードは顔を怒りで真っ赤にしながら、剣を構え直す。
「……どうしたんでしょうか?」と疑問を口にしたのは、客席から試合の成り行きを見守っていたシャルロッタだった。
それに対して、イルヴァもクレハも揃って黙り込んでいる。どうやら、二人は“感付いている”ようだ。
やがて「……ジュードってやつ」と、ポツリと言ったのは、クレハだった。
「……呆れ返るほどの小物だったなんて……」
はあぁ……と、イルヴァが腹の底から溜息を吐き出していた。




