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49.決戦の前・上

 ロランがソードパレスの文官省会館に帰ってきた頃には、辺りは薄暗くなっていた。


(思ったより遅くなってしまったな……)


 ロランは急いでシャルロッタに言われていた、第十八番書斎へ足を運んでいた。

 ロランがガチャリとドアを開くと、目の前を明かり取り用のライトボール(魔法光球)がふわふわと横切った。

 幾つものライトボールを空間に浮遊させた部屋で、イルヴァとシャルロッタは作業していた。

 シャルロッタはテーブルの端に何冊も本を積み上げながら本の中に目を通しているし、イルヴァはテーブルの真ん中に大きな紙を広げて何かの数式のようなものを書いている。


「ただいま」と声を掛けると、二人はロランに気付いた様子でこちらに目を向けてくるようになった。


「お帰りなさい、ロラン」と最初に言ったのはシャルロッタだった。


「きちんとお詫びはできましたか?」


 シャルロッタの質問に、ロランは頷いていた。


「あ、ああ、もちろん」


 頷きながらも一瞬だけ言葉を詰まらせてしまったのは、キスしかけたことを思い出してしまったからだ。

 なんとなく罪悪感を覚えるロランに気付いているのかいないのか、イルヴァはするすると紙を巻いてスクロールにすると、シャルロッタに手渡していた。


「じゃあ、ロランも来たことだし私は帰るわね」


 イルヴァの言葉に、「はい」とシャルロッタは頷いた。


「お疲れ様です、イルヴァ」


「シャルロッタもお疲れさまです。お先に失礼致します」


 イルヴァはやっと様になってきた敬語でシャルロッタに挨拶をした後、ロランの方へ歩み寄ってきた。


「じゃあ、行きましょうかロラン」


 そう言ってイルヴァがロランの手を握ってきたから、ロランは「うん」と頷いていた。



 ロランはイルヴァと一緒に自室へ戻ってきた。

 ドアを閉め、やっと試合の時から着けたままだった剣を外し、ゴルケット《喉当て》やブリガンダイン《胴当て》を取り外しながら、イルヴァに話しかけていた。


「……今日はありがとうな、イルヴァ」


「え?」と尋ねてきたイルヴァは、ロランのベッドに腰掛けていた。

 ロランは微笑していた。


「クレハと行くこと、許してくれたろ?」


 鎧掛けにブリガンダインを掛けているロランの背中を見て、イルヴァは溜息をついていた。


「……許すもなにもないでしょう? あなたが少しぐらい女遊びをしたからって、本当の私は、あなたを止める権利なんてどこにも無い奴隷なのだから」


「俺はキミが奴隷だと思ったことは一度だって無いよ」


 ロランは振り返ってそう言ったから、イルヴァは苦笑していた。


「……わかっているわよ。でもあなたこそ、私が剣闘士の慣例を大切にしているって、とっくの昔に知っているでしょう?」


「そうだな」と言ってロランは笑ったから、イルヴァも笑った。


「クレハ、喜んでくれた?」


 イルヴァの質問に、「うん、多分な」とロランは頷いていた。


「……でもキミは、焼きもちを焼いたりはしないんだな」


 ボソッとロランは呟いていた。

 正直、少しぐらい嫉妬してほしいというのが本音だった。

 でも目の前のイルヴァは少しも気にした様子を見せないから、複雑な気分だった。

 そんなロランの心境に気付いているのかいないのか、イルヴァは困った様子で微笑むと、首を横に振っていた。


「しているわよ」


「へ?」


 目を丸くしたロランを見て、イルヴァは溜息をついていた。


「……焼きもちを焼かないわけがないでしょう? こんな気持ち……私の身分で持つものではないとは思っているのだけど、上手く行かないというのが本音。本当なら今すぐあなたの服を脱がせて私の名前を書いてしまいたいぐらいには嫉妬しているわね」


「……マーキングするつもりか」


 ボソッと呟いたロランの言葉を聞いて、イルヴァは笑っていた。


「心配せずとも、何もしないわよ。でも、あなたに少しでも申し訳ないという気持ちがあるなら、大会で優勝した後にでも埋め合わせをしてくれると嬉しいかな」


「埋め合わせ……か」


 それで良いのなら悪くないかな。とロランは考えていた。

 だからやがてロランはイルヴァのことを真っ直ぐ見ると、頷いていた。


「わかった、そうするよ」


「うん」


 イルヴァは本気で嬉しいようで、綻ぶような笑顔を見せた。


「楽しみにしているわね。だから……――絶対に負けないで。必ず勝ち抜いてね、ロラン。約束よ」


 そう言って小指を差し出してきたイルヴァの目は、不安げな色を宿すようになっていた。

 だからロランは彼女の方へ歩み寄ると、小指に小指を絡めていた。

 そして、力強い声で「約束だ」とハッキリ伝えていた。

 イルヴァのその透き通った紺碧の瞳を見つめながら、彼女の不安を払拭するように。


「必ず勝つ。何がなんでも、――絶対に」


(イルヴァも、クレハだって、こんなにも俺のことを思ってくれているんだ。だから――絶対に泣かせたりなんかしない)


 そう、固く誓っていた。





 そして翌日が訪れる――

 この日も晴天。午前の一回目の準決勝戦が終わった後、二度目の準決勝戦の時間になっても、闘技場コロッセオの観衆席は人々で埋め尽くされていた。


『いよいよ、始まります! 本日二度目、午後の部・タナトス杯の準決勝戦が!』


 審査人のそんな声により、客席はワーッという歓声で包まれるようになる。


『さて――ここまで勝ち進んできた、二人の猛者たちの入場です!』


 そんな声によって、東西の格子門が跳ね上がるようになった。

 東の門から姿を現した剣闘士は、黄金色の毛並みをした、リュカオン族特有の尖った狼のような狐のような獣の頭を持っている、二メートル半の毛むくじゃらの大男だった。


『東の剣闘士は――ハイクラス、ジャイアントロアー《巨人の咆哮》のグレイモス! 彼はリュカオン族とオーガ族のハーフです! 飛び抜けた素早さを持つ種族と、飛び抜けたパワーを持つ種族の良い所取りのハイブリッドだ! それだけでも十分な強みですが、極めつけは彼の装着しているナックル! 《メテオライト》の名を冠するその魔装が、更なる破壊力を生み出します!』


 グレイモスはオーガ族によく見られるような、上半身が裸でズボンとブーツだけを身につけた格好をしている。そして剥き出しの毛で覆われた胸の上に、鋼鉄製の胸当てを取り付けていた。

 だらんとぶら下げている両手には、岩石を砕いて貼り付けたような見た目をしたナックルをはめている。


『そして――』と、審査人が言葉と続ける。


『西の剣闘士は――ハイクラス、アブソリュートソードのロラン・ノールド! 彼もまた魔剣を携えています。その名も、《精霊穿ち》! 先の大会でイフリートブレイドの《フランベルジュ》を破り、更にはアイアン・ティターニアの秘術をも破ったその力! ジャイアントロアーの自慢のナックルも彼の前では形無しになってしまうのか?!』


 ロランは西の門から舞台へと上がると、喉もとのゴルケット《喉当て》の位置を調整した後、剣の柄に手を添えていた。


『両者――構え!』


 そんな審査人の声と共に、グレイモスは腰を低く落とし格闘戦の構えを取り、片やロランは、青白い輝きを放つその剣をすらりと鞘から抜き取ると、正中線上に構える。


『――始め!!』


 審査人の声と共に、鐘の音が鳴った。いよいよ準決勝戦の幕開けである。


 グレイモスは手始めに様子見をするつもりのようで、軽くステップを踏みながらロランのことをじっと見ている。

 ロランは正面に剣を構えたまま、じっと息を殺してグレイモスを見ていたが――やがて。


「はあっ!!」


 ビュ! と一気に飛び出すと、剣を振り下ろした。


「ヌ……!」


 グレイモスが後ろへ跳んだところを、ロランは更に深く踏み込んで剣を叩き付ける。

 その切っ先がグレイモスの胸当ての上をかすめ、スパッと綺麗に斜めに分かたれたかと思うと、ゴロリと床の上に転がり落ちた。


「チッ――間を与えてはいかん、か……!」


 グレイモスの表情が切り替わった次の瞬間、彼は攻勢に転じていた。

 ヒュヒュヒュヒュッ! と次々繰り出される拳のラッシュを、ロランは目で追いながら次々とかわして行く。元々ロランは敏捷な攻撃を避けるのが得意な方なのだ。……と言っても、これはイルヴァとの鍛錬によって身に付いたものなのだが。


「ならばこいつは……――どうだッ!」


 グレイモスは右拳を下げると、グッと拳に力を篭めていた。途端、ナックルにまとわり付く岩石のようなそれがギシギシと音を立てながら肥大して行く。


「行くぞっ――《コメットショット》!!」


 振り下ろされたグレイモスの拳を、ロランは剣で受け止めていた。すると、ガゴゴッ! と音がして、ぶつかった所を基点に岩が砕け散った。


「……?!」


 ギョッと目を見開くロランの頬を、飛散した岩の破片が切り裂いて行く。

 グレイモスはニイッと笑っていた。


「どうだ? 俺の《メテオライト》は」


「クッ……!」


 ロランは慌てて後ろへと飛んで距離を開けていた。


(魔法武器相手なのに、《精霊穿ち》が通用しない……?!)


 それはロランを酷く戸惑わせたが――


「それッ、マテリアルリファイン(物質精製)よ!!」


 そんな声が客席の方から、舞台の上に降り注ぐ。

 それはイルヴァの声だった。


「……?!」


 ギョッとしてイルヴァの方を振り向くグレイモスをよそに、イルヴァは席から立ち上がると、尚もロランに向けて叫んでいた。


「見た目と魔装の名前に騙されないで! それはグラウンドアーツ(地素構成)じゃない!! マテリアルリファイン(物質精製)が生み出す組成物は魔法組成物ではなく、物質組成物なのよ! だからその岩石に剣をぶつけたところで、ただの石に剣を当てていることと変わらないの!」


「あの魔導士ッ……――!!」


 グレイモスは大慌てした様子でイルヴァに向かって怒鳴りつけてくるようになった。


「言うな! それ以上言うんじゃない!!」


 グレイモスの慌て様によって、イルヴァの言葉が真実だと確信したロランは――剣を構え直しながら、聞いていた。


「つまり――噛み砕いて言うと、どういうことだ?!」


 ロランの質問に対して、イルヴァは答えていた。


「――狙うべきは、岩石の下よ!」


「よしきた!」


 ロランは気合を入れると、「はあっ!!」と掛け声と共にグレイモスの拳に向かって剣を振り下ろしていた。

 その時、グレイモスはイルヴァに気を取られていたせいで余所見をしていたのだ。


「しまっ……――!!」


 気付いた時には、ロランの剣がすっぱりとグレイモスの右手の拳を縦に両断していた。


「グアアァッ!!」


 痛みで思わず崩れ落ちるグレイモスの拳から、ゴトゴトッと真っ二つになったナックルが落ちる。するとパラパラと音がして、張り付いていた岩石がナックルの周りに散らばり落ちた。


「ガハッ、ハァッ、貴様……!!」


 憎憎しげに睨みながらも、グレイモスはなんとか残った左拳をグッと握り締める。すると、ギシギシと音がして岩石が膨らんで行く。


「こうなれば……! 最後の力で貴様を……穿つ!!」


 グレイモスは尚も岩石に力を篭めると、ギシリ。ギシリ。と岩が膨らんで行き、とうとう一メートルほどはあるであろう岩の塊と化した。


「これで、貴様を――」


「――そんなことをしている時間で、俺の準備時間が過ぎるんだよッ!!」


 言うが否や、ロランは横薙ぎに剣を振り払っていた。


 すると、スパッ! と岩石が豆腐のように綺麗に上下へ分かたれ、ゴロンゴロンと床に転がり落ちた。――と同時に、その下から出てきた左の拳からブシュッと血飛沫が噴出する。


「ウアアァァ!! 俺の拳が! いや、俺の《メテオライト》が!!」


 悲鳴を上げるグレイモスにスッと剣を向けると、ロランは言っていた。


「これでチェック・メイトだ。降参するんだな、ジャイアントロアー」


「クソッ……!」


 グレイモスは悔しげながらもドカッと床に座り込むと、叫んでいた。


「殺せ! その剣で、一思いに俺を殺してしまえ!」


「……は?」と、ロランは戸惑いの表情を浮かべていた。

「そんな必要は無いだろ? もうキミは戦えない。降参すればこれで全て終わる」


「そんなもの、俺のプライドが許すわけがないだろう!! 俺はな、“腑抜け”なぞに落ちぶれたくはない!!」


 グレイモスはロランを真っ直ぐ睨み付けていた。

 しばらくの間、ロランは驚愕した目でそれを受け止めていたが――やがてキッとグレイモスを睨み返すと、怒鳴りつけていた。


「ふざけるな!! そんな刹那的なプライドで何が得られる?!」


 ロランはグレイモスに剣を向けたまま、尚も怒りを篭めて叫んだ。


「無様でもな、生き残れ!! 生き残った者にこそ、その“道”を進む事が許されているんだ!! 死で幕引きをする事は簡単だ。だがな、泥を啜れ! 地を這え! そうやって自分の信念を貫いてみせろッ!! それが――剣闘士だろッ!!」


 ロランの叫びは、会場中に響き渡り――水を打ったように、しん、と静まり返るようになった。

 グレイモスもまた、あっ気に取られたような表情を浮かべてロランのことを見ていたが――やがてガックリと肩を落とし、項垂れるようになった。


「……俺の負けだ。降参する」


 次の瞬間、ワッと会場中が歓声に包まれるようになった。


『勝者――アブソリュートソード! アブソリュートソードの、ロラン・ノールドです!』


 ロランは顔を真っ直ぐに上げると、その沸き起こるような歓声を一身に受け止めていた。

 興奮する観衆たちの中、クレハが笑った。


「ロランは随分と様になるようになったね。随分と強くもなったし」


「そうね」とイルヴァは頷いた後、ロランのことを眩しげにじっと見ていた。


「これが――ロラン・ノールドの剣闘士なのよ」


 そしてここで徐々に変わろうとしている姿に誰もが気付いていた。

 闘技場コロッセオには今間違いなく、新しい風が吹き込んでいるのだ。

 それは観衆たちの熱を帯びた眼差しにしてもそう。参加者である剣闘士たちの、ロランと接した後の態度を見てもそうだった。


(最初は、変わり者の剣闘士だと思っていたのに……)


 イルヴァは微笑んでいた。

 彼のその風変わりでも、ひたむきで信念を真っ直ぐに貫くその姿に、この場に居る誰もが魅せられてしまっているのだ。誰もが彼の向こう側に見える全く新しい剣闘士のカタチに、興味を抱いている。


「……大きくなったわね、ロランは」


 ぽつりとイルヴァは呟いた後、表情を消していた。


(そしてとうとう、明日は……――)


 イルヴァは固く拳を握り締めていた。

 明日、いよいよ決勝戦でロランはジュードと戦うのだ。


「ここまで来たのよ。あなたの“剣闘士の魂”は、ここまで大きく育った。だから絶対に負けるなんて、許さないんだから……」


 イルヴァはいつまでもロランの姿を見つめていた。

 その時、いつまでも熱が冷め止まない観客席の最後部では、つばの広い帽子を深く被った一人の男が無言で舞台を見下ろしていた。


「……ロラン・ノールド」


 その男はボソッと呟いた後、熱狂の中で、一人背を向けるとこの場を立ち去るのだった。

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