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44.対極の子・上

 琥珀色の月が、色を移ろわせつつある頃――その者は帰ってきた。


 それは夜が来て間もなくの頃で、王の私室のドアは叩かれた。

 丁度その時、マティアスは愛用のソファに深く腰掛けながら、一人葉巻をくゆらせている途中だった。


「こんな時間に、誰が何の用でここに来た?」


 マティアスは不機嫌な声を出していた。

 そりゃそうだ。ここ最近、機嫌の良くなるような事がとんと無いせいだ。しかし。


「……俺だ」


 その声を聞いた瞬間、マティアスはニヤリと笑っていた。


「入れ」


 マティアスの声に応じるようにして部屋に立ち入ったのは――

 蒼い髪をした男。ジュード・レムンハルだった。


「親父」


 目の前に立ち、じっと挑むような目を向けてくるジュードの姿を見て、マティアスはゆっくりと頷いていた。


「やっと帰ってきたか。このまま貴様が姿をくらますのではないかと、案じていたところだぞ?」


「俺は親父の顔に泥を塗るような真似はしねぇよ」と言ってジュードは笑っていた。


「ちゃんと応えてみせるさ。――俺が親父にとっての“一番の息子”だとな」


「フン」とマティアスは鼻を鳴らしていた。


「何が一番だ、わらわせる。確かに貴様が産まれた時、俺は嬉しかった。かつては前王の妻だったあいつが――やっと俺の手に下ったと思ったからだ。あいつは泣いていたな。まあ嬉し泣きだろう、どうでも良い話だ。それよりも、やっと手に入れたあいつとの子供であるお前が、俺のように育って行く様を見るのは実に爽快だった! 俺にとって貴様が一番だった辺りは――まあ、この辺までだな」


 そこまで一気に話した後、マティアスは葉巻をくわえ込んで煙を一気に吸い込んでいた。

 そしてハーッとジュードに吐き掛けながら、マティアスは続きを話していた。


「結局、あいつは自害したからな。あいつは俺を裏切りやがった! 女はクソだよな。でもまあ、貴様はそれでも俺のお気に入りだった。何しろ、俺を裏切らなかったからな。女は裏切るが、子供は裏切らないよな。俺はそこが子供の良いところだと思っていたんだ」


 マティアスは声を上げて笑った後、ジュードを睨んだ。


「しかし――貴様は俺の期待を裏切った! 所詮、蛙の子は蛙。結局貴様は、裏切りをやるような女が産んだ子供でしかなかったというわけだ」


「……とはいえ」と、マティアスは溜息をついていた。


「貴様がただ憎いわけではないのだよ、俺は。俺だって父親だ。これまで貴様に手掛けてきた情が、手間が、無駄になることほど惜しい事は無い。だからジュード、貴様は――」


 マティアスは手に持った吸いかけの葉巻を、グッと握りつぶしていた。


「――ロランを殺せ」


 ジュードの目を見据えながら、マティアスが言ったのはそれだった。


「この俺はな、貴様にチャンスを与えるために、ロランにたった一つ教えなかったことがある。それは――“殺し”だ。やつは人を殺した事が無い。やつは人を殺せない。だから結局、最後は貴様が勝つだろうよ」


 マティアスはニイッと歪に笑っていた。


「貴様のために、この俺が最高のデスマッチを用意してやる。文字通りの“ラストチャンス”を、無駄にはするなよ? ――我が息子よ」


 じっとマティアスに見据えられながら。


「……フッ」と、ジュードは笑みを零していた。


「ああ、わかっているとも、親父。俺は負けねぇよ……!」


 ジュードは握り締めた拳を軽く持ち上げてみせると、背を向けて部屋を後にした。

 誰も居なくなった部屋で、マティアスは。


「……ククク。クククク……」


 息を潜めるように笑い声を上げていた。


「……笑いが止まらんな。子供とは実に操りやすい。突き放して、その後優しくしてやれば済むんだから。女と同じだ」


 マティアスは歪な笑みを浮かべたまま、ソファに深く座りなおしていた。


(これで全ては整った。ロランが勝てば――それで良い。万が一ジュードが勝ったとしても、俺には何の損も無い。デスマッチを勝ち残った息子の真の力を試すとうたって決闘を挑ませて、この俺が直々に手を施せば済むだけの話だ)


「――それよりも俺が真に欲しいのは」


 マティアスは拳を固く握り締めていた。


「――元アイアン・ティターニアのイルヴァ」


 マティアスが呟いたのは、それだった。


(あのクソ生意気な女が剣闘士の頂点だと聞いたときから、俺はアレを貶めたくて貶めたくてたまらなかった!! そんな女がロラン・ノールドのモノだったと聞いた時――如何に狂喜したことか!! その時から俺の計画は始まっているのだ! 文官省の戯言を利用して、この俺のモノにしてやろうという計画がな!)


 マティアスにとって女とは、生意気なほど価値があるのだ。男の上に立とうとする“身の程知らず”であればあるほど、貶めた時に与えてくれる優越感は格別なものであるからだ。


「決闘制度で結ばれた旧時代の誓約は――主を殺した者が引き継ぐ。つまり、いずれにせよ、あの女は――最後は俺の手の中に転がり落ちてくるという寸法だ」


 その時の事を考えると笑いが止まらないようで、マティアスはいつまでも一人ニヤニヤと笑っていた。





「初めまして。本日から文官省の魔導士になりました。中位第二級魔導士のイルヴァです。みなさん、よろしくお願いします」


 ぎこちない敬語を使いながらそう言った後、深々と頭を下げるイルヴァは――

 新調したばかりの、緑地に白い刺繍の入ったローブを身につけ、緊張した面持ちで、朝の爽やかな日差しが差し込む、だだっ広い文化省の第一議事室に立っていた。


 議事室は弧が並ぶようにずらずらと細いテーブルと椅子が並んだ会議のための部屋で、文官全員が収容できるほどの広さとなっている。

 弧の先には演壇があり、そこにイルヴァは立たされていた。


(こんなに緊張したことは、舞台でも無かったわよ!!)


 思わず赤面して、隣に居るシャルロッタに目を向けると、シャルロッタはにっこり笑いかけてくるようになった。

 反対に居る文官長が、ぱちぱちと手を叩いたのを切欠に、文官たちがイルヴァに拍手を向けるようになる。


「イルヴァは元剣闘士ということを知っている者は多いだろう。しかし、今は剣闘士ではない上に、彼女は卓越した魔法技術を持つエルフ族だ。一刻も早いブレイディア王国の魔法体制の再建のためには、彼女の力は欠かせないものとなるだろう。不慣れな事も多いかもしれんが、皆、どうか彼女のこれからを支えてあげてほしい」


 文官長の言葉に、いっそう拍手の音が大きくなった。


(な、なにこの状況……)


 イルヴァは早速自分の決断を後悔し始めていた。


 結局、ロランに勧められるがまま、イルヴァは魔導士になるという誘いを飲むことに決めたのだが……。

 やっぱりガラじゃない。というのが、イルヴァの後悔を作る原因の八割だった。

 でも彼女には魔導士を引き受けるべき理由が幾つもあったのだ。


「これからのキミが前向きになるためにも、魔導士になった方が良いよ。せっかくキミが好きな事を仕事にできるチャンスじゃないか」


 ロランに何度もそんな風に言われたこともあるし、それに。


(やっぱり、養ってやるとは言われたものの、お荷物になる事だけは絶対にこのプライドが許さないのよね。ロランの力になれるなら、出来ることはやりたいし……)


 イルヴァが魔導士になる決意をした大半の理由はそこにあった。


「よろしくお願いしますね、イルヴァ。これからは先輩として、あなたの上司として、色々と教えて差し上げます」


 そう言ってシャルロッタは嬉しそうに微笑んでいた。



 挨拶を終えたイルヴァは、既にぐったりとしながらシャルロッタと共に議事室を出ていた。


「はーあぁ……息が詰まりそうだった」


 そうぼやくイルヴァに、シャルロッタは「でも」と言って微笑んだ。


「キチンと敬語が様になっていましたよ。一夜漬けで練習した甲斐がありましたね!」


「挨拶の言葉だけだけどね……」


 イルヴァは気の抜けた笑顔を見せていた。


「安心してください」


 シャルロッタはにこやかに笑っていた。


「本格的な敬語や作法は、これから私がみっちりと! 教えて差し上げますからね♪」


「う……」


 イルヴァの表情は強張っていた。昨夜の一夜漬けを思い出したせいだ。


「イルヴァ、そうではありません。お辞儀の角度は四十五度です!」

「もっと丁寧に、ゆっくりと喋ってください」

「両手はそろえて。足もキチンとそろえるのですよ!」


 そんな風に言いながら、何度も何度もやり直しを要求されたことを思い出していた。

 それはもう文字通り、これから“みっちりと”スパルタで叩き込まれるのだろう。


「さて、しばらくはここが私たち魔導士の職場となります」


 そう言ってシャルロッタが案内してくれた先は『第十八番書斎』という部屋だった。

 天井まで届く本棚がずらずらと並び、真ん中には六人掛けのテーブルが設置してあるその部屋が、どうやら今の精霊研究魔導士養成所の代わりらしい。


「本当はキチンとした設備を整えるべきなのですが……魔導士の数が揃わない上に、しばらく再建の目処が立たないので、今は文官省内で研究をするしかない状況なのです。まあですが、落ち着いたら首都近傍に新しい施設を建てると文官長が仰っていました。ジュードの件を教訓にして、今度は文官省の目が届く範囲にするそうです」


 そんな風にシャルロッタが説明してくれるのを聞きながら、イルヴァはふらふらと本棚の方へ行っていた。


「あ……この本、一度読んでみたかったのよね」


 手を伸ばすと、「イルヴァ!」とシャルロッタの声が飛んできたので、イルヴァはビクッとして振り返ってきた。


「これからはあなたも文官なのですから、文官として恥ずかしくないよう、人の話はきちんと聞く姿勢で聞かなければ。あと、書物はまだ先です。まずは作法と礼節の勉強からですよ、イルヴァ?」


 にっこり笑いかけてきたシャルロッタの姿を見て、イルヴァはゾッとしていた。


「あ、あの……優しくお願いします……ね?」


 ぎこちない笑みを浮かべながら、緊張した喋り方でぎこちなく返したイルヴァに、シャルロッタは頷いていた。


「もちろんです、イルヴァ。優しくわかりやすく隅々まで、余す事無くお教えいたしますからねっ」


 ……あ、これダメだ。スパルタコースだ。と、この時イルヴァは確信していた。





 その頃ロランはというと。


(……イルヴァに魔導士なんて勧めなければ良かった!!)


 全力で後悔しながら、庭で木剣を振るっていた。


 何故ならそこに立っているのが、常時眉間にしわを寄せ続けているライナーだからだ。

 今日も相変わらずの表情で、相変わらずの沈黙だった。

 しかし思えば当たり前の事なのだ。魔導士の業務が行われるということは、魔導士であるシャルロッタが席を外すのは当然の話であって。


(やり辛い!!)


 内心叫びながらも、日課をこなすしかなかった。

 とは言え、片時も外されることのない気まずい熱い視線があるとは言え、集中に入ってしまえばこちらのものである。


 結局、ヒュン、ヒュン、と素振りを続けていると、熱い視線がふいに逸らされた。

 あれ? と思って、ロランもまた手を止めて、ライナーが向けた視線の方向を見ると、ソードパレスの方角から、誰かが歩いてくるのが見えた。

 徐々に近付いてくるその人物の姿を見たとき、ロランはギョッとした表情を浮かべた後。


「ジュードッ……!!」


 鋭い憎悪の目を向けていた。


 ロランの目の前まで来たジュードは、鎧や剣は身につけておらず、衣服だけのラフな格好をしており、ロランを見るとニヤついた笑みを浮かべるようになった。


「お前……前に会った事があるな。そうだ……思い出したぞ。アイアン・ティターニアの連れか」


 ロランに話し掛けてきたジュードの目の前に立ったのは、ライナーだった。


「ジュード様。ロラン殿の鍛錬の邪魔はお控え願いたい」


 淡々とそう話したライナーを、ジュードは睨み付けていた。


「フン……なんだと? 偉そうに。文官の下っ端のクセしやがって」


 それからジュードはライナーを押し退けると、ロランのすぐ目の前まで歩み寄ってきた。


「まさか、お前が親父の話していた“新しい息子”とはな……」


 ジュードはロランの上から下までジロジロと見た後、「……反吐が出る!」と、睨み付けるようになった。


「俺こそが親父の本当の息子だ! 妾の子なんかに取って代わられてたまるものか。お前は俺の処刑人になったつもりか知らねぇけどな……!」


 ジュードはロランのことを指差していた。


「貴様を処刑するのは、この俺だ!!」


 そんなジュードの姿に、ロランは落胆を覚えていた。


「親父……か。あんたが言いたいことはそれだけか? あんたは自分の罪をわかっていないのか?」


 ジュードは鼻で笑っていた。


「は? この俺に威光こそあれど、罪なんざどこにあると言うんだ?まあ確かに、魔導士養成所をヤッちまったのは失敗したと思うがな……」


「……――だったらお前は、悪魔サテュロスと何ら変わらないということだ!!」


 ロランはジュードのことを怒鳴りつけていた。


「首を洗って待っていろ!! この俺が断罪してやる!!」


「フフン。威勢だけは良いじゃないか」


 ジュードはロランのことを嘲笑っていた。


「楽しみにしているぞ? ……貴様が、この俺をどう追い詰めるつもりなのか。見物だな!」


 それからジュードは立ち去るようになった。

 震えながら見送るロランの姿に、ライナーは珍しく自ら声を掛けていた。


「……ロラン殿。落ち着いてください」


「……わかっているよ」


 ロランは返事の後、その場に膝をつくと、ドスッ! と地面を拳で打っていた。


「こうして我慢し続けなければいけない日も、あと少しで終わるんだ……あと少しで……!!」


 ロランは地面を睨み付けていた。


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