43.新しい道・下
日が暮れ始める頃、殺伐とした一日が終わり――ロランはようやく自室へ戻ってきていた。
「ああ……疲れた」
どちらかというと気疲れを感じながら、鎧も何も外さないまま、ぐったりとベッドに倒れこんだ。
そしてしばらくぼーっと天井を眺めていたが……ふと、思い出していた。
(そういや、今日はイルヴァに会ってないな……)
それに気付くと会いたくなった。ちゃんと元気にしているのか、会って確認しなくては気が済まなくなってしまったのだ。
イルヴァは、昨日大会で負かして、精霊刻印を全て消してしまったばかりだったから、大丈夫なのかどうか余計に心配だった。
彼女自身はさして気にしていないように振舞っていたものの……。
(気にしていないハズが無い。だって、あれが彼女の半生だったんだから)
ロランはむくりと起き上がると、まずはブリガンダイン《胴当て》とゴルケット《喉当て》を外し始めた。
とりあえず、楽な格好になってから行こうと考えたからだ。
腰の木剣も壁に立て掛けた後、ロランは自室を出るとすぐ隣の部屋のドアをノックしていた。ここがイルヴァに宛がわれた部屋だからだ。
「イルヴァ、居るか?」
ドア越しに声を掛けると、すぐに返事が返ってきた。
「ろ、ロラン?」
イルヴァは慌てた様子でパタンとドアを開けてくれた。
出迎えてくれたイルヴァは、相変わらずワンピースタイプの民族衣装を身につけており、金の絹糸のような髪は降ろされていた。
「お帰りなさい……訓練から帰っていたの?」
キョトンとした様子で透き通った紺碧の瞳を向けられ、ロランは微笑むと頷いていた。
「うん。入って良いかな?」
「あ……うん、どうぞ」
イルヴァはすぐに道を開けてくれたため、ロランは部屋に入っていた。
イルヴァはパタンとドアを閉めた後、ロランの方を振り返った。
テーブルの上には一冊の書物が置かれていたため、恐らく今の今まで読書をしていたのだろう。
「お疲れさま」と声を掛けてくれたイルヴァは、いつもと変わりなく見えたため、ロランは内心ほっとしていた。
「ああ、今日は本当に疲れたよ。聞いてくれるか? 今日、シャルロッタが別件だか何だかで居なかったらしくて。それで、代わりに来た人がさ、ずっと不機嫌そうな顔しかしない文官だったんだよ」
ロランは気軽な気持ちで愚痴りながら歩いていくと、小さなテーブルの傍らにあったクッション付きの椅子に、適当に腰掛けていた。
「それにしても、シャルロッタの別件って何だったんだろうな?」
ロランの疑問に、イルヴァが答えてくれた。
「シャルロッタなら、今日は私と一緒だったわよ」
「え?」
余りに予想外な返答に、ロランは目を丸くしていた。
まさかイルヴァが、シャルロッタの行方を知っているなんて思ってもみなかったのだ。
「それじゃあ別件って、キミのことだったのか?」
ロランに尋ねられるがまま、イルヴァはこくんと頷いていた。
「なんでも話があるとかで呼び出されて、文官長の所に行っていたのよ」
「文官長から、キミに?」
ロランの質問に、イルヴァは頷きながらベッドの方へ行くと、そこの縁に腰掛けていた。
「魔導士にならないかって言われたのよ。ビックリしたわ」
イルヴァは何てことないといった風に話したが、ロラン的にそれはビッグニュースだった。
「そ、それは、すごいじゃないか! イルヴァって頭良いもんな。で、いつから勤務は始めるんだ?」
思いの他、目を輝かせながら身を乗り出したロランの姿を見て、イルヴァは苦笑していた。
「……断ったわよ」
首を横に振りながら彼女が言ったのはそれだったため、ロランはあっ気に取られていた。
「は?! な、なんでだよ? 勿体無い……」
「勿体無い……と、言われても」と、イルヴァは唇を尖らせていた。
「……もしかしてロランは、私に魔導士になってほしかったの?」
イルヴァに尋ねられ、慌ててロランは首を横に振っていた。
「そうじゃないが。でも、キミは普段から魔導書をよく読んでいたみたいだったから、魔導士になれるのは嬉しい事なんじゃないかなって思ったよ」
「それは……確かに、そうだけれど」
イルヴァはそう前置きをしてから、溜息混じりに話していた。
「……私には荷が重いかなって思って。だって、文官よ? 文官。……ガラじゃないわ」
「まあ……確かに、言われてみれば……」
ロランは思わず苦笑いを浮かべていた。
シャルロッタや他の文官たちの丁寧な口調や物腰と比較すると……確かにイルヴァは、口が悪いし、あっという間に喧嘩を始めてしまいそうなイメージがある。
(しかし、勿体無いな。外交官をやるわけでもなし、魔導士としてなら、イルヴァはエルフ族だから向いていると思うんだがな)
ロランはそう考えて、じっとイルヴァのことを見ていた。
そんなロランの目線をどう受け取ったのか、イルヴァは首を横に振っていた。
「そんなに心配しなくても、ちゃんと、自分の食い扶持ぐらいは自分で稼ぐつもりはあるわよ。とは言え、あと三年は食べて行けるお金は持っているから。あなたの負担にはなるつもりは無い」
「は? 何言ってるんだよ、イルヴァ」
相変わらず真面目なんだなと思って、思わずロランは苦笑いしていた。
「これからはキミのことは俺が養うに決まってるだろ?」
ロランは自分の胸をトンと叩くと、にっこりと笑顔を浮かべたから、イルヴァはポカンとしていた。
「……え?」
「そこでなんでそのリアクションかな……。俺だって、これでも強くなったんだぞ? イルヴァみたくハイクラスで優勝常連者になるというのも、夢じゃないかもしれないだろ? そうしたら、食い扶持の一人や二人、いや三人や四人、増えたぐらいで……――」
ロランはガックリと肩を落としながらも説明を始めたので、イルヴァは慌てて言葉を遮るために、「そ、そうじゃなくて!」と言っていた。
「あなたの世話になれるわけが無いでしょう? 婚姻しているならまだしも……」
ロランはキョトンとしていた。
「何言ってるんだ? イルヴァは。俺がどんな気持ちで、キミを守るって言ったと思ってるんだよ?」
「……え?」
イルヴァは困惑した表情を見せていた。
そんな彼女の様子を見て、(……本気でわかっていなかったのかよ)とロランは確信していた。
どうもイルヴァは変なところで初心と言おうか……純情と言おうか。剣闘士絡みの野蛮な作法に対する知識ならいっぱしにあるのに、こういう一般的な男女関係には疎い様子だ。
ロランは思わず溜息を吐き出したものの、それなら。と、立ち上がっていた。
イルヴァの前までつかつかと歩いていくと、正面に彼女を見据えるようになった。
「あのな、イルヴァ?」
改まった様子でロランに話しかけられ、イルヴァはドキリとしていた。
そんなイルヴァに、ロランはゆっくりと話していた。
「言ったろ? これからは一生守るって。それってつまり、俺は、……そのだな」
ロランは途中で言葉を濁していた。
(改まって言うのは恥ずかしいな)
そう思って頭をポリポリと掻きながら、無防備な目を向けてくるイルヴァのことを見ていた。
「つまり、えーとだな」
ロランは意を決すると、言っていた。
「……キミが無茶な事を積み重ねて築き上げてきた人生の方向性を、俺は無理矢理に曲げてしまったんだ。その責任ぐらいは取るつもりで居るんだよ、俺は」
「――だから、要するに」とロランは言葉を続けていた。
「全てが終わったら、結婚しよう、イルヴァ」
その全く飾り気の無い言葉に、イルヴァはしばらくの間あっ気に取られていた。
しかし時が立つと共に――その言葉がじわじわとフリーズした脳みそに浸透して行き、それと同時にイルヴァの頬もじわじわと赤く染まっていく。
「なっ、な……――」
やがてイルヴァはぱくぱくと口を開くようになった。
「なっ、なな……何を考えているの?!」
やっとイルヴァが言ったのは、それだった。
「わ、私は奴隷なのに……それに私は出来損ないのエルフだし、私は……」
じわじわと両目に涙を浮かべ始めるイルヴァの姿に、ロランは戸惑っていた。
「……嫌か?」
ロランの質問に、イルヴァは大きく首を横に振っていた。
「そうじゃないけれど、でも……」
ここで頷いてしまっては、不義理になるとイルヴァは思った。
(だって私は……)
生きるつもりなど無いのだ。その先を続けるつもりなど無いのだ。
もはや何もかもが終わってしまえば、自分はただ空っぽの存在になるしかないのだから。
(私は……これ以外の生き方なんて知らなくて……)
イルヴァは俯いていた。
(これ以外の生き方をする気も無かったから……)
いつまでも黙り込んでいるイルヴァに、ロランはキッパリと言っていた。
「言っておくが――キミに拒否権は無いぞ」
「……――え?」
あっ気に取られながら、思わず顔を上げたイルヴァの目を、ロランはじっと見据えていた。
「まさかキミは、拒否権があるとでも思っていたのか?」
「え、え……?」
イルヴァはいまだに戸惑っていた。
こんな事、“ロランらしくない”と思ったからだ。今までの彼なら、こちらの意向に合わせてくれていたはずなのに。
そんなイルヴァの動揺に答えるかのように、ロランは話していた。
「俺はさ、今までずっと迷っていたんだ。本当の正しさとか、本当の正義とか、そういうものを捜し求めていて、その結果、ただ周囲に気に入られるか気に入られないかが俺の物差しになっていた」
「――でも」とロランは続けていた。
「本当の正しさなんてどこにも無いんだよな。そもそも、“本当”なんて誰が決めるんだ? そんな基準になれる人なんて、どこにも居ない上に、何が良くて何が悪いと感じるかなんて、人それぞれバラバラみたいで。だから――結局、正しさっていうのは、個々が自分の胸に持っている独善でしかないんだ」
ロランはそう言って自分の胸をぽんと叩いていた。
「結局、俺が持つ正しさっていうのは、俺の中にしか無いモノなんだ。それなのに俺は、これまでずっと外部にそれを求めていた。他人の目を物差しにしていた。でもそうすると、自分の中に迷いが生まれて、本当の自分が何を考えているか、本当に自分が求める正しさが何なのか、わからなくなってしまうんだ」
「――でもそんなんじゃ、誰の心にも響かないし、誰の事も救えないことに気付いたんだ」と、ロランは言葉を繋いでいた。
「誰一人助けられない正義に何の意味がある? そんなモノ、ただの“綺麗事”にしかならない。俺は――綺麗事が言いたくて正義を求めていたわけじゃない。俺は、強くて優しい剣闘士になりたいんだ! だから――」
ロランは膝を折ると、イルヴァと目線の高さを合わせていた。
「俺は――貫こうと決めたんだ。俺の意思を……俺が正しいと思う道を、貫いてみせる。それがどれだけ独善であろうと、どれだけ独り善がりであったとしても……俺の思う、強くて優しい剣闘士は、俺の内側にしか居ないんだから。それを貫けるのは、俺自身しか居ない」
「――だから」とロランは微笑むと、スッとイルヴァに向かって手を伸ばしていた。
「俺は、キミの意思は尊重しないよ。だって、キミはすぐに自分を壊そうとするだろ? そんなこと、この俺が許さない。俺がキミを――ジュードの呪縛から救い出してみせると誓ったんだ。だから俺について来い。俺を信じて、ついて来てくれ」
ロランの鋼色の瞳が、じっとイルヴァの目の色を映す。
イルヴァはしばらくの間、ロランを見つめていたが――
「っ……――」
やがて両目から大粒の涙をぼろぼろと溢れさせていた。
「そんなこと、言われたら……」
イルヴァは飛びつくようにしてギュッとロランの胸にしがみ付いていた。
「ついて行くしか無くなっちゃうじゃない……! 私はロランのこと、信じてる。ずっとずっと、信じているのだから……!」
ロランはイルヴァを抱き締め返していた。
「それなら、もう二度と昨日みたいに、“私が死ぬまでの間”なんて言うなよ?」
「っ……――」
イルヴァは言葉を失くしていた。
結局彼は、シャルロッタや文官長に口止めするまでもなく気付いていたのだ。
イルヴァは死に場所を求めているということに。
(もう二度と……彼には勝てそうにないわね)
そんな事を思いながら、イルヴァは頷いていた。
「うん……もう言わない」
そう言ってから、イルヴァはロランの胸に頬を摺り寄せていた。
それからしばらくして――
イルヴァは泣き疲れた様子で、ロランの胸にしがみ付いたままスースーと寝息を立てるようになっていた。
その、まるで親に甘える子供のような寝顔にロランは微笑んだ後、ゆっくりと抱き上げ、ベッドの上に横たわらせていた。
(さて、俺はそろそろ自分の部屋に戻るか。あまり長居すると、シャルロッタが煩いだろうしな……)
起こさないように気を払いながら、ロランがイルヴァの体の下からゆっくりと手を抜いたその時、イルヴァの体が寝返りを打つようになった。
「んん……」
ゆっくりと瞼を開いたイルヴァと目が合って、ロランは焦っていた。
「ご、ごめん。起こしてしまったか?」
イルヴァは首を横に振りながら上体を起こしていた。
「良いの。まだ寝るつもりは無かったし……」
「そうか。じゃあ俺、そろそろ部屋に戻るな」
ロランがきびすを返そうとすると、「待って」とイルヴァはロランの手を掴むようになった。
そして恥ずかしそうにもじもじとしながら、上目遣いを向けてくるようになった。
「……帰らないで。ずっとここに居て?」
「……へ?」
ロランは赤面していた。
そんなロランの腕にイルヴァがしがみ付いてくるようになったから、その彼女の控え目な胸がむにっと柔らかさを伝えてくるようになった。
「い、イルヴァ?」
焦るロランの肩に、イルヴァが頬を寄せてきた。
「あ、あの。どこにも行かないでほしいの……」
そう言うイルヴァの頬は真っ赤になっていた。どうやら恥ずかしいようだ。
「い、いやいや……」
ロランも負けないぐらい赤面していた。
「さすがにまずいだろ……い、幾らなんでも、帰らないと」
「何がまずいの?」
「何がって」
ロランは赤い顔のままイルヴァと目を合わせていた。
イルヴァは、さっきからもの言いたげな様子で、じっと碧眼をロランの目に向けている。
「だ、だからだな。俺の理性が……色々とやばくて……ですね」
ロランがたじたじと視線を外すうち、イルヴァがロランの腕を引っ張ってベッドに押し倒すようになった。
そして馬乗りになると、イルヴァの方からロランに体をくっ付けて来るようになった。
「色々とやばいって、こういうこと?」
その、ギュッと布越しに押し付けられる、えもいわれぬ柔らかい女の子の温もりに、イルヴァの髪から香ってくる甘い匂いに、ロランは一気に固くなっていた。
「あ、あの、イルヴァ?!」
ご乱心? とでも言いたげなロランに対して、イルヴァの顔は耳の先まで真っ赤に染まっていた。
「……な、なによ。ロランだって、こういう事してたじゃない」
「い、いや、それはその~そうだが! でもそれはイルヴァ、慣例があるからとかご褒美だからとか言ってくれてたからであって……!」
「そ、そりゃ、ご褒美じゃないけれど……」
イルヴァは恥らった様子で、たじたじと視線を漂わせていた。
そしてその後、結局、イルヴァはロランの頬に頬を摺り寄せていた。
「……り、理由が無いと……だめなの?」
耳元で囁かれる問い掛けに、ロランはとんでもない!! と全力で思っていた。
「だめではないけど! で、でもだな、イルヴァ? こ、ここは、文官の管轄なわけで……!」
ロランの言葉を聞いて、イルヴァは思い出したくも無い事を思い出していた。
そんなイルヴァに、ロランは早口でまくし立てていた。
「シャルロッタから色々と聞いてるだろ? 門限を守らないと、さすがに文官の人に怒られてしまうぞ……?」
それを聞いたイルヴァは、しばらく考え込んだ様子だったが。
「……やだ」と、やがて答えていた。
「……む」
困り果てるロランに、ぎゅーっと力を篭めてイルヴァがしがみ付く。
「……今日は甘えたいの。一人になりたくないの。だからね……ロラン、お願い……」
頬を染めながら伺うような目を向けられる。
まるで捨て犬が飼い主を求めるかのようなその眼差しに、ロランはとうとう折れていた。
「し……仕方ないな」
ロランはそう言うとイルヴァを抱き締め返していた。
「えへへ……うんっ、ありがとう……ロラン」
イルヴァは本当に幸せそうに笑ったから、これで良かったのかな。とロランは思っていた。
そして翌日の朝――
二人がベッドで並んで仲良く眠っている姿を見つけたのは、出入りの召使だった。
いつものようにコンコンとノックの後、「おはようございます、イルヴァさん。朝の時間ですので、お仕度の後朝食を取りに……――」と言いながらガチャリとドアを開けた後、沈黙するようになった。
「ううん……」と眠たげに上体を起こしたのはイルヴァだった。
「お、おはよ……ん?」
イルヴァは召使である中年の女性の眉が潜められている事に気付いていた。
「ええと……?」
なんでそんな表情をされているのかがわからずに、イルヴァは視線を横に向けた後、「……ああ」と納得していた。
そこには、ロランがグーグーを眠っていたからだ。
「たっ――」
召使はガバリときびすを返すようになった。
「大変です! 文官様、文官様――!」
バタバタと走り去る召使の姿に、イルヴァは慌ててガバッとベッドから飛び降りると開いているドアから顔を出していた。
「ちょっと、待ちなさいよ! 何を勝手に告げ口しようとして……!」
追いかけようとしたものの、あっという間に見えなくなってしまう召使の後姿に、すごすごとイルヴァは部屋に戻るしかなかった。
そしてため息の後、深く呻っていた。
「……まずいわね」
そして幾刻もしないうちに、ロランとイルヴァは案の定、シャルロッタの説教を受ける羽目になっていた。
「お二人とも、そこに正座してください」
シャルロッタにぴっと床を指差され、ロランとイルヴァの二人は並んで正座させられていた。シャルロッタは普段温和なくせして、叱る時だけはやたら厳しいのだ。
シャルロッタは大きな溜息をついていた。
「あれだけ言ったのに、どうして門限を守らないのですか? そもそもロランは、イルヴァに対して一体何をしているのですか? 夫婦でもない年頃の男女が同じ部屋で一夜を共にするなんて、ありえないとは思いませんか?」
シャルロッタの冷ややかな目はイルヴァというより、主にロランに向けられていた。
ロランは気まずさを感じながら、視線を背けていた。
「い、いやあ。そうは言われても、ついウッカリ……」
「つい?」
シャルロッタはけっこう本気で苛立った目をしていたから、イルヴァは腹立たしくなっていた。
「堅苦しいことばっかり言わなくても良いでしょ? 大体、一晩一緒だったからって何なの。人の事ばかり怒っているけれど、シャルロッタこそどうなのよ? まさか自分の事を棚に上げている事は無いでしょうね?」
「わ、私はもちろん――」
ありません。と言いかけて、シャルロッタは言葉を押しとめていた。
……そういえば、過去に一度だけロランと同じ部屋に泊まった事があったのを思い出したせいだ。
「…………」
おもむろに沈黙して、恥らった表情をロランの方へ向けてきたシャルロッタと目が合って、ロランも思い出していた。
(や……やばい。やばいぞ。過去の事がイルヴァにバレたら……!)
ロランはだらだらと冷や汗を流していた。
いや、浮気したつもりは無いのだ。もちろんそんなつもりは無い。大体あの時はフリーのつもりだったし。ただ、少しだけグラッと来てしまった過去があるってだけで。
しばらくこの場に沈黙が流れるようになることで、ロランは状況の悪さを実感していた。
「そっ、そんなことよりも!」
ロランはとうとうこの場の空気が耐えられずにガバッと立ち上がっていた。
「早く準備しないと鍛錬の時間が来てしまう! さあ、シャルロッタ。行こう、行こう!」
ロランはぐいぐいとシャルロッタの腕を引っ張っていた。
「きゃっ?! ちょっと、ロラン?! まだ話は終わっていませんよ!」
慌てるシャルロッタに、「まあまあ!」と言いながら殆ど強引にロランは連れ去ってしまった。
バタンとドアが閉ざされた後、イルヴァがぽつんと取り残される事となる。
「なに、あの二人……」
イルヴァは眉を潜めていた。
(なんだか……様子がおかしかったような……)と、イルヴァは思っていた。
ロランは強引に自室へシャルロッタを連れ込むと、バタンとドアを閉じていた。
そして、「ふう」と溜息をついていた。
「良いか、シャルロッタ? くれぐれも前のことは内密に頼むぞ」
まだ掴んだままだった腕を引っ張ってシャルロッタに言うと、シャルロッタは頬を赤らめるようになった。
「は、話すわけがないではないですか。前のことは……私としても、失態でしたし」
「うん、それなら良いんだけど」
ロランはホッとして、シャルロッタから手を離していた。
ロランが支度を始めるのを待ちながら、シャルロッタはぽつぽつと話していた。
「それにしても……ロランは、本当にイルヴァと仲良しですよね」
シャルロッタの言葉に、ロランは笑っていた。
「そう見えてるなら有り難いんだけどな。俺が一方的になっていないかと、いつも気になっているからさ」
「一方的には見えませんよ」とシャルロッタは苦笑していた。
「むしろ、イルヴァの方が気持ちが深いというか……ロランのことが本当に大切なんだなと……見ていてわかります」
「……そうだったら嬉しいんだけどな」
そう言ってロランは笑った後、シャルロッタから背を向けてブリガンダイン《胴当て》をカチャカチャと取り付ける作業を行っていた。
そんなロランの背中に、シャルロッタは寂しげな表情を向けるようになった。
「……イルヴァは幸せ者ですね。あなたのような人に大切にしてもらえて」
それが余りに小さな声だったから、「え?」とロランは聞き返しながら振り返っていた。
「……いえ、なんでもありませんよ」
そう言ってシャルロッタは微笑んでいた。




