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40.勝者と敗者・上

 来たる、《地上の民の月》、琥珀色の月が八度巡った後――


『お待たせ致しました! いよいよ、ソードマンズ・ヴィクター杯のメインマッチとも言える、決勝戦が幕開けます!!』


 今日もコロッセオに審査人の声が響き渡り、ひしめき合う観衆たちが歓声を上げていた。

 そう。今日、この日こそが、誰もが待ち望んだ日。アイアン・ティターニアの未来を分かつための試合が始まるのだ。

 だというのに、空は暗雲が立ち込めていた。不吉な行く末を臭わせるようなこの雲行きにも関わらず、無責任な観衆たちは熱狂の声を上げている。



(……――いつだってそうだった)


 東側の控え室で、舞台へ続く扉に背を凭れ掛けさせながら、ロランは目を閉じていた。


(俺とイルヴァが出会う時っていうのは、……いつだってこんな天気なんだ)


 それはきっと神様が反対しているのかもしれないとロランは思った。

 止めておけと言って。試練が多くなるぞと言って。


「……――でもな」


 ロランはゆっくりと手の平を前へ持っていくと、ギュッと握り締めていた。


「居るか居ないかわからない神や悪魔サテュロスよりも……――俺は居るとわかっている俺自身を信じる」



(……水精霊ウンディーネがどよめいている)と、西側の控え室の中でイルヴァは思っていた。それは、そろそろ雨が降る証だ。


 イルヴァは今日もやはり、髪をアップにして、全身をフルプレートアーマーで多い、大盾とハルバードを背負っていた。

 その、可憐かつ端麗なエルフという種族に反抗しているかのような、無骨かつ愚直なスタイルこそがアイアン・ティターニアなのだ。


 実際、これまでの十年間、彼女はエルフというものに反抗しながら生きてきた。

 否……――正しくは、エルフで在ることを否定しながら生きてきたのだ。何故なら。


(……エルフでは勝てないと思った)


 だから。


(エルフが持たざる力を得るには、このエルフらしさが邪魔だった)


 だからこそ、エルフらしさと引き換えにして追求した最大限の“力”。

 その結果生まれた、アイアン・ティターニアという鋼鉄の剣闘士。

 ――それが今、風前の灯とわかっていながら。


「ここに立っているなんて……酔狂すぎるわよね」


 それを理解しながらも後退できずにいるのは、それが彼女の“剣闘士”だから。

 二人が初めて出会った頃、初めて舞台で対面した時、その時は、絶対的なイルヴァという剣闘士を目の前にして、負けるとわかっていながらロランは舞台へと上がった。


 今日、この日の舞台は、絶対的なロランという剣闘士の前に、負けるとわかりながらイルヴァは舞台へと上がる。


『それでは、両者――入場です!』


 審査人の声が控え室の中に居てもハッキリと届いてきた。

 イルヴァは顔を前に上げると、舞台へと続く扉を押し開いていた。


(この試合が最後だとわかっているなら……)


「――私は私に恥じない試合をする」


 ――そして。



 ワアァーッと歓声が空気を震わせる中、舞台の上にロランとイルヴァは歩み出ていた。


『東の剣闘士は――ラッキーソード改め、アブソリュートソードのロラン・ノールド! ここまでの試合、確かな実力を明かしながら、一歩一歩階段を登りつめ――今、女王の前に立ちました! 絶対アブソリュートこそが女王ティターニアを砕くには相応しい! この場の観衆たちの期待を、剣王の期待を一身に背負いながら――今、ここに立っています!』


 ロランは軽鉄のブリガンダイン《胴当て》とゴルケット《喉当て》を身につけた姿で、目を背けずに真っ直ぐイルヴァのことを見つめていた。


 こんな大舞台に身を置いているにも拘らず、そこにはかつてあったような緊張した様子は無い。まるでここに立っている事が当たり前であるかのように、リラックスした様子で立っている。

 しかし今の彼にはそれが様になっているのだ。かつてのような頼りなさは、もはや彼の中のどこにも存在していない。


『西の剣闘士は――皆様お待ちかねの、アイアン・ティターニアのイルヴァ! 誰もが頂に望み、誰もがその身を屍として横たえた、至高とうたわれる剣闘士がここに居る! しかし実のところ、そんな彼女ですらたった一度の敗北を経験しました! その相手こそが、目の前に居るアブソリュートソードなのです!! 此度こたびの舞台は、かつての敗北の再現となるのか?! 或いは、女王の貫禄を見せつけ、エルフはエルフではなかったと! 彼女こそが種族を超えた真の逞しき剣闘士なのだと、証明する事となるのでしょうか?!』


 イルヴァはその透き通った紺碧の瞳で、真っ直ぐにロランのことを見据えていた。

 女王と呼ばれるに相応しいその立ち姿は、容姿は。

 ロランの目に眩しく、相変わらず威風堂々としていて、荘厳で、美しくて。


「……憧れていた」


 ごく小さな声で、ぼそぼそとロランは呟いていた。


「キミこそが俺の理想だった。俺の輝きだった」


 ぴく、とイルヴァは小さく耳を動かすと、ロランの目をじっと見るようになった。

 その時、審査人の声がする。


『それでは始めましょう、メインマッチ及びラストマッチである、ソードマンズ・ヴィクター杯を!!』


 ロランは微笑んでいた。


「――そんなキミだからこそ」


『両者――構え!!』


 審査人の声に従うように、ロランは腰の剣を引き抜くと正中線上に構えていた。

 一方でイルヴァは、ハルバードを右手に握り締め、大盾を左手に持つと、盾を前に置いた構えを取る。


「本当は、キミは俺の障害だったんだ。何故なら、キミを超えなければ俺は、俺自身の夢想を乗り越える事が出来ないから……!!」


 そう言って、ロランは微笑を消していた。


『――始め!!』


 審査人の声と鐘の音が鳴り響いた。


 次の瞬間、ロランとイルヴァは同時に飛び出していた。

 剣を構えて切りかかろうとするロランと、一方でイルヴァは「はぁッ!!」と鋭く声を吐き出すと、ハルバードを突き出してくる!


 射程の差か、攻撃が早かったのはイルヴァの方だった。

 すぐさまラッシュ攻撃を仕掛けてきたイルヴァのハルバードは、ロランの喉を、胸を、腹を、額を、正確に打ち抜こうとして次々と襲い掛かってくる。


 その容赦の無い槍の雨に、ロランは顔をしかめていた。

 ある程度、彼女の攻撃をロランがすれすれでかわせているのは、それは過去にやって来た彼女との組み手のおかげだ。おかげで彼女の攻撃の時のクセを、ある程度ロランは覚えているのだ。


 しかし次の瞬間、喉目掛けて飛び込んできたハルバードはかわせる気がしなくて、ロランはとうとうその剣を正面に据えてイルヴァの武器を受け止めていた。

 ガチッという音がして、イルヴァのハルバードが後ろへと弾けた。


「ッ……――?!」


 イルヴァはギリッと歯を食いしばっていた。


(この手応え、ジュードと同じ……!!)


 イルヴァは慌てて後ろへ跳んで一度距離を開けていた。

 剣に触れたせいで精霊が減ったかと思ったが、思いの他体に大きな影響は無い。

 恐らく、ハルバードの切っ先のような小さな面が、一瞬だけぶつかる程度では、大きな効果が発揮されないのだろう。


(それなら、一気に押し込む!!)


 イルヴァには迷っている暇なんて無かった。

 何しろ二秒を超える間を与えてしまえば、斬鉄の技を使われてしまう。

 それがどれだけ消耗戦にしかならないとわかっていようと、命取りになるとわかっていようと、ただただ、前へ。我武者羅に前へ。その選択肢しかイルヴァには残されていなかったから。


「私はあなたを穿つッ!!」


 イルヴァは再びハルバードでラッシュを仕掛けていた。

 横薙ぎに振り払う動作をするには、今のロラン相手では不利な面が多すぎるからだ。

 とにかく、剣で受け止められるわけにはいかない。万が一受け止められたとしても、その接触面を減らさなければならない。

 そうするには五月雨のように直線的で多段の攻撃を仕掛けるのが一番良いのだ。

 それが例え、愚直で一辺倒な戦い方になったとしても。


 しかしその戦い方こそがまさに“イルヴァらしさ”そのもので、客席は沸き立っていた。

 カンッ、カンッ、と何度も剣で弾きながら、ロランはイルヴァの攻撃を回避し続けていた。


 とはいえ、こうも雨のように降り注ぐとロランは後退して行くしかなかった。

 絶対的に有利な武器を持っているはずなのに、鬼神の如く追い詰めてくる様に、ロランは思わず笑みを零していた。


「――本当にキミらしいよ、イルヴァ」


 ロランがそんな風に話し掛ける事ができたのは、イルヴァの攻撃が止んだからだった。

 イルヴァはハルバードを引くと、後ろへ後退した後――ハァッ。ハァッ。と、肩で息をしていた。


(体が……重い……!)


 イルヴァはようやく自覚していた。自分の体が徐々に重たくなっていく事に。


「……やっぱり、デタラメな武器ね」


 言うなり、イルヴァはガランと大盾を床に転がしていた。

 そして改めて両手でハルバードを握りなおす。

 徐々に追い詰められていく自分自身を自覚することは、それでも逃げ道がどこにもないことは、恐ろしかった。


(……――でも)


 イルヴァはグッとハルバードを握る力を強めていた。


「それがあなたの導き出した道だというなら!! 私は、受けて立つ!」


 イルヴァは再び腰を落とすと、一気に跳躍していた。


「はあぁぁッ!!」


 気合の声と共に、真っ直ぐに立ち向かってくるイルヴァの姿は、ひた向きで、迷いが無い。

 それは初めてイルヴァの試合を見た時に感じた印象と、一寸もぶれる事が無いものだった。


「……――それでこそアイアン・ティターニアだ!!」


 ロランはこみ上げてくる喜びを噛み締めながら、渾身の力で剣を振るっていた。


 ガキィン!! という大きい音がして、イルヴァの手からハルバードが弾き飛ばされていた。

 ひゅんひゅんと大きく円を描きながら飛んでいったハルバートは、ドスンと壁に突き立てられる。


 ざわめく観衆たちが見守る中、イルヴァは「ハァッ、ハァッ、」と大きく息を乱しながらロランのことを睨み付けていた。


(……――重たい)


 表情を歪めるイルヴァの姿に、ロランはふっと背を向けたかと思うと――つかつかとハルバードが突き刺さっている壁の方へ歩いて行った。

 そしてそれを引き抜くと、イルヴァの方を振り返っていた。


「重たいんだろ? その鎧が」


 ロランに微笑まれ、イルヴァは険しい表情を浮かべていた。


「…………」


「脱げよ。その時間くらいは、あげても良い」


「どうして、ロランはッ……」


 イルヴァは唇を噛み締めていた。

 今の状態なら、このまま首に剣を向けて降参を求める事だってできるのに。


「最後まで戦いたいんだよ」


 ロランはそう答えていた。


「キミだって同じ気持ちだろ?」


 ロランのその質問に反論する理由がどこにも無かった。

 イルヴァはやがて頷くと、その場で自らの鎧に手を伸ばしていた。

 ガラン、ガラン、と、ゴルケット《喉当て》を外し、アーマー《鎧》を外し、グリーブ《脛当て》やアームガード《腕当て》も外して行く。


 そうやって徐々にエルフ族としての全容を現していくイルヴァの姿を、いつの間にか観衆たちは息を飲んで見守るようになっていた。

 やがてエルフ族らしい民族衣装のワンピースを除いては、両足に履いたサバトン《金属靴》と右手を守るガントレット《篭手》だけを残すようになった。


 左手に視線を向けると、淡く輝きを放っている精霊刻印スティグマがいつの間にか、肘より下にしか刻まれていないことがわかった。


「…………」


 イルヴァは唇を噛んだものの、すぐに視線を上げるとロランの方を見る。


 ロランはそんなイルヴァにハルバードを投げて渡していた。

 ばしっ。と、ガントレットの嵌められた手がその槍を掴む。


 イルヴァは右手を前に、左手を後ろに、ハルバードを真っ直ぐ構えていた。

 そして、それこそが――あの、華奢で細いエルフ族の少女こそがアイアン・ティターニアの真の姿であることを、この場の誰もが実感した瞬間だった。


「行くわよ、ロラン」


 静かにイルヴァが言う。


「ああ!」とロランが頷くと――エルフ族らしい機敏な動きで、イルヴァは一気に跳躍した。


「はあぁぁッ!!」


 声で大気を震わせながら、イルヴァは渾身の力を乗せてハルバードを叩き込んでいた!


 ロランが剣でそれを受け止めると、まるでガラスが弾けるようにして精霊の輝きが爆ぜ、イルヴァの左腕にある紋様が、一つまた一つと姿を消していく。


 魔力マナが生み出すその輝きは幻想的で、観衆たちが魅入る中、イルヴァはそれでも躊躇いを見せずに、一撃、また一撃とハルバードを振るい続けた。


 再び雨のように降り注ぐラッシュ技を、ロランは右へ左へとかわし、また剣で受けながら捌き続ける。

 その間にも、紋様が爆ぜる眩い閃光は止む事が無かった。


 やがてその眩さが一つ一つ消えていったかと思うと――

 ガラン。と、イルヴァはハルバードを手から取り落としていた。


 そのままバランスを崩したかのようにぐらりと前へ倒れて行き――どさっ。と倒れ込んで来たイルヴァを、ロランは胸に受け止めていた。

 そして左手でぎゅっと抱き締めると、ゆっくりと右手に握った剣をイルヴァの首筋に宛がったのだ。


「チェック・メイトだな」


 ロランの囁きに対して、ハァハァと大きく息をつきながら、イルヴァは頷いていた。


「……私の完敗よ。これで、あなたの望み通り……――」


 イルヴァはゆっくりと、真っ白になった傷一つ無い左手を持ち上げていた。


「私の“全て”は消えて無くなった。これ以上はもう、戦えないわね……」


 そう言ってイルヴァが溜息をついた、その直後。


『今――雌雄は決しました……!! アイアン・ティターニア、降参です!! よってこの大会――今この瞬間! アブソリュートソードの優勝が決まりました!! アブソリュートソードのロラン・ノールドが、至高を打ち倒し、堂々剣闘士の頂へと立ち上がりましたッッ!!』


 審査人の声と共に、観衆たちの沸き立つような歓声が辺りを包み込む。

 その中でロランはイルヴァを抱きとめたまま、グッと剣を空高く掲げていた。


「――俺の勝ちだッ!!」


 ロランは込み上げる歓喜に身を任せながら、そんな風に高らかに叫んでいた。

 そんなロランに、イルヴァは苦笑を浮かべていた。


「……そうみたいね。ああ、完敗よ……――この上なく完敗した。でも、やり切れて良かった」


 そう言ってイルヴァは笑った後、拳を軽く持ち上げていた。

 だからロランは左手をイルヴァの背中から離すと、代わりにこつんと拳を打ち合わせていた。





 主役たちが退場した後も、まだコロッセオを包み込む歓声や熱狂は止まなかった。

 そんな中――剣王マティアスはゆっくりと舞台へと上がっていた。

 マティアスは満足げな笑みを浮かべながら、舞台の中央で叫んでいた。


「これでアイアン・ティターニアの牙は砕かれた!! あんな先住種族の女など、剣闘士の舞台には無用だったのだッ!!」


「――そして」とマティアスは続けた。


「見て察した者もいるかもしれないが、そいつを成し遂げた男――アブソリュートソードこそは、真に俺の血を引く者である!!」


 マティアスはニヤニヤと笑っていた。


「俺様のこの――剣王の血筋こそが、最強の所以ゆえんであることがわかるだろう!! 確かに俺にはジュードという息子が居るが……あいつはどうも、俺の血では無かったらしい」


 マティアスは肩を竦めると、やれやれと首を横に振っていた。


「あいつこそが俺の後継者だと思っていたが……如何せん、母親の血が強いのだ。だからこの次は――決着を付けさせる!」


 マティアスは高らかに宣言していた。


「ジュードとロラン、どちらが真に俺の血を受け継ぐ者なのかを、次の舞台で明らかにさせるッ!!」


 それを聞いた客席は、一気にどよめくようになった。


 なんだなんだ。後継者争いってやつか?

 剣王の血を真に受け継ぐ者を明らかにするだって?


 そんな風にどよめく観衆たちに向けて、マティアスは言っていた。


「そう、この舞台は序章でしかないのだ!! 頂を受け継ぐ者に相応しいかどうかを見極めるためのな!! 今、アイアン・ティターニアは潰え、ここに正しき剣闘士の世界が立ち戻った! 正しき剣闘士の頂には、我が息子こそが相応しい!!」


 マティアスは拳を高らかと掲げていた。

 客席のざわめきは止まらなかった。


 まさか、あの剣王は、王室を自分の身内で占領するつもりなのか?

 なにを考えてるんだ、あの剣王は!


 そんな風にどよめく観衆に背を向け、マティアスは舞台を後にした。


『以上――剣王からの挨拶でした。皆様――この度はソードマンズ・ヴィクター杯、お楽しみ頂けたでしょうか? 八日間に渡るこの大会を見届けてくださった皆様! 遠くからわざわざお越しくださった皆様――真にありがとうございました!』


 審査人が閉幕のための口上を長々と並べる中、いつまでも観衆たちのどよめきは止まらなかった。


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