35.選び取る道・上
『ソードマンズ・ヴィクター杯』も四日目を迎えるようになった。
その日もロランは舞台に上がると、剣を手に取り対戦相手を迎え撃った。
ロランが見据える先に居るのは、鋼鉄製のフルプレートアーマー《全身鎧》とナイトシールド《中型盾》を身につけた、銀髪のヒューマン族の剣士である。
「こんな絶好の機会を逃がすわけがないだろ?! 前回は遅れを取ったが、次こそは僕が勝ってやる!そしてアイアン・ティターニアを僕のモノにするんだ!!」
そう言って高らかに笑ったのは、いつかの対戦相手であるシャイン・グローリーだった。
シャインはすらりと腰の剣を引き抜くと、盾を構えてロランに叫んだ。
「さあ来いッ、来れるモノなら来てみろよ、臆病者のロラン・ノールド!」
「……またそれか」とロランは呆れ返っていた。
「キミの挑発はなんだ……もう少しバリエーションは無いのか?」
ロランの冷静な指摘に、シャインは「それなら!」と言った。
「バーカ! アホ! マヌケ! トンマ! 短小!」
思いつく限りの悪口を並べ始めたシャインを前にして、ロランは正中線上に剣を構えると目を閉じて集中していた。そして。
「はっ!!」
スパッ! とロランの振った剣は、綺麗にシャインの持っている盾ごと本人の腕を切り落としていた。
「うわあぁぁ――?!」
驚きの声と共に腕を抑えるシャインに、ロランは聞いていた。
「早く降参して、その腕を治療士にくっ付けてもらいに行った方が良いんじゃないか?」
「でっ、できるかよ、そんなこと!! 大体、アイアン・ティターニアが観戦してるかもしれないんだぞっ、そんなカッコ悪い姿を見せられるハズが無いだろ?!」
泣きそうになりながらも叫んだシャインは(根性あるな)とロランに思わせた。
「……でもまあ、今日はイルヴァは居ないと思うぞ?」
ボソッと呟いたロランに、「なんでだよっ!」と言い返すシャイン。
「いや、だってな」
ロランはきょろきょろと客席を見回していた。
「この前の剣王とのやり取りで顔を覚えられただろうに、どこも騒ぎになってないだろ?」
ロランの冷静な指摘によって、シャインはハッとなっていた。
「そ……そうか……! それじゃあ……!」
「無理せず降参しても、イルヴァは見ていない」
ロランの後押しに、シャインの心は揺れていた。
「そ、それじゃあ、こ……降参を……」
(……あれ?でも、ここで僕が降参すれば、それってアイアン・ティターニアが他のヤツのモノになる可能性があるわけで……!)
その事にシャインが気付いた時には遅かった。
『――降参です! 銀明の騎士、降参しました! よって勝者はラッキーソードのロラン・ノールドに決まりました!』
ワーッと歓声が上がる中、シャインは慌ててロランに向かって叫んでいた。
「はっ――謀ったな!! 卑怯だぞォ!!」
「誰も謀っちゃいないよ」
そう言いながらロランは、剣を腰の鞘に収めていた。
「ふっ、ふざけるなよっラッキーソード! まだ戦いは終わっちゃ――!」
ロランに詰め寄ろうとしたシャインの後ろへとロランは指を向ける。
「あれ」
ロランが指差す先では、一人の治療士が駆け寄ってくる途中だった。
治療士はシャインの転がっていた腕を拾うと、無事な方のシャインの腕をむんずと掴んでいた。
「行きますよ。早く治療しなければ!」
治療士に急かされる形でシャインは舞台を後にすることになってしまった。
「覚えてろよ! ラッキーソード!!」
そんな捨て台詞を残しながら、シャインは居なくなった。
「はは……」
(こりゃ、益々恨まれていそうだな……)
ロランは苦笑いを浮かべながら頭を掻いていた。
(……まあでも、ずっと居ると後の清掃の邪魔になるし。俺も退場しよう)
ロランはそう思うと、舞台から立ち去るのだった。
そしてロランの推測どおり、今日のイルヴァは闘技場へは足を運んでいなかった。
(見なくても試合の勝敗はわかるし。何しろ相手は、あの銀明だからね……)
そんな事を思いながら、イルヴァは自室のベッドに寝転がりながら本を開いていた。
特に用事が無ければ延々と部屋に引き篭もっているのがイルヴァだった。外に出るにしても、行き先は書店一択。実はかなりのインドア派なのだ。
「ふあ……」
イルヴァはおもむろにあくびをしていた。
「ねむ……」
呟きながら、目を擦っていると。
コンコン。と、ノックの音が聞こえる。
「……はい?」
返事をしながらドアの方を見たが……何か、ノックの音がする位置がおかしい。
再びコンコンという音が聞こえたから、(……まさか)と思って、イルヴァは今度は窓の方に目を向けていた。
すると窓越しに、「やほー」と口を動かしながら笑顔で手を振っている人の姿があった。
「く、く、クレハ?!」
イルヴァは一気に不機嫌になっていた。
「窓越しに勝手に人の部屋を割り当てるのやめてくれない?!」
怒りながらも窓を開けたイルヴァに対して、「まあまあ」と軽く窘めながらクレハは室内に入ってきた。
「カーテンを閉めない方が悪いんでしょ?」
「真昼間にカーテンを閉めない事を責められても困るんですけど?」
思わず言い返したイルヴァの横をするりと通り抜けると、クレハは椅子を引いて腰掛けていた。
「それより、気になるかなーと思ってロランの事を報告しに来たよ」
にこやかにクレハは言ったが、イルヴァはぶっきら棒に答えていた。
「どうせ勝ったんでしょ?」
「ええ、その通りだけど。勝敗よりもイルヴァには気になる事があるんじゃないかなって思って」
クレハのもったいぶるような言い方に、イルヴァは眉を潜めていた。
「……なに? 言いたい事があるなら、早く言ってくれない?」
「ロランの剣技についてだよ」と、クレハは言った。
「イルヴァは良く目立つから、コロッセオの客席に行くに行けないだろうし……。でも、気になるでしょ?彼のイルヴァを破る自信がどこから来るのか、剣王の手ほどきを受けたことでどういう戦い方に変わっているのか」
喋りながらクレハは腕組みをしていた。
すると、豊満な胸が彼女の細い腕に押されて、むにゅ。と、服越しに形が変わるのがわかった。
「……む」
イルヴァはムッとした表情を浮かべていたので、クレハはキョトンとしていた。
「どうしたの? 何か不快になる話をしたかな?」
「いえ……なんでもないわ」
そう言いながらイルヴァは視線を逸らしていた。
クレハはキョトンとしたままだった。
「ま、良いや」と言って、すっと椅子から立ち上がった。
「で、気になるの? 気にならないの? どっち?」
腕組みをしたままクレハに歩み寄られ、イルヴァは溜息をついていた。
「そりゃあ……気になるに決まっているわよ。初戦で見たアレだけじゃ、情報不足なのはやめないわね」
「でしょでしょ」と言ってクレハはにっこり笑った。
「そこで、私の出番よ」
クレハは自分の大きな胸をぽんと叩いていた。
「イルヴァの代わりにコロッセオへ観戦しに行って、ロランの戦術を報告してあげる。良い案だと思わない?」
「確かに……」
(ロランが扱うような東式の剣技についてはクレハの方がずっと詳しいし……戦術を探ってもらうには適任よね)
イルヴァはやがて頷いていた。
「良い案ね」
「でしょでしょ」とクレハは笑った。
しかし、「でも」と、イルヴァは言い足したので、クレハは拍子抜けしていた。
「なに? 何か不満があるの?」
「違うけど。なんでこんなに親切なの? 裏があるとしか思えないのだけど……」
「イルヴァ。あなたってどこまで人間不信なの?」
クレハは思わず苦笑いした後、イルヴァに言っていた。
「だって、今回ばかりはイルヴァに勝ってほしいと思うんだもん。剣王のあの言葉……私にとっても不快だったから。イルヴァはね……やっぱり、これまで“弱小”の代名詞だった女剣闘士にとっては革命なんだよ。六年前に剣闘士の舞台に現れた、私とそう歳が変わらないように見える、革命を巻き起こすあどけないエルフ」
「……知っているの?」
イルヴァは驚いてクレハを見ていた。
クレハは微笑むと、頷いた。
「知っているよ。オーシャン杯ルーキークラスだったかな。両親に連れられて来た旅先で初めて見たコロッセオは、圧巻で……私の心を掴んで離さなかったよ」
クレハは胸の前で手をギュッと握り締めていた。
「イルヴァは私の剣闘士としての原点だからこそ……こんな大会で負けてほしくないんだよ。とっくに引退した、過去の遺物でしかない剣王に、今時の剣闘士について口出しされる筋合いなんて無いよ!」
クレハは真剣な目をしてじっとイルヴァのことを見ていた。
(クレハは……本気なのね)
そう思ったから、やがてイルヴァは微笑むと頷いていた。
「……わかった。それじゃあ、クレハに頼もうかしら?」
「そう来なくっちゃ!」と、クレハはにっこり笑っていた。
改めてテーブル越しに対面する形で椅子に座ると、クレハは早速今日の試合についてイルヴァに報告していた。
「銀明の騎士についてだけど……相変わらずの下手な挑発タイプだったよ」
「でしょうね」とイルヴァは頷いていた。
自分の戦闘スタイルなんて早々に変えることができないものだ。
「銀明の騎士はカウンターが得意みたいだけど、ザンテツを使うロランにとっては良いカモだよね。前回と同じように、銀明の騎士の敗北。……といっても、今回は見事な物だったよ。防具ごと斬られてたし、盾なんか綺麗に真っ二つに分かれてた」
クレハのそんな話を聞いて、イルヴァは腕組みをすると呻っていた。
「問題は、そのザンテツの対策よね。前回の対アイアンフォートレス戦で想像がつくけれど、私の鎧や大盾でも簡単に斬られちゃいそうね……」
「そうだね。あのザンテツの太刀を使わせたら危ないだろうね」
クレハは深刻な表情を浮かべるようになっていた。
「あと、もう一つの問題点は、あの魔剣がどういう効果を持っているか? なんだけど……」
クレハが言い足した言葉を聞いて、イルヴァはキョトンとしていた。
「……なに? あの魔剣、切れ味をアップさせる効果を持っているわけじゃないの?」
「違うよ」とクレハは苦笑していた。
「ザンテツは正確無比な太刀筋と、剣の扱いによって生み出されるものなんだよ。あの、片刃の剣なら切れ味も十分ありそうだし、恐らくアレは魔剣の効果ではなく……ロランの技術」
「……なにそれ」
イルヴァはごくんと息を飲んでいた。
「じゃあ、ロランの秘策はアレだけじゃないってこと……?! デタラメじゃないの……!」
深刻な面持ちになって頬杖を突くイルヴァに、「あのね」とクレハは苦笑を浮かべていた。
「チート剣闘士のイルヴァだけは、デタラメなんて言っちゃイケナイと思うよ?」
「チートじゃないから」と、イルヴァは答えていた。
「私のはせいぜい、重武装で軽武装と同じ動きができるのと、力押しが効かないというぐらいだし」
「その“せいぜい”で泣かされた剣闘士が、世の中にどれだけ居ると思ってるの……」
ため息の後、「それに」とクレハは続けていた。
「あなたと同じ。ロランだって無敵じゃないんだよ、イルヴァ」
「……――」
イルヴァは無言になると、クレハのその黒目がちな目をじっと見つめるようになった。
「……対策がわかっているの? クレハには」
「ええ」とクレハは頷いていた。
「前回と、今回の試合を見てピンと来たんだけど……次の試合を見たら確信に変えられると思う」
「…………」
「魔剣の効果を探るのは後回しになるけれど……。ロランはどうも、魔剣の力を使おうとしていないみたいだし……もしかしたら切り札のつもりなのかもしれないし、或いは、特定の条件下でないと効果が発揮されない剣なのかもしれない」
「うん……そうね」
イルヴァは頷いていた。
魔剣の効果が何なのかが、イルヴァが尤も知りたいところだった。
彼が、イルヴァは“永遠に剣闘士の舞台に上がることはできなくなる”と話していた。それほどの自信を与えるが故の根拠を必ず、魔剣は持っている筈なのだ。
(ザンテツで私の武装を砕くつもりかと思ったけれど……そんなもの、買いなおせば済む話だものね。私が扱っている武器防具は、代替の効くモノばかりだし)
とすると、必ず根拠になるような効果を魔剣は秘めている。
「ロランは……ずっと、私には勝てないと言っていた。そういう人が勝てると言うんだもの。舐めて掛かってはいけないわ」
イルヴァの呟きに、クレハは頷いていた。
「ええ、私もそう思う。まあ、続きは私に任せておいて。なにがなんでも、ロランの魔剣の情報を手に入れてやるんだから」
クレハの頼もしい言葉を聞いて、イルヴァは頷いていた。
「任せたわよ、クレハ」
「もちろんだよ。お姉さんに任せなさい!」
クレハは笑うと、ぽんと胸を叩いていた。
「お姉さん……ね」
イルヴァもまた笑うと、「ありがとう」と言っていた。