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4.か弱き者・下

 サーという音の中、イルヴァは部屋のシャワールームで一人シャワーを浴びていた。


 髪に手を伸ばすと、するすると結い紐を解いてアップにしていた髪を降ろしていた。

 その後、水が胸を伝い足元へと流れて行くのを見ながら、大きく深呼吸していた。


(なんだか、物凄く大きな墓穴を掘ってしまった気が……)


 イルヴァの頬は真っ赤に染まっていた。

 その後、冷やりとした壁に手を当てると、こつ。とそこに額を当てていた。


「うん……慣例に従う。それはその通りよ。異論は無い。決闘に負けてしまった以上、覚悟しているつもりよ。私は、あの人のモノ。あの人の……」


 イルヴァはロランの姿を思い出した後、すぐに表情を険しくしていた。


(……ジュードじゃなかったなんて。やっと、やっと見つけたと思ったのに……)


 悔しくて悔しくて、拳をギュッと握り締めていた。


(っていうか、なんであいつはあんな激似なのよ! ロラン・ノールド、許すまじ!)


 今度は別の事に思い当たって憤慨していた。

 かなり不条理な怒りであるとは自覚していた。



 髪を乾かすのもそこそこにして、イルヴァは改めて深呼吸をした後、シャワールームから出ていた。


 バスタオルを一枚だけ体に巻きつけた姿で、ずれ落ちないようにきゅっと繋ぎ目を片手で掴んで、恐る恐る脱衣所と部屋を仕切るカーテンから顔を覗かせていた。

 イルヴァの顔は耳の先まで真っ赤になっていた。


「あ、あの。ロラン・ノールド。終わったから……――」


 顔を真っ赤に染めながら、虫の鳴くような声でぼそぼそと言いつつ、やっとの思いで視線を上げると、そこには。

 視線の先には、ベッドの真ん中で大の字になりながら仰向けに寝転がって、グーグーといびきをかいているロランの姿があった。


「っっ……――!!」


 イルヴァは声も無くドロップキックをかましていた。


「ふごぉ?!」


 ロランはクリーンヒットした顎を押さえながら、ベッドの上を転がっていた。


「なんなんだ一体?!」


 涙目でガバリと起き上がったロランが見たのは、涙目になりながら真っ赤になって震えているイルヴァだった。


「こっちは覚悟を決めてきたっていうのに、なんでっ、なんで……!」


「じ、実は昨夜眠れてなくてだな……。いったん寝転がると猛烈な睡魔が……」


 気まずさを覚えながらも、ロランは素直に実状を説明していた。

 しかしイルヴァの怒りは収まらなかった。


「うー……馬鹿! 馬鹿ロラン・ノールド! っていうか、これじゃまるで私が無理矢理誘ってるみたいじゃないの! どうしてくれるの! 恥をかかせる気?!」


「いやいや!」と慌ててロランは両手を大きく振っていた。


「そ、そんなつもりは無くてだな……! いや俺、こういうの経験が無くて慣れてないというか……」


「そんなの私も一緒よ!」


 イルヴァのセリフに、ぴたりとロランの動きが止まった。


「……え?」


 マジ? と言いたげな目を向けられて、イルヴァは余計に腹が立っていた。


「うう……あなた私のことを一体何だと思っているの……?」


「い、いや。ほら、エルフ族ってヒューマン族の十倍は生きてるじゃないか? ウン百年も生きてたら、経験の一つや二つは……」


「無いわよ! 悪かったわね、モテないエルフで!」


 バン! とベッドを叩きながら、イルヴァはロランを睨んできた。


「……マジなのか」


 ロランは呆気に取られていた。


 しかし言われてみれば、気品や伝統を重んじるエルフ族の中にあってイルヴァは相当の変わり者に分類されるだろう。

 エルフ族はなまじ見た目に不自由しない種族だから、外見にはあまり拘らないと聞く。

 つまり彼女は、ここまで整った見た目をしておきながら、ただの一度も異性に触れられたことが無いということ。


「……ごくん」


 ロランは思わず息を飲み込んでいた。


(俺が、良いのか? アイアン・ティターニアの初めてを? この俺が?)


 ロランは急に緊張していた。

 自分がリードしてやらねばと気負ってしまったせいだ。

 しかしまあ、そうと決まれば、まずは雰囲気を出す所から始めよう。とロランは思った。


「……あのさ。イルヴァって呼んでも良いか?」


 聞きながら、ロランは彼女の手首を掴んでいた。

 体を硬くさせながらも、イルヴァは小さく頷いていた。


「好きにすれば?」


「うん」


 ロランはイルヴァを引っ張ると、自分の胸の方へ引き寄せていた。

 イルヴァはいとも簡単にロランの胸の中に倒れこんできた。


 バスタオル越しに彼女の柔らかい体の感触が伝わってくる。腰まで伸びたサラサラの髪から、甘い匂いがしてきてロランはドキドキとしていた。


「……イルヴァ」


 ロランは彼女の名前を呼んでいた。

 するとイルヴァが顔を上げ、ロランをじっと見つめてくるようになる。

 透き通った碧い瞳が、どこか恐々とした色を宿しながらじっと上目遣いに向けられる。


 ロランは緊張していた。


(こ、こういう時って、とりあえずキスしたら良いんだよな?)


 心の中で確認を取りながら、ゆっくりと顔を近付けて行く。

 真っ直ぐ向けられているイルヴァの瞳が、じっと近付いてくるロランの姿を映し、一瞬だけ動揺の色を浮かべる。


(や、やっぱり怖い……――)


 イルヴァの目に映ったのは、あの日……――あの時、十年前に見た。


「あ……」


 イルヴァはがく然とした表情を浮かべていた。

 目の前に居る男が“あいつ”だと気付き、イルヴァは咄嗟に手を引こうとするが、動かない。

 手首が掴まれているからだ。これでは逃げる事ができない。

 その事に気付いた瞬間、全身を恐怖が襲った。


「い……いや……」


 イルヴァは急に青ざめた顔をして、身をよじらせるようになった。


「いやっ、いや……」


 うわ言のようにブツブツと呟きながら、イルヴァはまるで腰を抜かしてしまったかのように、首を横に振るばかりで身動きを取ろうとしない。


「……イルヴァ?」


 おかしい。と、さすがにロランは思って顔を近付けるのを止めていた。

 しかしイルヴァの様子は変わらない。


「どうした、イルヴァ?」


 そっと掴んでいた手を離し、改めて声を掛けた次の瞬間、イルヴァがドン! とロランの体を強く突き飛ばしてきた。


「いやッ、近寄らないでッ、ジュードっっ!!」


 蒼白の顔をしながら、大声で叫ばれて。


 ロランはよろよろと両手を後ろにつきながら、呆気に取られていた。

 それは聞き覚えのある名前だったからだ。最初に出会った時、彼女が自分に襲い掛かってきた、その時に憎憎しげに叫んでいた名前。


「……ジュード」


 口の中で呟くロランを見て、イルヴァはハッと我に返った。


「あっ……ろ、ロラン。ごめんなさい、私……」


 慌ててロランに手を伸ばそうとするが、……体が動かなかった。

 気が付くと体が震え、動作を引き止めてしまう。


 ジュードに近付くな。近付けば殺される。と、全身が警鐘を鳴らすのだ。

 目の前の男はジュードじゃない。全くの別人だと言い聞かせるのに、どうしても感情が納得してくれない。ロランと理解しているのに、触れようとするとジュードに姿が重なってしまうのだ。


 あ然とした表情を浮かべながら、ガタガタと小さく震えるイルヴァの姿を見て、ロランは察していた。


「……俺はそれほどジュードってヤツに似ているのか」


 そして彼女は、ジュードのことがよほど恐ろしいらしい。

 その事を理解した。


「そ、そうじゃなくて……」


 なんとか弁解しようとしてイルヴァが口を開いた。


「気にしないで、ロラン。私は大丈夫だから……」


「気にしないようにはできないよ。それだけ震えられちゃ、俺はどうにもできないよ」


 ロランは溜息を付いていた。


 滅多に無いチャンスをふいにするのは惜しいけど、これ以上続けることなんて不可能だろう。そう思ったから、ベッドから降りていた。


「無理はしなくて良い。キミが落ち着くまで、俺は散歩でもしてくるからさ」


 ロランは部屋を出て行ってしまった。

 外はいまだ雨が降るというのに、どこへ行くと言うのだろう。


(……気遣わせてしまった)


 イルヴァはショックの余り呆然としていた。

 腹を括ったつもりなのに、まさかの事が障害となってしまった。

 粛々と状況を受け入れるつもりだったのに、それができなかった。


 そんな自分が果てしないほどに不甲斐なく、情けなかった。


「どうして私はこんなにダメなのっ……!」


 イルヴァは悔しくて悔しくて、唇を噛むとベッドを乱暴に拳でドンと叩いていた。





 ザーという雨音を聞きながら、ロランはぼんやりと暗い空を見上げていた。

 宿のロビーを出てすぐ、ひさしの下にベンチがあったため、そこに腰掛けてずっと考え事をしていた。


(あんなに強い女の子が、あれほど怯えた目をするなんて。ジュードってのは、どんなヤツなんだろう?)


 そんな風にロランは考えていた。

 あれ程に凛とした強さを持つ少女が怖がるぐらいだから、きっと相当の男に違いない。


(……そんなヤツと、俺が似ているなんてな)


 ロランは溜息をついていた。


 イルヴァには聞きたい事が色々あった。

 何故殺そうとしたのか。何故それほど憎いのか。ジュードとは何者なのか。


(……でもありゃ、聞き辛いな)


 ロランはそんな風にも思っていた。

 小動物みたく震えていたイルヴァの姿が脳裏に浮かぶ。


(あんなに震えられるんじゃ……聞けっこない)


 そう思って肩を落としていた。

 あんな彼女の姿を見ることがあるなんて、ロランはいまだに信じ切れなかった。


「だってアイアン・ティターニアは強いだろ? 無双の剣闘士だろ?」


 舞台の上で見た“鋼鉄女王”と、さっきのイルヴァとはまるでかけ離れていて、点と点でつなぎ合わせることが難しかった。


 でも彼女は、……簡単な話なのだ。

 鎧を脱げば簡単に“弱く儚い少女”という弱点が覗きかねない。

 彼女には、そんな危うさが存在しているのだ。


(なんとかしなければ)とロランは思っていた。





 しばらく待ってからロランが部屋に戻ると、バスタオル姿のまま、ベッドの真ん中で胎児のように丸くなって、イルヴァはすーすーと寝息を立てていた。

 どうやら泣きつかれて眠ってしまったらしいことを、頬に残る涙の跡を見て察していた。


「……イルヴァ」


 風邪引くぞ。と言おうとしたが、彼女はすっかり眠り込んでいる。

 どうやら夢を見ているようで、むにゃむにゃ。とした後、囁くような声で呟いた。


「お母さま……お父さま……」


 まるで子供の寝言のようだとロランは思った。


 起きている時の彼女とは違って、眠っている時の彼女というのは実にあどけない表情をしていた。タオルから覗く体付きは成熟しているのに、非常にアンバランスに思えた。


 それに鋼鉄の鎧を身につけた怪力女だと思っていたアイアン・ティターニアが、実際には魔法頼りの典型的な軟弱エルフだった事もロランにとって意外だった。

 しかしそのくせ言うことは芯が通っていて、普段の立ち振る舞いは軟弱さを感じさせない。あれこそが至高の剣闘士だろうとロランに思わせる。


 でもだからこそ、今目の前に居るイルヴァという存在が不思議でならなかった。


(どうして、彼女は……こんなに強いのに。こんなに儚く感じてしまうんだろう?)


 そんな風に思いながら、ロランは掛け布団を手に取ると、そっとイルヴァに掛けていた。

 そうして寝顔を眺めながら、思うのだ。


(俺はあの、最強無比のアイアン・ティターニアが好きなんだ。強くて迷わない剣闘士だからこそ、憧れているんだ。だから、これは……この姿は、誰にも見せて良いものではないんだ)


 彼女が気丈で繕っている、あの鎧を壊してなるものか。


 ――俺は俺の“憧れのアイアン・ティターニア”を守ってみせる。

 ロランはそんな風に決心していた。


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