33.食い違う信念・上
ロランがソードパレスで生活するようになって、二日程が経つ頃になった。
その日のロランは訓練の後、気分転換がしたくて町へ出ることに決めた。ずっとソードパレスに缶詰というのも、ストレスが溜まってしまうからだ。
それに、(そろそろイルヴァが到着する頃だな)という算段もあった。
「それなら、私は文官省の会館へ戻りますね。城へ戻ったら、声を掛けてください」
シャルロッタはそう言って立ち去ったから、ロランは一人で町へ行くことにした。
そうして町をぶらぶら散策していると、どこからともなく町行く人の噂が聞こえた。
それは、「アイアン・ティターニアを見たか?」「ああ、実物は初めて見たけど、本当にエルフなんだな……!」と、そういう噂である。
(イルヴァは相変わらず目立つんだな)
そう思って思わず苦笑が漏れるものの、ロランは彼女を探すために、人々のどよめきの先を辿っていくことにした。
そこに彼女の姿はあった。
大通りをのんびり歩く、大盾とハルバードを背負った鋼鉄の女戦士の背中が。
その背中を追いかけていくと、ロランは声を掛けていた。
「イルヴァ!」
すると声は届いたようで、足を止めて彼女は振り返った。
透き通ったサファイアのような碧眼が、ロランの姿を映し出す。
白磁のように白い肌が、アップにまとめられたライトブロンドの髪が、日差しを反射してキラキラと輝いている。
久しぶりに見る彼女は、相変わらず荘厳としていて、キレイだった。
「……え?」と、見開かれる眼差しを受け、ロランは微笑していた。
「久しぶりだな」
ロランに話しかけられ、しばらくの間イルヴァは沈黙していたものの、彼女の耳があからさまに動揺したかのような動きを見せた。
「なっ、なんでっ、ここに……?!」
イルヴァの動揺を受け、(そういえば話していなかったな)とロランは気付いていた。
「あの後、俺も首都に来たんだよ。キミを助ける方法があるかもしれないってシャルロッタに言われたから」
「シャルロッタ……? って、あの魔導士……?」
イルヴァの表情は怪訝そうなものに変わった。
そんなイルヴァに、ロランは聞いていた。
「話したい事があるんだ。でも、周りに聞かれるわけにはいかないから、出来れば二人きりになれる場所で落ち着いて話がしたい。良いかな?」
ロランの質問に、イルヴァはかあっと頬を染めるようになっていた。
「ふ、二人きり?! で、でも……」
「嫌か?」
「そ、そうじゃなくて……その」
イルヴァはばつが悪そうに俯くと、小声で話していた。
「……あなたは私のこと、嫌いになったんじゃないの?」
まるで拗ねたような態度でぼそぼそと言われた言葉に、ロランは目を丸くしていた。
「え? なんでだよ?」
「な、なんでって……」
イルヴァはぶ然とした表情を浮かべるようになっていた。
「だって……ロランは」
イルヴァはすぐに俯くと、まるで今にも泣き出しそうな態度に見えたので、ロランは焦っていた。
「と、とにかく、人の目の無い場所へ行かないか? 続きはそこでゆっくり話そう」
「……うん」
イルヴァは俯いたままながらも、こくんと頷いていた。
イルヴァが選んだ場所は、適当な中級クラスの宿だった。
そこの一人用の部屋を一部屋取ると、部屋の中で話すことにした。
早速部屋に入った後は、「ちょっと待ってて」とイルヴァが一言言って、ハルバードと大盾を壁に立て掛けた後は、ガチャガチャと鎧を脱ぎ始めるようになった。
そうして脱ぎ終えた鎧を鎧掛けに引っ掛けた後、イルヴァは紋様の光を消していた。
「お待たせ」とイルヴァが振り返った時、ロランは二人掛け用のテーブルにチェスボードを置いて、駒を並べていた。
「……ロラン?」と、イルヴァは目をぱちくりとさせていた。
「いや、懐かしくてさ」
そう言って笑った後、ロランは二脚ある椅子のうち片方に座っていた。
「久しぶりにやろうか、イルヴァ」
「うん」とイルヴァは頷いていた。
久しぶりに隣り合わせに座って、チェスをゆっくり差しながら、二人は話をしていた。
「俺はイルヴァを嫌いになんかなっていないよ」
ロランの言葉に、「……うん」とイルヴァは頷いていた。
「どうして嫌われたなんて、思ったんだ?」
ロランの質問を受けて、イルヴァは頬を染めていた。
「そ、それは」
「…………」
「その……守ってやれない、なんて言うから……」
俯いてもじもじとするイルヴァの姿に、ロランは笑っていた。
「なんだ。それで、嫌われたって思ってたのか?」
「……う……うん……」
ばつが悪そうに頷いたイルヴァに、ロランは微笑を向けていた。
「嫌ってないよ。俺はただ、キミに力添えができない気がして。あの時は俺自身に失望してしまっていたんだ。でも、もう大丈夫だよ。俺はキミを守る。きっとこれで、守れるようになるからさ」
ロランは自信がありそうな笑顔を浮かべていたから、イルヴァはキョトンとしていた。
「どういうこと?」
「力が手に入りそうなんだ」
ロランはハッキリとそう言っていた。
「この力があればきっと、ジュードに勝てるし……キミにも勝てそうだよ、イルヴァ」
ロランの目が真っ直ぐにイルヴァへと向けられる。
「……え」とイルヴァは呟くと、あっ気に取られたような表情をロランに向けていた。
「……どういうこと?」
「父さんに受け入れてもらえたんだよ。俺に父さんが力を与えてくれるんだ」
「……父さん?」
イルヴァは嫌な予感を覚えていた。
「ソードパレスに居る剣王マティアス・レムンハル・カイザーは……俺の父さんなんだ」
「…………」
嫌な予感が確信へと変わり、イルヴァは言葉を失っていた。
しかしあまり驚かなかった。
(……やっぱり)と、疑惑が確信に変わっただけだったからだ。
(そりゃそうよ。あれだけソックリなんだもの。他人の空似なんて奇跡じみたこと、信じる方が馬鹿げている。ジュードとロランが、兄弟でない筈が無いわよね……)
溜息をつくイルヴァの心情に気付いているのかいないのか、「だから」とロランは話を続けていた。
「これでやっと、キミを超えることができるんだ」
ロランの目は輝いていた。
それは心底からイルヴァに勝ちたいと野心に燃える、剣闘士のそれだった。
(ロランは……)
イルヴァは戸惑いを覚えたものの、やがて苦笑していた。
「……そう。ずっと私の背中を見ているだけだと思っていたのに……。挑戦者になる気になったのね」
「ああ」とロランは頷いていた。
「俺は実力でキミに勝ってみせるよ。そうしたら、俺の言うことを聞いてほしい」
「言うこと?」
イルヴァの疑問に、ロランは大きく頷いた。そして言ったのだ。
「キミには剣闘士を辞めてほしいんだ。ジュードは俺が殺すから」
「……え」
一瞬、イルヴァの時間が止まった。
しかしそれも間もなくで、ロランの発言を理解するにつれでイルヴァの表情が険しいものへと変わってゆく。
「な、何を言っているの……?!」
イルヴァは思わずガタッと椅子から立ち上がっていた。
「わ、私にとって……剣闘士は、全てなのよ?! 剣闘士が無ければ何もかもが無くなってしまうのよ!! それに、ジュードを殺す事だって!! あなただって、それを知っているわよね?何故ここまで来て、ここまでやってきた事を、あなたに全て奪われなければいけないの?!」
「奪うわけじゃないよ」と、ロランは答えた。
「キミの志を引き継ぐだけだ。だってキミはもうボロボロじゃないか。キミにはこれ以上は無理だよ」
「だ、だからって……」
イルヴァは見透かされたような気持ちになって、胸元にあるチャームをぎゅっと握り締めていた。
「私は……それでも、自分でやり遂げたい。何のためにここに居るのか、わからなくなってしまうから……!」
俯くイルヴァの姿を見て、「……わかったよ」とロランは頷いていた。
「だったらやっぱり、力尽くで聞いてもらうしかないよな」
ロランが言ったのはそれだったため、イルヴァは絶句していた。
そんなイルヴァに、ロランは言ったのだ。
「次の月に舞台が用意されている。そこで、俺はキミの牙を全て砕いてみせる」
ロランは真っ直ぐにイルヴァを見つめながら、ハッキリとそう言った。
「…………」
イルヴァはしばらく黙り込んだまま俯いていたが……――やがて顔を上げると、ロランのことを睨み付けていた。
「……どうやらあなたはどうしても、私に勝たないと気が済まないみたいね……」
ロランは微笑んだまま、イルヴァのその非難するような目を受け止めていた。
「キミが嫌がることはわかっていたよ。けれど……勝てると思ったら止められないんだ。この鼓動を、この昂ぶりを! 本当は俺だって勝ちたかったんだ。アイアン・ティターニアに」
ロランはそう言ってギュッと拳を握り締めたから、イルヴァはあっ気に取られたまま黙り込んでしまうしかなかった。
(……――そう。ロランは……)
「……ロランは、知らないうちに剣闘士らしくなっていたのね」
ぽそぽそと呟いたイルヴァは、先ほどと一転して気の抜けたような表情を浮かべていた。
そんな彼女に対して、ロランは静かに頷いていた。
「キミを傷付けてしまうと思う。それはわかっている。でも……俺はやっぱりどうしても、キミを征服したい。それが出来るとわかってしまったから。――俺は」
ロランは真っ直ぐにイルヴァのその美しい碧眼を見据えていた。
「俺はキミを超えてみせる」
ハッキリとしたロランの言葉を聞いて、イルヴァはしばらくの間黙り込むしかなかった。
彼のその発言に、失望や悲嘆を覚えると思ったのは最初だけで――むしろ嬉しさを覚える自分自身に内心、驚いていた。
(……――やっとそんな風に言ってくれた)そう思ったのだ。
何しろ、彼がイルヴァを超えたい対象として見なすことを、イルヴァ自身が一番待ち望んでいたのだから。
やがてイルヴァは再び椅子に腰降ろすと、ぽつりぽつりと呟いていた。
「……ロランはいつまでも私とは戦うつもりにはならないと思っていた」
ロランは微笑んでいた。
「そのつもりだったよ。俺には手が届かないと思ったから」
「……勝てる目算があるの?」
イルヴァの質問に、ロランは力強く頷いていた。
「うん。そのためにはキミを傷付けてしまうかもしれないけれど……」
「躊躇していたら勝てないわよ」
イルヴァの言葉に、「うん」とロランは頷いていた。
「だったら、躊躇わずにやらせてもらう。キミのその牙を……穿ちに行く」
「……剣闘士を辞めさせるということ?」
イルヴァの疑問に、ロランは頷いていた。
「俺が勝てばキミは、永遠に剣闘士の舞台に上がることはできなくなるよ」
「……それは嫌だけど」と、イルヴァは呻っていた。
「でも、ロランがそこまで私に勝つ自信があると言うなら、受けて立ってみたいわね」
それがイルヴァの素直な心情だった。
ロランは笑っていた。
「キミならそう言ってくれると思ったよ」
そして、だからこそ彼女は至高なのだとロランは思った。
彼女とは、強くて潔くて憧れている剣闘士その人なのだ。
ロランはイルヴァに向けて手を差し出していた。
「次は舞台で会おう」
「……負けるつもりは無いけれど」
そう言った後、イルヴァはロランの差し出した手を握り締めていた。
「本当ならジュードを殺した後でやり合いたかったわね。私の牙を穿つなんて……そんなことが出来るなんて、思わないけれど」
イルヴァは微笑を浮かべながらも、どこか複雑そうな面持ちをしていた。
「大丈夫だよ」とロランは答えていた。
「俺がキミの意志も名声も受け継ぐから。そして、後の事は全て終わらせるから」
「既に勝った気で居ないでくれる?」
イルヴァにむっとした表情を向けられ、ロランはふっと微笑んでいた。
「そうだよな」
「絶対に手加減をしてはいけないわよ」
イルヴァはロランの手を握り締めたまま、真っ直ぐにその碧眼をロランに向けていた。
「私も手加減をする気は無い。悔いの無いようにやりましょう」
「……ああ」とロランは頷いていた。
「これが私の最期だとあなたが言うなら……相応の覚悟を持って挑みなさい。そうする事があなたの正義と言うなら、私は私の正義を持ってして迎え撃つから」
その迷いの無い瞳に、躊躇いの無い言葉にロランが見惚れているうちに、イルヴァは微笑んでいた。
「勝者には栄光を。敗者には屈辱を。――正しさは剣が示してくれる。それが剣闘士よ――ロラン・ノールド」
イルヴァはそう言うと、握っていた手を離していた。
それからの日々、ロランはソードパレスで連日マティアスからの指導を受け、片やイルヴァは、書店に足を運んだり、近場の町外れで鍛錬に励んだりして過ごした。
ジュードはしばらくの間そもそも首都に顔を見せていないと聞いたから、イルヴァは結局、ジュードに直接引導を渡すことは諦めた。
その代わりに、ロラン側に何か考えがある様子だから、今はその流れに従うしかなかった。
(少し癪だけれど……)
誰かの手の上で踊らされていると感じることはイルヴァにとって不快でしかなかった。
しかし同時に、ホッとしていたのだ。
あの恐ろしい難敵に、またあいまみえなければならないという恐怖を感じずに済むからだ。
(ロランは本当に、私と戦うつもりでいるのよね……)
イルヴァは一人、人気の無い外れにある丘で、ハルバードも何も身につけずに、形だけをシミュレーションするようにイメージトレーニングを行っていた。
盾や武器を持ったつもりで構え、手を振るう。
本番以外はそうやって訓練を行うのがイルヴァのやり方だった。何故なら、武器や鎧を身につけるということは、魔力を無駄に消費する事になってしまうからだ。
(……シャルロッタに言われた。って、ロランは言っていたわね……)
イルヴァは大盾と槍を持ったつもりになって、左手を引いた反動で右手を突き出していた。
(やっぱり、ロランを剣王と引き合わせたのは……シャルロッタなのかしら?)
イルヴァはその事が気になっていたが、今は訓練に励むことによってその雑念を意識の外に追いやっていた。




