28.絶望と希望・上
「すみっませんでしたあぁぁ――!!」
ドアを開けるや否やジャンピング土下座をするロランの姿がそこにはあった。
イルヴァはそれを、あっ気に取られた面持ちでポカンと見ていた。
ここはイルヴァの部屋で、来訪者があったかと思ったら、「ロランだ。開けてくれ」と言われた。だから開けてみたら、この様である。
「な……なに? 一体、どうしたの?」
あっ気に取られるイルヴァに「あ……あのう」と、ロランの後ろから申し訳無さそうに顔を出したのはシャルロッタだった。
責任を感じて、シャルロッタもロランについて来たのだ。
「私、言ってはならないことを言ってしまったみたいで……。その、申し訳ありません……」
深々とシャルロッタにまで頭を下げられて、イルヴァは益々困惑していた。
「な、なんの話?」
するとロランが土下座の姿勢のままブツブツと話した。
「俺は知らなかったんだ……イルヴァがまさか子供だなんて、知らなかった……見た目が大人びていたからって、俺はなんてことをしてしまったんだ……! きちんと年齢を確認すべきだったんだ……慣例だからって許されることじゃない……俺は、俺は、ロリコンなんだろうか……」
ロランの話を聞くにつれ、困惑した様子だったイルヴァの顔から、表情がすうっと消えて行った。
「…………そう」
ぼそ。と頷いた後、イルヴァはのろのろと部屋の奥へと引き返して行った。
そして、すとん。と一人掛け用のソファに腰降ろすなり、俯いて黙り込んでしまった。
「あ……あの……」
シャルロッタは恐る恐る部屋に入ると、イルヴァに話しかけていた。
「……話していなかったんですね」
シャルロッタの囁くような声に、イルヴァは小さく頷いていた。
そしてしばらく沈黙していたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「まあ……いつかは、気付かれる日が来るとは思っていたわよ」
イルヴァが言ったのはそれだった。
「クレハにも気付かれていたみたいだったし……。やっぱり、精霊がわかると、どうしてもバレてしまうわよね……」
自嘲するように笑ったイルヴァの姿に、ロランはガバリと頭を上げていた。
「く、クレハも知っていたのかよ……?!」
(ってことは、知らないのって俺だけ?!)
むしろそっちの方にショックを受けていた。
そんなロランに、イルヴァは笑い掛けていた。
「土下座なんてしなくて良いわよ。確かに生きている年数はエルフ族としては子供の年数しかないけれど、体はれっきとした成人だもの。だから、大人として扱ってほしいんだけど?」
ロランはのろのろと起き上がっていたが、聞かずにはいられなかった。
「……どういうことなんだ?」
「…………」
イルヴァは沈黙するようになると、視線を逸らした。
そんなイルヴァにシャルロッタが優しく話しかけた。
「言った方が良いのではないですか?」
「…………」
「見ていてわかります。あなたにとって、大切な人なんですよね? ロランさんって」
「……はあ」と、イルヴァは溜息を付いていた。
それから、観念した様子でロランの方に目を向けていた。
「これのせいなのよ」
そう言ってイルヴァがロランに見せたのは、左腕を埋め尽くすように描かれている精霊刻印だった。
今は魔力が通っていないため、ただ暗い色をしているそれだが……イルヴァは左腕を持ち上げたまま、話していた。
「普通、精霊刻印は誰でも生涯において肉体に刻む時は、一つか二つに留めておくものなの。何故かというと、体に負担があるものだからなのよ。でも私は、何十個も刻んでいる。そうしなければ力を得られなかったから。剣闘士としての力を手に入れるために、私はこうすることを選んだのよ」
「…………」
ロランは無言のまま、頷いていた。
彼女が精霊刻印頼りの剣闘士であることは、既に知っているからだ。
でも、それとイルヴァの見た目と年齢が食い違うことと、何の関係があるんだろう?そう思って、ロランは尋ねていた。
「体に負担って……具体的に、どうなるんだ?」
「そうね。私の場合は」と、イルヴァは何てことないような顔をして話していた。
「ウェートインバリッド《加重無効》を作動しておかないと逆に疲れやすいことと、マナがそれ以外の魔法に転化できなくなっているのは、大したことないと思っているんだけど。やっぱり、寿命や老化の速度がヒューマン族並みになってしまった事に関しては、気にならないと言うと嘘になるわ」
サラッとイルヴァは言ったが、それは聞き捨てならないことだった。
「ま……待てよ、イルヴァ」
ロランは動揺を隠せなかった。
「ヒューマン族並みって……。エルフ族って、長い寿命と若さを誇っている種族なんじゃ……?」
「…………」
イルヴァは無言になって、こくんと頷いていた。
「そ、そんな。それじゃ、イルヴァはどうなるんだよ?! この先、イルヴァの命は……」
ロランの反応はイルヴァにとって予想外だった。
「大袈裟ね。ヒューマン族と一緒に歳を取って死んでいくってだけじゃないの」
イルヴァは気にしていないと言わんばかりに肩をすくめたが、嘘だとロランは思った。
「三十分の一だぞ?! ヒューマン族に言い換えると、八十年の寿命があったのが、たった三歳に満たないうちに年老いて死ぬってことになる。なんでそんな無茶なことを……!!」
「ああもう……うるさいわね!!」
イルヴァはうんざりして叫んでいた。
「私だって!! 気にしていないわけがないじゃない!! でもッ……でも、そうしなければ剣闘士にはなれなかったのよ!! エルフ族がどれだけ軟弱か知っているの?! こうでもしない限り、魔導士になれても、剣闘士にはなれないのよッエルフ族は!!」
イルヴァはロランのことを睨み付けていた。
だから、どれだけ無神経な事を言ってしまったかロランは思い知って、肩を落としていた。
「ああ……うん。そうだよな。ごめん……イルヴァ。ごめん……」
ロランは悔しくて悔しくてたまらなかった。
ジュードが。……あいつが、こんな事をしたのだ。
イルヴァにここまで思い詰めさせて、ここまでの事をさせてしまった。
(俺が……殺してやりたい。ジュードを……殺さなければ……)
ロランはそう考えて、グッと拳を握り締めていた。
そんなロランに気付いているのかいないのか、イルヴァはシャルロッタの方を見ていた。
「……これでわかったでしょう? シャルロッタ・レーゼ・イェーラ・ソーサリー」
イルヴァはそう言うなり、シャルロッタを睨み付けた。
「私は全てを捨ててここまで来たのよ。これまでの何もかもを捨てて、ジュードを殺すためだけにここまで来た! あいつは言ったのよ。剣王になるって! だから絶対にあいつは舞台に上がってくるわ。その時に……殺す。絶対に殺してやる!! 私の手で、私のこの力で……それが私が生きている意味なのよ!!」
イルヴァの目には再び憎悪の炎が燃え上がっていた。
シャルロッタはその目を受け止めると、首を横に振っていた。
「……いけません。そんな悲しいことを考えないで……イルヴァ。あなたは本当なら、もっとエルフらしく生きられた筈です。こんな事をしなくたって……」
「もう遅い。後戻りなんて出来ないわよ。私はね、刻印を一つ一つ刻んでいく度に、この身に復讐の誓いを立てたのよ。一度刻み込んだ精霊刻印は生涯消すことはできない。私にはもう、ジュードを殺す以外の道が残されていないのよ」
頑なな口調で告げるイルヴァには、一切の迷いが無いのだろう。
それは全てのものを捨ててきたからこその、迷いの無さだ。
「……イルヴァ」
シャルロッタは悲しげな面持ちを浮かべていた。
もはや彼女を止めることは不可能なのだろうと思った。
シャルロッタから視線を背けると、イルヴァは言った。
「……もう良いでしょう? ここから出て行って」
「…………」
シャルロッタは沈黙していた。
そんなシャルロッタに、イルヴァは告げていた。
「私はマナが戻り次第、首都へ行く。そこで今度こそジュードを殺してやる……絶対に止めるような真似はしないでよ。もし邪魔をする気なら、シャルロッタ、あなたを殺してやる」
イルヴァのその言葉は、本気を感じさせるものだった。
シャルロッタは小さく頷くと、イルヴァから背中を向けていた。
「……失礼させて頂きます」
丁寧な物腰でそれだけ言い残すと、シャルロッタは部屋を出て行った。
シャルロッタがドアを閉ざした後もロランが残っていたので、イルヴァはロランに目を向けないまま話しかけていた。
「……あなたは行かないの?」
「……イルヴァ」
ロランは彼女の元へ歩み寄っていた。
「俺は……なんて言ったら良いのか」
ロランの声は苦しげだったため、イルヴァは態度を和らげていた。
「……気にしないで。さっきも言ったけど、私はもう、大人なのだから」
「違う。そうじゃない」
ロランは首を横に振ったから、イルヴァはやっとロランに目を向けていた。
ロランは悔しさを噛み殺すような目をして立っていた。
「……こんな気持ちは初めてだ。俺はジュードを殺したい」
「…………」
イルヴァはキョトンとしていた。
そんなイルヴァを目の前にして、ロランは吐き出していた。
「イルヴァをこんな風にしてしまったクソ野郎を、殺してやりたい……」
「……ロラン」
イルヴァはショックを覚えていた。
ロランが復讐心に共感してくれた以上に、あの優しいロランが。あの誰も殺したくないと話していたロランが、殺したいと口走ったことがショックだった。
(……私のせい?)
イルヴァは咄嗟に立ち上がると、ロランにぎゅっと抱き付いていた。
そして「……やめて」と呻いていた。
「……こんな気持ちを抱えるのは、私だけで良い……」
「……イルヴァ」
ロランは悲しくなっていた。
そしてイルヴァをそっと押し離していた。
(……俺では不足と言いたいのか)
ロランはそう受け取っていた。
(そうだよな……俺は……弱い。キミなんかより、ずっと弱い。だから……キミと同じ気持ちを共有することなんて、おこがましいよな)
結局イルヴァは、高嶺の花なんだろう。
自分なんかでは手の届かない、手が出せない人なのだ。
ロランはイルヴァをじっと見つめると、そのキレイな紺碧の瞳や、憧れていた姿を目に焼き付けていた。
そしてそっとイルヴァから離れると、背を向けていた。
「……ごめん、イルヴァ。何もしてやれなくて……守ってやれなくて……ごめん」
そうやって謝った後、ロランは部屋を後にしていた。
ロランが外に出た時、空は雲でよどみ始めていた。
そろそろ久しぶりの雨が降るのだろうと思って、ロランは空を仰いでいた。
(……イルヴァと最初に決闘した日も、こんな天気だったな)
今となっては何もかもが懐かしかった。
慣例慣例と耳にたこができるほど彼女は繰り返していたっけ。
結局、良くも悪くも真面目で一本気で単純な性格をしているのだろう。
(だからこそ、彼女は絶対に折れないんだな。ジュードの事だって)
ロランは溜息を付いていた。
その一本気な所に剣闘士の理想を見つけて、思い出の中にある父の背中を思い出して、憧れを抱いたエルフの少女。
けれどその実彼女は、弱くて今にも壊れそうな心を持っていて、その上、まだ子供のエルフだという。
「……何やってるんだ、俺は」
立ちぼうけたまま、ロランは地面を睨み付けていた。
(これでどうやって、どの口が、守りたいなんて言うんだよ……)
そんな風に考えていると。
「……ロランさん」
歩み寄ってくるなり、そうやって話しかけてきた人が居た。
顔を上げると、いつの間にやら目の前にシャルロッタが立っていた。
シャルロッタはロランの顔を見ると、温和そうな笑顔を浮かべていた。
「話は終わったんですね」
「はい……そうですね」
頷きながら、ロランは視線を逸らしていた。
「あなたはあの子にとって、きっと特別な存在なのでしょうね」
そう言ったシャルロッタに、ロランは思わず苦笑して首を横に振っていた。
「そんなことはありません。俺はきっとイルヴァにとって、ただの知人みたいなもので」
(特別に見えるのは、過去に契約があったからってだけで)と、ロランは内心言い足していた。
「そうですか」と、シャルロッタは言った。
深追いはしてこなかったが、シャルロッタは改めて言っていた。
「ロランさん。良ければ私と一緒に、首都へ行ってくださいませんか?」
おもむろに彼女が言い出したのはそれで、ロランは驚いてシャルロッタの方を見ていた。
「……え?」
ロランは戸惑った後、動揺していた。
「で、でも俺は、イルヴァみたいに重要な参考人にはならないかと……」
「そうではありません、ロランさん」とシャルロッタは首を横に振った後、微笑んでいた。
「私にはもう、イルヴァを……あの子を止めるような事をする気持ちはありませんよ。あの子の思いは十分に理解しましたから。ですが……あの子には、あなたの力が必要になると思って」
「は、はあ……」
何言ってるんだろう? この人は。とロランは思っていた。
(イルヴァは一人でも十分に強いんだ。俺なんかが、力になれるわけないだろ……?)
そんなロランの気持ちを見透かしたようで、シャルロッタはふと笑顔を消すと深刻な面持ちを浮かべていた。
「……アイアン・ティターニアと、世間では呼ばれているようですね。負け知らずの剣闘士だと、領主様から聞きました。ですが……あの子ではダメなんです。きっと敵わない」
シャルロッタの言葉に、ロランは思わず「えっ?」と聞き返していた。
「ど、どういうことですか?」
思わず食い付いたロランに対して、シャルロッタは小さく首を傾げると微笑み掛けていた。
「ロランさん。その事で少し、話をしませんか?」
「わかりました」とロランはすぐに頷いていた。
知りたい事こそ山ほどあれど、ロランには断る理由が無かった。
シャルロッタはホッと胸を撫で下ろした様子で、「良かった」と言った。
「では、ゆっくりとお話ができる場所に移動しましょうか、ロランさん」
シャルロッタに誘われて、ロランは頷くとついて行くことにした。