27.復讐者・下
衛兵に連れて行かれた先は、町の南東に位置する一際大きな庭付きの屋敷である。
ロランとイルヴァは、そこのだだっ広い応接間に通された。
応接間のソファに腰掛けていたのは、立派な貴族の衣服を着た老年の男が一人と、青地に白い刺繍の入ったローブとフード付きのケープを身につけた魔導士が一人。
そしてその傍らに、トサカの付いた兜を被った兵長が立っている。
入ってきたロランとイルヴァを見るなり、真っ先にぺこりと頭を下げてきたのは魔導士だった。
ふわふわのウェーブした肩まである栗色の髪が流れ、温和そうなグリーンの瞳が二人の姿を映す。
にこっと微笑みかけてきた子犬のような印象の愛くるしい顔立ちをしたヒューマン族の少女を見て、ロランとイルヴァは驚いていた。
「お、女の子だったの?!」
真っ先に声を上げたイルヴァに対して、「オッホン」と兵長が咳払いをした。
「この方は、魔導士のシャルロッタ・レーゼ・イェーラ・ソーサリー様であられる。幾らイルヴァちゃんがアイアン・ティターニアと言えど、文官に属する方には敬意を払っていただきたい」
「……なんでここに居るのよ、剣闘士オタク」
ボソッと呟いたイルヴァに対して、「兵長だからだ!」と彼は答えた。
「よく来てくれたな、アイアン・ティターニアに、ラッキーソード」
そう言って立ち上がったのは、老年の男だった。
「私はアンバーウッド領主、ロバートソン・ラインクロス・アンバーウッドだ。まあ二人とも、そこに掛けてくれたまえ」
ロバートソンが手で示したのは、テーブルを挟んだ正面にあるソファだった。
だからロランとイルヴァは言われるがまま、ソファの方へ行って腰降ろしていた。
「……で」と、ロバートソンが話を切り出した。
「今回、キミ達をここに呼びつけたのは、魔導士村襲撃事件に関することだ。シャルロッタ様から話は伺ったが……キミたちは衛兵が向かうより先に魔導士村に駆けつけた有志であると聞いた。もし魔導士村襲撃犯に関する情報を持っているなら、是非とも教えていただきたいのだ」
それに続く形で、シャルロッタが真剣な面持ちになって話し始めた。
「本当なら、私が情報を持って来れたら良かったのですが……助けを求めに来るのに精一杯でした。今回の、精霊研究魔導士養成所が受けた襲撃は、国家としても重く受け止めるべき重大な事件です。一刻も早く犯人を捕縛するため、犯人特定の為にも、些細な事でも良いので、できるだけ多くの情報が必要なのです」
「……犯人特定の為って」
イルヴァは困惑した表情を浮かべていた。
「あんな良く目立つ魔剣で襲われながら、犯人がわかっていないの?」
「い、イルヴァちゃん」
敬語、敬語! と後ろで必死に口パクをしている兵長をイルヴァはさらっと無視していた。
シャルロッタの方はイルヴァの態度を特に気にした様子もなく、「はい」と頷いた。
「生存者は私一人……。黒い魔剣を所持した、蒼い髪の男……としか」
そう言いながらシャルロッタの目はロランの方へ向けられていたため、イルヴァはムッとしていた。
「……まさかロランを疑っているの?」
イルヴァに睨まれ、シャルロッタはたじたじとなって視線を逸らすようになった。
「い……いえ。そんなことは。ただ……」
シャルロッタの言いたい事がイルヴァにはよくわかった。
良く似ていると、彼女は言いたいのだろう。
「……ロランじゃないわよ」
イルヴァは苛々としながら伝えていた。
「襲撃したのは、ジュード・レムンハルと名乗る男。歳は恐らく、ロランより十歳ほど上ね」
「……!!」
シャルロッタは驚愕の目をイルヴァに向けるようになった。
当たり前だ。何も無いと思っていた情報を、この剣闘士のエルフはすらすらと話し出したせいだ。
「……知人なのか?」
ロバートソンまでもが疑惑の目を向けてくるようになったので、イルヴァは辟易しながら吐き捨てるように言っていた。
「……そんなわけないでしょ。あいつは……ジュードは、私の里も襲ったのよ! 同じような手口で、十年も前に!!」
イルヴァの燃えるのような目を見て、シャルロッタはギョッとしていた。
「そ、それは本当なのですか?」
「嘘を付いて何になるの。でも、あなたたちブレイディア人は何もしてくれなかったわね。先住の民である隠れ里のエルフ族は、あなたたちにとってはどうでも良い存在だものね。その上、襲撃事件があったことすら今まで知らなかったなんて、私から見れば危機感が足りないとしか思えないわ」
イルヴァに睨まれて、シャルロッタはすごすごと俯いていた。
「……申し訳ありません」
しょんぼりとした態度で言われた言葉を聞いて、イルヴァは拍子抜けしていた。
「……べつに。あなたが謝っても仕方ないわよ。文官と言っても、ただの魔導士にそんな権限なんて無いでしょ?」
ばつが悪そうな表情をするイルヴァを見て、ロランは苦笑していた。
「……イルヴァでも喧嘩腰になり切れない相手っているんだな」
「……なによそれ」
イルヴァは今度はロランを睨み、ロランは慌てて首を横に振っていた。
そんな二人を見て、シャルロッタはクスッと笑った後、すぐに真面目な表情に戻っていた。
「ですが、ジュード・レムンハルって……」
シャルロッタはロバートソンへ目を向けていた。
ロバートソンは青白い顔をしていた。
「……シャルロッタ様。相手が相手です。文官長に一刻も早く伝えたほうが宜しいかと」
「……ええ、そうですね」
シャルロッタは改めてイルヴァの方を見ていた。
「イルヴァちゃん」
おもむろにシャルロッタに話しかけられたが、まさかのちゃん付けだったため、イルヴァは戸惑っていた。
「あ、あの? ちゃん付けは兵長が勝手に呼んでるだけだから。普通にイルヴァで良いんだけど……」
「そうですか? なら、イルヴァと呼ばせて頂きますね」
シャルロッタは言い直していた。
「それで」と、シャルロッタは繋げたが、改まった言い方だったためイルヴァは身構えていた。
「……なに?」
「あなたに折り入って、お願いしたいことがあります」
そう前置きをした後、シャルロッタは真っ直ぐイルヴァを見て伝えていた。
「十年前にもあった襲撃事件の被害者として、重要参考人として、私と一緒に首都へ同行して頂きたいのです」
「え、ええ?!」
イルヴァは驚きの声を上げていた。
しかし戸惑ったのは一瞬だけで、すぐに怒りが沸々と湧き起こってきた。
「……今更何を言っているの。あなたたちは何もしてくれなかったクセに! 今更私に協力しろって言うの?!」
「……イルヴァ」
シャルロッタは、困ったような面持ちを浮かべながらも、相変わらず丁寧な物腰を崩さずに話していた。
「ハッキリ申し上げます。ジュード・レムンハルが相手となると、私たちの手には負えません」
「えっ?」と目を見開いたのは、ロランだった。
「手に負えないって……衛兵を派兵したら良いんじゃないんですか? まさか、ジュード・レムンハルって、それぐらい強いんですか?」
するとシャルロッタは首を横に振っていた。
「そうではありません。イルヴァの言う名前……それが本当だとすると、襲撃犯は……ジュード・レムンハルというのは、現剣王であるマティアス・レムンハル・カイザーの、子息に当たる方になるのです……」
肩を落として落胆した様子を見せるシャルロッタに対して、ロランとイルヴァは声を揃えて「ええっ?!」という驚きの声を上げていた。
「ちょ……ちょっ、待てよ! イルヴァ、名前を聞いても剣王の息子って気付かなかったのか?!」
そう言うロランに対して、「あなたこそ知らなかったくせに!」とイルヴァは言い返していた。
そんな二人を、「まあまあ」とたしなめたのはシャルロッタだった。
「無理もありませんよ。ジュード・レムンハルどころか、現役を引退してしまった後は、マティアス・レムンハル・カイザーの名前が世間に上がる事もありませんからね。その上、マティアス・レムンハル・カイザーが剣王となって現役を引退したのは、二十年以上も前になりますから」
そんなシャルロッタの斜め後ろに控えている兵長が、うんうんと頷いた。
「イルヴァちゃん、安心するんだ。この俺も知らなかった。今聞いた」
びしっ。と親指を立てる兵長を見て、イルヴァはげんなりしていた。
「なんでこの町の兵長って、こんなに馴れ馴れしいのよ……」
「イルヴァはまだ良いじゃないか。俺なんていまだに睨まれるんだぞ」
ロランはひそひそと言っていた。
「……それはそうと」と、イルヴァは話題を元に戻していた。
「剣王の息子と言うなら、あなたたちの出る幕は無いんじゃないの? 法で拘束するわけにもいかない相手だし、首都に訴えてどうにかなる問題なの?そもそも首都といったら、張本人の父親である剣王の根城の傘下じゃないの」
「……悪の中枢みたいな言い方はどうかと思うぞ、イルヴァ」
ボソッとロランは呟いていた。
「確かに、剣王やその家族を法で拘束する事は出来ません」
シャルロッタはそう前置きをした後、「……ですが」と続けた。
「今回の事は、さすがに度が過ぎています。文官省の方へ進言すれば、無視できないかと。処罰を与えるまでは無理かもしれませんが、きっとそれに代わる何らかの対策を講じる筈です」
「……あなたはそれで良いの?」
イルヴァは真っ直ぐにシャルロッタを見つめると、訊いていた。
「……え?」
言葉を飲み込むシャルロッタに、イルヴァは改めて。
「あなたはそれで納得できるの? あんな残虐な事を仕出かした人でなしが、簡単な対策だけで、なんの罰も受けずにのうのうと生き続ける事が許されるなんて」
そんな風に、質問をぶつけていた。
「…………」
シャルロッタは黙り込むようになったから、ロランはそこに気まずさを感じていた。
「い、イルヴァ」
「……シャルロッタ様」と、ロバートソンが苦々しい面持ちを浮かべるようになった。
シャルロッタは小声で、「いえ、良いのです」とロバートソンに対して微笑みかけた後、改めてイルヴァへと振り返っていた。
「……あなたの言う通りです」
シャルロッタはイルヴァに対して、あっ気ないほどにあっさりと頷いた。
「友が、師が、共に魔道を目指す仲間たちが、殺されました。……正直申し上げますと、憎らしい……と、思います」
シャルロッタはそれでも温和な表情を崩さないまま、一瞬俯いたかと思うと、再び顔を上げてイルヴァへと目を向けていた。
「……ですが、私たちはヒトです。理性ある人である以上、決められた事に従って、成すべき事を成すしかありません」
シャルロッタは迷いの無い目を真っ直ぐにイルヴァに向けていた。
イルヴァは小さく笑って、「へえ」と呟いていた。
「それを剣闘士に言う? 私はね、それじゃあ許せない……地獄の底へ叩き落してやらないと、気に食わないのよ! わかった。交渉は決裂よ。生温い事しかしないつもりなら、私はあなたたちなんかに協力はしない!」
言うが否やイルヴァは立ち上がったから、ロランは慌てていた。
「い、イルヴァ。もう少し落ち着いて話をしろよ。大人気ないぞ!」
それから、さっさと部屋を出て行くイルヴァを気にして立ち上がったものの、ロランはすぐに振り返るとイルヴァの代わりに頭を下げていた。
「す、すみません。失礼ばっかりで、大人気ない対応をしてしまって……」
するとシャルロッタはクスッと笑っていた。
「いいえ、構いません。私は気にしていませんよ。“あの子”は十分に大人びた対応を取ろうとしています。あの様子だと、まだ作法も学んだ事のないエルフの子供の筈なのに……むしろ立派だと私は思います」
「……え?」
ロランはポカンとしていた。
そんなロランの様子を見て、シャルロッタは不思議そうに首を傾げていた。
「……あの。どうされました? 私、何か変な事を言いましたか?」
「い……今、イルヴァが子供……って」
やっとの思いで恐る恐る口を開いたロランに、シャルロッタはにっこり笑っていた。
「はい。ロランさんはあの子の保護者代わりをしてらっしゃるんですよね? 異種族なのに、優しい方ですね」
「…………」
ロランは絶句していた。
むしろフリーズしていた。ピクリとも動かなくなっていた。
そんなロランを見て、やっとシャルロッタは気付いていた。
「あれ……もしかして私、言ってはいけないことを言ってしまいました……?」
キョトンとした後、立ち上がってロランの目の前まで来ると、手をぱたぱたと振る。
しかしロランは身動き一つ取らなかった。
「あのー……ロランさん?」
シャルロッタが声を掛けても、ロランは動かなかった。
「……大丈夫か?」
ぼそ。と、ロバートソンが呟いた頃になって。
「ああぁぁぁ――っ!!」とロランは頭を抱えながら絶叫していた。
ビクッとしたシャルロッタに、思わずロランは詰め寄っていた。
「な、なななな! 今なんて?! なんて言ったんですかッ! 嘘ですよね?!」
ガッ! と肩を掴まれて、シャルロッタは怯えながらもしどろもどろに答えていた。
「あぁ……は、はい? あ、き、気のせい……でした? わ、私の思い過ごしかも……?」
次の瞬間、ロランは膝から崩れ落ちていた。
要するに、シャルロッタは。超が付くほどに嘘が下手だった。
「なんてことだなんてことだなんてことだ……」
ブツブツと呟くロランを見て、シャルロッタはキョトンとした後、助けを求めるような視線をロバートソンと兵長に向けていた。
二人は同じタイミングで、首を横に振っていた。