3.か弱き者・上
「で……なんでこんな所にいるんだ」
部屋を出て早々に、ロランはボソッと呟いていた。
それもその筈。先に行ったとばかり思い込んでいたイルヴァが、宿の一階と二階を繋ぐ階段の一角に座っている。
そしてイルヴァはロランに顔を向けないまま、恥ずかしそうに頬を染めてぼそりと。
「切れた」
「え?」
「魔力が切れた。動けない」
最低限の言葉で、現状を伝えてきた。
「は?」
ロランは聞き返していた。
「というか……行かないのか? 急いでるんだろ?」
いまいち現状を把握していないロランが頓珍漢な事を聞いてきたため、イルヴァは苛々としていた。
「だから。もう急いでも無駄なのよ。マナが切れて動けないって言ってるでしょ? 私とした事が、凡ミスよ。情けない。もう少しぐらい持つと思っていたんだけど……やっぱり、大会があった翌日にすぐ決闘なんて真似をしたのが響いたのかしら……」
ブツクサ言いながら、はあぁー……と彼女は深い溜息をついている。
なにやらわからないが、彼女は不機嫌らしいとそれだけはロランでも理解できた。
そんなロランに、やがてイルヴァは首を横に振った後、観念したかのように言った。
「悪いんだけど、運んでくれる? ひとまずあなたの部屋で良いわ。とにかく、この鎧をなんとかしなくちゃ」
「はぁ、べつに良いけど」
ロランはわけがわからないながらも、素直にイルヴァを元の部屋へ運んでいた。
そこでロランに背負っていた大盾とハルバードを取り外してもらった後、自分でガントレット《金属篭手》やアームガード《腕当て》を外しながらイルヴァは説明した。
「私のは筋力で持ち上げているわけじゃなく、魔法の力で鎧や武器の重力を感じないようにしているの。だから、魔力が切れたらその時点で動けなくなっちゃうのよ」
イルヴァは露になったばかりのほっそりとした左腕を伸ばすとロランに見せていた。
「これがその、魔力発動の源になっている精霊刻印よ」
そこには甲から肩の方に掛けてびっしりと不思議な紋様のようなものが緻密に刻み込まれていたから、ロランはついまじまじとイルヴァの腕を見ていた。
(すごいな。細かくてまるで芸術みたいだ)
そんな風に思ったからだったが、イルヴァの方はそんな無遠慮なロランの目線を心地悪く感じた様子で、間もなく腕を引っ込めた。
「あの、あんまりそうやってじっくり見ないでほしいんだけど……」
居心地悪そうに視線を漂わせるイルヴァに、「ご、ごめん」と慌ててロランは目を背けた。
目を背けている間にイルヴァは鎧を全て脱ぎ終えたようで、立ち上がった。
「……はあ。やっと体が軽くなったわね」
そう言うイルヴァは汗ばんでいて、息も軽く上がっている。
どうやら今の鎧を脱ぐ工程だけで体力を相当消耗した様子だった。
(そこまで重さの感じ方が変わるものなのか)と思って、ロランは内心驚いていた。
(しかし、それにしても……)
腕をぐるぐると回すイルヴァの背中は、実にほっそりとしたものだった。
草色でスリットの入った民族衣装のワンピースを身につけたその体は、重たい鎧を着ていた事が嘘のように華奢だった。
それに、折れそうな腰とは対照的に、小振りながらも女性らしい膨らみを帯びた胸やお尻を持っていたから、ロランはつい赤くなっていた。
(ちっともゴリラ体形じゃないじゃないか……!)
そんな風に思って呆気に取られているロランを、イルヴァは睨んでいた。
「なんか今、失礼なこと考えてない?」
「…………!!」
ぶんぶん、とロランは慌てて首を横に振っていた。
「それなら良いんだけど」と溜息を付いた後、イルヴァは今しがた自分が脱ぎ散らかしたばかりの鋼鉄を、草編みのサンダルで覆われた足のつま先でこついていた。
「これ、どうしようかしらね。マナが切れちゃったから、回復するまでは運べなくなってしまったし……」
はぁ……と溜息を付くイルヴァは、けっこう深刻そうな様子だ。
「うーん、そうだなあ」
ロランは窓の方に目を向けていた。
仕度している間に随分と雨足が強まってきているのが気になったが、まあ、こうするしかないか。と結論付ける。
「俺が運ぶよ」
そう言ってロランはしゃがみ込むと、ガチャ、ガチャ、と鋼鉄の武装を一まとめにし始めたから、イルヴァは驚いていた。
「良いの?」
「うん。困るだろ?」
ロランは当たり前のように答えながら、ひっくり返した大盾の上に全ての鎧のパーツを乗せ終えると、腰にベルトで取り付けてある荷物入れのカバンから、縄を取り出して縛っていた。
各地を旅して回っているロランのような人間にとって、こういう汎用性の高い縄というのは何かしら使い勝手が良いので持ち歩くようにしているのだ。尚、防水マントとナイフと合わせて旅人の所持アイテムトップ三にランクインする。
「よし、じゃあ行こうか」
ロランは縄の端を手に巻きつけてイルヴァの武装を担ぐと、笑顔でそう言っていた。
「あ、あのねえ……」
イルヴァは困惑したような、動揺したような表情を浮かべていた。
「普通そこは怒る所じゃないの? なんであなた、奴隷の荷物運びなんてやろうとしているの?」
「奴隷?」とロランは聞き返しながら、鞄からマントを取り出すとイルヴァに差し出したが、イルヴァはそれを受け取ろうとしなかった。それどころか、不機嫌そうな表情を浮かべてマントを手で払っていた。
「何やってるの! いらないわよ、そんなもの! 大体、私はあなたに負けたのよ? あなたは私の権利を手に入れたのよ! だからあなたはご主人様で、私は奴隷でしょ?」
腹を立てた様子でイルヴァはそう言うが、ロランには彼女が不機嫌になっている理由がわからなかった。
「何言ってるんだよ。言っておくが、俺はキミに勝ったとは思っていないぞ。それに、まだキミを奴隷にするとも言ってない」
そう言いながら、再度ロランはマントを差し出してきた。
「外は雨なんだ。着た方が良い」
改めてそう言うロランに、「分からず屋!」とイルヴァは益々怒っていた。
「あなたがどう言おうと、これはもう決まった事なのよ?! 何しろコロッセオの舞台の上で、審査人と多くの観衆の目の前で定まった結果だもの。これを覆すことなんて、誰にもできやしないわよ!」
「そう言われてもだな」
強情な彼女を見て、ロランは困り果てていた。
「自分がされて嫌な事は人にしちゃいけないんだ。俺はそう言われて育ったんだ。だからキミを奴隷扱いなんてする気は無いよ」
なによそれ。と、イルヴァは口の中で呟いていた。
何を腑抜けた事を言っているのよ。剣闘士のくせに。大体そんなので周りが納得すると思ってるの? まるで私の方が反抗的な分からず屋みたいに見られるじゃない。
ブツブツとそんな事を呟いた後、イルヴァの怒りは爆発していた。
「あーもう! 良いから、とにかくいらないの! あなたが着なさいよ! 雨なんだから!」
「いや、女の子を差し置いてってのは……」
「じゃあ、片付けて!」
イルヴァに怒られるような形になりながら、ロランは渋々とマントを鞄の中に戻していた。そうしながら呟いていた。
「アイアン・ティターニア……強情なんだな。風邪を引いても知らないぞ?」
イルヴァはムスッとしていた。
「奴隷の心配をする前に、自分の頭を心配したら? 腑抜け者のロラン・ノールド!」
「……ひどい言い草だな」
思わず苦笑いを浮かべるロランの態度に、イルヴァは余計に苛々とするしかなかった。
(大体なんなのよコイツは! 本当に剣闘士なの? なんで私はこんなヤツに負けたの?!)
自室に着いてからもそんな風に感じて苛立ちが収まらなかった。
イルヴァの借りている部屋は、ロランの借りていた場所よりもかなりランクの高い場所だった。
広さがロランが借りていた部屋の倍以上もあり、床に絨毯が敷かれ、四人掛けのちょっとしたダイニングテーブルと小さなキッチンまである。その上、個人浴場完備という豪華仕様だ。
ベッドが一つしかないところを見ると、一人用の部屋なのだろう。しかしそれだってロランが借りていた安宿のせんべい布団と違って、フカフカそうで、しかも広い。三人ぐらいはゴロゴロ端から端まで転がれそうなぐらい広い。
そんな部屋のドアがパタンと開いたかと思うと、両腕にタオルを抱えたロランが入ってきた。
「待たせたな。タオルを借りてきたから、体を拭くと良いよ」
そう言いながらタオルを投げて渡してきたロランに、イルヴァは溜息で返していた。
「何を勝手な事をしているの。言ってくれれば、私が借りに行ったのに」
「べつに良いよ。ついでだったしな」
「私が良くないわよ。あなたに小間使いのような事をさせるわけにはいかないのに」
ブツブツ言いながらも、イルヴァは自分の体を拭いていた。確かに、雨で髪や衣服がべた付いて気持ち悪かったからだ。
そして拭き終わると、ロランの方へ手を差し出していた。
「今度は私が返してくるから、あなたは余計な事なんてしないで部屋で待ってて。良い? 私のために何かしようなんて考えないこと。わかったわね!」
イルヴァはロランを睨んだ後、ロランの手からタオルを取るなり部屋を出て行った。
ロランは苦笑いを浮かべながらそれを見送るしかなかった。
大体、イルヴァは大げさだ。とロランは思っていた。
本当はイルヴァの方が強くてロランの方が弱いのだから、彼女こそ偉そうに振舞っている方が正しいのに。
(それに、優しくされて嫌がる人間なんて居ないハズだしな)
ロランはそんな事を思って、うんうんと頷いていた。
イルヴァが帰ってきた時、まだロランは腰の鞄や胴当て《ブリガンダイン》とロングソードを着けたままだったから指摘していた。
「武装を脱がないの? 窮屈でしょう? 心配しなくても、油断した隙を突いて攻撃したりなんてしないわよ」
「そんな心配をしているわけじゃない」とロランは苦笑した。
「一段落着いたから、俺は部屋を取り直そうと思ってな。キミがそこまで言うなら主従を受け入れる事は容認するにしても、さすがに男女が同じ部屋だとマズイだろ?」
(馬鹿?)とイルヴァは我が耳を疑っていた。
「何がマズイと言うの。あなたは奴隷が逃げ出さないように、ちゃんと見張っておかなければならないでしょう?」
「何言ってるんだよ。キミが逃げるわけ無いだろ?」
そう言ってあっけらかんと笑うロランに、イルヴァはあ然としていた。
「……呆れた。なんで私のことをそんなに信頼しているのよ」
「なんでって……キミが立派な剣闘士だと思っているからだよ」
ロランはこんこんと話していた。
「舞台で戦うキミを初めて見たとき、俺は驚愕したんだ。こんなに人を惹き付ける戦いをする剣闘士が居るのかと思って。キミはまるで竜のように強くて、獅子のように凛々しかった。誰よりも輝いていて、戦女神の化身じゃないかって思ったぐらいだ」
そう語るロランの目の輝きといったらなかった。
「……はぁ」とイルヴァは呆れた溜息を吐き出すしかなかった。
「つまりそれって、私のファンだと言いたいの?」
「そうだよ」とロランは大きく頷いていた。
「まあ、急に襲い掛かられた時は驚いたけどな」
ロランは苦笑を浮かべつつ、髪を掻いていた。
「そういうことだから、キミは俺にへりくだる必要なんてどこにも無いんだ」
ロランからすれば、安心すると良いよ。と言いたかっただけの事だ。
しかしイルヴァにとってそれは、慣例を破る危機に晒されているわけで。
(このままじゃマズイ)と思わせるに十分だった。
「じゃ、部屋を取ってくる」と言って今度こそ入れ違いに部屋を出ようとしたロランを見送りながら、イルヴァは腕組みをして考え込んでいた。
(このままあの人に主導権を握らせていたら、いつまで経っても何もさせてくれそうにないし……。もっとちゃんと“ご主人様”としての自覚を持ってくれるように、私の方からアクションを起こすべきなのかしら……)
そこまで考えた後、イルヴァは耳の先まで赤くなっていた。
「って、私に何をやれと言うの! どうすれば良いかサッパリわからないのだけど?!」
あーもう! と、頭を抱えているところでロランが部屋に戻ってきた。
「……金が足りない」
ロランは落ち込みながら呟いていた。
「でしょうね」
サラッとイルヴァは返していた。
予定調和だったからさっきはあっさりと見送ったのだ。
そんなイルヴァを、ロランは悲しげな目で見ていた。
「なんでこんな高い宿に泊まってるんだよキミは……」
「だってハイクラスの剣闘士だもの。優勝以外したことないもの。賞金で家が建つわよ。……あ、今日からミドルクラスだけど」
「自慢か? それはルーキークラスの貧乏人である俺へ向けた自慢なのか?」
「悔しいならハイクラスまで上がってきなさいよ。腑抜け者」
「またそれを言うか」
ロランは溜息をついていた。
本当に彼女には奴隷に徹する謙虚な気持ちなんてあるんだろうかと思ったせいだ。
そんなロランに、イルヴァはにこりと笑顔を見せると部屋の床を指差していた。
「わかったら観念して、私と一緒に過ごすの。わかった?」
「む……わかったよ。そこまで言うなら」
ロランはやっと折れていた。
とは言え、ロランは武器防具を脱いだものの、やる事が無くて退屈していた。
「雨だな……」
椅子に腰掛けてぼんやりと窓を見ながら、ロランはそう呟いた。
「雨ね」とイルヴァはベッドの上に寝転がって読書しながら返していた。
「今日はこれ以上は、外へ出掛けられそうもない」
ロランのぼやきに、イルヴァは頷いた。
「何か暇潰しがしたいなら付き合うけど? 何をしても良いわよ。……ほら、えっと、私は奴隷なわけだし」
イルヴァは起き上がると、頬を染めながらもロランの方を向いていた。
「そうだな」とロランは頷いた後、部屋をキョロキョロと見回した。
そして部屋の片隅に置かれていたインテリアを見つけて、笑顔になっていた。
「じゃあ、アレをしよう」
ロランが指差した先にあったのは、チェスボードだった。
「……あの、ロラン・ノールド?正気?」
思わずイルヴァはぼやいていた。
「え?」と振り返ったロランは既に手を伸ばしてチェスボードに触れていた。
ロランはチェスボードを取ると、テーブルの真ん中に置いてから椅子に腰掛けていた。
「正気だが?」
「うーん……」
イルヴァは重たい頭を抱えていた。
「そりゃ私は色気が無い自覚くらいあるけど……。そうじゃなくて、もっと、剣闘士っぽい事をしたら良いのにというか……。なんで知的な遊びしようとしてるのよ?」
「知的か?これ」
キョトンとしながらロランはチェスを指差していた。
「意外と面白いんだよ」
笑顔で言うロランを見て、(まあ、彼が言うなら仕方ないわね)と思いなおしたイルヴァは、渋々と立ち上がると、テーブルの方へ行ってロランの隣にあった椅子を選んで腰掛けていた。
「私、ルール知らない」
ぶっきら棒に言ったイルヴァに、「なら教えてあげるよ」とロランは応じた。
(……何か間違ってる)とイルヴァは思った。けっこう真剣に。
しかしロランに付き合って何度か遊ぶうちに、イルヴァはムキになってしまっていた。
何しろ何度やっても勝てないのだ。剣闘士の試合なら簡単に勝てるのに、チェスときたら思い通りに行かない。
負けず嫌いのイルヴァとしては、引っ込みが付かなくなるしかなかった。
「もう一回!」
そう言ったイルヴァに、「はいはい」とロランは笑って駒を並べなおす。
まるで子供の相手をしている気分だった。何しろイルヴァはボードゲームが下手すぎる。
「……もう一回!」
イルヴァがまた言った。
また負けたせいだ。
日が暮れる頃になって、イルヴァは我に返っていた。
「って、違ぁーう!」
机に突っ伏すイルヴァを見て、ロランはキョトンとしていた。
「そろそろいい加減、負ける要因に気付いたのか?」
「そうじゃなくて!」
ガバッとイルヴァは顔を上げると、ロランを睨み付けていた。
「なんで私たち、悠長に遊んでいるの? あなた馬鹿なの? 目の前に女が居るのよ? しかも何やっても良いのよ? 馬鹿なの? ホモなの?」
「……いや俺は至ってノーマルなんだが」
困惑しながら返事をするロランを見て、やっぱり腑抜けだ。とイルヴァは思った。
「あのね、ロラン・ノールド?」
イルヴァは口を開いたが、頬がみるみる赤くなる。
何度か深呼吸してから、改めて話していた。
「あ、あの。正直に言ってほしいのだけど。……私って、そんなに魅力が無い?」
じっとイルヴァから真剣な目が向けられて、ロランは赤面していた。
「み、魅力って……」
ロランはイルヴァを見る。
透き通ったサファイアみたいな碧い目が、じっとロランの方に向けられている。
イルヴァは見れば見るほど、本当にキレイな少女だった。
何しろ顔立ちは整いすぎているぐらい整っているし、肌は染み一つ無く白磁のように滑らかで白い。スタイルだって女性らしく均一が取れている。
ロランが何も言えないうちに、イルヴァは溜息を付くと椅子から立ち上がった。
「……やっぱりダメなのかしら? そうよね。わかってはいるのよ。腕にこんな刻印ばかり彫ってある女なんて。普通、倦厭されるって事ぐらい」
はぁ……。と溜息を付く背中はしょんぼりした様子で、随分と小さく見えた。
ロランは慌てて立ち上がっていた。
「そ、そんな事は無いよ。キミは、その、キレイだと思うし」
「良いわよ、気を遣わなくても」とイルヴァは首を横に振っていた。
「自覚は持っていたから。そもそも、今までほとんど言い寄られたことが無いから、気付いてはいたわよ。ヒューマン族は基本的にエルフ族なんて好みじゃないって」
(それはキミが世間にとって恐怖のアイアン・ティターニアだからだと思うんだが……)
ロランは心の中でそんな風に思っていた。
絶対に世の中の大半の人間は、鎧を軽々と身につけて歩く少女なんて街中で見たらゴリラの体を持っていると思うだろう。間違いなく。
ついでに言うと、エルフ族自体、ヒューマン族から見ると非の打ち所が無いほどキレイなため、気軽に声を掛けられないというのもあるだろう。
「私、どうすれば良いのかな……。このままじゃ、あなたに何もしてあげられそうにないわね」
憂鬱そうにはぁ……と溜息を付くイルヴァの姿に、ロランは戸惑いを覚えていた。
「なんでキミはそこまで頑なに馬鹿らしい慣例を守ろうとするんだ? 少しはズルをしたり誤魔化そうって気持ちにならないのか? 少なくともここには誰の目も無いから、幾らでも取り繕えるだろ?」
「そんな事ができるわけないでしょ!」
イルヴァは振り返ると、ロランを睨んでいた。
また馬鹿な事を言い出したと思ったからだ。
「私は剣闘士なのよ! 剣闘士なら高潔であるべきよ! 剣闘士なら剣闘士を裏切ってはいけないのよ! それが“誓い”なのよ! 誓いがあるからこそ、武器を取ることができる! あなたにはそれがわからないの?! だから腑抜け者なのよ!」
イルヴァの言葉に、ロランはガツンと頭を打たれた気持ちだった。
(……だから彼女はあれほど真っ直ぐな戦い方ができるのか)
そんな風に思ったからだ。
同時に、こんな風にも思った。
(だから俺はこんなに弱いんだろうな……)
ロランは溜息を付いていた。俺ってやつは、まだまだだな。と思ったからだ。
ロランのことをイルヴァはじっと睨み付けていた。
次に腑抜けた事をまた抜かしたら、今度はぶん殴ってやろうとすら思っていた。
やがてロランは口を開くと、こう言っていた。
「……わかった」
ロランはイルヴァの目を真っ直ぐ見返していた。
「キミの言う通りだ。俺は慣例に従うことにする。それが例えキミを傷付ける事だったとしても、それがキミにとっての本望なんだよな?」
ロランはハッキリとそう言ったから、イルヴァは頷いていた。
「うん、その通りよ。わかればそれで良いのよ。わかれば……良い……?」
イルヴァは途中でピタリと動きを止めていた。
(……あれ? それって、本当に本気ってこと?)
みるみる耳の先まで赤くなって行くイルヴァは、どうやら勢いでロランに今まであーだこーだ言っていただけで、深く考えていたわけではなかったらしい。
彼女の表情からそれを察したロランは、爽やかな笑顔でこう言っていた。
「キミは間抜けなんだな」
「腑抜けにそんなこと言われたくない!」
イルヴァは涙目になって言い返していた。