26.復讐者・上
人々のどよめきは、町と西側の出口とを繋ぐ広場まで続いていた。
広場の手前には一際大勢の野次馬が集まっていて、その中心部で背中から血を流しながら倒れていたのは、青地に白い刺繍が入ったローブを身に付けており、フード付きのケープを頭からすっぽり被っている魔導士だった。
「あれは……魔導士村の……?」
「一体、何があったんだ……?」
遠巻きにどよめいている人々を押しのけて、イルヴァは魔導士の元へ駆け寄ると、しゃがんで視線を低くしていた。
魔導士はイルヴァを見つけると、最後の力を振り絞って顔を上げた。
グリーンの瞳がイルヴァを映す。
「黒い……魔剣……が……」
そのまま魔導士は倒れてしまったから、イルヴァはがばっと立ち上がっていた。
「ちょっと、そこのお前! 魔導士村ってどこ?!」
先ほど魔導士村という単語を出した野次馬の一人を指差したイルヴァに、その人はしどろもどろ答えていた。
「へっ? そ、そりゃあ、国立研究機関の事だよ。正式名称は、ブレイディア国立精霊研究魔導士養成所って言うんだが、長いから皆は魔導士村って呼んでる。そこの門を出て道なりに、二十リィン程先の森の中にあるよ」
「道なりね!」
イルヴァはすぐに走って行こうとしたから、やっと追い付いたロランは慌てて手を掴んでいた。
「待てよイルヴァ!」
「なによ!」と言って振り返ったイルヴァの目は、厳しい眼差しをしていた。
ロランは一瞬たじろいだものの、なんとか言っていた。
「落ち着けって。冷静になった方が良い」
するとイルヴァは、パッとロランの手を振り払っていた。
「放っておいてよ! 私に指図しようとするなんて、何様のつもり? 今の私はもう敗者ではないし、あなたは勝者ではないのよ!」
あっ気に取られるロランから背を向けると、イルヴァはすぐに走り去って行ってしまった。
「あ……」
一瞬、たじろいだものの、すぐにロランは我に返ると後を追っていた。
(放っておけるわけがないだろ……イルヴァ……!)
ロランは苦々しく思いながら、駆けていた。
黄葉の森の中に、幾つもの家らしき石造りの建物と、小さな砦といった風貌の建物が立ち並ぶ、小さな集落がある。
そここそが魔導士村と呼ばれる場所で、不気味なほど静まり返った中に、ゴロゴロと幾人もの死体が転がっている。
どれも杖を握り締めて戦った跡があり、どこかしらを両断されて絶命した様子だ。
生臭い血の匂いがまだ立ち込めるこの地に踏み入れた時、イルヴァは恐れを感じていた。
(ここは……――)
見覚えがある。記憶からしきりに這い上がろうとするその感情に、眉を潜める。
魔力の残滓が感じられない、残りカスすら無い、黒い切り傷を残した死体たち。
崩れた木箱や散乱した小麦袋、魔法の炎や雷が土の上を走った痕跡。黒い焼け跡を残した建築物が、これまでここに生活があった事と乱闘があった事を物語っている。
(……間に合わなかった)
虐殺の跡に、無力感を覚えながらもイルヴァはゆっくりと歩みを進めていた。
まだ生存者が居るかもしれないし、ジュードが残っているかもしれないと、一抹の期待に託すことにしたのだ。
そうしてしばらく歩いて行った先にあったのは、小さな雑貨屋らしき建物だった。
ここで魔導士たちは日々の必需品を買い揃えていたのか、軒先に果物や野菜が積み上がった木箱が立ち並んでおり、その木箱の前に立っている者が居た。
日焼けした筋肉質な手が無造作に一つのリンゴを掴み、口元に運ぶ。
イルヴァに背を向ける形で、リンゴを租借するその男は……――蒼い髪をしていた。
「……ジュード……!」
憎悪の含まれた搾り出すようなその声に、男はゆっくり振り返る。
ロランを十ほど年を取らせたような風貌をした男が、じっとイルヴァに錆色の目を向ける。
黄味掛かった色をした軽鉄で出来た胸当てを身につける、軽装のその男は、イルヴァを目に留めるなり口元を歪めるとニヤリと笑った。
「ほう……エルフの娘が、俺の名を知っているのか?」
「ッ……――ジュードっ!!」
確信すると共にイルヴァの目が見開かれる。
背負った大盾とハルバードを構えると、真っ直ぐに飛び出していた。
男はリンゴを片手に持ったまま、腰に吊り下げていた剣をシャラリと抜き取った。
すると、ぼうっと赤黒い光を放つ漆黒の剣身が露になる。
その剣で、ガツン!! とハルバードを受け止めながら、ニヤニヤと言った。
「どこかで見たと思ったら……十年前に俺が襲撃した里に居たエルフのガキと似ているな。姉でもいたのか?」
「……姉じゃない」
「は?」
「私がその、エルフのガキよッ!! クソ野郎ッ!!」
イルヴァはもう一度ハルバードを振るっていたが、またガチンとジュードはそれを受け止めていた。幾ら頭に血が上っていると言えど、(……おかしい)と気付くのに時間は要らなかった。
(私の加重無効を受け止めるなんて……これが、魔剣の力……?!)
「お前の名声ならこの俺でも知っている。アイアン・ティターニア。あの時のガキがお前なら、それはおかしいんじゃないか? エルフの十年はヒューマンの四ヶ月に匹敵すると聞くが?」
「うるさいッ!!」
イルヴァは更にハルバードを振るったが、ジュードはそれをスレスレでかわすと、ぐいと体を近付けてきた。
「っ……!」
イルヴァは身を引きながら大盾を打ち付けていた。
ガンッ! と、再びジュードは荒々しく黒い剣でそれを受け止める。そして、パッとリンゴを上へ投げたかと思うと。
「はっ!」
両手で構えるなり、斜めに切り下ろしていた。
ガリガリッと大盾の上を切っ先が走って行く。
(ジュードの剣撃が重い……?!)
イルヴァはバックステップで距離を取っていた。
ジュードは再び落ちてきたリンゴを手に取ると、ニヤッと笑った。
「まあ、俺には何だって良い……要するに、俺の目は正しかったということだ。俺好みの見目麗しい女に育ったじゃないか。なあ? エルフ」
「ッッ……!!」
イルヴァはカッと頭に血が上っていた。
「死ねええぇっ!!」
イルヴァは大降りにハルバードを振るうと、再び飛び出していた。
ジュードはもう一度リンゴを投げた後、おもむろに漆黒の剣を横薙ぎに振るった。
すると、ゴウッ! と黒い炎が目の前に燃え盛ったが、イルヴァは大盾で防ぎながら更に突っ込んでいた。
「はあぁッ!!」
気合と共に、ブンッ!! と一閃、炎の向こう目掛けてハルバードを突き出していた。
しかし、手ごたえを感じるどころか、ぐいっと横へ逸らされる感覚を覚えたのだ。
炎が掻き消えた時、ジュードがニヤニヤと笑いながら剣を使ってハルバードを押し退けている姿が見えた。
「なっ……!」
(通用しない……!!)
絶句するイルヴァの方へ、一気にジュードが距離を詰めてきた。
「くっ……!」
慌てて大盾を構えなおそうとするが、動揺してしまったせいで反応が遅れてしまった。
もちろんその隙をジュードが見逃す筈もなく、大盾の脇をくぐり、ハルバードの横をすり抜けて接近してくると、剣を両手に構えなおすが否や、ヒュッ! と、振るってきた。
その切っ先がイルヴァの胸元を捕らえ、鎧を抉るように食い込んで行く。
「がっ……あぁ……!」
ズルズルと体中の魔力が引きずり出されるような感覚を覚え、イルヴァは思わず膝をついていた。
そのまま、どさりとうつ伏せに倒れ込んだイルヴァを、ジュードは嘲笑うような笑みを浮かべながら見下ろしていた。
「フッフフ……お前の攻撃はな、軽いんだよ。軽すぎてあくびが出ちまう。無鉄砲な女め」
すとん。と後ろでリンゴの転がり落ちた音を聞きながら、ジュードは足をゆっくりと持ち上げると、グッとイルヴァの頭を踏み付けていた。
「あグッ……!」
表情を歪めながらも身動きが取れないイルヴァを、ジュードはニヤニヤと見ている。
「良い眺めだな。その調子で、もっと憎め。もっと恨め。そしてもっと悔しがれよ。俺はそういう女の顔が一番好きなんだ」
「下種野郎……!!」
イルヴァのその声を聞いて、ジュードの表情がスッと冷ややかなものへと変わった。
「口の減らない女だな……俺は従順な女以外は嫌いなんだが?」
言いながら、ジュードは足を引くが否や、どすっ! と再び頭を踏み付ける。
「あうぅっ!」とイルヴァは悲鳴交じりの呻き声を上げていた。
「ほら、黙れよ雌。黙って俺様に踏まれておけよ。な?」
グリグリと頭を踏みにじるジュードを、イルヴァは睨んでいた。
「お前に服従する言われなんか無いわよ……何度でも言ってやる! お前のような下種で下劣なクソ野郎は、地獄でのた打ち回っているのが相応しいわ!!」
「…………」
ジュードは無言になると、剣を振り上げていた。
「どうやらお前は、よほどの死にたがりらしいな?」
そしてジュードはヒュっと剣を振り下ろしていた。
その時だった。
「イルヴァっ!!」
ロランが飛び込んできて、ジュードの胴体を掴んだかと思うと、突き飛ばす形でそのままゴロゴロと転がって行った。
「ロランっ……?!」
ギョッとして、イルヴァは顔だけ上げてロランのことを見ていた。
ロランはジュードを地面の上に押し倒すと、腰の剣に手を伸ばしていた。
「貴様ぁ……俺の愉しみを邪魔したな!!」
ジュードはロランを蹴り飛ばすと、立ち上がって黒い剣を両手で構える。
ロランもまた立ち上がると、腰の剣を引き抜くなり構えてジュードに対峙していた。
「……なに……?!」
ジュードはロランのその姿を目にした瞬間、険しい表情を浮かべていた。
「貴様……まさか……」
ジュードの顔を、ロランもまた動揺を覚えながら真っ直ぐ見据えていた。
(……似ている)
ロランは目の前の男の顔立ちを見て、ゾッとしていた。
(年齢こそは違うけど、俺にこんなにソックリなやつが居るなんて。なんでこんなに似ているんだ……?)
「……反吐が出る」
ぼそ、とロランは呟くと、腰を落としていた。
「反吐が出るんだよッ、この野郎!!」
ロランは一気に切り掛かっていた。
「ふん……それはこちらのセリフだ!」
ガキッ! とジュードはロランの剣を、その黒い剣で受け止めていた。
そしてギリギリと押しながら、間近からロランの顔を見て苦々しい表情を浮かべていた。
「こんな場所に、貴様のようなヤツが居るとはな……。噂は知ってはいたが、正直言って顔も見たくなかったな」
「は……? な、なんの話だよ?」
戸惑うロランの剣を押すと、ジュードはバックステップで距離を取っていた。
そしてすぐに、スチャッと剣を腰の鞘に収めていた。
「興醒めだ。チッ……クソ親父め」
ジュードは舌打ちした後、森の木々に隠れるようにして姿を消してしまった。
「ま……待てっ!」
ロランは追いかけようか迷ったが、今は身動きが取れないイルヴァをなんとかするべきだと判断して、剣を収めていた。
「大丈夫か? イルヴァ」
すぐに歩み寄ってくるなり、しゃがんできたロランを見て、イルヴァは苦々しい表情を浮かべていた。
「ロラン……どうしてついて来たの……」
「え……?そ、そりゃあ……」
「あなたには関係の無い事なのに!!」
怒鳴りつけられ、ロランはビックリして口を閉ざしていた。
そんなロランを、イルヴァは泣きそうな目をして睨みつけてくる。
ただ腹立たしいだけなら良かった。けれどイルヴァは、苦しそうな、悲しそうな、そんな表情をしていたから、ロランは放っておけなかった。
「……関係あるよ」
ロランは小声でそう言った後、イルヴァを引き起こしていた。
「俺はキミを守ろうって誓ったんだ。だから」
そう言ってロランは、イルヴァの頬に付いている土を払っていた。
「……馬鹿っ……ロラン……! そんなもの、契約解消と一緒に破棄すれば良かったでしょ……?!」
イルヴァはロランを睨み付けながらも、ぽろぽろと涙を溢れさせていたから、ロランはつい笑っていた。
「できないよ。だって、契約があっても無くてもキミはキミだろ? 俺は慣例だから守りたいって思ったわけじゃないよ。キミだから守りたいって思ったんだ」
「っ……――」
イルヴァは言葉を失くした後、俯いて泣きじゃくるしかなくなっていた。
そんなイルヴァをロランは抱き締めていた。
そして彼女の存在を鎧越しに感じた時、ロランはホッと胸を撫で下ろしていた。
「……良かった、無事で。キミが死ぬかもしれないと思って、ゾッとした。本当に……生きていてくれて良かった……」
ぎゅっと固く抱き締めてくるロランの胸の中で、イルヴァはただ泣いているしかできなくなっていた。
とっくに主でもないくせに。と言いたくて用意しかけた拳を、ゆっくり降ろしていた。
「本当に……馬鹿よ。ロランは……」
(どうして、もっと早く出会えなかったんだろう……)
そう思って、目を閉じていた。
遅れて駆けつけてきた衛兵と入れ替わるように、ロランたちは町へ戻っていた。
魔力切れを起こしてしまったイルヴァに変わって、ロランが武器防具を持つ必要があったため、結局、二人は一緒に行動することになった。
「……契約は終わったハズなのに」
ロランの隣を歩きながらも不服なのか、ボソッとイルヴァが言った。
ロランは苦笑いしていた。
「そうだけど、契約が無いからって一緒に居ちゃダメな理由は無いだろ?」
「それはそうだけど」
イルヴァは尚も不満そうだった。
「よし、着いたぞ」
ロランが足を止めたのは、これまで宿泊していた宿の前だった。
「イルヴァ、ここで良いか?」
ロランの質問に、「べつにどこでも良い」とイルヴァは答えた。
なら良いよな。と思って、ロランはドアを開けると宿のロビーに足を踏み入れた。
イルヴァが一人用の部屋を借り、ロランはそこに武器防具を運び込んでいた。
せっかくだし、鎧掛けにカチャカチャとフルプレートアーマー《全身鎧》を丁寧に掛けて行く。このまま床に置くだけにすると、魔力が戻るまで乱雑した部屋になりかねない。それはさすがに可哀想だと考えたのだ。
「よし、できた」
達成感と共にロランはうんうん頷いていた。
全身鎧は部品が多いため、こうして掛けるのも一苦労だ。通りでイルヴァは、鎧を身につける時は、いつも仕度に時間が掛かっていたはずだ。
「じゃあ俺、そろそろ行くな」
そう言ってロランがドアノブに手を掛けると、イルヴァが「待って」と言って引き止めてきた。
そこでロランが振り向くと、イルヴァはなにやら思い詰めた表情をして、ロランのことを見ていた。
「……少し、話をしない?」
イルヴァが切り出したのはそれで、ロランは戸惑っていた。
「で、でも」
「……いけないかしら?」
伺うような目をじっと向けられ、ロランは動揺する。
「でも、契約は終わったんだろ?」
「そ、そうだけど」
イルヴァは俯いた後、「……でも」と、ごにょごにょ言った。
「一緒に居てはいけない理由にならない、ってあなた言ったわよね? それに……聞きたいことがあるの」
イルヴァは顔を上げると、再びじっとロランの目を見つめてくるようになる。
(……なんなんだ?)
ロランは困惑するしかなかった。
さっきは一緒に居るのを不満そうにしていたくせに、今度は引き止めるなんて。
(……女心はわからない……)
そう思いながらも、特に急ぎの用事があるわけでもないので頷いていた。
話といっても、一人用の狭い部屋で、狭い二人掛けのテーブルを挟んで改まって会話するというのも気恥ずかしかったため、結局チェスボードを出してきて、チェスをしながら話すことにした。
これまでやっていたように、隣り合わせに座って交代でチェスボードの上の駒を動かしながら、ぽつりぽつりとイルヴァが話し始めた。
「……ジュードは、あなたについて何か知っているみたいだったわね」
おもむろにイルヴァが言ったのはそれで、ロランは顔を上げてイルヴァの方を見ていた。
「そんな事、あるわけがないだろ?」
「でも。“噂は知っていた”って、あいつは言っていたわよね。それって、あなたに関することじゃないの?」
イルヴァもまたチェスボードから顔を上げると、真剣な目をしてじっとロランのことを見つめたので、ロランは動揺していた。
「……そんな馬鹿な。俺とあいつは、確かに似ていたけど……初対面だぞ?」
「……でも、ジュードのあの時見せた反応……赤の他人とは思えない。何か関係がありそうだったわ」
「そんな、馬鹿な」
ロランはイルヴァから目線を逸らすと、じっと自分の駒に触れた手を見ていた。
そして改めて、「そんな、馬鹿な」と呟いた。
「それに私……っ恐ろしいことに気付いたの」
イルヴァの声は震えていた。
何が言いたいか薄々感じ取って、聞きたくない。とロランは思った。
けれどそれが言い出せず、そのままイルヴァが話すのを聞いてしまった。
「あなたの構えと、ジュードの構えが……同じなの。同じように一本の剣を両手で持って、前に構えて……っ」
イルヴァの手が小さく震えていた。
ロランとジュードは、ただの他人の空似であって、赤の他人なのだと信じたかったのに。
……それが信じられなかったのだ。
「……クソ親父……か」
ぼそ、とロランは呟いていた。
ジュードが去り際に吐き捨てた言葉だ。
(俺に剣術を教えてくれたのは父さんだった)
ロランは自らの手をじっと見つめていた。
(ジュードに剣を教えたのも……――父さん……なのか……?)
「……嘘だろ」
呻いた後、頭を抱えたロランを見て、イルヴァはハッとなっていた。
ジュードと同じと知って、一番苦しむのはロランだろう事に気付いたのだ。
「ううん……気にしないで」
イルヴァは咄嗟に首を横に振っていた。
そして、怖いと少しでも感じた自分自身を叱咤していた。
イルヴァは震えを押し止めると、ロランのことを真っ直ぐ見つめていた。
「あなたがどこの誰であっても、ロランはロランだから。あなたの優しさや正義感は本物よ。だから私は、あなたのことを信じてる」
イルヴァはロランの目を見つめたまま、ハッキリとそう言っていた。
「……イルヴァ」
ロランは、あっ気に取られたものの、やがて言葉を飲み込むと嬉しくなって、大きく頷いていた。
「ありがとう」
笑顔になって言うと、イルヴァは頬を赤らめるようになり、たじたじと視線を逸らせていた。
「う……うん」
イルヴァの耳が小さく動いているのを見て、ロランは首を捻っていた。
その時だった。
コンコン。と、部屋をノックする音が聞こえた。
そしてドア越しに、男の声が聞こえてきた。
「居るか? 居るなら、応答してくれ」
ぶっきら棒な声を聞いて、イルヴァは眉を潜めていた。
「……誰?」
「私は、アンバーウッド所属の衛兵団、第一衛兵団員の第一等士、カイン・ルータスという者」
「……なに?」
イルヴァは今度は、ロランに目を向けていた。
余りに肩書きが長すぎてよくわからなかったのだ。
「要するに、衛兵ってことかな?」
ロランの回答に、「その通りである」とドア越しに男が答えた。
まあ、衛兵なら開けないわけにはいかないだろうと思って、イルヴァは椅子から立ち上がるとドアの方へ行くなり、ドアを開けていた。
そこには一人の衛兵が立っていて、イルヴァとロランの姿を確認するなり、背筋を伸ばしたまま言っていた。
「剣闘士のイルヴァと、ロラン・ノールドだな。アンバーウッド衛兵団、第一衛兵団兵長及び、アンバーウッド領主のロバートソン・ラインクロス・アンバーウッド様及び、ブレイディア国立精霊研究魔導士養成所、中位第一級魔導士のシャルロッタ・レーゼ・イェーラ・ソーサリー様がお呼びだ。ただちに、領主館までご同行願いたい」
今度は、イルヴァとロランは同時に互いを見合っていた。
「……なに?」
「……わからん」
「なんでこうヒューマン族って、偉い人は肩書きも名前も冗長なのよ……」
「俺に言われても知らないよ」
ぼそぼそと言葉を交わすロランとイルヴァの二人に、「して、ご回答を頂きたいのだが?」と衛兵が急かしてきた。
「回答ってったって、嫌だって言っても連れて行く気なんだろ?」
ロランの疑問に、衛兵は頷いた。
「その際は、多少なら日程の調整ぐらいはしてやっても良い」
「良いわよ、行くわ」
そう言ったのはイルヴァだった。
「忙しいわけではないし、……それに、魔導士村のことなんでしょ?」
イルヴァの質問に、衛兵は「その通りだ」と言って頷いていた。
イルヴァは頷くと、衛兵の元へ行ったから、ロランも立ち上がると歩み寄っていた。
「ご協力、感謝する」
衛兵はそれだけ言うと、きびすを返して先導して歩き始めた。




