24.分かたれる信念・中
さて一時間が過ぎた後、ロランは部屋に戻っていた。
ドアを目の前にして、ごくりと息を飲んだ。
(一体イルヴァは、俺に何をしてくれるつもりなんだろう……?)
まさかと思うけど、ケーキなんか用意してクラッカーでも鳴らすつもりなのだろうか。……そんな馬鹿な。子供じゃあるまいし。
(でも、準備が要るってどういうことなんだ? 準備……うーむ……)
ロランは意を決すると、ドアノブを掴んで回していた。
ガチャリ。と、ドアを開くと、恐る恐る部屋に踏み込む。
「……ただいま」
そんな風に言ったりなんかして、パタンとドアを閉めた後、振り返った。
――そして息を飲んでいた。
「お、お帰りなさい……ご主人様」
恥ずかしそうにぽそぽそと言うイルヴァは……何故かメイドさんの服を着て、首輪を付けて、ベッドの上にちょこんと座っていた。
「???!!!!」
思わず声無き声を上げて、驚愕のあまりにロランは仰け反っていた。
「な、何やってるんだよイルヴァ?!」
ロランはつい、動揺のあまりにそんなことを言い放っていた。
するとイルヴァは真っ赤になりながら、たじたじと視線を落とすようになる。
「こ、こうしたら、少しは自覚を持ってくれるかなと思って……。そ、そんなにヘンですか?」
耳をぺたんとして、しょんぼりした様子で伺うような目をじっと向けられ、(……なんだこの可愛いのは)と思ってロランは赤面していた。
「い、いや、ヘンというか……ヘンではないんだけど! で、でも、なんて言うか、キミがそんな事をするとは思ってなかったというか……!」
未だにロランは動揺が抜けなかった。
「……良かった」と、イルヴァはほっとした様子で胸を撫で下ろした後、はにかんだ笑顔をロランに向けていた。
「ヘンじゃないんですよね? なら、その、えっと」
イルヴァは再び俯くと、もじもじとしながら自らの首輪に触れていた。
「ご、ご主人様の好きに扱ってください……私のこと」
「ぶほ!」とロランは吹き出していた。
そのまま咳き込んだ後、「ほ、本気なのかよ?」とロランは聞いていた。
するとイルヴァはあろうことか、視線を漂わせた後、こく、と小さく頷いたではないか。
(こ……これが今回の“ご褒美”ということなのか)
まあ確かに、これならただ好きにしろと言うのと違って、イルヴァは色々なものを犠牲にしているだろう。相手が誰であろうと、土下座して頼み込んでも早々やってもらえないシチュエーションだろう。
「い……イルヴァ」
ごくんとロランは唾を飲み込んでいた。
(す……好きにって。ホントに好きにして良いってことだよな?)
ロランはまじまじとイルヴァの事を見つめると、イルヴァは赤面したまま俯くようになった。そうやって、じっとロランの視線に晒されることに甘んじているのだ。
ロランはドクドクと煩い心臓の鼓動を聞きながらも、ゆっくりとイルヴァに近付いていた。
彼女の肩に両手を掛けると、ビクッと小さく体が震える。
イルヴァも緊張しているのだ。
しかしその表情には最初の頃のような、恐怖や嫌悪といった感情を伺うことはできない。
(……だったら)
ロランは意を決すると、とうとうイルヴァをベッドの上に押し倒していた。
イルヴァのその絹のように細い金色の髪が、ベッドの上に広がった。
透き通った碧眼が伺うようにしてロランのことを上目遣いにじっと見つめながらも、やがてイルヴァは小さくはにかんだ。
「私がここまでやるんだから、きちんと、ご主人様らしく……してくださいね? そうじゃないと、再決闘を申し込んであげませんよ」
「……む」
ロランは呻っていた。
(とうとう念押しされてしまったか……)と思ったせいだ。
彼女はその意図も含めて、今回の“ご褒美”にこういう形を選んだのだろう。
よほど信用が無いのかもしれない。いや、確かに信用されるような事をした覚えは無いのだが。
(――だからってな)
「言われるまでもなく、俺だって健全な男なんだからな。そっちこそ、誘った以上はやっぱ無しとか言わないでくれよ?」
「わ……わかっていますよ」
イルヴァは若干ムッとした表情になっていた。
そんな彼女の唇をロランは塞いでいた。
「んんっ……――」
イルヴァは一瞬身を固くするが、すぐに力を抜くようになる。
ロランは彼女の唇を啄ばみながら、片手を降ろして行くとスカートから伸びている太股をなでていた。
「ひゃっ……?!」
若干動揺の声をこぼした後、イルヴァは慌ててそっぽを向くと口を噤むようになる。
ロランの視界の前にある尖った耳が真っ赤になっていた。
まるで生娘そのものの反応に、ロランは思わず笑みをこぼしていた。
「……キミは達観したような事を言うクセに、リアクションはうぶだよな」
「し、仕方ないでしょ?慣れてな――ひぁぅ?!」
イルヴァの言葉は途中で途切れていた。
ロランが耳に口付けしてきたせいだ。
「だっ、だめソコっ……ぁっ、やめっ……あぁっ……!」
思いの外過激なリアクションに、ロランはどぎまぎとしていた。
「……もしかして、耳が弱いのか?」
「よ、弱いって……? 急所はヒューマン族と変わら……ふあっ?!」
頓珍漢な事を言いかけて、イルヴァはまた途中で言葉を切っていた。
今度はロランが耳を舐めてきたせいだ。
「あっ、あぁっ……な、なんでこんな事するの……?!」
喘ぎながらも戸惑った様子でいるイルヴァの態度を、ロランは怪訝に思っていた。
「なんでもかんでも無いだろうが」
耳を甘噛みすると、「あぁっ」という気の抜けたような声と共にイルヴァの体がビクビクッと跳ねた。
「へ、ヘンよ……こんなのって。な、なんで……?ゾクゾクってする……」
はぁはぁと浅い息をしながら、イルヴァはまるで助けを求めるような目をロランに向けてくるようになる。
「な、なんだか、体が変になっちゃったみたい……」
ぎゅっとしがみ付かれて、ロランは動揺していた。
「……い、イルヴァ?」
(まさかと思うけど……)
ロランは聞いていた。
「キミって、俺が一体何をしているのか、わかっていないのか?」
「……え?」と、イルヴァは聞き返してきた。
「そ、それぐらいわかっているわよ。押し倒して、キスして、それから変なことして……。ロランって耳が好きなの?」
キョトンとした目を向けられて、ロランの疑心は確信に移り変わりつつあった。
「あ……あのさあ、イルヴァ。念のために聞かせてほしいんだが」
ロランは何度か深呼吸をしながら、尋ねていた。
「……蹂躙って、具体的になんの事かわかっているのか?」
まるで馬鹿にされたような気がして、「それぐらい、わかっているわよ!」とイルヴァはムッとしながら答えた。
「人権をふみにじることでしょ?」
「いやまあ、それはそうなんだけど」
(なんだその辞書じみた回答は)とロランは思いながら、別の言い方で聞いてみることにした。
「じゃあ、夜伽ってなんだと思ってる?」
「えっ……――?!」と、今度はイルヴァの顔が真っ赤に染まるようになった。
「そ、そんな恥ずかしいこと、私の口から言えるわけがないでしょ?!」
慌てて大きく首を横に振るイルヴァの姿に、少しだけロランはホッとしていた。
あ、一応意味はわかってるんだな。と思ったからだ。
「良かった。変だ変だって言うから、てっきり何も知らないのかと思ったよ」
ホッと胸を撫で下ろすロランを見て、イルヴァはムッとしていた。
「あなたね。幾らなんでも、それはありえないに決まっているでしょう? きちんと辞書で調べてあるわよ」
「……ん?」
怪訝な表情を浮かべたロランに、「え?」とイルヴァは疑問で返していた。
「いや、辞書って。……冗談だよな?」
苦笑いを浮かべるロランの表情が、何故その表情なのかイルヴァには理解できなかった。
「……どうして冗談を言わなければならないの?」
ぶ然とした表情をするイルヴァを見て、ロランは確信していた。
(……やっぱり具体的になんだと思っているのか、何が何でも吐かせるべきだ……!)と。
そこでロランは体を起こすと、改まって口を開いていた。
「あのさ、イルヴァ。どうしても答えてほしいんだが。辞書にはなんて載ってた?」
ロランは大真面目な顔をして質問してきたため、再びイルヴァは頬を染めるようになった。
「そ、それは……その」
言いよどむ間にもロランはじっと見つめてくるため、やがてとうとうイルヴァは白状していた。
「だ……男女が寝床を共にするって」
「それだけ?」
ロランの質問に、(やけに掘り起こそうとするわね)と思って、イルヴァはムッとしていた。
「そ、それだけだけど、それだけじゃない事ぐらいは知っているわよ。少しだけそういう描写がある書物を読んだことがあるもの」
「……ほう」
ロランは頷いた後沈黙したので、イルヴァは嫌な予感がしていた。
「ま、まさか、そこまで喋らせるつもり……? わ、私に……?!」
みるみる耳の先まで真っ赤になるイルヴァは、可哀想だとは思った。
しかし、どうしてもこれだけは確認しておきたかったため、ロランは頷いていた。
「ご主人様らしくしろって言ったのは、誰だっけ?」
「う……わ、私です……」
イルヴァは視線を逸らしながら閉口していた。
それを言われてしまうと、もはや抵抗のしようもない。
しばらくの間躊躇していたが、やがてイルヴァは観念した様子で白状していた。
「だ、だからっ……そ、その。は、裸になって、それで……」
「うんうん」と頷いて、ロランは先を促す。
そうしながら、(やっぱり俺の考えすぎだったか?)と思いかけたのだが。
「そ、それで、その、……同じベッドに入って、一緒に眠るのよね?」
耳まで真っ赤になりながら吐き出された言葉はそれだった。
「…………」
しばらくの間ロランは沈黙していた。しかしやがて我に返って、「……え、それだけ?」と思わず聞いていた。
「そ、それだけってッ……!」
イルヴァは泣きそうな目をロランに向けてきた。
「全然それだけじゃないでしょ?! え、エルフ族は、親兄弟にも裸なんて見せるモノじゃないしッ……!! ま、増してや、一緒に寝るなんてしたら、直接くっ付いちゃうじゃない!! 服越しでも普通は特別な人とだけなのに……ちょ、直接だなんて……!!」
「あ……うん」
ロランは頷いていた。
その後、「はは……そうだね」と、乾いた笑い声をこぼしていた。
それでようやくイルヴァは自分の発言のどこかに問題があったと薄々感付き始めるようになったのだ。
「も、もしかして……何か変なこと言った……?」
「……まあな」
ロランは遠い眼差しをしていた。
(なんだ。要するに、イルヴァは)
「……今までの発言は、知ったかだったのかよ……」
一気に脱力するのを感じながらも溜息をこぼすロランの姿に、イルヴァは戸惑いを覚えていた。
「し、知ったかなんてしていないわよ。きちんと辞書で調べたって言ったじゃない」
ロランは呆れ返っていた。
「いや……調べるモノが悪すぎるだろ……。なんで辞書なんだよ」
「どうして?調べ物といえば辞書でしょう?」
「いや、確かにそれはそうなんだけど。もっとこう、書店では手に入らないような……そう、色紙屋に行かないと手に入らないような情報が世の中にはだな……」
「……いろがみや?」
怪訝そうな表情をするイルヴァを見て、ああ、そうか。とロランは確信していた。
彼女はそういったものに恐ろしく縁遠いのだろう。
(まるで子供みたいな知識量じゃないか。しかし、エルフってそうなのか? そういや、前にイルヴァ自身、知識に偏りがあるとか言ってたよな……)
ロランは溜息をついていたため、イルヴァは胸をズキズキと痛めていた。
「う……し、知らなかったことは申し訳ないと思うわよ。でも、そこまで溜息をつかなくたって……」
「いや……だってな」
ロランは苦笑いを浮かべていた。
(できないよなぁ……こんなんじゃ)
内心、そんな風に考えていたのだ。
せっかく期待して内心では喜び勇んでいた事だったからこそ、肩透かしが半端ないわけで。
「はあぁ~……」
あからさまに肩を落とすロランの姿に、イルヴァは申し訳なさを感じていた。
「ご、ごめんなさい……。で、でも、それならそれで、教えてくれても良いじゃない」
イルヴァは体を起こすと、おずおずとロランに擦り寄ってきた。
自然体でそういう事をする、そんな彼女が可愛くないと言えば嘘になる。
けれどロランは赤面しながらも、大きく首を横に振っていた。
「いやまあ、俺だってさ。『それじゃあ俺が手取り足取り教えてやるよ~ゲッヘッヘ』みたいなさ。そういうセリフも吐いてみたいとは思うよ? でもさ、現実、それを実行に移すのって、明らかに悪役だよな? 俺、悪役だよな?」
「……そうなの?」
首を傾げるイルヴァに、「そうだよ」とロランは頷いていた。
「俺はさ、同意が取り付けられるなら……って思ったけど。けれどこんなんじゃ、同意を取り付けたところで、無知につけ込んでいる形にしかならないじゃないか」
そう言ってから俯いて黙り込むようになったロランの姿を見て、イルヴァは自分自身が情けなくなっていた。
結局、慣例を守ってもらうと言いながら……――守ってもらえない原因を作っているのは、自分自身にあることをつくづく実感してしまったせいだ。
「……ごめんなさい」と、イルヴァは謝ってきたから、ロランは顔を上げるとイルヴァの事を見ていた。
イルヴァはぺたんと耳を伏せながら、落ち込んだ様子で俯くようになっていた。
「私って……ダメな奴隷よね。結局何もできなくて……剣闘士になって強くなった気で居たのに、それ以外じゃてんで何もできないままで……。どうしようもないわよね、私って」
「そりゃあ、奴隷では上手く行かないかもしれないけどさ」
ロランはイルヴァを慰めるのが半分、本音を言うのが半分で話していた。
「キミには剣闘士があるんだから、それで良いじゃないか。剣闘士としてのキミは輝いているし、立派だし、最強なんだ。そんなキミがわざわざ、奴隷なんて物事に拘る必要なんて無いだろ?」
「それは……そうかもしれないけれど」
イルヴァは釈然としない表情を浮かべていた。
「一度やると決めたことには手を抜きたくないし、妥協をしたくもないのよ。それに、妥協をするということは、あなたに対しても失礼になるでしょう?」
「そんなこと、考えなくて良いよ」
そう言ってロランは笑っていた。
「俺にとって、キミは高嶺の花だったからさ。そんなキミが一時でも俺のモノになってくれたんだ。それだけで俺にとっては、十分夢のような出来事だったよ」
それからロランはイルヴァのことを胸の中に抱き寄せていた。
「ほら。こんな事をして許されるのは、俺だけだろ?」
「それは……そうだけど」
赤くなりながらも頷いたイルヴァの様子に、ロランは破顔していた。
「だったら十分に、キミは俺だけのモノだよ。そうじゃないか?」
ロランの問い掛けに、やがてイルヴァは頷いていた。
「……そうね。確かに……私はあなただけのモノよ。他の誰のモノでもない、今はあなたのための……存在」
「そうだよな」
そう言ってロランは目を細めていた。
「……ロラン」
イルヴァはぎゅっとロランに抱きついていた。
「あなたが私のご主人様で居てくれるのも……本当にあと少しなのよね」
どこか名残惜しそうに溜息をこぼすイルヴァに、ロランは頷いていた。
「うん……そうだな」
「だったら、今日は離れたくない」
そう言ってイルヴァは体を押し付けてきた。
最後だからこそ、イルヴァは耳まで赤くなりながら、蚊の鳴くような声で素直な気持ちを言葉にしていたのだ。
「その……今日はずっとぎゅっとしててほしいの。寝る時も」
「それって、裸で?」
ロランの質問に、イルヴァは耳まで真っ赤になっていた。
「そ、そうじゃなくてっ……! ……あ……ろ、ロランが良いなら、私はそれでも……」
もじもじとするイルヴァに、ロランは笑っていた。
「いや、冗談だよ。でも、ありがとうな」
ロランはお礼を言っていた。
最後まで慣例に少しでも忠実で居ようとしているんだな。と思ったせいだ。
しかしイルヴァは大きく首を横に振っていた。
「ち、違うの。慣例を気にしたり、ロランに気遣っているわけじゃなくて……そ、その」
イルヴァは赤面した顔を伏せていた。
「……私だってこの関係が、嫌じゃなかったから……」
それがイルヴァの精一杯の言葉だった。
けれどそれだけでもロランにとって十分に嬉しいことだったのだ。
「そっか」
ロランは満面の笑みになると、何度も頷いていた。
「嬉しいよ、イルヴァ」
そう言ってロランは彼女を抱き締める腕の力を強めていた。




